651. 難問難題
「はん、め……つ? 何?」
「いや、知らないぞ……?」
戸惑った空気に包まれる中、すぐ隣の彩花が囁いてくる。
「なに? あんた知ってる?」
「いや。聞いたことねえなあ」
『叛滅種』。
それなりに兵士として知識をつけるべく書物などにも目を通してきた流護だが、記憶にかすりもしない言葉だった。
「はい、どうかしら? システィアナさん」
学院長に指名された西の委員長はというと、わずかに眉を八の字にしながら応じた。
「……ええと、古における大戦……ガイセリウスとヴィントゥラシアの最終決戦時に、『最後まで討伐が確認されなかった怨魔の総称』、ですよね……」
「おお! ハイ正っ解ー!」
うおお、と生徒たちから尊敬の息が漏れる。しかし、見事答えた当人がやや不服そうに申し立てた。
「あ、あの! これって、学院で習う範囲外の内容だと思いますが!」
しかし、抗議を受けた学院長はあっけらかんと悪びれもせず頷く。
「そうよー。だから言ったじゃない。ちょーっと悩んでもらいたくなるわねーって」
何と、そもそも学習内容の範疇を超えた出題だったらしい。さすが学院長汚い。
しかも、そのまま平然と話を進めた。
「雑に言ってみれば、今現在は目撃すらされてない伝説の怨魔って感じかしらね。このバルクフォルトでは『破城』ワルターニャなんかも伝承の怪物って印象だけど、倒されてはいるからね。それすら上回る古の不倒の怨魔。『滅びに叛逆する』奴ら、それが名前の由来ね。それでぇ、その『叛滅種』には三種の怨魔が認定されています。それは何と何と何?」
こうなるともちろん、この問題も本来であれば学院生に正解できるものではないのだろう。
しかしながら、生徒たちが抵抗を試みる。
「つまり、倒されたことのない怨魔ってこと……だよね? なら、まさにこないだの『封魔』は!?」
そんな誰かの推測とともに、幾人かが流護のほうを振り返ってくる。出題者の学院長はというと、口先を尖らせながら指で×の字を作ってみせた。
「残念ー、『封魔』ガビム・ガヴジーンは『叛滅種』じゃないわ。確かに討伐事例がないなんて言われてたけど、それは飽くまで一個人が達成したコトなかったって話。古の大戦時に現れたって文献はないし、船で流されたりしてるし。撃退はされてるからね。何より今回、リューゴくんに負けたから。奴なんぞ、もはや不敗ではないわ!」
ふははは、と高笑う。なぜ偉そうなのか。
「ハイ! ハイ!」
システィアナが勢いよく腕を伸ばした。
「思い出しました……! 『偽神』ガルバンティス、それと無名の『祝骸』、あと……あれです、『人魔』ブラッド・ブラザーフッド……!」
「あーっ惜しい! 最後だけ違うわね!」
「えーっ!?」
「ンフフ、『人魔』じゃないのよ~。それじゃあ、ベルグレッテは分かる?」
と、ここで隣の少女騎士が名指しを受ける。
「ええと……『黒砕』のライ・ビクローミス、でしょうか」
「はい正解ー!」
喝采と拍手が巻き起こった。ひとつだけ外してしまったシスティアナは「あーっ」と悔しそうに天井を仰ぐ。
そんな中、生徒の一人が不思議そうな面持ちで挙手した。
「質問です! ガルバンティスなんかは、『竜滅書記』にもよく出てくるし補完書にも載ってるから知ってますけど……『叛滅種』っていう言葉は、初めて聞きました。どうして学院では教えていないんですか?」
その疑問を受けて、学院長はメガネの縁をクイと押し上げる。
「おっ、いい質問ね。『叛滅種』って、実はかなり専門的な学術書でないと使ってない区分けなの。何でかっていうと、かの古の大戦において『最後まで討伐が確認されなかった怨魔』……つまり、言っちゃえば『勝てなかった相手』なワケ。当時隆盛を極めた大国、グラッテンルート帝国をもってしてもよ? 率直に、心証が良くない。ガイセリウスの活躍劇を作るうえでも、都合が悪い存在なのよね。倒せなかった怨魔、なんて。だから今でも、この区分けを頑として認めない学者もいるの。おぞましい怨魔を、それも討伐できなかったなどという敗北を認めるような区分けで識別するなー、ってね」
なるほどー、と皆が口々に唸った。
流護もそれとなく納得する。
つまり、人類にとっての汚点なのだ。ゆえに、できれば大っぴらにカテゴリー分けなどしたくない。その存在を一般に広めたくもない。
しかし、討伐が叶わなかった危険な敵を認識しておくことは必要だろう。だから、一部の間でのみひっそりと呼称が用いられている。
