663. 東西の明と暗
翠緑の月、十一日。
元々は二週間を見込んでいた交流学習だったが、何分、前例のない催しである。
期間内に計画していた実施内容が収まらないとの判断が下り、一週間ほど延長される運びとなった。
もしかすれば、それでまだ足りないようならさらに日数が増えることもありえるのかもしれない。
昼休みに賑わうその場所は、砦の脇に広がる林中に拓かれた平地。そこには現在、兵の訓練で用いられる木人形などが雑然と並べられている。なぜか梯子なども横たえられており、ちょっとした物置きみたいな様相を呈していた。
その一角で、中央に佇む三人の男子。彼らを取り巻く形で集まった生徒が十数名。
ベルグレッテたちミディール学院の生徒も、シロミエールたちリズインティ学院の生徒も交ざり合っている。ブレザー姿と黒ローブ姿の生徒たちが一緒にいる光景に、今や何ら違和感もなくなった。
その中の一人であるシスティアナは、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
空気を分かってかどうなのか、自分の肩に鎮座する白羽梟のオレオールも静かに視線を注いでいる。
(……緊迫感あるわね……)
広場中央に――無手、構えすら取らず自然体で佇む有海流護。
そんな彼と向かい合う、二人の青年。
一人は、糸目の巨漢ダイゴス・アケローン。
どっしりと雷光の棍を携える様は威風堂々、とても学生とは思えない貫禄が漂う。
事実、その腕前は達人級だ。レフェ巫術神国が誇る『十三武家』は矛の家系に属し、国内最強として名高いドゥエン・アケローンの実弟。直近の天轟闘宴では覇者一歩手前まで勝ち残った。
つい先日には、『水辺のアバンナー』を撃破している。リウチやレノーレの助力もあったとは聞くが、この西国に住まう者であれば、波打ち際で真価を発揮するアバンナーの恐ろしさは子供でも知る常識だ。あの『魚人』と見える際は水場から引き離すのが鉄則にして活路であり、先日のシスティアナたちもその基本を徹底した。
そうした原則も知らぬまま、真っ向からかの怨魔を討伐してしまった海なき極東の異邦人。その戦闘能力が並外れたものであることは疑いの余地もないだろう。
そしてそんな彼と肩を並べて立つもう一人は、黒ローブに身を包んだ精悍な顔つきの男子生徒、オルバフ・ドレッグ。
システィアナにとっては入学当初から一緒に学んできた級友であり、リズインティ学院きっての実戦派。
十日ほど前、流護が講義を行った際の実技演習に名乗りを上げるも、文字通り一捻りされてしまっている彼だが、それは噂の遊撃兵があまりに常軌を逸していただけの話。
まだまだ詠術士見習いとして発展途上の技量と思考、そして甘さを持つ者が多い中、オルバフはすでに成熟している。
リズインティの証たる黒いローブも、本来は詠術士志望の少年少女が纏う初々しさの象徴のような装いのはずだが、彼が羽織れば歴戦の傭兵さながらの凄みが醸し出されるのだから不思議だ。
「二対一か……」
観衆の誰かの呟き。
その言葉通り――流護一人に対し、オルバフとダイゴスが今にも仕掛けようとしている構図――
「ヒュッ!」
合図はなかった。拳を腰溜めに構えたオルバフが、半身のまま軽妙な足捌きで間を詰める。
開始の宣告は不要。あの講義の折に流護が発した言葉、それをそのまま体現する仕掛け。
これが速い。学院生の域など大きく逸脱している。
風が渦巻いて唸る。
瞬く間の接近。まっすぐ突き出されたオルバフの右風拳を、流護は左腕の手甲で難なく受け流す。学院生の中では突出した精度と速度の攻撃。しかし流護の技量であれば、そのまま返す右でオルバフを沈められるだろう。
しかし――そのオルバフを隠れ蓑とするがごとく、真後ろからダイゴスが接近。前に立つオルバフの脇を通す形で、光条じみた一突きを放つ。
流護の視界からは知覚しづらい攻撃のはずだが、彼はこれも回した右腕でいなし無効化。その間に、体勢を持ち直したオフバフが入れ違いの左拳。
流護は身体を傾ける所作でこれを躱し、続くダイゴスの突きも先ほど同様に受けて流す。
「す、すっげぇ……」
目まぐるしい展開に釘づけとなった観衆から発せられる呻き。
二者一組のとめどない連係を繰り出すダイゴスとオルバフ、その怒涛を危なげなく凌ぎ続ける流護。
「目が追いつかないって……」
学院生の鍛錬の範疇を大きく超えている。闘技場の演武として見物料が取れるような光景だった。
それほど上質な応酬は、濃度を保ったまま目まぐるしく変遷する。
全ての攻撃を捌き続けていた流護が、おもむろに右足をざっと滑らせた。一歩分だけ、さりげなく前方へ踏み出るすり足。
「ぐっ!?」
しかし連係の合間に差し出されたそれによって軸足を払われたオルバフが、つまずいて大きく体勢を崩す。
傾いた彼の背中越しに、雷棍の中央を握ったダイゴスが左右の端部で目にも留まらぬ二連撃を放つ。そして流護もまた、それを視認すら追いつかない打ち払いで弾き落とす。それが二度、三度、四五六七八――……
(も、もう分からない……っ!)
