666. 知らない一面
その日の早朝、作業に勤しむこと小一時間ほど。
(……よっし、できたー!)
ベッドの上で指先に意識を集中していた彩花は、会心の思いとともにそれを掲げた。まじまじと眺めて、出来栄えを確かめる。
(うん、いい感じ……!)
それは一着のケープだった。黄色と茶色のストライプ、フードの部分には突起がふたつ。後付けしたネコ耳である。
彩花が初めて外出し、王都へ出かけたあの日――初めて怨魔に遭遇した日であり、ユウラ(カヒネ)と出会った日でもあるが――とにかく皆で街を巡ったあの時に購入していた品だった。
ミアに似合いそうなケープを発見、ネコ耳をつければ完璧なのではないか。
そう直感した彩花は迷わず即決購入、暇を見つけては裁縫に勤しみ、それがようやく完成に至ったのである。
思いつきのため手本もなく、そこまで編みものが得意な訳でもない。悪戦苦闘の毎日がようやく終わりを告げたのだ。
「ミアちゃん……!」
もう衝動を抑えきれない。彩花はいても立ってもいられず、反対側のベッドでくつろいでいる小動物の下へと駆け寄った。
「ミアちゃん、これ着てみて!」
「え? なに? どうしたのアヤカちゃん」
「ミアちゃん、これ着てみて!」
逸るあまり語彙も消え失せ、RPGのNPCみたいに同じセリフを繰り返すのみだ。
「う、うん? あっ。これ、彩花ちゃんがずっと編んでたやつだ」
「うん、そうだよ」
「あたしが着るの? ほんとにいいの?」
「いいも悪いも! ミアちゃんのためだから!」
「う、うん……」
戸惑い気味にケープを受け取ったミアがそれを肩へと羽織る。そして、
「あーもおぉぉ! かーわいいねぇ! フードも! 被ってみて!」
「う、うん……」
やや引かれている気がしなくもない彩花だったが、とにかく今はその姿を見たい一心だった。押し通る。
言われるままにミアは手を回し、自らの小さな頭をフード内にすっぽりと収めた。彩花の想定通り、ぴょこんと屹立したネコ耳がふたつ、頭頂部で存在を主張する。
「こ、これでいい? どう?」
「……………………うん。……ミアちゃん、最高です……。一生推すね……」
「え、うん……よ、よく分かんないけどありがと……」
感極まって震え声で感想を述べると、もはや小動物な彼女のドン引き具合は明らかだった。何というか、肉食獣に怯えるような目をしている。これはいけない。
「ほ、ほんとだよ! めっちゃ似合ってるよ! ほら、自分で見てみて」
「……わ。なんだか動物っぽいよ」
手鏡を渡すと、ミアは色々と角度を変えて自身の姿を確認する。かわいい。あまりにも。これは罪だ。後でスマホで写真を撮らせてもらおう、と決意する彩花だった。ああ、そのスマホだってミアに充電してもらわなければ使えないではないか。何ということだろう、一蓮托生だ。これからも一生よろしくお願いします。
そんなやり取りを交わしていると、今ほどまで隅の自ベッドで読書中だったマデリーナが通りすがる。
「ううん? 何だいその被りものは。まるでネコみたいじゃないか。きひひ、こいつはとんだドラネコだねぇ」
「なーっ! ドラネコ!? そんなことないもん!」
プンスコする様が実に愛らしい。忍び笑いながら部屋を出ていったマデリーナと入れ違いで、クレアリアが戻ってくる。ミアの姿を見るなり、
「あら。何ですか、その召しものは。まるで猫のような……、ふむ。これはとんだドラ猫ですね」
「ウワー! クレアちゃんまで!」
思わず吹き出しそうになってしまい、懸命に堪える彩花であった。
やや遅れて、今度はベルグレッテが帰ってくる。フードを丸々と被ったミアを前にするなり、薄氷色の美しい瞳を見開いた。
「あら。なあに、かわいらしい格好をして……。……柄に見覚えがあると思ったら、このところアヤカが続けていた編みものよね。ミアのためだったの?」
「そだよ」
ちらりとこちらを窺ってきたベルグレッテに肯定する。すると彼女は、噛み締めるように頷いた。
「ふふ。似合ってるわよ、ミア」
「そ、そう? でへへへ」
立て続けにドラネコ呼ばわりされややおかんむり気味だった彼女だが、ベルグレッテに褒められたことで全てが帳消しになったらしい。満面の笑顔を咲かせた。
「ネコを模したのかしら? その耳は……。…………。……ええ、よく似合ってるわよ」
「えへへへ」
「……。ねえベルグレッテ、あのさ」
少女騎士の妙な歯切れの悪さに違和感を覚えた彩花は、恐る恐る口にする。その推測を。
「もしかして今……ミアちゃんのこと、どら猫みたいって思わなかった……?」
「!」
「!?」
反応は二人同時だ。
「んなっ、な……!? き、急になにを言い出すのアヤカったら……!」
「そ、そそ、うだよね!? あたし、ドラネコなんかじゃないもん!」
なるほど。鋭く人の心理を見通すことに長けていると評判のベルグレッテだが、自分がごまかしたり取り繕ったりすることは随分と下手らしい。傍らのクレアリアも、何やら生温かい目で見守っている。
「そ、それにしても……アヤカは、お裁縫もできるのねっ」
「できるってほどでもないよ。これなんて耳っぽく見えるようにくっつけただけだし、それでも結構時間かかっちゃったし……」
