668. 祭りを控えて
「うーん! 対抗戦、もうすぐだね!」
眩い陽射しが差し込む窓辺席、朝の食堂は今日も賑やかだ。
対抗戦まであと三日。空にしたヨーグルトの器を前に、ミアがふんふんと鼻息を荒げる。彩花お手製のネコ耳フードをすっぽりと被っている(気に入っているらしい)こともあり、餌を食べ終えた子ネコみたいで微笑ましい。
ちなみに流護はミアのこの格好を初めて見た際、彼女の活発でお騒がせな性格から連想して「ははは、なんかどら猫みたいだな」と何気ない感想を述べてみたのだが、想定外の剣幕でガチギレされた。まさかあんなに怒るとは。とんだ地雷を踏んでしまったようだった。年頃の乙女って難しい。
「そういえば対抗戦って、実際どんな感じのことするの? まさか、本気で神詠術を使って攻撃し合うわけじゃないよね?」
そんな疑問を呈するのは、ミアの隣でミニサラダをつつく彩花である。
これには二人の向かいに座る流護が答えた。
「ま、それこそ空手とか、そういうのの試合みたいなもんだよ。詠術師なんだから、ちゃんと術を使って闘うぞ」
「え! 危なくないの!?」
「そら全くの安全ではないわな。ケガとかは全然ありえるし」
「大丈夫なの!?」
「だから審判もいるし、救護班も控えてるし。つか、それ言ったら格闘技の試合はどうなんだよ」
「いやだって、攻撃術でしょ? 素手とかとはまた話が違くない?」
「言っとくけど、誰も彼もが高威力の術を使える訳じゃないからな」
だがよくよく考えてみれば、彩花は強力な神詠術ばかりを目にしてきている。
王都地下で怨魔を倒したクレアリア然り、暗殺者と戦闘を繰り広げたダイゴスやディノ然り。直近では、敵味方ともに多くの死を生んだアシェンカーナの里での激闘も忘れられない記憶となったばかりだろう。
しかしそれらは、あくまで洗練された詠術士、いわば神詠術のスペシャリストたちの立ち回りだ。
この世界の人々が全員そうという訳ではない。むしろ、そんなことができる人間のほうが絶対数では圧倒的に少ない。
「それにまあ、皆が着てる制服にも何気に術耐性があったりするからな。なあミアよ」
「うん!」
「そうなの?」
すぐ隣に座るネコ耳少女がまさに着ているその装いを見やりつつ、彩花が目を丸くする。「そうだよ!」と自らの纏う制服を誇張するように頷くミアだが、これは流護自身かつて彼女から教えてもらった話だ。
「学院生の技量と制服の防御力を考えれば、普通はそう大きな事故が起きるようなもんでもない。まあ、顔とか肌が露出してるとこは当然無防備だけどな。そこを上手くカバーして闘うのも腕の見せどころってやつよ。あと、こういう詠術士同士の対戦ってのは基本的に事前の詠唱が禁止されててな。試合開始の合図を聞いてから、正々堂々と詠唱を始める」
「へー……。でもそうなると単純に、詠唱が早いほうが有利にならない?」
「そりゃあな。詠唱の早さも個人の技量のうちだし。んでもそうだな……じゃあお前がアクションゲームとかやっててさ、魔法タイプの敵が詠唱始めたらどうする? ちなみに、攻撃を受けたキャラは怯むものとする」
「え? それなら……妨害するでしょ」
「だろ。模擬戦も同じだよ」
「していいんだ! でもどうやって?」
「そら人それぞれだな。まず格闘戦を仕掛けるとか、ほぼ無詠唱で出せる威力ゼロの術で牽制するとか。まあ、結局お互いに見合いながらぼっ立ちで詠唱したりってのも珍しくはないけど」
実は、開幕直後のこの場面こそが最も個性やセンスの出る部分だったりするのだ。
「へえー……あ。じゃさ、ミアちゃんならどうするの?」
「えっ? ……ううーん……相手より早く詠唱する! しかないよ……」
と、尋ねられた小動物はしょぼくれる。心なしか、フードのネコ耳もうなだれたように見えるのだから不思議だ。
「はは。ミアはこう見えて結構強力な術使えるんだけど、本人がドのつく運動オンチだからな……。駆け引きも苦手だし、こういう模擬戦には全然向かないんだよな。そんでも、たまに試験とかでエドヴィンに勝ったりもするんだろ?」
「うん! 一戦目でエドヴィンに当たって、あいつより早く詠唱できさえすれば、あとは黒コゲにするだけだよ!」
