650. 授業風景
およそ二週間となる両学院の合同学習も、すでに折り返しを過ぎて後半戦。
空き時間には最後尾の席に座って生徒たちの様子を眺めている流護だが、こうして観察していると最初の頃と比べて明らかな変化に気付く。
「へー。レインディールではそうなのか。いつかこの目で見てみたいな」
「ああ、是非来てくれよ。その時はおれが案内するから」
隣同士の席でやり取りを交わす男子たち。
「えー、いいなー。レインディールなら手に入るの?」
「うん。もしよかったら、今度荷馬車に頼んで送ってあげるよ〜」
同じく笑顔で会話に花を咲かせる女子たち。
「え、えーっ、そ、そうなんですね……! あのメルティナ様が……!」
「……うん。……メルは、あなたが思うほど完璧じゃない。……結構いい加減だし、とにかく連絡がつかなくて、王宮関係者は昔から頭を悩ませている」
互いに無口の極致。結成当初は事故としか思えなかったコンビのレノーレとシロミエールは、共通の話題となる北方の女英雄についての内容で盛り上がっている。
「ええ。それで合っていますよ、リム殿」
「……、はい」
勉強を見てもらっていたのか、クレアリアに褒められたリムが控えめに、わずかに表情を綻ばせる。
「そういえば、もう随分と長いことモンティレーヌのケーキを口にしていないわ……」
「ん、マリッセラにしてみれば丸二年も食べていないんだものね。それじゃあ向こうへ戻ったら、一緒に食べに行きましょうか」
「っ!? べ、別に貴女と行きたいわけではないわ! 勘違いしないで! ……で、でも……その、ベルグレッテが……ええ、どうしてもと言うのであれば……やぶさかではないというか……」
「嫌なら無理しなくていいよ! じゃあベルちゃん、あたしと行こ〜」
「まっ! 嫌だなんて言ってないでしょ! 引っ込んでなさい、田舎娘!」
ベルグレッテ、マリッセラ、ミアの三角関係もすっかりおなじみである。きっと、流護がこの世界へやってくる以前からこんな感じだったのだろう。
他の見知った面子はといえば、机に突っ伏して眠るエドヴィン、不敵な笑みをたたえ自席にて講義の開始を待つダイゴス、女子たちの席にちょっかいを出しに行っているリウチ。前列の席に座るシスティアナは、予習でもしているのか机に向かって手を動かしている。その細い肩では、相変わらず白羽梟のオレオールが大人しく鎮座して毛繕いに励んでいた。
「こういうのでいいんだよ……」
おもむろに、しみじみとしたぼやきが流護の耳に届いた。
横を見ると、彩花が何やら遠い目で皆を眺めている。
「こういう異世界ほのぼの学園ストーリーでいいんだよ……。あんなおっかない怪物と戦うダークファンタジーじゃなくていいんだよ……」
どうにも、目の前の賑やかな日常と先日の血生臭い夜との間に大きなギャップを感じているようだ。
「こんな風に、みんないつまでも平和に暮らせればいいのに……」
「まあ、お前の気持ちは分からんでもないが」
少なくとも流護自身、こうした毎日が続けばいいと思う。
しかし、存在するのだ。その願望を踏みにじるような『敵』が。
人間と見れば襲い来る怨魔。他者を食いものにして暗躍するオルケスター。
そういった脅威を排除してこそ、今この場のような平穏が恒久に保たれるのだ。そしてそのためには、あらゆる危難を蹴散らす強さが必要となる。
「……」
皮肉だ。
この世界で平穏を望むなら、圧倒的な暴力が求められるのだから。
「……しっかしまあ、あれだよな。こうして見てると、皆かなり仲良くなったよな」
「だねー」
ブレザー姿と黒ローブ姿の生徒たちが半々で入り乱れる会場だが、当初のようなぎこちない空気は感じられない。元からそうだったように、双方の学院生たちは賑やかな談笑を交わしている。
