661. 目まぐるしい
翌日の昼食時、最後の肉を胃袋へと送り込んだ流護は惜別の念を滲ませた。
「……ああ、そういやこれで終わりか。んじゃま、こんくらいにしとくかね……」
空になった皿を前にした流護が小さくぼやくと、対面の席に座って頬杖をつく彩花がこの上ないジト目を寄越してくるのだ。
「や、ビュッフェ形式の品をぜんっっぶ空にしといて『これで終わりか』とか『こんくらいにしとくか』とかおかしいから。しかも残念そうに。いつものことだけど……どうなってんの、あんたの胃袋っ」
「いや、この世界の人が食わなすぎんだって。お前だって、こっちの皆と比べたらかなり食う方になるだろ」
「ちょっ、誤解を招く言いかたしないでよっ」
実際、地球人とグリムクロウズ人では食べる量が違う。
確かに流護は肉体を維持するため通常以上の食料を必要とするが、彩花やロック博士と比較してもこの異世界の人々は少食だ。
ベルグレッテなどは「たったそんだけで生きていけんの!?」と驚くほど食が細いし、ミアは幸せそうな顔でもりもり頬張るイメージがあるが、実のところ食べている総量は微々たるもの。他の女性陣も同じく。ダイゴスですらも、その巨体の割には簡素な食事を好む。
つまるところ、こういった取り分け形式の食事といえどそもそも用意されている量が少ない。補充される分を含めてもだ。
「あっ。でも、例のカニならまだあるみたいよ」
と、彩花が皿の並ぶ大テーブルを眺めていたずらっぽく笑う。流護は渋い顔で応じざるを得なかった。
「いや、あのカニは……うん、とりあえずいいや……」
この頃やたら出てくるようになった謎の蟹肉。
どこで収獲されたのか、近頃市場に随分と流通しているそうで、その波はこの砦の食堂にまで及んでいる。身が固く大味で、最初から殻が剥がされていることがほとんど。正直、言われなければ蟹とは分からない。
リウチの知り合いの漁師によれば山蟹だろうとの話だったが、蟹と聞き期待して食べたなら必ず首を傾げる。そんな微妙な一品である。
触感がもっさりしていて、あまり量を食べていないのに比較的腹が落ち着く。微妙に食欲がなくなる。おそらく、タンパク質が豊富なのだろう。トレーニングの欠かせない流護としては、予期せぬありがたい逸品ではあるが……。
「味がね……。ってことでごち。午後からトレーニングできるぐらいの燃料は補充できたし」
「夜までするの?」
「夕方ぐらいまでかな」
適当に返事しつつ周囲へ首を巡らせる。
そもそも休憩時間が中ほどを過ぎており人も少ないのだが、ざっと眺める限り黒ローブ姿の生徒――つまりリズインティ学院生ばかり。ミディール学院の生徒の姿はほとんどない。
「ベルグレッテたちって、午後から資料発表会なんだよね」
「らしいな」
合同学習の出し物のひとつだそうで、皆はその準備のため早々に食事を済ませて作業中らしい。
「いいよねー、そういうの。ちょっとだけ羨ましいかも」
彩花も、本来ならただの高校生。そうした学校のイベントを楽しんでいるはずの立場だ。
流護はそうした行事など面倒なだけの性分だったし、一年もこんな世界で暮らしていると郷愁すら感じなくなったが。というより、そんなことにかまけている暇はない。
(今は、少しでも強くならんと……)
オルケスターの件にカタをつける。
そして自らの価値を高め、周囲の皆を守るための抑止力とする。そのためには、これまで以上の途方もない努力が必要だ。
誰も倒せなかったという『封魔』に勝てて成長を実感できたのはいいが、先日のアバンナー戦は流護の中では十点ぐらいの評価だ。なぜか少しコントみたいになったし、ランクBの怨魔ぐらいであればもっと楽に倒せるようになりたいところである。
「ていうかさ!」
おもむろに彩花がテーブルにバンと手をついた。
「今思い出してもやばいんだけど! なんなの昨日の魚! あとカエル! やめて!」
「俺に言うな。あと急すぎる」
海辺での一件である。
異世界の砂浜でのんびりとした時間を楽しむはずが、怨魔に遭遇する事態となってしまった。もっとも、それはそれで『異世界らしい』のであろうが。
ひとまずは深刻な被害が出ず安堵するところである。
「……夢に出たもん……あのきしょい魚……ていうかちょっと、しばらく魚食べたくない……ていうか、あんたよく平然と食べれるよね」
「それはそれ、これはこれ」
本日の朝食にも海の幸は登場したし、遠慮なくいただいた。確かに彩花は今も野菜や肉ばかりに手をつけていたが。
「別に、あの直立魚野郎が食ってウマいんなら全然食えるけどな、俺は。自分で直であれに触りたくはねえけど。ゲテモノこそ旨いとかいうじゃん?」
「むりむりむりむりむり」
