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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
15. 皓然のフロウ・ライン
645/667

645. 黎明

 山の稜線から差し込む輝かしい朝日が、テントを出た彩花の顔を煌々と照らす。


「……ん」


 思わず目を細めるほどには眩しい。だが、大歓迎だ。鬱屈とした気分を少なからず晴らしてくれる。

 今まで、これほど陽の光をありがたいと思ったことはなかった。


「……、」


 早朝特有の澄み渡った空気。鼻腔に入り込んでくるのは、瑞々しい新緑の香り――だけではない。風に乗って、焼け焦げた炭の臭気が届く。

 出所を探すまでもなく、村の片隅から黒い煙が立ち上っていた。


(……全然、寝れなかった……)


 当然だ。

 月なき闇夜、集落に押し寄せてきた異形の軍勢。

 現代日本では考えられないような脅威。それでいて、ファンタジー作品ではありがちなイベント。

 いざそれを実体験すると、これほどまでに恐ろしいものなのか。

 何の対抗手段も持たぬ現代日本の少女にしてみれば、ただただ悪夢以外の何物でもなかった。

 テントに入り込んできたドボービークのあの異様な姿を思い出すと、おぞましさのあまり鳥肌が立ちそうになる。

 陽光に包まれた朝の爽やかな景色は、そうした昨晩の恐怖をにわかに薄れさせてくれるかのようだった。


「…………っ」


 朝露が光る芝生の上を歩いていくと、所々に赤い飛沫がべったりとこびりついていることに気付く。

 確かに残る悪夢の痕跡。否、夢などではなく現実なのだと突きつけられる証。

 それらをできるだけ見ないようにしつつおっかなびっくりテントを回ったところで、見知った顔に遭遇した。


「あっ。お、おはよう、レノーレさん」

「……おはよう。……もう起きたの」

「ん……まあ、あんまり寝れなくて……」

「……そう」


 この口数の少ない物静かな彼女こそ眠たげな顔をしているが、流護たち曰くこれがデフォルトの表情らしい。


「……こっちは一段落ついた。……もう、あなたが歩き回っても問題はない」

「う、うん。さっき、クレアリアさんからも聞いたよ。ありがとう」


 レノーレ含む流護たちやダスティ・ダスクの面々は、夜通し戦場の後片付けに勤しんでいたのだ。

 つまり、率直に表現すれば死体の処理である。

 村の外れから揺らめく黒煙は、戦死してしまった傭兵たちや怨魔を火葬したことで発せられているものだ。


「その……レノーレさんも、あんまり寝てないんでしょ? 眠くない?」

「……まともに戦ってもないので消耗もしてない。……帰りの馬車の中で仮眠を取れば充分だと思う」


 実に逞しい。本当に一切何もしていない彩花が、すっかりメンタルを削られて疲労困憊となっているにもかかわらず。

 だが、レノーレだけではない。流護含む皆が、こうして精力的に活動している。……それぐらいタフでなければ生き抜いていけない世界なのだ。


「……リューゴなら、向こうでレヴィン殿たちと話している」

「え? う、うん。いや、まあべつに、流護を探して出てきたわけじゃないけど……」

「……」

「……」


 謎の沈黙。小首を傾げるレノーレ。


「……そう」


 何を納得したのか短く言い残した彼女は、音も立てずしずしずと去っていってしまった。


(つ、つかめない)


 為す術なくその後ろ姿を見送る。

 あのクールかつ不思議ぶりで、裏表ない明るさの擬人化みたいなミアとは親友なのだから、人間関係というものは複雑怪奇だ。


「……?」


 何となしに視線を彷徨わせると、気になる光景が彩花の視界に飛び込んできた。


(……? エーランドさん?)


 少し離れた家屋の傍らで、同い年の精鋭騎士が酒瓶を傾けている。真っ逆さまになった瓶の口から放出される琥珀色の液体が、彼の足下に穿たれている穴へと注がれていく。中身が本当に酒なのであれば、もったいないことをしているように思えるが……。