「ま、交流学習としては大成功って感じじゃねーかな」
こうなれば今後、両学院の定番イベントとしてこの修学旅行が定期的に実施されていくのかもしれない。
「はーい、みんな自分の席に座ってー。講義始めるわよー」
いかにも先生みたいな言葉とともに、この交流学習の……修学旅行の立案者ことナスタディオ学院長が入ってくる。
「青春……」
慌ただしく着席する皆の様子を眺めて、彩花が噛み締めるように呟いた。
さて。
そもそも生徒ではなく講義を受ける必要がない流儀と彩花だが、かといって他にやることもないのでこうして最後尾の席で話に耳を傾けていることも多い。
小難しい神詠術理論の話などは耳を一直線に素通りしていくが、意外に興味深い話も少なくなかった。
例えば今日は、
「さて。我々が内包する属性は、主に毛髪と瞳……もしくはそのいずれかに特定の色合いとして表出する傾向があることが知られています。例えば……火属性は赤や明るい茶系、水や氷は青などの寒冷色、雷は黄色を始めとした褐色系統で、風は緑系統など……でしょうか」
最前列、自分の目の前の席に姿勢よく座る女子生徒二人組を見やりながら、教壇に立つ白衣の美女はニンマリと笑った。
「まさに! ここに座るベルグレッテさんは水属性で青みがかった瞳と髪をしてますし、その隣のシスティアナさんは炎属性で赤っぽい色をしてるワケです」
彩花が感心した様子で自分の前方に居並ぶ生徒たちと流護を見比べた。
「あっ、そうなんだ。でも、言われてみれば確かに……? あんたは知ってたの?」
どっしりと腕組みをして座っていた流護は、
「マジでっ!?」
その姿勢のまま叫んでいた。
「あ、知らなかったんだ……」
「いやでも、言われてみりゃ……」
ベルグレッテの外見については学院長の言葉通り。妹のクレアリアも、同じ水属性の使い手でそれに準ずる髪と瞳の色。さらに同じ水属性の申し子であるマリッセラは美しい金髪ながら、瞳は透き通るような水色だ。
ミアは雷属性、明るめの茶髪で大きくつぶらな瞳は黄土色。ダイゴスも雷属性の使い手で頭髪は濃い茶系、細い糸目の奥に隠された瞳はあまり見る機会がなくレアだが、ミアと同じく黄土色をしている。
エドヴィンは炎属性で、髪も目も赤茶色。
レノーレは氷属性にして金髪だが、メガネの奥の眠たげな瞳はクールな青。
考えてみれば炎の『ペンタ』たるディノなどは顕著で、髪も瞳も目が覚めるほどの真紅だ。
そして同じく『ペンタ』にして風の申し子たるリーフィアは、髪こそ日本人の色合いに近い茶系ながら、瞳は美しい緑色。
他にも、その傾向に当てはまっている人物にはかなり心当たりがある。
「ガチじゃん……」
異世界生活も板についたはずの少年にしてみれば、一年も経ってようやく知った衝撃の事実だった。
「ちなみにー、希少な属性になってくるとその分事例も少ないのですが……私は光属性ですけど外見的特徴は雷属性の人と大差ないですし、闇属性の人は表出する色合いに一貫性がなかったりで、一見して他属性との区別が付きづらかったりもしまーす」
確かに、学院長はウェーブの金髪に鳶色の瞳。割と珍しくはない色の組み合わせだ。
「なので一応、対人戦においては予め相手の属性を推察する材料にもなり得るのですが、必ず先例に当てはまっているワケではないので過信は禁物でーす」
結局のところ、あくまで傾向。正確に属性を推し量れる指標ではないということだ。
そして流護がこれまで幾度となく言われてきた「髪も目も両方黒いのは珍しい」との指摘も、そのような背景があってのことなのだと今さらの納得が下りた。
