636. 災禍の種
「まさか、オーグストルスとは……!」
レヴィンの放つ光が差し込んでくるテント内で、網目から外を覗いたクレアリアが驚きの声を滲ませる。
「な、なになに!? なにが来たの!? やばい相手なの!?」
「…………外にいる人たちならば、問題なく対応できる相手です」
彩花の問いにそう応じるクレアリアだが、返答にわずかな間が生じたのは、その怨魔の脅威のほどを熟知しているからに他ならない。
カテゴリーBの頂点、オーグストルス。凶暴性と殺意を惜しげもなく撒き散らす、危険極まりない外敵。その威圧的な姿から推し量れる通り牙や爪、殴打などが主な攻撃手段となるが、強靭な四肢を礎に繰り出されるそれらがあまりにも脅威的。
外にいる者であれば対処可能、との言い回しをしたクレアリアだが、これは彩花を安心させるための方便だ。らしくもない、若干の『嘘』が織り交ぜられた返答。
この怨魔を相手取り勝利が望めるのは、流護やレヴィンなどの限られた強者のみ。並以上に手慣れた戦士であっても、戦闘すら成立せず一方的に虐殺されるだけとなりかねない。『銀黎部隊』ですら、対応できる者は限られる。それほどの難敵。
「……あのアキムという人物が言っていた、調査で見つかったっていう大きな足跡は……」
「ええ。オーグストルスのものだったと考えて間違いないでしょう」
レノーレとクレアリアが答え合わせをするように頷き合った。
――とにかく、一気に事態が動いた。
レヴィンの雷光球によって形勢がこちらに傾くかと思いきや、オーグストルスが出現。
アシェンカーナ族の中には、外から差し込んでくる眩さに対し祈りを捧げる者も現れている。確かに、『白夜の騎士』が放つその輝きは悪しきを祓う浄化の光さながらだ。
「んー、それにしても変わってるわよねー。確かに別種の怨魔同士で結託するコトもあるっちゃあるけど、ドボービークに松明を消させるなんて。そんなまどろっこしい真似するよーな性格かしらね? あのオーグストルスが。あんな頭の悪そうなツラして」
学院長が納得しかねる風に唸ると、レノーレがいつもの無表情で反応する。
「……オーグストルスは簡単な道具を扱う知能もあるし、そういった手段を使うこともありえるとは思う。……ただ……」
言って、彼女はその静かな瞳をテント内で寄り固まるアシェンカーナの人々へと向けた。
(……そう、なのよね)
博識なレノーレは違和感に気付いている。ベルグレッテも、そこが引っ掛かっていた。
オーグストルスならば、狡猾さからそういった搦め手を使うことも充分に考えられる。
が、そこまでの頭脳を有していれば、察するはずなのだ。アシェンカーナの集落の戦力が、自分たちにとって脅威たり得ないことを。
村民たちは狩りのために多少の武器こそ扱うものの、怨魔と渡り合えるような武力がある訳ではない。だからこそ、ドボービークの存在に気付くなりダスティ・ダスクへ討伐を依頼した。
その気になれば容易に里を壊滅可能、と判断できたであろうオーグストルスが、なぜこのような回りくどい真似をするのか。さすがに、今夜ダスティ・ダスクが応援に駆けつけることまでは事前察知できていたはずもない。
未だ明らかにならない部分の多い怨魔と呼ばれる存在だが、それでも突飛な行動の要因について推測できることがある。
(……たとえば、あのドラウトローと同じように……)
『他に根本的な原因があって、異常行動を起こしている』。
(…………)
これは杞憂か。それとも、現実となり得る災禍の種か。
しばし沈思した少女騎士は、情報を得られる可能性があるその人物に声をかけた。
「あの、よろしいでしょうか。少々お伺いしたいことが」
「はっ、じ、自分にですか!? はい、何でしょうか!」
生真面目に身体の向きごと変えてくるその相手は、一行の乗る馬車の御者を務めていた兵士だ。年若いバルクフォルト正規兵の青年である。
どことなく、バダルノイスの一件でかかわった青年兵士ヘフネルを思わせる不慣れ感と実直さが漂う。妙に緊張気味で頬を赤らめているのは、やはり自分が異国の貴族だからだろうと少女騎士は推測した(クレアリアがいつものことながらムッとしているが)。その立場を威圧的に感じさせないよう心がけつつ、ベルグレッテは彼に尋ねる。
「このバルクフォルトにおいて、近頃……なにか変わった事象などは確認されておりませんでしょうか? 普段と違うことが起きた、妙なものが見つかった……など。どんな些細な内容でも構いません」
