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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
15. 皓然のフロウ・ライン
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639. 可視化した死

「お、おお……! やりやがった……! あんなガキでも、さすがは『サーヴァイス』ってことか……」


 やや離れた建物の前で戦闘を傍観していたダスティ・ダスクの団員は、素直に感心して息を吐き出した。

 ヨーダンの補佐もありはしたが、ほとんど矢面に立ってカテゴリーB最強を打ち倒すのだ。やはり、国家の精鋭部隊は伊達ではないということだろう。


「……さて、戦況はどうなったか」


 自身もそれなりに傷を負ってしまった傭兵の男は、疲れ果てた身体に鞭打ってどうにか索敵の術を練り上げ発動する。


「……む」


 残る敵は――七匹。

 うち六匹が、村の外へ逃げる軌道を取っている。そして、次々と反応が消えていく。一匹は進路に迷ってでもいるのか、村の中をゆっくりと移動している。だが、逃げないのであればむしろ好都合。討伐されるのは時間の問題だ。


「よし……、終わりだな」


 安堵とともに改めて周囲を見やると、仲間たちと怨魔の群れが芝生の上で折り重なるように横たわっていた。


「……、ちくしょう、なんてザマだよ……」


 ただただ情けない声が漏れた。

 おそらく、十数人は死んだ。これまでにない犠牲が出た戦いとなってしまった。


「ん……」


 改めて索敵に意識を戻すと、いよいよ残すは一匹。

 ゆったりとした速度で、村の出口ではなく中心部――すなわち、こちら側へ近づいてくる。

 哀れにも外へ向かおうとして間違えたか。だが何でもいい、逃がすつもりはない。

 このまま行くと最初にかち合うであろうその人物へ向けて、男は声を張った。


「おいヨーダン! 最後の一匹、お前の近くに行くぞ! そこの小屋の裏だ!」






「はっ、はぁっ……」


 弊絶風貫を地面に突き立て自分の身を支えたエーランドは、黒き怨魔が動かなくなったことを確認して緊張の糸を解いた。


(……、ったく、まだまだ、だね……)


 紙一重で死んでいてもおかしくない場面が何度もあった。

 雑、強引、運任せ。とてもではないが、レヴィンや級友たちには見せられない一戦だった。


 だが、ひとまず勝利。命は繋いだ。

 しかしそれも、自分一人だけの力によるものではない。


(……やれやれ)


 悔しいが、『彼』の力がなければこの勝ちはありえなかっただろう。

 ちょうどレヴィンの維持する光の方角と重なって眩しいが、目を細めてそちらへと顔を向ける。


 さすがに礼のひとつも言っておかないと。

 逆光の眩しさに目を細めつつ、視線を向けて――

 おじさん、と呼びかけようとした瞬間だった。


「おいヨーダン! 最後の一匹、お前の近くに行くぞ! そこの小屋の裏だ!」


 索敵の術で探っていたのだろう、やや離れた家屋の前にいた傭兵が声を張る。


「あぁ? わーったよーっと。そんじゃ、締めと行きますかねぇ――」


 地面に刺さりっぱなしとなっていた曲刀を抜き、拾い上げたヨーダンが億劫そうに応じて――



 その頭が、横合いから鷲掴みにされた。



「――――――」


 エーランドも、家屋の前にいた傭兵も。そして、当事者のヨーダンも。

 全員がただ、刹那に棒立ちとなっていた。



 それは、あまりに巨大な手だった。



 太く発達した黒い五指が、すっぽりと卵でも握るようにヨーダンの頭部を握り込んでいる。

 その指の一本一本は、赤子の腕ほどもありそうだった。


 逆光により気付くのが遅れた。家屋の裏から現れた『それ』は、何とも歪な風貌をしていた。


 直立二足。背丈自体は並び立つヨーダンと同程度。オーグストルスと比べてもそう大差ない。短毛に覆われた体色も前述の怨魔と近しい黒。そう見えるのは逆光のせいだけではなかった。


 そして、何より異様なのは。


 牛、である。


 ただただ邪悪な気配を纏う、黒い牛の顔が胴の上にあった。そしてその頭部が、不自然なまでに大きい。全身像のおよそ四分の一もの面積を占めているそれは、野に生きる雄牛そのもの。側頭部から伸びる二本の角はさして長くはなく、控えめに先端部を上向けている。

