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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
16. アークティック・ナイツ
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648. 質素な朝

 心地よくまどろむ意識の中で。

 窓越しに聞こえる小鳥たちの囀りを聞きながら、悪あがきのようにまぶたを閉じ続ける。まだもう少しだけ、この胡乱な感覚に浸っていたい。

 しかしほどなくして、すぐ耳元でコッコッと独特な鳥類の鳴き声が響いた。次いで、指先や頬をついばまれるくすぐったい感触。……こうなってはお手上げだ。


 観念したシスティアナ・オッド・ミルドレドが目を開くと、真っ白な羽毛を纏う小さなフクロウの姿があった。そんな彼は、枕元でこちらを覗き込むように小首を傾げている。


「……ふふ。おはよ、オレオール」


 まん丸な瞳で見つめてくる相棒に声をかけつつ、大きく伸び。


「ふぁ〜〜、もう時間かぁ……」


 あまり寝覚めはいいほうではない。ほぼ毎朝、こうして白羽梟のオレオールに起こされている。

 まだ横になっていたい思いを振り切ったシスティアナは、断腸の思いでどうにか寝台から脱出。いつものように鏡の前で着替えを済ませる。祖母の形見である三角連鎖トラインの耳飾りも忘れない。最後にリズインティ学院指定の黒ローブを羽織うと、オレオールが飛んできて右肩に腰を落ち着けた。彼の定位置である。


 自室を出てすぐの階段を降りるや否や、古い板張りの床がきしきしと悲鳴を上げた。

 先祖代々からの由緒正しき屋敷は色々とガタがきており、騙し騙し修繕することでどうにか機能と外観を保っている状態だ。


「……ったく、そのうち足場が抜けないか心配だわ……。もしそうなっても、あなたは翼があるから安心よね」


 肩に鎮座する白い相棒へ語りかけると、彼は鉤爪に少しだけ力を込めてばさばさと羽ばたく素振りを見せた。


「あら。もしそうなったら、私を引き上げてくれるってわけ?」


 問いは的を射ていたのか、オレオールはどこか誇らしげに胸を反らし、パチクリと瞬きする。


「ふっふ。じゃあ、もしもの時はよろしくね」


 もちろん、彼の小さな体躯では人間どころか子ネコすら満足に持ち上げることはできまいが、その気遣いが嬉しいのだ。


 一階の居間に入ると、中央のテーブル席で父が機関紙に目を通していた。整えられてくるんと両端が巻かれた口ひげに、かっちりと短めに整えられた七三分けの髪型。緑がかった瑞々しい黒が特徴的だったその毛髪には、いつからか白いものが多く含まれるようになった。目尻や口元に刻まれた皺も、気付けば深みを増している。

 ミルドレド卿としてではない、一家の主として椅子に腰を落ち着ける様子には、緊張の解けた雰囲気が漂っていた。


「おはようございます、お父様」

「うむ、おはよう」


 声をかけられて初めて娘の存在に気付いたらしく、機関紙から顔を上げた父が微笑む。

 そこでちょうど、奥の台所から母が料理を運んできた。


「おはよう、シス。相変わらず眠たそうね」

「おはようございます、お母様。夜更かしをしているわけではないのですが……」

「うふふ。まぁ昔からだものね、あなたのお寝坊さんは。オレオール、これからもこの子を起こしてあげてね?」


 冗談めかした母の言葉を受けて、肩に乗る相棒は「任せておけ」とでも言いたげにホーと一声鳴いた。


「もう、お母様ったら……」


 何てことのない、いつもの会話。しかしそんな中で意識してみれば、母の優しげな笑顔にも少なからず皺が目立つようになった。後ろで長く束ねた赤茶色の髪にもやはり、色褪せた白が増えつつある。