システィアナの数える速度を凌駕すると同時。ここで屈み込んでいたオルバフがその姿勢から伸び上がり跳躍。ダイゴスが引く。即席の二人組だというのに、信じられないほど息の合った連係。手練同士だからこそなせる絶技だ。
「ハァッ!」
空中で幾度も回転しながら、オルバフはその勢いに乗せた踵を叩き落とした。同時、ダイゴスは棍の端を握って溜め突きの構え。
時間差はほぼない。
にもかかわらず、流護はその刹那の間に潜り込んだ。
まず、鉞のように降ってきたオルバフの踵を右手の甲で防ぎ、大きく押し返す。
「――……ぬぁっ!」
何気ないその所作で、オルバフは放物線を描いて後方へ飛んでいく。
そして直後飛んできたダイゴスの一突きに対し、むしろ押される勢いを利用するかのような横一回転。風に吹かれる柳にも似た挙動で回避した流護は、遠心力から伸ばした右の裏拳をダイゴスの鼻先へ。巨漢は咄嗟に得物を虚空へと帰し、見た目からは想像もできない素早さで飛びずさる。
二人から大きく離れた地点にオルバフが着地、下がったダイゴスがひらりと横一回転しつつ再度身構え、流護は放った右拳を伸ばしたまま。
「はい一分だよ! そこまでー!」
にわかに全てが静止した中、見物人の中から飛び出したミアがぴょこんと割って入った。
流護とダイゴスが笑みを浮かべて肩を竦め、立ち上がったオルバフが安堵したような息とともに手足を振る。
観衆からは、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「うむ。よう『見えとる』ようじゃの」
「とりあえず今日のとこはな」
直前の緊迫感が嘘のように気軽な会話を交わすダイゴスと流護。そこに、肩を回しながらオルバフがやってくる。
「全く、堪らんな……。目の前にいるというのに、まるで当てられる気がせん。霞か幻影を相手にしているかのようだ」
リズインティ学院ではきっての実戦派として知られる彼が、完全に降参といった面持ちで息をつく。
「いや、いい鍛錬になったっすオルバフさん」
「こちらこそ感謝する」
互い、拳をコツンと突き合わせる。
見物していた生徒たちも自然と散り散りに歩き始める。しかし興奮も未だ続いており、
「しかし凄いな……全く同時としか思えない攻撃を、ああも完璧に防げるものなのか……?」
「しかも無術で、攻撃術を使う強者二人を相手にだぞ……」
「拳闘の試合に出れば、もはや伝説の王者になれるだろ……。闘わなくて正解だったな、デルダムは……」
「デルダムのやつだって、一応は今のとこ無敗の王者なんだがなぁ……」
口々に語りながら去っていく生徒たち。
「……な、なあ。もしかしたらさ、レヴィン様よりも……」
「ばっ、馬鹿言うな。いくら何でも、あのお方以上のはずはない……」
密やかに、システィアナの耳にそんな囁きが届いてくる。
「あれ、ちょっと流護、どこ行くの?」
「ランニングの時間」
その話題の当人はといえば、周囲の称賛や尊敬の眼差しなどどこ吹く風だ。
たった今凄まじい組手を終えたばかりだというのに、彩花の問いかけにも当たり前のように答えて軽快な足取りで走り去っていく。
驕りの『お』の字もない、それどころか時間がもったいないと言わんばかりの鍛錬ぶり。
早々と遠ざかった流護の背中が砦の角を曲がって見えなくなった頃、屋内に引き返そうとしていたレインディール一行がざわめいた。
「わあ! ダイゴス、鼻血出てるよ!」
「む」
ミアに指摘され、巨漢が上唇のぬめりを太い指先で拭う。
「避けたよーに見えたが、当たってたかよ」
「だ、大丈夫ですか!?」
終了の直前、ダイゴスの棍を躱した流護が伸ばした右拳だ。エドヴィンや彩花が目を丸くするが、当のダイゴスは断言した。
「いや。拳は当たっとらん」