 そんな頭と比べたなら小柄にすら見える肉体は、しかしはち切れんばかりに隆起した黒い筋肉によって構成されていた。

 腕、脚、全てが分厚い。人間を縦の長方形と表現するなら、これはまるで正方形だ。

 巨大にすぎる牛の顔と、猿を異常進化させたかのような筋骨隆々の身体。牛の被り物を被った人間にすら見える、作り物にしても不出来で均整の取れていない全身の形状。


 だが。

『これ』は、誰かが拵えた下手糞なハリボテではない。


 生きている。

 自らの意思でここに現れ、そしておもむろにヨーダンの頭を掴んでいる――。


「――」


 あまりに突然のことで硬直はあった。

 しかしそれでも、彼は一流だった。

 ヨーダンは握り込んだ曲刀を逆手に持ち替え、真横へ一閃。すぐ隣で馴れ馴れしく自分の頭を掴んでいる存在へと叩き込む。


 とっ。


 そんな音だった。深く斬り裂くでもなく、堅牢に弾かれるでもなく。

 ヨーダンの振るった斬撃は、相手の脇腹のあたりへと確かに命中していた。

 だがその刃は、筋肉そのものに阻まれる形で止まっていた。オーグストルスですら直撃を嫌って回避に徹した、鋭い氷片のまぶされた剣身が。


『牛』は、微動だにしなかった。

 攻撃を受けて、何か反応を示すことすらしなかった。


 怯む、防ぐ、避ける。いずれでもない。

 当たったが全く効いていない。表皮に阻まれ、まるで傷を与えられない――。


「――……ッ」


 ヨーダンの瞳が驚愕に見開かれ――


 ――直後、発生したのは足下が痺れるほどの地揺れ。

 時間が飛んだ。そんな速さだった。



 怪物が掴んでいたヨーダンの頭を大地に叩きつけたことで発生した振動は、全方位を隈なく震わせた。



 そして。


 発生源となったヨーダンの身体は、あまりにも不自然な体勢で『へし折れて』いた。


 一体、どれほどの圧力が加わったのか。腰の位置から折り畳まれるようにねじ曲がり、胴体の各所から骨が飛び出して。

 彼の頭部が叩きつけられた草葉の地面は、紛れもなく陥没していた。


『牛』は片膝立ちの姿勢のまま、緩慢な動きで穴から腕を抜き去った。怪物の太い五指に絡みついた赤黒い液体が、ごぽりと大きな糸を引く。その各所には、疎らな肉片が付着していた。