「あの、何してるんですか?」


 気になってしまうと首を突っ込まずにはいられない性分である。近づいた彩花が恐る恐る尋ねると、幼げにも見える同年代の騎士は淡い表情を浮かべた。


「ああ、アヤカ殿。……いえ、この酒が好物だと聞いたので。ろくに礼も言えませんでしたから、せめてもの手向けをと思いまして」

「?」


 エーランドの発言の意味がまるで理解できず、思わず首を傾げる。


「……、あ」


 が、その場の状況を改めて見直してハッとした。

 集落の中央にある大テントの裏側。彼の足下に不自然にできた穴。その周囲に堆積する黒い炭。

 ……思い至る。昨晩、そこで何があったのか。


「ええ。ヨーダンっていう、あの門番のおじさんですね。彼の助力がなければ、おれはオーグストルスを討ち取れていたかどうか……」


 そうだ。彩花はその一部始終を見ていた訳ではない。だが、あの中年男性の傭兵と思しき誰かがここで横たわっている光景は目の当たりにした。それも判別できたのは、彼の所持していた曲刀が転がっていたから。


「あの人については、もう亡骸を運ぶこともままならない状態でしたので。この場で火葬したんです」

「…………っ」


 流護たちはあえて何も語らなかったが、傭兵らの会話を耳にして知ってはいた。

 あのヨーダンという男性は……頭部を圧壊され、遺体も半ば地面と固着してしまったような状態だったと。


「…………」


 信じられない。

 ほんの昨日まで見かけていた人が、今日はもういない。

 それも、命を奪われてのことだ。人としての尊厳も残らないような、残酷な死を与えられて……。

 今回、ヨーダンだけではない。ダスティ・ダスクの死者数は十名以上にも上った。参戦した団員のおよそ半数が、この朝日を拝むことも叶わず永遠の眠りにつく結果となってしまった。

 口元を手で覆った彩花に気付いたエーランドが、慌てたように頭を下げる。


「あ、お気分を害されたなら申し訳ありません」

「い、いえ。大丈夫です。……でも、なんていうか、その……傭兵団の人たちや、エーランドさんの気持ちを思うと……」

「おれは全く揺らいでいませんよ。今日という日、この朝も……いつもと何ら変わりない気持ちで迎えています」

「えっ」


 つい、まじまじと彼の顔を見る。


「いや、おれだけじゃない。あのアキムという副団長も、ダスティ・ダスクの団員たちも……そしてきっと、おじさん自身も。戦場に立つ以上、仲間の……そして自分自身の死というものは覚悟しているものです」


 一滴の雫も落ちなくなったことを見届けて、エーランドは空になった酒瓶を上向けた。踏ん切りをつけるように。


「ただ、おれは忘れません。無駄にもしません。今回の一件を糧に、もっと強くなるつもりです。正直、おれにはまだ覚悟も実力も足りていなかった。でも、おれはもう絶対に……絶対に退かない。どんな奴が相手だろうと。それが、斃れていった者たちに報いる唯一の方法だと思うので」