ちなみに『竜滅書記』によれば、ヴィントゥラシアの消滅(そもそもこれも具体的に何があったのか詳細不明)により、怨魔たちも波が引くように姿を消したという。
この時、最後まで斃れることなく……誰にも討伐されることなく去っていった連中。
つまり、怨魔の中でも最上位。まさしく最強の怪物たちと称して問題ない存在、それが『叛滅種』。
「ちなみにさっきシスティアナさんが答えた『人魔』ブラッド・ブラザーフッドだけど、まぁ半分は『叛滅種』みたいなもんなの。姿は、地面に落ちる人の影がそのまま具現化したような感じだったって聞くわね。なんか死に物狂いで倒したと思ったら、どこからともなく二体現れて。それもどうにか勝ったら、今度は四体現れて。うわーもうおしまいだぁ、って思ったら帰ってったみたいよ。これ、勝ってたら次は八体出てきたのかしらね?」
ねずみ講だろうか。
「ではー、最後の問題! 今度は、ちゃんと学院生の勉強範囲から出題するわよー。これから詠術士としての道を歩んでいく皆さんにとって、是非とも習得したい技能のひとつに詠唱保持があります。はい、この中で自分はもう詠唱保持できるぞー、って人はどれぐらいいるかしら。手を上げてー?」
唐突なアンケートに対し、伸ばされた腕の数はかなり疎ら。全体の五分の一にも満たない、といったところか。
ちなみに流護に近しいミディール学院の面々では、ベルグレッテ、クレアリア、ダイゴス、レノーレが挙手。ミアとエドヴィンは手を上げず。
一方のリズインティ学院側は、システィアナ、マリッセラ、リム、シロミエール、あとは初期の講義で流護と模擬戦を演じたオルバフが挙手。リウチは我関せずとばかりに腕を組んでいた。
他にも手を上げている生徒はちらほらといるが、その数はかなり少ない。
隣の彩花が囁いてくる。
「詠唱保持、ってなに?」
「ようはストックだな。詠唱し終えて、いつでも発動できるよう神詠術を待機しとく技術だよ。そうやって二つ以上、例えば攻撃術と防御術とか……別系統の術を準備しとくのがセオリーだな。もちろん、攻撃術だけを複数準備しといて、ガンガン連続攻撃するのもアリだ」
詠術士の基本戦術となるが、学院生にはまだ難しい技巧。これができるようになれば、戦術の幅は各段に広がる。
「おー。できるって人もチラホラいるわねー。さて、そんな詠唱保持ですが……これを行うことによって、術者を取り巻く大気は一定方向へと流れるように動きます。一つや二つの保持……つまり通常では知覚できない程度ですが、保持する術の数が増えるごとに比例してその流れも強くなっていき――」
カッカッ、と背後の黒板に雑なグルグルを描き記す。
「ある性質を持つ者が行う詠唱保持は、大きな空気の渦を作ります」
「――多重保持者、ですね!」
システィアナがその単語を口にし、学院長が首肯する。
流護はチラとダイゴスのほうを盗み見た。レフェにて『絃巻き』と呼ばれ、まさにその多重保持者としての能力を持つ巨漢は、いつもの不敵な笑みをたたえたまま学院長たちのやり取りを静聴している。
「ええ。多重保持者の力を持つ人は少ないけど、もし出会うことがあったら試してみるといいわ。ちょっと砂粒とか枯れ草なんかを詠唱保持している彼らの周りにばら撒くと、面白いように回転して飛んでくから。さてそれで、この多重保持者が生み出す渦……その向きは決まっています。さあ、それは右向き? 左向き? どっちかしら?」
「右! 右です!」
即答したのはやはりシスティアナだった。どことなく早押しクイズの様相を呈してきている。
「その通り! そして、この渦の流れによる力が強いゆえに、多重保持者はその右向きの力を考慮したうえで術を放ちます。わずかに左へ照準をズラし、相殺することで結果的に正面へと術を飛ばすワケですね」
へー、と改めて流護は感心しつつダイゴスを眺める。
(天轟闘宴でも、そんなこと計算しながら俺と闘ってたんかな)
思えば彼の戦略自体、自分の型にはめ優位に立ち続けることを徹底したものだった。武骨な見た目にそぐわぬ、極めて計算高く緻密な試合運び。
当の巨漢はこちらの視線に気付いているのか否か、相変わらずの泰然とした落ち着きぶりで学院長の話に耳を傾けている。一人の生徒として。
「というコトで! 多重保持者が攻撃術によって赤羽銀の塊を五センタル削る場合、必要となる左旋回の補正値は何度? 術の威力は、平均的な宮廷詠術士が七秒間の詠唱を経て繰り出したものと同等と仮定する!」