 その動作を見せる怪物の表情は、何ひとつ微細な変化すらなく。それこそ被り物のようだった。


「う」


 理解が追いついたのは、この時だったのだろう。


「わ、あああああ、あ、ああぁぁあぁぁぁぁ――――!?」


 ヨーダンに怨魔の位置を伝えた傭兵が、絶叫とともに尻をついた。腰が抜けたか、手足をばたつかせるのみで立ち上がることもできない。


 そして。


「何……………………だ、貴様はアアアアアアァァ――――ッッ!?」


 エーランドの喉から、自分でも聞いたことのない咆哮が迸っていた。


 それでも、日々の訓練の賜物か。

 異常事態に直面しながらもほぼ無意識のうちに詠唱を完遂した騎士の少年は、己が相棒たる風の槍を顕現。


「おおおおぉぉぉォォ――――ッ!」


 その場から、全力で怪物へ向かって投擲した。

 瞬いた風の一閃が、刹那の間も待たず怪物へと直撃する。

 精度、速度、威力。間違いなく、エーランド本来の実力を上回る一撃。過去最高の一撃だった。


 その渾身の攻撃術は、『牛』の分厚い肉体に激突するや否や四方へと爆散。


 周囲の芝生や動かなくなったヨーダンの装備、近くに落ちていた松明の残骸を揺らし、あるいは吹き飛ばしながら煌めきを振り撒いて虚空へと帰していく。


 弊絶風貫の直撃を受けたはずの怪異は――、ただ佇んでいた。

 つい先ほど、ヨーダンの曲刀を叩き込まれた時と同じく。


 無傷。


 防ぎも、避けもしない。攻撃をもらっても微動だにしない。牛そのものでしかない瞳は、何の感慨もないかのようにエーランドへと注がれていた。

 その風情はどこか、力なき民を睥睨する傲慢な支配者にも似ていた。


「……な……、ん…………」


 何だその目は。

 怨魔風情が。人と認識すれば見境なく襲うだけの下卑た存在が、何のつもりでそんな目を向けている。

 エーランドの理性が焼き切れそうになった瞬間だった。


「何事だ!」


 声は背後から聞こえた。

 地を揺るがすほどの衝撃やエーランドたちの絶叫から、異変を察するのは必然だったろう。

 駆けつけてきのはアキムだった。


「……!」


 物言わぬ骸となってしまったヨーダン、地面に穿たれた穴、そして『牛』。それらを素早く認識した彼は、苦しげに眼を細める。

 そして言及する。


「…………こ、の……化け物は……、いや、まさか……」

「……知ってるのか、あんた」

「いや……、だが……」


 今回の討伐作戦に当たり常に冷静沈着だったダスティ・ダスク副団長の声は、慄然と震えていた。

 一方で怪物は、現れた彼に対してもただ無感情な視線を送るのみ。


「――来たれ、アイトゥヴァラス」


 発現する。

 一見しただけでも分かる。それは間違いなく、アキムの全霊が注がれた一手。詠唱の速さや回転力を重視しがちなエーランドとは異なる、威力と範囲に重きを置いた大技。作戦が完了するまで、油断せず保持していたのだろう。動揺しつつも顕現するのはさすがの技量だ。


 炎の大蛇とでも形容すべきそれが、火の残滓を撒き散らして、やはり微動だにしない『牛』へと襲いかかった。

 刃鞭は瞬く間に敵を幾重にも巻き、身に纏う焔尾で燃やし尽くす――――ことは、できなかった。

 鞭に縛られた『牛』はわずかに胸を逸らし、両腕に力を込めたように見えた。


 そしてそれだけで、炎の蛇は爆散した。


 胴体に絡みついていたはずの鞭身は千切れ、食らいついていたはずの刃は弾けて散乱する。

 小雨のような細かい火の粉が注ぐ中、牛面の怪物はやはり不動。堂々たる佇まいで、攻撃を仕掛けてきたアキムに色のない瞳を向ける。


「……ば、馬鹿な……ふ、副長の……アイトゥヴァラスが…………」


 腰を抜かしていた傭兵が消え入りそうな声で呻くが、


「…………やはりか……」


 必殺の一撃を破られたはずの当のアキムの呟きには、どこか腑に落ちたような響きすら込められていた。


「よもや、とは思ったが……」


 その言葉に重なる形で、脇の小道から芝生を踏む足音。ややおぼつかない足取りでこの場へやってきたのは、


「エーランド、アキム殿……っ!? この怪物は……!?」


 宙に輝く光球の維持で疲弊しているのだろう、やや足取りの重いレヴィンだった。一見して普段通りに見えるが、明らかに冴えない顔色は光源の加減によるものだけではない。

 エーランドは己が主の姿を認めるなり、


「レ、レヴィン様! お――、っ」


 思わず放ちかけた言葉を、すんでのところで自制した。


(ぼっ、僕は……!? い、今)


 言いかけた。

「お逃げください」と。

 大切な主を重んじるがゆえ。だが同時に、最強の騎士に対しこの上ない侮辱となるその言葉を、エーランドは咄嗟に飲み込んでいた。


(ぼ、僕は……危ないと思ったのか……!? レヴィン様が、この怪物と闘っては……)


 大陸で最も名高い『ペンタ』、バルクフォルト帝国が誇りし稀代の英雄『白夜の騎士』が負けると思ったのか。


 それだけではない。

 真っ先にレヴィンに逃げてほしいと願った。

 それはつまり、すぐそこのテントで身を寄せ合っているアシェンカーナの人々を見捨てると同義。


 五百年前の祖先の行いを知り、軽蔑していたはずなのに。自分だったら、絶対にそんな愚は犯さないと息巻いていたはずなのに。

 その忌むべき先達と、同じ選択をしてしまった。


(……、ぼ、僕は…………)