「と、いうワケでー? このよーに髪の毛や目ん玉に属性の色彩が表れる現象のコトを何と呼ぶでしょーかっ。はい、そこの退屈そーなエドヴィンくん!」
唐突に指名された『狂犬』は、ふてぶてしく椅子にふんぞり返りながら、動じた様子もなく。
「イヤ、名前とかあんのかよ。知らねー」
「何でそんな堂々としてんのかしら……。じゃあ、そのお隣のリウチくん!」
すぐ傍らで他人事のように構えていたリズインティ学院の伊達男が、「おっと」と居住まいを正す。
「あー……何やら、発見者の名が付いた呼称だった……とは記憶しておるんですが」
「うんうん。で、その発見者の名前はー?」
「フフ。男の名は覚えられぬタチでして……」
「アラ残念、発見者は女性なんだけど。じゃあ次は誰に当てようかしら〜……はいそこ、両手で目を隠してもムダよー、ミアさーん?」
「ウワー! 分かりません!」
「アラアラ。これは後で個人指導が必要ね〜」
「やだー!」
「かわいそうなミアちゃん、かわいい」
天敵にロックオンされ恐怖に震えるハムスター少女と、その様子を恍惚の表情で見守るサイコな幼なじみの対比が実に混沌である。
そんな中で今度は、学院長のすぐ正面の席に座る少女が眼鏡に適ったようだった。
「お、自信のありそうな顔してるシスティアナさん! 分かるかしら?」
「はい! 『アルカミル偏重』です!」
「正解! さすがは学級のまとめ役ねー。学会にて認定されたのは七十年前。発見者であるマルダビエフ共成国の宮廷詠術師、ミランダ・アルカミルの名前にちなんでるわ。間違いなくデカい功績なんだけど、マルダビエフって国は王族以外には二つ名の付与を認めてなくて――」
その後も、時折思い出したかのように指名していく学院長のトリッキーな授業が続く。生徒たちにしてみれば緊張感がありそうだ。
そもそも門外漢となる流護にはまるで意味不明だが、出題される問いはそれなりに難しいようで、皆の正答率は半々といったところか。
しかしそうした中でやがて、誰も正解できない難問は最終的にこの二人へと行き着くようになった。
「ええと……その状況下の霊場では、通常の三割り増しの能力を発揮できるかと」
「はいベルグレッテさん正解!」
「その中で最も親和性が高いのは、芯明鉄鋼です!」
「はーいシスティアナさん正解~!」
おおーと各所から上がる感嘆の溜息。
今のところ、ベルグレッテとシスティアナが受け皿となるかのように全ての問題に正解していた。
「ほいじゃ、大陸歴二百年頃から五百年付近まで用いられたとされる、現代では失われた世界最硬とされる鉱石を三つ挙げよ!」
「はい! 飛霞石、剛白石、黒御裂石です!」
「はいシスティアナさん正解!」
今のところ、両者全問正解である。システィアナがやや食い気味というか、積極的に答えているようだ。
「問題の内容はさっぱりだけど、やっぱあの二人ってすごいんだね……。……あっ。あんた、ちょっとドヤ顔してない? さすがは俺のベル子だぜドゥフフフ、とか思ってるんでしょ。きもっ、ばかばかばーか」
「お前の空想の中の俺と急に戦い始めるのやめろ」
感情ジェットコースターの常連である彩花に絡まれている間にも、委員長タイプ二人は問題を難なく解いたらしい。
「はいそれも正解! ……うーん……こうなってくると、お二人さんにももーちょっと悩んでもらいたくなるわねぇ……。よーし次の問題ィ!」
と、ナスタディオ学院長が謎の反骨心を発揮する。
「『叛滅種』とは何か、答えよぉ!」
ばん、と教卓に両手を置いた学院長が、それはもう得意げな顔で生徒一同をぐるりと見渡す。
すると学生たちの間で、困惑したようなどよめきが巻き起こった。