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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
3. 燦然のヘリオドール
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65. 共喰い

 レノーレの放った氷弾が直撃し、黒服はもんどりうって吹き飛んだ。

 共に闘っていた若い兵士が、派手に倒れた男へと素早く駆け寄る。慣れた手つきで男を後ろ手に拘束し、猿轡を噛ませた。

 その様子を見届けて、彼女はかすかな息をつきながら周囲を見渡す。


 崩れた壁の外側。

 闇夜の中、イシュ・マーニの青い光に照らされて活動しているのは、銀を纏った法の番人たちのみ。黒服たちは全員が拘束され、地面へと転がされていた。この周辺の制圧はこれで完了したようだ。

 廃工場の内側やどこか遠くからは未だ爆音や怒号も聞こえてくるが、それらもまばらになってきている。

 レドラックファミリーの制圧は、じきに完了するだろう。


「ご協力感謝します。よろしければ、お使いください」


 今しがた黒服を拘束していた兵士がそう言って渡してきたのは、手のひらほどの大きさの平たい容器。市販されている傷薬だ。

 ぺこりと頭を下げて受け取ると、彼は爆音のするほうへと駆けていく。未だ続いている戦闘に加勢するのだろう。もう勝ちは決まっている。休んでしまってもいいだろうに、職務に忠実な素晴らしい兵だ。