「まあ、怨魔って食ってもマズいらしいよな」
そういった意味でも人類の大敵である。
「あれさ、どうして怨魔が出てきたんだろね? だって、街中の浜辺は安全なはずだったんでしょ?」
「まあ……シスとかリウチさんが言うには、魔除けに不具合が出てたんじゃねーかって話だったな。これから調査するみたいだし、そこで原因も分かるだろ」
そもそも、魔除けとて必ずしも万全ではない。流護自身、このグリムクロウズに転移後わずか一週間でそれを実感した。
一年経った今でも、鮮明に思い出せる。学院の敷地内に悠々と降下してきた、邪竜ファーヴナールの姿を。
(…………)
ひとつ、懸念があるとすれば。
怨魔が異常行動を起こす時、その裏には大きな原因が隠されていることが少なくない。
ファーヴナールに追われて学院へ逃げ込んできたドラウトロー然り。
『封魔』に従いアシェンカーナの里を襲ったドボービークやオーグストルス然り。
今回の海の件の裏にも、『何か』が隠れていなければいいのだが……。
まあ、さすがにそう大きなトラブルが立て続けに起こるものではない……と、思いたい。
実際、夜行性のドラウトローは強い恐怖を覚えると昼間でも活動するが、冬の雪山においては雪崩が原因で異常行動を起こしていたという例がある。
必ずしも、怨魔の行動の裏にボスキャラが控えている訳ではない。むしろ、そうした自然現象や災害こそが主たる要因となるだろう。
「あっ。あとさ。なんか修学旅行、一週間ぐらい延びるかもって。あんた聞いた?」
「話の振り方がジェットコースターなんよ、お前……まあ聞いてるよ」
当初は二週間と見込まれていた合同学習だが、いざ実施してみると期間内に予定していた内容が収まらない可能性が出てきた。
ここで「じゃあ延長しましょうか」とナスタディオ学院長の軽いノリが発動、そして「良いですなあ」と受け入れる好々爺のアンドリアン学長。
両学院の生徒たちもすっかり打ち解けているし、それならそれでむしろ歓迎らしい。
きっとこのまま延長の方向で確定するのだろう。
「や、修学旅行の途中で延長とか聞いたことないから……。フットワーク軽すぎてすごい……」
「まあ大雑把なんよこの世界は。割と何でも、実際やってみてあれだったらその途中でまたどうにかすりゃいいやって感じだからな」
行き当たりばったり、やりながら模索していく。
全てがきっちりと管理されて進む現代日本社会のような構造も安定感があるが、未発達な世界ゆえの手探りの方針も流護としては嫌いではない。
むしろ、現在のレインディールにおける一大プロジェクト――新たな封術道具の開発など、まさにそれだ。
ほんの最近まで想定すらされていなかっただろう、固形化した魂心力の実在。そしてそれを用いた商品を造ること。
遠く王城の研究室で、今もロック博士たちは試行錯誤を繰り返しているはずだ。
「つうか、お前は大丈夫か? 修学旅行延びても」
「うん? だいじょぶだよ。ここんとこ、同じ部屋なのを口実にミアちゃんと同じベッドで寝れてるからね……癒されてるから……フフフ……」
「……帰る頃、ミアの頭に十円ハゲができてないことを祈るわ」
「なんで! 両想いだもん!」
「などと容疑者は供述しており」
……幼なじみにとっては慣れない異世界で慣れない旅先だが、心配はいらないらしい。
そんな雑談に興じることしばらく――
「……? ねえ、なんか外が騒がしくない?」
と、おもむろに窓の向こうへ目をやった彩花が尋ねてきた。流護がその視線を追うより早く、
「あ! いたいた、アリウミ遊撃兵ー!」
食堂へ駆け込んできたのは、一人のリズインティ女子生徒。右肩に白羽梟のオレオールを乗せたシスティアナ委員長だった。
ここまで全力疾走してきたのか、肩を激しく上下させている。それに伴い小さな相棒も足場を縦に揺さぶられているが、平然と居座っているのだから大したものだ。
「おうシス。どうかしたんか、そんな急いで」
彼女がこんな焦った様子で流護の下へやってくるなど珍しい。
当然の疑問を投げかけると、西の委員長は息を整えつつ言いづらそうに口を開いた。
「それが……その、あなたに会いたいっていう人物が来てるの」
「え? 俺に?」
少年が自分を指差して尋ねると、システィアナは神妙な面持ちでコクリと首を縦に振る。
その客がレヴィンやエーランドであれば、彼女もこんな表情や言い方にはならないだろう。だが流護としては、この異国の地で他に会いに来そうな人間に心当たりがない。
「誰?」
率直に尋ねる流護へ、一拍の間を置いたシスティアナは意を決したように告げた。
「――今の闘技場における拳闘の王者。デルダムという男よ」