「……」

「さ、朝ごはんにしましょう。座りなさいな、シス」

「……はい」


 親子三人と一羽で食卓を囲む。いつものように神に感謝の祈りを捧げた後、ナイフとフォークを手に取って――


「……あれ、お母様。このお肉は?」

「ええ。蟹だそうよ。昨日、ダズールさんが売りに来たの。大ぶりて、見ただけでは分からないわよね~。でも、味見をしてみたら確かに蟹だったわ」

「蟹……? ふんむ……殻がないと、言われなければ分かりませんね」

「四百グルームで二百エスクでいいって言うから、つい買っちゃったの」

「や、安い! ……本当に蟹?」

「らしいわよ。なんだか最近、どこかでたくさん捕れたらしくて……大量に出回っているんですって」


 平和な母子の会話の合間に、それを「ふむ、いただこう」と口へ運んだ父が一言。


「ううむ。味は……母さんの味付けだからな、申し分ないが……。……うん、間違いなく蟹なのだろうが……食感が……今一つかな……」


 家族揃っての団欒。間違いなく楽しいし、幸せな時間だ。

 が――


「ねぇあなた。当分は、お城へは行かないの?」

「ああ。このところ、ロウェール塔での仕事を命じられていてね。もっとも、こちらでのんびりやっている方が私の性に合っているのやもしれん。街外れで静かだし、上や下からせっつかれることもない。気楽で良いぞ、ふははは」


 呑気に笑う父へ、母がややむくれ顔となる。


「もう、ほんっとのんびり屋さんなんだから。先日、お城ではレインディールのお客人を交えての重要な会合があったそうじゃない。確か、シスが交流しているミディール学院の関係者の方々が参加されていたのよね?」


 母の視線を受けて、娘は「はい」と頷きを返す。


「我が家は、その場にも呼ばれなかった訳でしょう?」


 残念そうな母が自らの頬に手を添える。

 先日行われた会談の場に、現役の宮廷詠術士(メイジ)である父は参加していない。……否、できなかった、と表現するほうが正しい。


 バルクフォルト帝国における由緒正しき詠術士メイジの系譜、その筆頭――とミルドレド家が呼ばれたのも今は昔。

 現在の一族は、そうした場に招かれるほど高い序列にいないのだ。

 確かに、先祖代々から続く宮廷詠術士(メイジ)の家系ではある。だが、近世は実績を残せずにいる。

 五百年の昔、一族にはかの悪名高いワルターニャの討伐作戦に参加したほどの猛者も存在したという。曽祖父は偉大な術者として名を馳せ、教本にも掲載されているほど。しかし、少なくとも祖父や父にその才覚は受け継がれなかった。


 システィアナとしては認めたくないが、今の家は没落貴族と呼んで差し支えない立ち位置にいる。

 ゆえに屋敷を維持することもやっとで、金銭的な余裕などありはしない。家政婦もいないため、こうして母が自ら家事をこなしている。

 祖父母の代には数名の使用人も住み込みで雇っていたが、今はこの広大な館に三人と一羽。住人の数に対して家が大きすぎる。どうしても閑散とした雰囲気は拭えず、またその静けさが系譜の衰退をそのまま表しているようで侘しい。


「ほんっとにもうね〜、こうなればシスだけが頼りだわ〜。栄えあるリズインティ学院の現三年生、堂々の二番手! といってもマリッセラちゃんはレインディール人だし、もうじきミディール学院へ戻るのでしょう? 寂しくなるけれど……であれば、実質あなたが一位みたいなものよ。いいこと? 我が娘よ。ミルドレドの再興は、今やあなたに掛かっているんだからね!」

「これ、そう重圧を掛けるものじゃあないよ。功名心に囚われると碌なことにならんからな。お前の好きなようにやれば良いのだぞ、システィアナ」


 まるで対照的な意見を口にする父と母だが、実はこの二人は従兄妹同士。

 詠術士メイジとしては平凡な、しかしそれでいいと語る平和主義者の父。ミルドレドの一族として、かつての栄華を取り戻したい母。一見反する性格ながら、不思議と気が合うおしどり夫婦。


「ふっふ。大丈夫です、お父様。私は無理などしておりませんし、自然体のままでお母様のご期待に添える所存ですので」


 胸を張って答えるシスティアナは、そんな両親が大好きだ。

 父は気にしていない風を装い、母も冗談めかして言うのみに留めるが、その本心は明らか。

 できることなら、昔の隆盛を取り戻したい。

 それは当然の思いだ。まだ四十を過ぎたばかりの二人だが、顔に刻まれたわずかな皺や白く染まった数本の髪束が、その気苦労を物語っている。


(……うん。私が、やり遂げてみせるんだから)