 その後ろ姿を見てレノーレは思う。この国には、祖国のようになってほしくないな、と。


「……ふう」


 自然と息が漏れるのを自覚しながら、少女は傷薬の蓋を開けた。

 切り傷、すり傷、火傷。レノーレも無傷ではない。ひどく疲れてもいる。今すぐ風呂に入ってベッドに倒れ込んでしまいたいと思う。

 首筋に薬を塗りながら崩落した壁の一角を跨ぐと、そこに大の字となったエドヴィンが横たわっていた。

 顔はボコボコ、服はボロボロ。倒されたのかと思ったが、すぐに違うと分かった。


「よー、レノーレか」


 なんと満足げな顔なのか。暴れるだけ暴れ、満足して寝そべっていたのだ。


「いきなり出てくんなよ。敵かと思ったぜー、ハハッ」

「……傷薬、いる?」

「おー、塗ってくれんのか?」

「……あげる」


 軽く傷薬を放ると、エドヴィンの顔面に直撃した。


「い、いでえ……」


 鼻っ柱を押さえた少年が起き上がると同時、


「む……お主らか」


 後ろから低い声が響いた。気配を感じなかったので少し驚きつつも振り返れば、そこには雷棍を携えたダイゴスの姿。

 ペンを回すみたいな気軽さで巨漢が棍を回転させれば、長大な雷は虚空へと消失した。

 その不敵な笑みは相変わらずで、傷らしい傷はほとんど負っていない。さすがはアケローンの系譜というべきだろう。

 しかしこれでもアケローンとしては落伍者で、「お前は王族につかなくていいから他国で勉強でもしてこい」などと言われて放り出された身だというのだから恐ろしい。


 レノーレはふと、かつてクレアリアが言っていたことを思い出す。

『あの男は信用できません。敢えて凡夫を装っている……そんな空気を感じます』

 じゃあクレアリアが信用できる男なんてものがいるのかと問えば、彼女は沈黙してしまった訳なのだが。

 一年以上も一緒に過ごしていながら、ダイゴスは確かに掴みどころのない人物であると思う。

 ……人のことを言える身ではないかもしれないけれど。


 そんなレノーレの胸中を知ってか知らずか、ダイゴスはその細い目を遠方の闇へと向ける。

 この廃工場から遥かに遠く。木々や岩山に隔てられて見えないその場所。

 しかし時折、夜空が赤く瞬くのが確認できた。

 ここから見えるほどの紅蓮。何度もその色が瞬くということは、対峙している相手はその術を凌ぎ、闘い続けているということ。


「闘っとるの」


 ダイゴスの意味深な笑み。


「なぁ。どっちが勝つと思うよ?」


 エドヴィンが傷薬を顔に塗りながら訊く。


「真っ当に考えるならば、凶禍……『ペンタ』、しかもあのディノに正面から挑むなど、結果は見えとるようなもんじゃが――」

「……でもミアのことがあるから、勝ってもらわないと」


 驚異的な能力を誇る『ペンタ』だが、決して不死身の怪物などではない。彼らも人間だ。

 まさに現在この国を統べているアルディア王などは、彼自身こそ超越者でないものの、過去に三人もの『ペンタ』を制圧している。

 常人の身にして一対一で『ペンタ』を下した実績を持つ者は、この国ではアルディア王と、『銀黎部隊シルヴァリオス』の副隊長、オルエッタ・ブラッディフィアーの二名のみのはず。もはや彼らも、並の人間を遥かに超越した使い手であるといえる。

 そしてそれは、あの有海流護もまた同じ。


 しかしディノ・ゲイルローエンという男が、別格の存在であることもまた事実。

 レノーレは未だに、初めてディノという男を目にしたときのことが忘れられない。一年ほど前、ロック博士の研究棟から出てくるところを偶然目撃した。検査のために訪れていたのだろう。

 遠目に見た、炎の男。周囲を威嚇していた訳でも、殺気を放っていた訳でもない。ただやる気なくダラダラと歩いていた姿。しかし、それだけで悟った。

 桁の違う存在だと。

 あれを相手に、闘おうなどという思考がそもそも働かない。あれは災害みたいなものだ。仮に襲われてしまったら、為す術なく飲み込まれるだけ。そういう存在。

 自分の主も強力な『ペンタ』だが、間違っても彼女をあの男に近づけたいなどとは思わない。主が負けるとは思わない。けれど絶対に闘ってほしくない。そう思った。


 一口に『ペンタ』と言っても、様々な者が存在する。

 特殊な例になるが、他国には『未来視』という、未来に起こることを予測する能力を有している者もいる。その人物は直接戦闘をこなすことはできないそうだが、その能力をもって国を動かす存在として貢献しているという。


 そしてディノという男は正真正銘、戦闘に特化した『ペンタ』だ。

 いかにあの有海流護であっても――


 そんなレノーレの思考を寸断するように、エドヴィンがニッと笑いかけた。


「どっちが勝つか悩んでんのか? よーし、賭けるか?」

「……ミアのことがあるのに、不謹慎」


 おっと、とエドヴィンは肩を竦めてみせる。

 全く、レインディールの人間はどうしてこうなのか。ケンカや決闘とあらば、すぐに賭けが始まるのだ。

 けどよ、と彼はその身を震わせる。


「間違いねぇ、最強対最強だぜ。見てーよな」

「行くか?」


 率直なダイゴスの問いに、しかしエドヴィンは首を横に振る。


「へ、行きてーのはやまやまだけどよ、身体が動かねー。それに……」


 その腫れ上がった顔には、どこか憧れの感情が見て取れた。


「あいつら、餓えた獣と一緒だよ。互いに喰い甲斐のある相手と出会えて、さぞ楽しんでるだろーぜ。邪魔すんのも気が引けらぁ」


 理解できない、とばかりにレノーレは溜息をつく。


 ……ミア、巻き込まれてなければいいけど。

 氷雪の少女は時折赤く染まる遠方の闇を見つめて、胸中で独りごちるのだった。






 ほぼ一足跳びで間合いを詰めた流護を、ディノは闇夜裂く真紅の炎で迎え撃つ。

 しかし、当たらない。

 噴き出す火柱。横薙ぎに唸りを上げる炎の奔流。炎熱を纏わせた腕。当たれば即死間違いなしのそれら全てを掻い潜り、流護は拳の間合いへと入り込む。

 低く身を屈めた状態から、伸び上がるように左の拳を突き出した。

 バジッ、とかすかな打撃音が響く。咄嗟に首を傾けたディノの左頬が切れ、炎よりも赤い血を散らした。


「チィ……!」


 超越者は忌々しいとばかりに舌を打つ――が、


(こいつ、間違いねえ)