「そ、そうなんだ」
「ミアの術の強さなら、先制取れて一回勢いに乗りゃ押し切れるんだよな。まあとにかく体力のなさがネックだけど」
詠唱が間に合わなければ、エドヴィンどころかおそらくその辺のキッズにすら負ける。術が使えるようになり次第、とにかくぶっ放す。それしかない。
強力な術が使えるから戦闘巧者、とは限らないのだ。
ちなみに詠唱には深い集中力を要する。その日のコンディションにも多少左右される。雑念を抱いたりすれば、思うようにできないこともある。
ミアみたいに落ち着きのない小動物は、えてして詠唱時間にもムラが生まれやすい。
「だから大勢の味方がいる状況とかで、後方で砲台やらせる分には有能なんだけどな。ミアの場合」
適材適所というものである。
「そうなんだ。でも模擬戦苦手なミアちゃん、解釈一致でかわいい。まあとにかく、それなら今回の対抗戦もあんまり危ない試合にはならないってことかな?」
と楽観的に構える彩花に対し、
「どうだろうな」
流護は腕を組んで一言添える。
「なに、どゆこと」
「俺もそうは言ったけど……今回の団体戦に選ばれるのは、言ってみりゃ両方の学院で戦闘に関してトップファイブに入るメンツだからな。当然結構な術使えるし、大体ルールでも謳ってるだろ。『ダウンあり』なんだよ」
それはつまり、食らえば思わず倒れてしまうほどの強い術が使われる……それが許容されることを示している。
「ま、言ってみりゃガチスパーよな。限りなく実戦に近い」
「大丈夫なの!?」
「そして振り出しに戻る、と。お前、それしか言わんじゃん」
「いや、だってさぁ。せっかくみんな打ち解けて、仲よくなってるのに……そんな決闘みたいなことしなくても、って思うじゃん。そのせいで、あんたとマリッセラさんみたいにギクシャクしちゃうかもしれないじゃん」
「生々しい例を出すな。しかもあれは、あっちが一方的に俺を嫌ってるだけだから……」
「じゃあ、流護は好きってこと? あっ、美人だから!」
「何でそうなんねん。つーかまあ、そこは文化とか感性の違いってのもあんのかな。神詠術ってのは、この世界の人らの一番の誇りだからな。だから敢えて決闘して、その誇りを互いにぶつけ合うことで、より深まる関係もあるみたいなさ」
必ずしも相手憎しで闘うだけではない。むしろ相手をもっと理解するため、何かに区切りをつけて次のステップに進むため。
必要な儀式として、あえて行われることもある。……単純に、レインディール人やバルクフォルト人が血気盛んということもあるが。
「だから、それこそ俺の空手の試合みたいな感じで見ときゃいいんだよ」
「……そっか」
と、唐突に彩花がしおらしくなる。
直後の彼女の言動で、少年はその理由を察することとなった。
「……そうなると、あんたはさ……こっちに来て……空手の試合とか、できないじゃん? 寂しかったり、しない? たまに、ダイゴスさんとかと対戦みたいなことはしてるみたいだけど……でも基本的に、練習とか一人で黙々とやってるじゃん」
「…………」
つい先日も、自問したことだ。
同好の士がいない。頂を目指し、孤塁を歩む。
だが。
「何とも思わねえよ。元から、俺が目指してるのはそういう道だ。最強、つまり『最も強い』ってのは一人だろ? まあ俺は孤高の存在なんよ」
「……私たちを守るためにそうなろうとしてる?」
つくづく、自分は感情を隠すことが下手なのだと流護は思う。こんな言い方をしたのに彩花が茶化してこない時点で、心の裡が出てしまっているのだ。
「お前は俺がそんな寂しんぼに見えるんか」
「うん」
「いや即答すんなや。んなことねぇよ。お前はうるせえし、ミアは賑やかだし。毎日騒がしくて退屈する暇なんてねーって。な?」
もう一人の少女に話を振ると、彼女は期待通り「うん!」と奮起してくれた。
「よし。ミア、最近あった面白い話をなんか頼む。はいどうぞ」
「えっ!? うーん……うーん……あ、そうだ! 昨日の話なんだけどね!」
「あっ待った。エドヴィンネタは禁止な」
「ウワー!」
話をすり替えたが、もちろん彩花も気付いているだろう。それでも彼女は何も言わず、耳を傾けてくれていた。