「しかし、実際に血が出ていますが」
クレアリアがジト目を送るも、巨漢は泰然と答える。
「アリウミは間違いなく寸前で止めた。ワシが回避を試みたのは、その直後に生じる『風圧』じゃ。その想定で動いて尚、間に合っておらんかったようじゃがの」
「……、」
攻撃の余波。ただの風が生んだ結果。流護をよく知るはずの彼らですら、絶句している。
「ふ、ふん! そこまでして遊撃兵殿を立てる必要はないのではなくて!?」
唯一、反抗を試みるのはレインディール出身ながらも今はリズインティの黒ローブを羽織っているマリッセラである。
「フ。ワシが煽ねば立たぬ男でもあるまい」
「ダ、ダイゴス。治療するけど……」
「不要じゃ。すぐに止まる」
ベルグレッテの申し出も断り、彼は不敵な笑みを覗かせる。
「……ダイゴス、何だか嬉しそう」
「何。アリウミの好調ぶりを見せつけられ、気が引き締まる次第じゃと思うての。午後の講義が終わったら、ワシも鍛錬に打ち込むとしよう」
「オウ、俺もやるぜ……!」
巨漢はレノーレの指摘に笑みを一層深くし、エドヴィンも触発されたように拳を掲げる。
「…………」
賑やかに遠ざかっていく隣国の学院生たちの背中を、システィアナは無言で見送っていた。
「……シス、さん?」
横合いから、ともすれば聞き逃してしまいそうな――控えめな声。
「……、ああ、シロ。どうかした?」
男子と変わらぬ上背を持つ彼女――シロミエールに合わせて目線を上げると、端正な顔に浮かぶ神妙な表情がこちらを見下ろしていた。ここで初めて気付いたが、己の右肩に乗っているオレオールも、なぜか心配そうな顔を向けてきている。
「いえ、その……シスさん、なんだか……元気が……なさそうでしたので」
「……あはは、そう見えた?」
自覚せず顔に出てしまう癖は子供の頃からだ。
「レインディールの皆は……生き生きしてるなぁ、って思って」
新進気鋭の遊撃兵、有海流護。彼を取り巻く、それぞれまるで性格も出自も異なる者たち。
しかし皆、その彼にどういう形であれ感情を揺り動かされている。そしてそれが、いい刺激となっている。
実際、ベルグレッテからも話を聞いた。
流護がやってきて以降、皆がいい方向へ変わりつつあると。
レインディール王国はこれから、彼を中心により明るい未来へと向かっていくのではないか。そう思わせるほどの輝きに満ちている。
「…………」
一方、自分たちはどうだろう。
英雄レヴィン・レイフィールドを軸に据え、かつてない栄華を極めようと目指すバルクフォルト帝国。
しかし、レヴィンが完璧たる『唯一』であるがゆえ、誰も並び立つことができない。
リウチは志半ばで折れてしまい、エーランドは必死に己を高めようとするも力不足に喘いでいる。そしてシスティアナも、心のどこか奥底で思っている。思い始めている。
(……あの方の隣に立つような、相応しい人間には……)
詠術士としても、リズインティの二番手。
女性としても、ベルグレッテのような淑女を前にすると己の凡庸さを突きつけられてしまう。家柄をとっても、没落してしまった一貴族。とても釣り合う要素が見当たらない。
夜の闇すら吹き払う、輝かしき白夜の英雄。
しかし彼自身があまりに眩しすぎて、自分たちはその背後に生まれる色濃い影に埋もれてしまっている。
結果、誰も支えることができず、彼を一人で立たせてしまっている。
この合同学習で、思い知らされつつある。隣国との対照的な差を。自分たちの、漠然とした不安が漂う未来を。
「シス、さん……」
レインディールの皆が建物の角を曲がっていき、その姿が見えなくなった。どこか、置いて行かれたように感じてしまう。
「……はぁ。私たちも戻りましょっか」
何だか惨めな気持ちで苦笑しつつ、シロミエールを促した直後だった。正門方面から歩いてくる小さな人影を発見する。