 確かな決意を感じさせるその少年の横顔。その表情を見れば、強がりでないことは察せられた。

 とても、自分と同じ年齢とは思えない心の強さ。これが過酷な異世界で生きる戦士の精神性なのか。

 彩花としてはそう圧倒されるばかりだった。


「ところで、話は変わりますが。ひとまず、手掛かりと呼べそうなものは得られましたね」

「あ、は、はい! そうみたい、ですね」


 エーランドに言われ、少女も頷く。

 それは昨夜の話だ。

 戦闘の余韻も残る中、皆はここへやってきた本来の目的を果たすことができていた。






 怨魔の軍勢を打ち破ってしばらく。


 場所は、集落中央のテント。

 未だ勝利の余韻に酔いしれる住民たちの姿を横目に、流護たちの下へやってきたアキムが疲れを滲ませた顔で座り込む。


「じき、夜も明ける。火葬は外が明るくなってから始めるとしよう」


 その憔悴した様子は、決して肉体的な疲労感だけが原因ではなかろう。


「……やはり、私には荷が重かったのだな。この団を牽引していくことは。たった一年あまりで、随分と多くの同志を失ってしまった」


 そう呟く彼に、流護としては返せる言葉もない。


「こんな時、ヨーダンの明るさには助けられたものだったが……今回ついに、その彼自身が逝ってしまった」

「……」


 自嘲気味な重い吐息を受けて、エーランドがわずかにうつむく。


「団長がどれだけ上手く立ち回っていたのか、改めて思い知るばかりだ」


 その言葉を受けて、流護のみならずベルグレッテたちもアキムの顔に注目する。察したのか、彼も一同を見渡した。


「君たちは、団長について訊きたいのだったな。さて、何から話そうか。その前にまず、君たちはなぜあの人について知りたがっているのかね」


 流護とベルグレッテは顔を見合わせた。

 ……未だ確証がある訳ではない。だが、今夜の戦いを通じて感じたものはある。


 ダスティ・ダスクの団員たち、そして副団長のアキムは『白』だと。

 今この時に至るまで、怪しい素振りを見せる者はいなかった。例えば、戦闘のどさくさに紛れて仕掛けることも可能だったはず。

 実際のところ流護は、怨魔以外の誰かによる襲撃も意識の片隅に置いて闘っていた。だが、流護に対して『白い線』を向ける者はいなかった。

 それどころか誰も彼もが、アシェンカーナ族のために身を挺して必死で戦っていた。もちろん団としてそういう仕事を請け負ったからだといえばそれまでの話だが、それでも死力を尽くした彼らの中に裏がある者はいないように感じた。

 その思いを代弁するかのように、ベルグレッテが率直に問いかける。


「……アキム殿。オルケスター、という名に聞き覚えはありませんか」


 一拍の間。


「いや。その言葉が何を意味するかは分からんが……心当たりはないな」


 うーん、と流護は腕を組み胸中で推し量る。

 アキムと同じく傭兵家業を営むグリーフットは、少なくともオルケスターの名前や都市伝説めいた噂について聞き及んでいた。

 やり手の傭兵団として名高いダスティ・ダスクの副団長が「知らない」と断ずるのはどうなのだろうか……?


「フフ、怖いな。これだけの受け答えで疑念を抱かれてしまったようだ」

「あ、ああいや。そういう訳じゃないんすけど」


 ちょっとした流護の表情から読み取ったらしい。何とも鋭い男である。


「弁明をさせてもらうならば……我々も傭兵団とはいうものの、ほぼ怨魔退治が専門みたいなものでね。アシェンカーナの人々から請われて戦ったことも今回が初めてではない。可能な限り耳をそばだててあらゆる分野の知識を得るようにはしているが、仕事に関係しない情報についてはどうしても疎くなりがちでね」


 そうねぇ、と後を継いだのはナスタディオ学院長だった。


「一口に傭兵、っても色んな仕事があるからねー。迷子やら飼い猫、失せ物を探す何でも屋から、山野の貴重な素材採集を請け負う収集人……対人戦闘に特化した戦闘部隊もそうだし、そしてダスティ・ダスクは怨魔退治に重きを置く集団と。知っている情報に偏りも出るでしょうねぇ」

「なんすか、学院長。傭兵家業に詳しいんすか?」

「……ンフフ、そーね。少なくとも、リューゴくんよりはね~」


 意味深な笑み。まあ、腐っても学び舎の長である。多方面の知識に通じているのだろう。

 アキムが自嘲気味に微笑んだ。


「しかし、怨魔退治を生業にしておきながらこのザマさ。そろそろ潮時なのかもしれないな」


 寂しげな声だった。レヴィンが背筋を正す。


「相手があの『封魔』とあっては無理もなきことです。どうか、気落ちなさらぬよう……」


 追従するように、学院長がのほほんと口を開く。


「そーねー。仮にその団長さんがいたとしても、今回の件はどうにもならなかったんじゃないかしら?」


 しかし、アキムは迷わず首を横へ振った。


「だが、あの人であれば的確に立ち回ったさ。ガーラルド・ヴァルツマンとは、そういう男だ」


 この実力も知性も兼ね添えた副団長アキムが、一も二もなく断言する。


「そもそも、ヴァルツマンとはどのような人物なのです?」


 未だ不信感を隠しもしない鋭い眼差しのクレアリアに問われ、しかしアキムは気を害した風もなく懐かしげに天井を仰いだ。


「早十年以上も前になるか……。まだ若造だった私が、身の丈に合わない『西の荒涼地(レッドテイル)』での仕事を請け負った折に出会ってね。あの人がいなければ、未熟な私は野垂れ死んでいただろう。不思議と馬が合ってね。出会ったその日の夜、酌み交わした酒の勢いで結成したのがダスティ・ダスクだ」

「粋なお話ですね」


 レヴィンが笑顔で相槌を打つ。どこか羨ましそうな表情だった。


「あの人の詳しい過去は知らんが……傭兵となって各地を放浪するようになったのは、奥方と生まれて間もない子息を亡くしてしまったことが原因だと語っていたな。怨魔に襲われ、当時のあの人自身も死にかけるほどの深手を負ったらしい。顔に残る傷痕はその時のものだそうだ」