 失われて久しいミルドレドの誇りを、品格を……自分が取り戻す。

 システィアナは本気でそう考えている。


「……」


 そして、もしそれが叶えば――


「ううむ。しかし話は変わるが、レヴィン坊ちゃまのご活躍は目覚ましいばかりよの。『封魔』などという伝説めいた怪物が実際に現れたことも驚きだが、それを討伐せしめる手腕よ……」


 手元の日報紙に目を落とした父が唸る。日々の出来事を告げる紙面は、このところその話題で持ち切りなのだ。


「レインディールの遊撃兵殿と力を合わせてのことだそうだが、それにしたとて未だかつて誰にも成し得なかった偉業だ。どこまで上り詰めるんだろうかの、我らが『白夜の騎士』様は」


 そんな言葉に頷いた母がどこか懐かしげに目を細めて微笑む。


「ほんと。どんどん天上人になられるわねぇ、若様は。シスと一緒に庭で遊んでらした頃が嘘のようだわ」

「お、お母様。いつの話をしてらっしゃるんですか」


 そうなのだ。元々、レイフィールドとミルドレドは同じバルクフォルト貴族の家柄同士。幼少期、システィアナとレヴィンはよく遊んだものだ。

 しかし――


「……さすがにあのご多忙ぶりだと、学院にも顔は出されていないんでしょう? シスも、もう長らく会ってないんじゃない?」

「……ええ。そう……ですね」

「今や、秒刻みでご予定が入っていそうだものね。猊下よりも休んでらっしゃらないんじゃないかしら。本当に頭が下がるばかりよ。若様は、自らが皆の『光明』となることを望んで……今も、その道を邁進されているんだもの。あらゆる闇を吹き払う、『白夜の騎士』として。……あんなにお辛い出来事があったのに、本当に……すごいことだわ」


 そんな母の言葉を聞き、父は肩を揺らして笑った。


「うむ、まさしく一点の曇りなき覇道よな。いかな試練も、坊ちゃんを挫くことなど出来ぬだろうて。あとは良き伴侶を得て、この国を導いてくださる存在になられれば安泰だが」

「そうね、若様も気付けば十九になられたのよね。猊下も、そういった点についてはどのように考えていらっしゃるやら……。釣り合うお相手となると、そんじょそこらの娘さんってわけにはいかないでしょうし。候補探しも難航するでしょうけど、誰がそのお眼鏡に適うのか楽しみだわ」


 きっと、この国に住まう誰もが同じように考えている。

 今や天下にその名を轟かせる『白夜の騎士』。バルクフォルトの象徴とも呼べる稀代の英雄は、近い将来どんな妻を迎えるのか。

 彼に熱を上げる街娘たちとて、さすがに自分がその座に着けるとは思っていまい。


「そう、そうだわシス。あなたたちが今交流中の、ミディール学院のあのお嬢さんはどうなのよ」


 と、唐突に母が妙案でも思いついたかのような顔を向けてくる。


「? 何のお話ですか?」


 いきなりのことで、即座には察せなかった。

 直後、母が全てを明かす。


「ほら、ロイヤルガードの……そう、ベルグレッテさん! だったわよね? 聞けば、リリアーヌ姫のお付きという話じゃない。聡明で美しい娘さんだそうだし、若様にぴったりだったりしないの? 王女付きの騎士となれば、家柄としても申し分ないし……同盟国としての結びつきも、より強固なものになるし」

「おお、私も話は聞いておるよ。将来有望な姉妹騎士だそうだな。確か、猊下とも家族ぐるみでお付き合いがあるのではなかったか?」

「…………」


 そのまま盛り上がる両親を尻目に、システィアナは黙々と料理を口に運んで食事を終える。傍らのオレオールも、とうに与えられた肉を平らげて毛繕いに勤しんでいた。


「……ご馳走様でした。お父様、お母様、それでは行って参ります」

「あら、もうそんな時間? 気をつけて行ってらっしゃいな」


 逃げるように居間を離れ、玄関へと向かう。

 肩に座る白い相棒が、心配そうに覗き込んできて大きな目を瞬きする。


「……ふっふ。大丈夫よ、オレオール」


 おかしな話ではない。

 きっと、誰もがそんな風に考える。

 大陸最高の騎士には、それに見合った最良の伴侶が相応しい。

 そう思うと、


(……とんでもない愚か者よね、私って)


 栄華を失った貴族であることを自覚する少女は、そう自嘲せずにはいられなかった。

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