 構え直しながら、流護は警戒を強める。

 ……もう何度目か。偶然では、ない。


 邪魔な虫を振り払うように、ディノは乱雑な動作で右腕を薙ぐ。

 無造作な一撃だが、その腕全体には地獄のごとき業火が宿されている。『受け』ることはできないと判断し、流護は最低限のスウェーで躱す。


 最低限とはいっても、紙一重で躱せないのがネックだ。

 炎の熱気のため、どうしても大きく回避することを迫られる。大きく避ければ、ディノはその間に体勢を立て直してしまう。

 右を当てて以来、この男は中々に隙を見せない。


 それでも躱すと同時とも思える速度で、流護は再度踏み込み直した。ディノも体勢を整え終えている。

 その状態で、流護は上段に構えた左腕をピクリと動かす。

 ディノの真っ赤な双眸が――わずかに動いた流護の左腕を捉えた。


 ここで、少年は確信した。

 ――間違いない。ディノには、自分の動きが見えている。


 驚嘆に値すべきことだった。

 地球人と比べて身体能力に乏しいはずの、グリムクロウズの人間。格闘に関しては素人であるはずの、ディノ・ゲイルローエン。

 その『ペンタ』は、格闘技者の拳に反応して躱すという動作を見せている。


 素人で流護の拳を躱した人間など、これまで一人としていなかった。

 グリムクロウズへ来てからも、精鋭騎士であるデトレフに防ぐことすら許さなかった。つい先ほど対峙した口布の男も、飽くまで『読み』によって対応していたに過ぎない。

 そんな拳を、この『素人の天才』は明らかに躱そうと反応している。


(これだから参るぜ、天才はよー……、けど)