「おっと。戻ってきたわね、リム」
午前の講義が終わった後、リウチと一緒に詰め所へと呼び出されて外へ出ていたのだ。
何しろ、それぞれ両親がオートゥス公爵とローヴィレタリア卿という政を司る最高位の貴人である。その要件は――
「何か分かった?」
システィアナが尋ねると、リムはこくりと小さく首を動かした。
「……海のいっけんは……少し前の、地揺れが原因ということみたい」
つい先日、皆で息抜きに出かけた海での出来事だ。
地元の民たちが散歩に利用し、漁師たちが船を出す。そんな安全なはずの砂浜に、怨魔が出現した。
どうにか脅威を排除し、ひとまずの安全を確保した一行ではあったが、そもそもなぜ怨魔が現れたのか――
「地揺れ? って、合同学習の直前ぐらいにあったあれよね。そんなものが、海にまで影響を及ぼしてたっていうの?」
システィアナが言うと、リムは先と全く同じ仕草で首肯する。
「浅瀬の一部が、地揺れでくずれた。そこに、空洞ができて……べつの場所と、繋がった」
「! そこから怨魔たちが入ってきた、ってわけ?」
小さな少女は、三度目となる肯定の所作を見せた。
外海を泳いでいたラムヒーやアバンナーが、魔除けに触れることなくその空洞から迷い込んだのだ。
ハッとしたようにシロミエールが口元を覆う。
「あっ! と、と、いうことはっ、もしかして……ラトミル貝が、や、やけに多く採れた、というのは……」
「……そっか。岩盤の向こう側に棲息してた貝が、その空洞から流れ落ちてきてたってわけね……」
漁師たちによれば妙に多くラトミル貝が収穫でき、ミアが桶いっぱいに譲り受けたという話だった。この貝は浅瀬にはそれほど棲息していない。にもかかわらず大漁だったのには、そういう理由があったのだ。
ちなみに、あの日以降も例の海辺には散発的に怨魔が現れたという。その都度駆除されたが、ようやく新たな地形に対応した魔除けの設置が終わり、元の平穏を取り戻したらしい。
というより、目撃証言によればシスティアナたちが海を訪れる数日前の時点で実はラムヒーらしき影が確認されていたとのこと。偶然被害が出なかっただけなのだ。
まだ海を楽しむには肌寒い季節ゆえ、浜辺を歩く人の数が少なかったことが幸いしたか。
「……そ、そもそも……あの地揺れも、少し変でした、よね」
「えっ? そうなの?」
シロミエールの指摘に、システィアナは目を丸くする。
神詠術や怨魔の生態など、詠術士としての知識は意欲的に学んでいるシスティアナだが、自然の現象などにはそこまで詳しくない。
「その……う、上手く言えないんですけど……通常の地揺れのような……地面の底から響く感じ……というのではなくて。衝撃……上手くは、言えないんですけど……どこからか伝播する余波、のようだった、というか……」
「ふんむ……。シロがそう言うならそうなのかもだけど、私には違いが分からないわ」
あらゆる見識が豊富で、細かな事象を鋭敏に知覚する彼女が言うならば間違ってはいないのだろう。もっともその点、平凡な感性を持つシスティアナにはまるで理解できないところだが。
ともあれ、この一件については後ほどベルグレッテたちにも知らせておく必要があろう。原因が分かれば安心するはずだ。
「あれ、そういえばリウチは?」
そこで今さらのように、リムと一緒に呼ばれていたはずの自称伊達男の姿がどこにもないことに気付く。
「……ご飯のついでに、ちょっと遊びにいってくるって」
「……はぁ。っとに、あいつときたら……」
言いづらそうに見上げてくるリムの言葉を聞き、学級の長を務める少女は溜息を零すしかなかった。
(……リウチ……あなた本当に、このままダラダラと過ごして終わるつもりなの……?)