 結局、この身には卑怯者の血が流れているのか――


「君の憂いは無理もない」


 折れそうになったエーランド心を支えるがごとく。怪物を睨めつけたまま口にしたのはアキムだった。


「恥ではない。それは人として至極真っ当な本能だ。こんな相手を前にすれば……」


 騎士の少年の胸中を正確に察しながら、彼の額には脂汗が滲んでいた。


「……アキム殿。この化生の風貌……まさか……」


 推し量るようなレヴィンの言葉に対し、傭兵団の副団長は静かに首肯を見せた。


「……ああ、間違いない。こいつは……この怪物は、『封魔』……ガビム・ガヴジーンだ――」






「ひっ、ひいいぃ……な、何だ!? 何なんだ、あのおぞましい牛頭の怪物は……!」

「も、もうおしまいじゃ。ああ、神よ……」


 円蓋テント内の格子窓に張りついていたアシェンカーナ族の何人かは、腰を抜かしてへたり込んでいた。


「み、皆の者! 落ち着くのです……!」


 酋長が鎮めようとするが、もはや混乱は治まらない。

 先の唐突な地揺れを受けて何事かと窓に殺到した住民たちだったが、そこから垣間見えた異形の姿に心の底から震え上がってしまったようだ。


 おそらく、誰でも……前後不覚に陥った酔っ払いでも理解できる。

 その異常な威圧感、存在感。人は、その威容を前に本能で屈するのだと。その怪異の圧倒的な力を予見してしまうのだと。


「な!? 『封魔』ですって!?」

「あの外見……たしかに……、でも、そんなまさか……」


 一方、他の網目から外を窺っていたガーティルード姉妹は、その発言をした人物――ナスタディオ学院長を振り返った。

 少し離れた位置で座り込んでいる御者の兵も、信じられないような眼差しを向けている。

 いつも奔放な、しかし豊富な経験と知識を併せ持つ学院の責任者は言い放つ。常には見せない、極めて鋭い表情で。


「間違いないわ。外見の特徴は完全一致するし……何より、アンタたちも見たでしょ? あの怨魔には……明らかに、『攻撃術が効いていない』」

「……怨魔補完書の記述と一致する」


 姉妹の隣に位置取ったレノーレがこくりと頷く。そのメガネ越しの瞳も普段とは異なり鋭い。


「な、なんなの……どうしたのっ、あの牛みたいな顔したやつ、なんなの!?」


 恐る恐る後ろから覗いていた彩花が、真っ青な顔で一同を見比べた。

 先ほどこの覗き窓に近づいた際、牛面の怪物の足下で横たわるヨーダンの姿に気付き悲鳴を上げかけた彼女だったが、どうにかそれを飲み込んでいた。光の加減で遺体に影が落ちており、凄惨さがここからでは確認できないことも幸いしたのだろう。

 おろおろする彩花に対し、レノーレがその情報を開示した。


「識別名、ガビム・ガヴジーン。『封魔』『歩み寄る死』『流刑者』など、多くの異名で呼ばれる牛面猿身の怨魔。カテゴリーはA。隆起した筋骨から繰り出される攻撃は規格外の一言で、単純な物理による戦闘能力だけであればSクラスの上位と比べても全く引けは取らない。事実、邪竜ファーヴナールをも殴殺したとの言い伝えが残っている。しかし何より特筆すべきは、受けた攻撃術の効果を大幅に軽減する特異な体質。これにより直接戦闘によって打ち倒すことは実質不可能とまでいわれており、少なくとも今日こんにちに至るまで人の手による討伐事例は確認されていない」

「た、倒せたことがないのっ!?」


 声をひっくり返す彩花に対し、いえ、とクレアリアが補足する。


「飽くまでいち個人では、という話です。国家や軍が対処した、という事例はいくつか残っています。……しかし……」


 言い淀んだ妹の後を、ベルグレッテが引き継ぐ。


「そうね……。それも、数百発もの矢弾を叩き込んでようやくどうにか追い払ったとか、街に誘い込んで丸ごと焼き払うことで辛くも撃退したとか……。なにより有名なのは、北東の水都グリンシャールの言い伝えよ。城下町付近に現れたこの怨魔に徹底抗戦した兵団だったけど、劣勢に追い込まれてしまって……王国軍は最終的に、立地を利用した奇策でどうにか脅威を退けることに成功したと」

「奇策って……?」

「海に面した地形を利用して、相手を船に誘い込んだの。そして、怨魔を乗せたその船を海へと流すことでどうにか排除したの。この言い伝えから、ガビム・ガヴジーンは『流刑者』とも呼ばれるようになった……」


 王国軍ですら武力による『死刑』は執行できず、やむなく『流刑』に処すことでどうにか事態を収拾した。

 クレアリアがやや青い顔で続ける。


「……『歩み寄る死』という別の異名も、この言い伝えに端を発しています。ガビム・ガヴジーンの移動手段は、その二本の足による単純な歩行のみ。空を飛ぶことも、水場を泳いで渡ることもできはしません。聞くところによると、走ることすらあまり得意ではないのだとか。その移動能力の低さこそが、この怪物をカテゴリーAに留めている要因でもあり、姉様の仰ったグリンシャールの戦いにおける勝利の鍵となった部分でもあるのですが……しかし反面、陸地であればどこまでも歩いて迫ってくるのです。人の身では打ち勝てない、相対すれば確実に齎される『死』そのものが……」