 しかし、そこは譲れない。生まれつきで凄まじい神詠術オラクルを使えようが、驚異的な身体能力を持っていようが、天才的なセンスを持っていようが、関係ない。

 十年もの鍛錬を続けて磨いた自分の技巧。それは、才能だけで凌駕できるものではない。いや、させはしない。


 流護は一際大きく左腕を振る。ディノの瞳が、その動きを追う。

 ――完全なフェイント。

 次の瞬間、流護は本命となる右拳を突き出した。申し分ないタイミング、申し分ないスピード。

 渾身の右拳が、唸りを伴って空を切る。


 当たれば終わるその一撃を。

 ディノはわずかに顔を傾けることで、完全に回避した。


「――――――――、は?」


 思わず流護の思考が止まる。

 対するディノの口の端が吊り上がる。三日月のように。


 赤い衝撃波とでもいうべき一撃が迸った。

 ディノが下から上に手を振るったことで、波打ち際のような炎が踊る。圧壊した地面が噴煙と土砂を巻き上げた。


「……、ふうっ」


 相手を中心に半円を描くような横っ飛びで反撃を回避した流護は、浅く息をつく。

 どろり、と。

 額から、鮮血が伝った。

 一体どんな威力を内包した一撃だったのか。流護の側頭部から額にかけて発生したのは、火傷ではなく――切り傷。

 少年は拳で血を拭い捨てる。思った以上の出血。飛んだ赤黒い飛沫が、びしゃりと音を立てた。


「ヘッ、直撃は避けたか。ん? そういや、もう攻撃は当たらねェんじゃなかったか? 勇者クンよ」

「カス当たりで随分嬉しそうじゃねーか、『ペンタ』君よ」






 双方、いびつに嗤い合う。


『――避けやがった』


 そして双方、期せず思い合う。



 流護は心中で戦慄する。

 左のフェイントを交えてからの、本命の右。

 同じ空手の有段者、格上の相手ですら通じるコンビネーション。

 それを――素人で、しかも初見のディノが完璧なまでに躱したのだ。

 少々間抜けな話ではあるが、そもそも左のフェイントに気付いておらず、右の拳だけに反応するという事態も充分あり得る。

 しかしディノは明らかに、フェイントとなる流護の左手の動きに注目していた。そのうえで、飛んできた右の一撃を躱した。

 そんな芸当ができるとなると、理由は一つしか考えられない。

 到底、信じがたい理由。


『ディノ・ゲイルローエンは、飛んできた攻撃を目で見てから回避している』。


 飛んできた攻撃にしか反応しないため、フェイントにかからない。

 ――考えられない。

 例えば相手のパンチを回避する場合、注視するのは主に肩の動きだ。そのため、肩口から予備動作なしに射出されるような、精度の高いボクサーの拳などは非常に避けづらい。

 攻撃とは、予測して躱すものだ。予備動作から、攻撃の方向や角度を瞬時に判断して避ける。だからこそフェイントという駆け引きが成り立つ。

 だというのに、この男は――

 身体能力が地球の人間に劣る、などとんでもない。


 ぞくりとした悪寒と共に、流護は笑みを噛み締める。



 ディノは内心で驚倒する。

 速い速いとは思っていた。何しろ遠距離から中距離にかけての術が、何ひとつ当たらない。まるで全てを先読みされているかのごとく。

 しかしそれを理解し、注視していたうえで、今度は目の前の相手が視界から完全に消えた。

 相手の拳を完全回避し、完璧なタイミングでの反撃。躱せるはずのないその一撃を放った瞬間、敵が視界から消失したのだ。

 ディノの目ですら追えない速度で移動したということになる。


 もし至近距離で見失い、死角へと回りこまれ、あの鎚のごとき拳を繰り出されたならばどうなるのか。

 ――どうなる? このオレが? どうなるんだ?


 戦闘中、この相手は一度として神詠術オラクルを使っていない。身体強化の類も使っていない。

 記憶喪失で使えないとも聞いているが、となればこの身体能力は一体何なのか。巷で噂されている通り、まさか本当にガイセリウスの生まれ変わりだとでもいうのか。


『竜滅書記』に謳われる昔日の英雄、ガイセリウス。

 多くの者が憧れる、最も有名な英雄。しかしディノが抱いた思いは違う。憧れではない。

『コイツを倒せば、オレの名が知れ渡る』。

 なぜ今、この時代にいないのかと。そう思い続けていた。しかし今、目の前にいる相手。ガイセリウスの生まれ変わりか、そうでなくとも匹敵するだろうこの相手。


 思いもよらぬ邂逅に、歓喜が背筋を這い登る。



『コイツ――』


『強ぇッ……!』



 ――二匹、強敵エサに餓えた凶獣が交錯する。






 その顔に狂喜を宿したまま、ディノは流護に向かって右腕を振るう。瞬間、流護のいたその場所、空間、周囲数メートルが爆発炎上した。

 寸前にその攻撃範囲から離脱していた流護は、一足でディノの前へ到達する。

 左手をまっすぐに突き出す。

 ディノは完全に見切ったとでもいうのか、その左手を難なく紙一重で躱す。が、流護はそのまま相手の髪を掴んだ。


「!」

「パンチと思ったか? 残念」


 左手でディノの髪を掴んだまま、流護は右の拳を握り締める。

 今度こそ逃げられない。

 空手家は躊躇も容赦もなく、敵の顔面へと拳を突き入れた。


 しかし響き渡ったのは、鉄槌が肉を叩く音ではない。みぢ、ぶちりといういやな音。


 ディノは掴まれた髪など構わず、強引に首を傾けて流護の拳を回避した。

 根元から千切れた赤い髪が宙に踊る。


「ッてぇなクソが……焼き加減は何が好みだ?」


 ディノが炎を顕現する。赤い少年を中心に巻き起こる爆炎。

 流護自身は咄嗟のバックステップで回避したが、指に絡み付いていたディノの髪の毛が炎上した。


「チッ!」


 炎を叩き、消し止める流護。

 顔を上げれば、右腕に炎の奔流を纏ったディノが一撃を発射する瞬間だった。

 ベルグレッテのアクアストームの数倍はあろうかという、膨大な炎の濁流。牙を剥く炎の竜と形容していい一撃が、容赦なく踊りかかる。

 流護は全力で横に跳び、地面を転げながら赤い奔流を回避した――が。


「っ、うお!」


 躱しきれていなかった。右腕に炎が取りつき、激しく踊り狂っている。


「ハッハハハ、火ィついちまったな、どうすんだ? 崖から川にでも飛び込むか?」


 流護は腰を落として構え、ヒュッと息を吸い込んだ。


「ッッチィイエアアァ!」


 右腕を縦に振り下ろした。

 ボンッと音が響き、炎が消失する。


「おっほ。いい曲芸じゃねェの」

「だろ」


 ディノの軽口に答え、流護は右手を握――、れなかった。

 炎はよほどの高温だったのか、かすかに赤黒くなった右手はひりつくような痛みを発してくる。


 流護が右腕に気を取られている隙に、ディノが無造作に小さな炎弾を放った。キャッチボールで軽く放り投げるような気軽な動作。流護は地面を転がった際に拾っていた石を放る。