「なるほど……じゃあ、その怨魔を追っかけて敵討ちするために傭兵になって旅するようになった、とかか?」


 情報から想像したストーリーを流護が口にすると、アキムは苦笑して首を横に動かした。


「フフ。かつて私もそう問うてみたのだが、違うと言われたよ。怨魔自体はその時に打ち果たしていたそうだ。『そうそう劇みたいな話なぞありゃせんよ』と笑っていたな。……そうして笑い飛ばせるようになるまで、どれほどの修羅場を潜ってきたのだろう。そう思わせる表情だった」


 副団長は呟いて、懐かしげに目を細める。


「そういった過去もあってか、出会った当初から凄腕だった。裏表のない豪放な性格で、良くも悪くも我が道を往く男だ。分かりやすい人柄ではあるが、それでいて予測できない行動を取ることも多かった。こうしてふらりと消えたまま戻らぬこともまた、不思議とあの人らしく思える」


 ひとつ息をつき、続ける。


「世辞にも真面目とは言い難い人柄だったが……しかし、君たちのような騎士に追われる咎を犯す悪漢とも思えないのだがね」


 そんなアキムの発言を受け、反応したのはレノーレだった。


「……念のため確認したい。……私たちの知るガーラルド・ヴァルツマンが、あなたの知る団長と同一人物なのか」


 まさしく改めてではあったが、すり合わせを行う。

双濤斬将そうとうざんしょう』、ガーラルド・ヴァルツマン。

 顔に大きく切創の跡が残る、粗野な風貌の中年の大男。

 水属性の使い手で、両手に水の大剣を具現化しての近接戦闘を得意とする。それのみならず、靴裏に水の薄膜を纏わせることにより異常なまでの機動力を実現。メルティナ曰く、あそこまで接近戦に特化した詠術士メイジには出会ったことがなかったと。


「……うむ。私の知るガーラルド・ヴァルツマンに間違いなさそうだ。あのメルティナ・スノウと伍するとは、鼻が高い」


 アキムが苦笑を滲ませながら認め、逆に問う。


「して、先ほどのオルケスターなるものとかかわりがあるのだな?」

「はい」


 ベルグレッテが頷く。

 そして、かの闇組織について説明した。

 資金力、統制力、技術力、そして暴力。あらゆる『力』に秀でた、裏社会に潜む非合法の集団オルケスター。

 天轟闘宴やバダルノイスの裏で暗躍し、直近ではカヒネの名を知った彩花の口を封じようとした。

 未だその全容も掴めず、流護たちとしてはわずかな情報でも欲しい現状。


「……ふむ、成程。君たちにしてみれば、我々に同行してまで手掛かりを得ようとするはずだ」


 得心がいった風に、アキムは彩花へと視線を滑らせる。注目を受けた彩花はというと、かつての恐怖を思い出したのか、その身をわずかに縮こまらせた。


「それで、どうだい? 副団長さんの見解としては。まだ団長さんの肩を持ちたいかもしれないけど」


 エーランドの皮肉げな言い回しに対し、アキムは緩やかにかぶりを振る。


「私は別に、団長を穢れなき清廉な人間だと思っている訳ではないよ。ただ一つ、確かなことがあるとすれば……ガーラルド・ヴァルツマンは、必ず何らかの信念を持って行動する男だということだ。金や権力には靡かない。暴力に屈することもない。一見して突飛な振る舞いも、思い付きのような発言にも……必ず、あの人なりの意味がある。流されることなく、己の意志でのみ動く」

「……己の、意志で」

「ああ」


 呟いたレヴィンに同意し、今一度、アキムは一行を見渡した。


「気に掛かるのは、そのオルケスターなる組織の狙いだな。恐らく、そこに団長の共感を誘う何かがあったのだろう」


 それは昨日、レヴィンも指摘していた部分だ。

 あらゆる力を高水準で持ち合わせるオルケスターは、何のために活動しているのか。


「その肝心の『何か』、の内容が知りたいところですが……心当たりは?」


 クレアリアが深掘りすると、アキムはなぜか流護と視線を合わせた。


「団長は、何かを守護するために動くことが多かった。それは時に人の命だったり、貴重な物品だったり、あるいは誰かの名誉だったり……ゆえに今回も、私たちは無闇にあの人を探そうとはしなかった。我々の与り知らぬところで、何かを守ろうとしているのだろうと考えてね」