 レノーレが静かに顎を上下させる。生唾を飲み込んだようだった。


「……まさか、今の時代に……こんな形で遭遇するなんて、思わなかった」


 震える息を吐いたベルグレッテも、同じく。


「……ええ。それこそグリンシャールの言い伝え以降、この周辺諸国で『封魔』が確認されたなんて話は聞かなかった。おそらく、少なくとも五十年以上は……。まさか、この目で実際に見ることになるなんて……」


 そして、ナスタディオ学院長が最後に締め括った。


「で、神詠術オラクルを受けても大幅に減衰するその体質から、神の恩恵をも封じる魔の眷属……『封魔』と呼ばれるようになったってワケ。ただ、この異名にはもう一つ別の意味があって――」



「――現れてはならない存在。どこか、人の目につかぬ地の底にでも封じられておくべき怨魔。ゆえに『封魔』、ってね」



 彩花が小刻みに首を横へと振った。


「無理じゃん……そんな、もう伝説の怪物じゃん。にっ、逃げ、逃げましょ。今すぐ。逃げる、よね!? ね!?」


 彼女の気持ちはベルグレッテとしても理解できる。こんな話を聞かされれば当たり前だ。

 だが、それは現実的ではない。

 今この場には自分たちの他に、十数名のアシェンカーナの住民らがいる。そして、周囲は深い森。

 いかにガビム・ガヴジーンの移動能力が低いとはいえ、夜神が不在となる晩に、非戦闘員……ましてや女性や子供も多い団体で夜の森の中へ逃げ込むなど無謀の極みだ。

 彩花をどうにか落ち着かせようと言葉を考えるベルグレッテだったが、


「そーね、ベルグレッテ。酋長さんと協力して、まずは固めた出入り口を空けるよう動いてもらえる?」


 ぐぐっと伸びをしたナスタディオ学院長が、当たり前のようにそんなことを言い放った。


「が、学院長!?」


 少女騎士が見上げると、そこには笑みの消えた『ペンタ』の顔があった。


「率直に言うわ。アタシが闘るにしても、ちょっと周囲に気を払う余裕はない相手よ。ここは海どころか山のど真ん中、島流しにもできないしねぇ。せっかくの機会だから『封魔』を初めて倒した人間になってみるのも悪くないけど……その結果、周りの人がみーんな巻き込まれてました、じゃ洒落にもならないし意味もないからねー」

「なっ、学院長、それは……」

「――早くなさい。いくら鈍重でも、そこは怨魔よ。奴がその気になれば、人なんて簡単に捕まる」


 気のせいだろうか。メガネ越しに見える学院長の鳶色の瞳に、汚濁した金色がちらついたように思えた。


「……っ、」


 少なくとも、ベルグレッテの知る限り初めてだった。このナスタディオという人物が、ここまで危機感を露わにしたのは。


「承知、しました……!」


 立ち上がる。とにかく、動くべきだ。

 ベルグレッテとクレアリアは酋長に呼びかけ、出入り口を塞いでいる椅子や棚の撤去に取りかかる。事情を知った住民たちも協力を始めた。


「馬は無事だろうか……」


 その様子を見守る御者の兵士が不安げに呟く。

 実際、仮に馬車を引く馬がやられていれば旗色は悪い。徒歩で逃げるしかなくなる。


「あ……、流護っ……流護は、どこ!?」


 彩花がハッとして格子窓に取りつくと、そんな少女の肩に学院長が手を置いた。


「彼も今や一人前よ。こうした状況判断もできるようになってる。心配しなくても、上手く凌ぐ……、ん?」


 言葉を切った学院長がメガネの縁に触れて目を細める。


「流護っ……!」


 円害テントの外。

 微動だにせぬ異質な怨魔を遠巻きに囲む戦士たち。

 そこへ、彩花が案じる彼がやってきた。

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― 新着の感想 ―
ファーヴナール殴り○したは草 リューゴいけるか?
殴り合い上等な怨魔きたる。 近接戦闘特化型ということでオーグストルスの上位互換ですか。
流護のターンきたー! 待ってました!!
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