ちなみに余談だが、後ほどベルグレッテは彩花にこっそり囁いてきた。「どうして私の考えたことが分かったの?」と。
「おや、リム殿。今日も早速、熱心に励んでいますね」
始業前。閑所やら諸々の準備を済ませて自分の席にやってきたクレアリアは、隣の机で参考書を傍らに筆を走らせている小さな少女へと微笑みかける。
「分からないところがあれば、遠慮なく訊いてくださいね」
いつも通り。合同学習が始まってから決まり文句となっていた、何気ない言葉だった。この呼びかけに対し、リムは弱々しく曖昧に頷く。
けれど引っ込み思案な彼女はなかなか自発的に質問することができず、困り顔で手を止めてしまう。そんな様子を見かねたクレアリアが、自分から教え始める。
今日も今日とて、そんな普段の情景が展開される――かに思われた。
「いえ。だいじょうぶ、です」
はっきりとした意思表示だった。
赤い。大きく切れ長な真紅の瞳に秘められた縦細の黒い瞳孔が、まっすぐこちらを見つめ返している。
「……、そう……、ですか」
間抜けな返事が出たな、とクレアリアが自覚する間にも、リムはその赤く美しい視線を自らの手が紡ぎ出す文字列へと戻した。
「……、」
想定外ではある。
ここまでの講義を通して、リムも自力で課題に取り組むようになったということか。喜ぶべきことながら、しかし頼られず寂しいような。
(……なぜ複雑に感じているのやら、私は)
まだ時間もある。
集中するリムの邪魔をしないよう場を離れたクレアリアは、そのまま姉の席へと歩み寄った。
合同学習上の相方となるシスティアナはまだ来ていないようで、毎度のことながらミアが居座って鼻息を荒くしている。
「ね! クレアちゃんもそう思うよね!」
「思いませんが」
「ンモー!」
「ところで姉様、対抗戦の人選は決まりましたか?」
お騒がせ娘を適当にあしらいながら尋ねると、姉は柳眉を八の字に寄せる。
「そうね……四人目については、さっきエドヴィンにお願いしたわ」
「そうですか。気は進みませんが……他に候補もいませんし、仕方ありませんね」
こと実戦形式の模擬戦においては、『狂犬』の実力を評価しない訳にもいかないのが実情。
「で、そのエドヴィンは何と?」
「出ろっていうなら出てやるぜ……って」
戸惑いがちに、ベルグレッテが彼の返答を復唱する。クレアリアが意見を口にするより早く、ミアがふすんと鼻を鳴らした。
「だから、その話だよクレアちゃん。エドヴィン、ほんっと最近おかしいよね。前だったら絶対、俺を出せ! ってうるさかったと思うよ」
「まあ、それは確かに」
その変化には気付いていた。しかし無気力ややる気がないゆえといった風情ではなく、このところのあの男には妙な落ち着きが出てきているように感じられる。実に似合わないことに。
「まあ、問題行動を起こさないのならそれでいいですが。五人目はいかがですか?」
クレアリアとしてはダイゴスを出して何の問題もないと思うが、流護が禁じ手だの何だのとうるさい。その言い分も理解できなくはないが、しかしそうなると目ぼしい候補がいない。
「そうね……最後の一人については、無理に決めず当日までに募ってみることにするわ。対抗戦とはいっても交流会みたいなものだし、気軽に参加してねってことで」
「そうですか」
致し方ないところか。しかしクレアリアとしては、どうせやるのであれば負けたくはないと思っている。
参加者を募集するとなると、ジェコメッツィーニなどの勘違いした輩が名乗りを上げてきそうでげんなりする。バルクフォルトに到着した最初の夜、レヴィンとの交流戦で彼が披露した珠玉のへっぴり腰は級友たちの記憶に残るところだろう。
「まあ……姉様、レノーレ、私の三人で勝ち抜けできるので、深く考える必要もなさそうですが……あちらはどなたが出場されるのでしょうね?」
「んー……どうなのかしらね」
両学院の出場者についてはまだ決まりきっていないこともあり、互いに明かしてはいない。何となく、このまま当日までのお楽しみになりそうな気がする。
ちなみに、マリッセラは参加を辞退すると表明している。
現在はリズインティ、一週間後にはミディールへ帰属という無二の立ち位置もさることながら、与した側へほぼ確実に一勝を齎す実力の高さを思えば、妥当な判断であろう。
(まあ……あの方の場合、姉様との勝負以外に興味がないというのが本音でしょうけど。そして今回、姉様との対戦についてはシス殿が熱望している……。マリッセラ殿も、そこを分かってあえて譲った風な印象ではありますが)
現状、あちらの参加者で確定している(こちらが知っている)のは対抗戦発起人のシスティアナのみ。
(お気の毒ですが……姉様の相手をするのであれば、シス殿といえど勝ち目はありません。その実力差を認識できない彼女ではないはずですが……。……それにしても)
少し気がかりというか、腑に落ちない点があった。
(姉様以外が相手であれば、シス殿が勝る可能性は大いにある。にもかかわらずそれをしないということは、取れるかもしれない勝ち星をむざむざ捨てるということ。つまりシス殿は、リズインティ学院としての勝利にこだわっていない……? 姉様と競うこと、それ自体を目的としている……?)