 石に着弾した炎弾が、爆発を巻き起こした。 


 爆発を合図に再度、両者が肉薄する。

 流護は身を屈めて素早く踏み込み、炎柱を振るえない超接近戦の間合いへと持ち込んだ。


 しかしそれを読んでいたのか、ディノは掌を赤熱させて迎え撃つ。朱色の軌跡を描く連撃を、流護は次々といなす。しかし右手が動かないことで上手く上体の制御ができず、超越者の赤い指が少しずつ少年の体表をかすめていく。


「ちーっとばかし、コゲくせーニオイが漂ってきたんじゃねェのか? おぉ!?」


 響く哄笑。空裂く連撃。


 天秤が、わずかに傾いた。

 流護はとにもかくにも、接近しなければ攻撃ができない。石を投げれば兵器にも等しい一撃を繰り出すことも可能だが、無限とも思える魂心力プラルナを有するディノを相手に飛び道具――それも石――で勝負するなど、愚の骨頂だ。

 しかしその接近戦も、流護の右腕が封じられたことで事態が変わる。

 動かない右腕を庇いながらでは、わずかに身体がぶれ、ディノの連撃を躱しきることができない。唯一のアドバンテージであった超接近戦が、有利ではなくなっていく。

 ――速い。片腕を封じられたに等しいこの状態では、やり過ごせない。


 強引に踏み込むか、一旦離れるか。瞬時に迫られる二択。

 振るわれるディノの腕を大きく避けるべく、流護はわずかに間合いを離した。空を切る真紅の一線。かすかに開く距離。

 絶妙に到来する、カウンターのタイミング。


(一歩入って、右ハイで沈める――)


 それよりも早く。


「いいのか? その選択でよ」


 顕現するは、ディノの両腕それぞれから伸びる、全長五~六メートルにも及ぶだろう二双の炎柱。赤き十字架。

 拳も、わずかに蹴りも届かない、刹那に生まれた一方的な『ペンタ』の間合い。


(こいつ、読ん……!)


 いくら無詠唱とはいえ、速すぎる。まるで手足を伸ばすかのごとき自然さ。

 流護のお株を奪うかのような『読み』。赤い少年は、流護が離れることを完全に予測していたのだ。


 その間合いは、ディノ・ゲイルローエンが支配する世界と化す。

 再度、獄炎の双牙が獲物へと狙いを定めた。


 流護は右ハイキックへと移行していた動作を強引に押し止める。瞬間、炎柱の一閃が右膝をかすめていった。


「づっ――!」


 灼熱の激痛。脚を溶断されなかっただけマシと考えるべきか。

 しかしバランスを崩してしまい、仰向けに倒れ込んだ。地面に大の字となった流護へ向かって、鋭く踏み込んだディノが双牙を叩きつけようと大きく振りかぶる。

 瞬間、流護は左腕の力だけで強引に身体を前方へと射出し、相手の腹へ突き刺すような右の蹴りを叩き込んだ。


「……、……ご、――!」


 両腕を大きく振りかぶっていたディノは、胃液を撒き散らしながら後退する。


「……ぐ!」


 流護の右膝が激痛を発した。たった今焼かれたばかりの膝、その痛みをおして蹴るのは、さすがに無理があった。


 しかしその反撃も織り込み済みだったのか、ディノは倒れない。炎柱も消失しない。

 歯を食いしばりながらも口元を笑ませる炎の獣は、両腕に絶大な炎の牙を宿したまま、再び流護へと飛びかかる。


 流護ももはや否定はしない。

 鏡写しのような表情のまま、素早く立ち上がって同類を迎え撃つ。

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