「よぉエドヴィン、聞いたぞ! やっぱり出るんじゃねえか、対抗戦!」
「あー? まァな」
興奮丸出しで駆け寄ってきたステラリオに、自席でふんぞり返るエドヴィンはあくびを噛み殺して応じる。
「それより声がでけーよ。一応よ、誰が出るかは当日のお楽しみってことだったろ」
「あっ」
しまった、と言いたげに口をつぐむステラリオだが、時すでに遅し。周囲の席に座る黒ローブ生徒の幾人かが、聞いてしまった的な顔で目を逸らしている。
「……やっぱり出るんだな、エドヴィン・ガウル……」
「だな……実技を見る限り、候補の一人だろうとは思ってたけど……」
「となると強敵だぞ。座学はてんでダメだけど」
「ああ。実戦は強そうだよな。勉強はできなさすぎて驚くほどだが」
囁いているリズインティ学院生らに視線を投げると、彼らは顔を背けて黙り込んだ。
「わ、悪ぃ。バレちまったな」
ステラリオがすまなそうに頭を掻く。
「別に構わねーがよ。どーしても隠さにゃならねーことでもねーしな」
両学院の参加者については、今のところ大っぴらにしていない。秘密というほどではないが、当事者もわざわざ出場を明言してはいない、といったところか。どうなるかは当日をお楽しみに、との雰囲気。
が、ここ数日は対抗戦の話題で持ち切りだ。あれこれ議論も尽くされ、誰が出場するかについてはそれとなく察しがついているような状況だった。たった今とて、リズインティの生徒に「『やっぱり』出るんだな」と言われている。
「それにしても、どうしたよエドヴィン。あんまり乗り気じゃなさそうじゃんか」
「あ? んー……そーゆー訳でもねーんだがよ……」
実際、皆ほどの熱意はない。
リズインティ側で誰が出てくるか。起案者のシスティアナは決定として、オルバフあたりは確定だろう。技術力を考慮すればシロミエールは外せないところで、能力の高さを語るならリムも候補に入ってくるが、エドヴィンとしては気弱な女や子供を相手に今回の規則で闘うのは気が進まない。
そうした理由も確かではあるが、まず第一に自分でも不思議なぐらい落ち着いている。
「…………」
己の目指すべき道が定まった。
それだけで、こうも迷いや焦りが晴れるものなのか。多少の物事では動じなくなった。
そして今回、ベルグレッテから対抗戦に出てほしいと『依頼』された。ならば、『仕事』を遂行する。
ただそれだけだ。
当日は組み合わせ次第だが、オルバフと闘えれば言うことはない。
勝率としては自分が三割程度か。術の扱いや精度については、全局面において向こうが上だ。
だが、接近戦であれば一方的に負ける気はしない。勝ちの目は充分にある。実際にどうなるかは分からない。どこまで通用するか、試してみたい。
(……ったくよ)
以前の自分であれば、後先考えずに「ブッ倒してやる」と息巻いてばかりいたはずだ。相手が格上だと思えば、尚更躍起になって。焦ったように。
改めて自己分析を終えると、ガタ、と隣の椅子を引く音が響く。
講義開始を間近に控え、戻ってきたリウチが億劫げに着席するところだった。丸みを帯びた赤茶色の前髪をかき上げ、長い脚を大げさに組む様が実にキザったらしい。鼻につくそんな仕草も、すぐ隣で三週間も披露されればさすがに見慣れてしまった。
「っと、そろそろお勉強の時間かよぉ……かったりぃなぁ……」
伊達男のそうした様子を横目で眺めたステラリオも、休み時間の終わりを悟って渋々自席へと足を向ける。
口には出さずとも彼と同じ心持ちで始業の鐘を待っていたエドヴィンは、珍しく隣からの視線を感じた。
「模擬戦、出るのかい。お兄さん」
目をやると、両手を頭の後ろで組んだリウチが尋ねてくる。今ほどの会話が聞こえていたのだろう。
初めてだった。講義における最低限必要なやり取り以外で、あちらからこんな風に話しかけてくるのは。
「……そーだな」
「ふうん。そうかい」
ステラリオにも言ったように、頑なに隠すことでもない。素直に肯定すると、実に淡白な相槌が返ってきた。なぜ訊いたのか、と思うほど興味もなさげに。
合同学習後半にして初めての自発的な対話はそれ以上展開することなく、いつも通りの鐘が鳴って、いつも通りの退屈な講義が始まった。