率直に言って、システィアナはクレアリアから見ても気持ちのいい好人物である。
少しそそっかしいが、天真爛漫で快活、仲間思い。裏表もなく聡明で、学級長を任されるに相応しい優等生。あの偏屈なマリッセラと友人関係を築けているあたり、懐の深さも窺い知れる。
そんな彼女が、リズインティ学院としての――仲間たちとの勝利を放棄し、個人的な理由でベルグレッテに拘泥するだろうか。どうにも釈然としない。それをマリッセラが止めずに、むしろ容認しているような雰囲気であることも気にかかる。
(……それとも……そもそもの私の認識が、間違っている……?)
姉の影響か、クレアリアも少しは物事を多角的に見ることができるようになってきた。
リズインティの面々ともすっかり打ち解け、数年来の友人のような関係性となってきているが、実際のところは知り合って十数日前後の間柄。
システィアナにしろシロミエールにしろ、彼女たちの全てを知っているかといえば決してそんなことはない。むしろきっと、知らないことのほうが遥かに多い。
何か、自分たちでは考えつかないような事情があるのだろうか。
(……それとも率直に……我々に、勝る自信がある……?)
そう、彼女らについて知らないことのほうが多い。
つまり実力の面においても、まだ自分たちが認識しきれていない部分があるのでは――
「ところでクレア、今日はリムちゃんの予習に付き合わないの?」
と、おもむろに姉が尋ねてくる。
前方の席で手を動かす少女の小さな後ろ姿を見やりながら、妹は口を開いた。
「ええ。自力で頑張りたいそうですよ」
「そうなんだ。ぐふふ。クレアちゃん、ちょっと寂しそう〜」
「は? そんなことありませんが」
茶々を入れてくるミアに反論しつつ。
(……思えば私は、リム殿のことだって知っているとは言い難いんですよね)
彼女の後頭部で結わえられた灰色の後ろ髪、かすかに揺れるその愛らしい一房を眺めながらに思う。
いつからだろう。年に一度、貴族家系同士の繋がりで数日顔を合わせる程度の間柄。
自分の後ろをひょこひょことついてきて微笑ましいが、向こうから自発的に喋りかけてくることは稀だ。思い返してみれば、彼女が自分に対して明確な意見を口にしたことは一度もないのではなかろうか。
そう思うと、寂しいといえばその通りではある。
「……」
その小さな後ろ姿を見つめつつ。
(もっと、自信を持ってもよいのに)
リムは今後、間違いなく『化ける』。その時がいつ訪れるかは分からないが、それだけの潜在能力を秘めている。
(……ともすれば、私をも)
きっと彼女は、それほどの使い手になる。そしてその日は、思ったより遠くはない。半ば確信に近い思いがあった。
「おーい、オルバフのやつはどこに行った?」
「ん? いないな。またあれじゃないか、遊撃兵殿と訓練してるんじゃないのか」
ふと、広間に入ってきた黒ローブの男子たちの会話が聞こえてくる。
「……そういえば、姉様」
「ん、なあに?」
「対抗戦の人選について、あちらはまず間違いなくオルバフ殿が入ってくるのでは?」
オルバフ・ドレッグ。
流護による講義があった日、実演に名乗りを上げた青年である。その際に軽くあしらわれてしまった印象がある彼だが、学院生としては相当な腕の持ち主。相手が悪かっただけだ。
クレアリアも彼と対峙したとして負ける気はしないが、やるのであれば間違いなく強敵と表現していい部類に入る。
「仮にあの方が出場するのであれば、要警戒かと思いまして」
「そうね。彼が五人の中に選ばれている可能性は否定できないわね」
「あの人、最近はリューゴくんとよく訓練してるよね!」
流護の練習相手が務まる時点で並ではない。やはり、まず選出されていると踏んでいいはずだ。
そうこう話をするうち、講義開始を告げる鐘の音が鳴り渡る。
各々が渋々自分の席へと向かっていく中、リズインティ側の先生と一緒にシスティアナが広間へ入ってきた。毎度ながら、肩には白フクロウのオレオールが鎮座している。
マリッセラもやや遅れる形で、いつも通り不機嫌そうに髪をかき上げながらやってくる。
「よーし、みんな席につけー。最初の講義を始めるぞー」
「ベル、今日も一日よろしくね!」
システィアナの様子におかしなところはない。これまで通り、いつも通り。
果たしてそんな彼女は、どうしてベルグレッテとの勝負を望むのか。
そんな解決しない謎を抱えながらも、今日という日が平穏に過ぎ去っていく。