「っ、守るって……」


 思わず声を荒げかけた流護は、すんでのところでどうにか自制した。

 何を守りたいか知らないが、それで彩花の命を狙うなど容認できるはずがない。

 バダルノイスの一件についても同じこと。あの大騒乱で、一体どれだけの数の人たちが巻き込まれたか。


『守る』。それは、流護の最終目標。周りの仲間たちとの日常を。最強を目指そうとした理由そのもの。

 ヴァルツマンは、同じような信念の下であんな悪事に手を染めているとでもいうのか。


「団長さんがクロだったとして、オルケスターとかかわりを持ったのはいつだったんでしょうね? 副団長さんと出会った頃にはすでにそうだったのか、それともやっぱ参加したからこそ姿を消したのか」


 そんな学院長の疑問に、アキムは考え込む風にしつつ唸る。


「いなくなる前までは、常に皆で行動していたからな。不審に思うような素振りは微塵も感じなかったが……」


 そこでベルグレッテが彼を見据えた。


「……アキム殿。ヴァルツマン氏がオルケスターとかかわりを持った切っ掛けに関して、何かお心当たりがあるのでは? 昨日、ここへやってくる前にお話をされた際に、思い当たった節がおありのご様子でしたので」


 そう言われ、アキムは大きく首を縦へと振った。


「ああ、その通りだ。敢えて言うなれば一つ、引っ掛かりがある。そうだな、かれこれ……二年ほど前となるか。東へ遠征した折に、ライズマリー公国の宮廷詠術士(メイジ)と会う機会があってね」

「ライズマリー公国、ですか」


 ベルグレッテを始め、クレアリアたちも目を丸くしている。相も変わらず不勉強な流護としてはあまりよく分からないが、驚くべきポイントであるらしい。


「私はあまりかかわらなかったので詳しい話は知らないのだが、団長は幾度となくその者と顔を合わせていたようだ。大きな仕事にでも繋がるかと思ったが、残念ながらそうした話はなかったな」

「まっ、傭兵やってればそういう身分の人と繋がる機会もあるでしょ。特別おかしな話ではないと思うけど……何か気掛かりなコトがあったのね?」


 学院長の問いかけに、しかしアキムはやや自信なさげに。


「うむ……気掛かり、と呼べるほどのものではないが。どうにもあれ以来、団長は物思いに耽ることが増えてね。らしくもなければ似合いもしないな、とは思っていたが……それからしばらく経ってのことだ、あの人が何も言わず忽然と姿を消したのは」

「なるほどな……」


 そんな流護の呟きに同調した訳でもなかろうが、場の全員(学院長以外)が神妙な面持ちとなる。

 ヴァルツマンも結局は、彼自身がグリーフットに対してそうしたように勧誘を契機として組織に参画した可能性が高い。

 詳細を知ることができれば一気にオルケスターへ近づけるかと淡い期待を抱いていたが、どうやらそう簡単な話でもなさそうだ。


「私の考え過ぎかもしれない。だが……心当たりらしい心当たりとなると、これぐらいしか思いつかないところだな」


 物欲や権力欲では動かぬ、豪放な歴戦の傭兵。

 そんな男が闇組織に加担しようと決めたのはなぜなのか。


「承知しました。では念のため、そのライズマリー公国の宮廷詠術士(メイジ)についてお話を伺いたいのですが……」


 ベルグレッテが尋ねると、アキムは残念そうに目を閉じる。


「やり取りをしていたのは団長なのでね、私はろくに会話もしていないため名前すら聞いていない。だが……そうだな、若い女性だった。年の頃は二十歳そこそこに見えたな。髪は長く、緑がかった黒色。瞳は明るい茶色だったか。眼鏡を掛けた理知的な顔立ちで――」

「お待ちください」


 と、ベルグレッテが待ったをかける。彼女は自らの手荷物から羊皮紙と硬筆を取り出し、


「レノーレ、お願いできる?」


 こくりと頷いた彼女が、筆記用具を受け取る。

 そうしてアキムの証言を元に、レノーレが似顔絵をしたためた。

 羊皮紙に再現された女性の姿を目の当たりにしたアキムが、目を丸めて感心する。


「ほう、大したものだ。うむ……何せ二年も前に見かけただけなので正確性には欠けるだろうが、少なくとも私の覚えている容姿と一致する」


 皆でその似顔絵を囲む。

 年齢は二十歳前後か。長く伸ばした飾り気のない髪、小さなメガネをかけた、知的な印象の人物。ケープをかっちりと羽織った地味な装いが、より彼女の真面目そうな雰囲気を引き立てているようでもある。