今回とて、名家の子息の責務として一件の情報を皆へ共有するために呼びつけられたはず。にもかかわらず、その役目をまだ幼いリムに任せ、自分はどこかへ行ってしまうといういい加減さ。
「あ、それで……お父さまから、でんごんが……」
心の中で悲嘆していると、リムが控えめに切り出す。
「お父さまから……海の一件で、みんなにお礼を言っておいてほしいっていわれた。今度、感謝状もおくるって……」
「あら、そうなの? ふっふ。猊下からお褒めの言葉をいただけることは、素直に嬉しいわね!」
この国の詠術士を志す一人として、ローヴィレタリア卿から評価されるのならこれ以上の誉れはない。
(うん。今回のことは、完全に偶然ではあるけど……)
あのアバンナーを相手に、大きな被害もなく勝利することができた。
こうして地道な功を積み重ねていけば、いずれはレヴィンに相応しい者として認められる日が来るかもしれない――
「? リム、どうかした?」
「あ、うん……」
チラチラとこちらを上目遣いで窺ってくる小さな少女。彼女が自発的に意見できる性格でないことは、長年の付き合いで熟知している。
「……猊下、他に何か仰っていたの?」
「……その……」
具体的に問うと、リムは黙り込んで目を伏せてしまった。もう、システィアナの言葉を肯定しているようなものである。
やや逡巡する様子を見せた彼女だったが、意を決したように小さな口を開いた。
「……お父さまが、ベルグレッテさまをすごくほめてた。アバンナーを一人でやっつけるなんて、すごいって。……レヴィンさまとベルグレッテさまが結婚してくれれば、未来はあかるいんだけどな、って……」
「…………」
率直に言うなれば。
全くもって、その通りなのだろう。
容姿端麗にして頭腦明晰、学院生の身でありながらカテゴリーBの怨魔を単騎撃破できるほどの腕を持つ、王女の次期ロイヤルガード。
能力的にはこの上なく、家柄を考えてもやはり相応しい。
それに、レヴィンが尊敬する騎士として公言するアドルフィータは、ベルグレッテの実兄。物語性も文句なし。
この二人が結ばれれば、両国の結束はより盤石なものとなるに違いない。
バルクフォルトの栄華を願うなら、反対する理由などどこにもないぐらいには全てが揃っている。
(…………諦めてしまえば……)
分不相応な想いなど捨てて、全てを割り切ってしまえばどれほど楽になれることか。
(……でも…………)
そんなことが簡単にできるのなら苦労はしない。
リムも、システィアナがレヴィンに想いを寄せていることは知っている。だからこそ言い渋ったのだ。
「……はぁ。中に入りましょっか」
「……シス……」
「シス、さん……」
いつもそうだ。
自分を取り巻く出来事はいつも大きくて、自分の力でどうにかなるようなものではなくて。
仲間に心配をかけたくなくて、明るく振る舞ってごまかして。
劇や本で目にするような、奇跡の恋物語なんて現実では起き得ない。
結局、リウチに偉そうなことなど言えない。結局は卒業するまで、同じことを繰り返すのではないか……。
砦の扉を潜り、屋内へ入る。
出入り口のすぐ近くで、黒ローブの男子二人が何やら熱っぽく語り合っていた。耳に入ってくる内容から、どうやら拳闘の試合についてのようだが――
「本当かよ、その話!」
「ああ。とんでもない番狂わせだよ。まさか、遥か格下のサラゴッサが勝つなんて。追い詰められたサラゴッサの振り回した拳が、ガルボーンの横っ面に思い切り当たってさ。とにかく、これでサラゴッサは一気に上位に躍り出たぞ。勝ちさえすれば、前評判だの何だの全然関係ない。もう、全てがひっくり返るんだ」
(…………――)
その瞬間。
システィアナの世界から、音が消えた気がした。
(…………勝てば……、全てが……ひっくり返る……?)
今や没落貴族のミルドレド家。
しかし、評判は少なからず上向いた。自分が学院で二番手の位置につけたことで。
同じ。
『これ』だって、同じことなのではないか?
「…………」
思考に気を割きすぎたのか、歩いていた足が自然と止まった。
「わぷっ」
すぐ後ろについてきていたらしいリムがぶつかってしまったようで、背中に控えめな感触を覚える。
それに気を払う余裕すらなく、システィアナは振り返った。
鼻を押さえたリムと、その後ろにいたシロミエールが怪訝そうな顔を向けてくる。
「…………あの、さ。リム、シロ」
発した自分の声にわずかな震えが混ざっていることを自覚しながら、システィアナは言葉を紡ぐ。
「……ちょ……っと、ちょっと、ね? 聞いてほしい話が、あるんだけど」
きっと今、自分はとんでもなく動揺している。こちらへ向けられているリムとシロミエールの心配そうな表情を見れば、それは明らかだ。
「………………あのさ」
そして、少女は告げた。
ただの思いつき。しかしそれは、明らかな真理。全てを覆すかもしれない、その提案を。