流護としてはもはや何を言っているのかも分からないが、生徒たちの間には幾度目かのどよめきが満ちた。
ちなみに、当事者であるダイゴスなら答えは知っているだろう。実際、学院長はわずかに彼へ意味深な目配せをし、それを受けた当人もまた「ニィ……」といつもの不敵な笑みをたたえていた。
「赤羽銀だろ……? ってことは、硬度が八で……? 宮廷詠術士級の詠唱が七秒で……五センタル削るってことは……?」
「いや分からんよ……」
皆の反応からひとつ確かなのは、超難問であるということらしい。
「はい!」
だが、ここでもリズインティの才媛ことシスティアナが高らかに腕を伸ばした。
「赤羽銀は正面方向からの攻撃の耐久性に優れていますが、横からの衝撃には比較的脆いので、真正面となる位置取りに補正をかけてしまうと威力が減衰します! なので、答えは……十度! あえて補正を弱め、横薙ぎ気味の術にすることで側面から当てて削ります!」
「ンフフ。間違いない?」
「間違い……、ありません……!」
まるでクイズ番組の正解発表のような、緊迫感ある無言の間が一瞬。
「んー、残念! 不正解よシスティアナさん!」
「えっ!?」
うおお、とオーディエンスの声が漏れる。
「えっ、だ、だって……」
「正面からではなく、側面から。その発想は合っているわ。ただ……あなたの今の解答では、赤羽銀を五センタル削ることはできないのよね~」
学院長が実に楽しそうに唇を上向けた。
「さてさて~? 正解が分かる人はいるかしらね~? どうかしら、そこのマリッセラさん?」
堂々と腕を組んでいる貴族の美少女が指名される(隣のミアは当てられないことを願ってかまた両手で目を隠して小さくなっている)。
思えば、マリッセラがここまで当てられることはなかった。まあ、これだけの大人数なのでそういうこともあるだろう。
「そうですわね……。わたくしも多重保持者の特性について詳しいわけではありませんが、システィアナの今の解答が違えているのであれば、答えはもはや一つしかないようなもの。ここまで黙していたわたくしが明かしてしまうより、ベルグレッテにお任せしますわ」
と、まさかの好敵手を名指し。自信に満ちたその様子を見るに、分からないからごまかしたという訳でもなさそうだ。
えっ、と戸惑った様子のベルグレッテに対し、学院長が微笑みかける。
「だ、そうだけど。じゃあ分かるかしら? ベルグレッテさん!」
少女騎士はやむなくといった様子で、おずおずと口を開いた。
「……そう、ですね。答えは……三十度、でしょうか」
その答えを聞き、即座に反応したのは隣のシスティアナである。
「三十!? それだと左に補正をかけすぎじゃ……あっ!」
言いかけて、彼女はハッと目を見開いた。
「そっか……十度だと、右回りの力が働いているから当たりが浅くなる……。あえて左に強く補正をかければ、右回りの力が加わって当たる分むしろ威力が上がるってわけね……」
「ええ、おそらく」
ベルグレッテが頷くと、システィアナは根負けしたように息をついた。
「……おみそれしたわ。『叛滅種』についての問題も間違えちゃったし、私の負けね」
「そんな……勝ち負けだなんて」
「……、……あら、二十五度じゃなかったのね……」
「あー! マリッセラ、偉そうなこと言って間違ってたんじゃん! みんなー!」
「えーい、おだまり田舎娘!」
見計らったように、ゴーンと終業を告げる鐘の音が鳴り渡る。
「はーい、そういうコトね! じゃあ今日の座学は終わり終わりっと! 休憩よ~!」
告げるや否や、学院長が誰よりも真っ先に広間を飛び出していく。
「いやキッズかよあの人」
「フリーダムだよね学院長さん……。てか今の問題って、どういう意味なの?」
「お前、俺が分かると思って訊いてんの?」
「あ、うん。ごめん」
「ええい貴様」
何かと突っかかってくる幼なじみにあっさり謝られると、それはそれで癪に障る遊撃兵の少年である。
(……?)
と、そこでふと視界に入った。
講義を終えて、思い思いに後片付けに取りかかる生徒たち。
先頭の席に座ってうつむいたシスティアナの横顔が、やや思い詰めているような――
「さ、終わり! 休憩にしましょ、ベル!」
「あ、うん。そうしましょ、シス」
怪訝に思う間もなく。知り合ってからずっと変わらない快活な笑顔で、システィアナは隣のベルグレッテに声をかける。
(……気のせい、か?)
最後尾となる流護の位置からは、席も遠く離れている。見間違いだろうと思い、それ以上深く考えることはなかった。