「何かあれだな。キリッとしたメガネの……いかにも堅物、って感じだな」

「こういう人は、流護のタイプじゃなさそう」

「その情報いる?」


 相変わらずな応酬を交わす現代日本幼なじみコンビの傍ら、他の面々も顔を突き合わせて唸る。


「リューゴくんじゃないけど、こうして見る限りはカタブツそーな女ねぇ。いかにも仕事一筋ってカンジで冗談の通じなさそうな顔してるけど、これで実は闇組織の一員として暗躍してます、ってんならなかなかの売女だわ。人は見かけによらず。オンナって怖いわね〜」


 外見だけであれば対極に位置しそうな学院長がそう評せば、


「ライズマリー公国となると交流も希薄ですが、それでも相手が宮仕えなら候補はかなり絞られるはず。個人の特定も難しくないのでは?」

「……あまりこの絵を当てにしすぎないほうがいい。……普通は、二年も前の証言を元に描いたりはしない。……当時とは外見が変わっているかもしれないし、未だ現職かも分からない」


 クレアリアとレノーレが意見を交わす。そしてなるほど、この二年の間で現に宮廷詠術士(メイジ)の職から退いているレノーレの発言には説得力もある。


「うーむ……。これでこの女性をどうにか見つけて問い詰めることができたとして、また同じように勧誘を受けて参加しただけだったりしたら……」


 エーランドが懸念を口にすると、レヴィンが前向きな声音で応じる。


「だが、そうやって根気強く辿っていくしかないのかもしれない。いつかは必ず大元に行き着くと信じて」


 それどころか、ヴァルツマンがオルケスターに加入した経緯は全く別のところにあって、この似顔絵の女性を怪しむのは見当違いという可能性も考えられる。

 アキムほどの鋭い人物が抱いた違和感ということで信じたいところだが、これはまだ容疑者の尋ね書きにはなり得ない。


 ベルグレッテも噛み締めるように首肯した。


「ともあれ、着実に一歩前進したと考えましょう。アキム殿、ご協力感謝いたします」


 皆のやり取りを尻目にして、流護は今一度その似顔絵へと視線を落とした。


「…………」


 先ほど流護自身や学院長が評した通り、紙面にはいかにも生真面目そうで理知的な女性の姿が再現されている。

 仮に、これが『黒』となる人物だと仮定して。


(どんな理由があるんだ……?)


 これほど実直そうな宮廷詠術士(メイジ)。金や権力になびかない傭兵。

 似顔絵を見る限りなら、カヒネを迎えに来たという青年も人当たりのよさそうな風貌をしていた。見るからに悪人、という雰囲気ではなかった。実際、少し会話を交わした彩花たちも印象のいい人物だったと証言している。


 そんな彼らは、なぜオルケスターなる裏の組織に身を寄せているのか。その集団は、一体どういった目的で活動しているのか。


(ただの悪人の寄せ集めで、それこそ金だの物欲とかで好き勝手やってんのかと思ってたけど……)


 これで謎に包まれたオルケスターに一歩近づくことができたとしても、比例して疑問が膨れ上がる。

 かの集団は、多大な力をもって何をしようとしているのか。


「アリウミ遊撃兵」


 不意にアキムに名を呼ばれ、流護は彼へと目を向ける。


「団長が……ガーラルド・ヴァルツマンが何を為そうとしているのか、私には推し量ることもできはしないが」


 落ち着いた声音で、副団長はその願いを告げた。


「もしあの人が道を違えようとしているのなら……止めてやってくれないか。力尽くにでも。君にならきっと、それが可能だろう」


 一拍の間。


「……そうっすね。そん時は……約束するっすよ」


 自分には何もできない諦念、もどかしさ。

 アキムの表情や言葉の端々から滲み出るそれらを感じ取った少年は、しかと頷くことで同意を示すのだった。

第十五部 完

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― 新着の感想 ―
pdfにして保存したりしてだいぶ久々に通しで読み返してたんですが、やっぱ面白いっすね…! 元々バトルが好きなのでずっと更新されるたびに読んで楽しんでたんですが、通しで読み直すとやっぱ大軸のストーリーも…
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