「う、ううむ。変わったこと……ですか。そうですね……」
まさにちょうど一年前。あのファーヴナールの一件では、その出現に影響を受けたドラウトローがこれまでの常識からは考えられないような行動を取った。
同じように、どこか別の場所で起きた出来事が、遠因となって怨魔の異常行動に繋がっている可能性は充分に考えられる。
「ええと……でしたら、少し前の話となりますが……おそらく皆さんが我が国にご到着される直前ぐらいでしょうか。少し大きめの地揺れが起きまして、近隣の町村で石壁が崩れるなどの被害が出たことがありました」
「ええ、それでしたら存じております」
確か、発生は自分たちがバルクフォルトに到着する前日だ。
道中の馬車でクレアリアとレノーレが話題に出していたし、ベルグレッテ自身も闘技場で再会したレヴィンからそういった話を聞いている。
「して、ここから遥か東のアーリルグリーン山岳地帯……その麓で、今までに見つからなかった洞穴が発見されたのです。とても存在に気付かない規模ではなかったので、おそらく今回の地揺れで岩場が崩れ、埋まっていたものが現れたのだろうと。内部の様子から、相当古い天然の洞穴であると推定されたそうです」
ありえる話だ。むしろ、地面が割れて大穴が開いた訳ではないだけ王宮関係者は安心しただろう。
「それで……その現場を、『サーヴァイス』のミードルイア様が検分なされたのですが」
「! ミードルイア殿ですか」
目を丸くしたのはクレアリアだった。
ミードルイア・ジル・ヴァーレンウッド。『サーヴァイス』の二番手に位置づけられる、壮麗な女性騎士である。騎士の家系出身で、ガーティルード姉妹も面識がある間柄だった。
「おおー。元気にしてんの? ミッチー」
「み、みっちー……?」
そこでナスタディオ学院長が当たり前のように口を挟むと、兵士は目を白黒させた。
ちなみに、ミードルイアの二つ名は『三千風』。それを転じて、学院長は『ミッチー』と呼んでいる。
ミードルイアと学院長は旧知の仲。しかもざっくばらんとした性格同士、かなり気が合うらしい。ベルグレッテとしては、外見や雰囲気も似ているように思う。
「あっ、話の腰折ってごめんなさいねー。ミッチーならどうせ元気だろうし、聞くだけ無駄だからやっぱいーわ。お話の続きを~」
「え、ええ、承知しました。して……その洞穴についてなのですが、奥行きはさほどでもなく、何も発見できなかったとのことです。が……ミードルイア様曰く……『何者かの寝床か、もしくは忌まわしき存在が封印されていた祠のようにも見える』と……」
「……」
「実際に祠などがあった訳ではないのですが、ほの暗い洞穴の景観が、そのように思わせたとの話だそうで……」
「なるほど……。…………」
沈思するベルグレッテの一方で、クレアリアはさして驚いた風もなく目を平らにする。
「ミードルイア殿は機知に富んだお方ですからね。いかにも言いそうですね」
学院長もうんうんと首を動かした。
「そーゆー小賢しい言い回しするわ、ミッチーなら。……で、」
そのうえで、年長者は少女騎士が思う懸念を正しく言い当てる。
「……実際にその言葉通りだったら……とか、思っちゃうワケね? ベルグレッテは」
「……、はい」
「……それが、今回の怨魔たちの行動に影響を及ぼしている、と……」
レノーレの要約にも首肯する。
「実際に、何かがそこにいたらしき形跡はあったのですか?」
クレアリアが問うと、兵士は首を横へと振った。
「いえ、それらしき痕跡はなかったと。体毛などを始めとした、一切がです。ただ、周辺一帯が乾燥した岩場ということもあって、仮に何らかの生物がそこにいたとして、足跡なども残らなかっただろうと推測されているそうですが……」
これは杞憂か。それとも、現実となり得る災禍の種か。
「……体毛の類も見つからなかったのであれば、実際に何かがそこにいた可能性は低そうとも思える」
「ミードルイア様たちも、そのように判断されたと聞いています。念のため変わったことが起きていないか確認し共有する指示は出ていますが、特に周辺で気になることもなく……」
レノーレの推測に対し、兵も唸った。
現実的に考えるならば、そうなるのだろう。
「あ、あの」
ここまで黙って聞いていた彩花が控えめに手を上げる。
「その洞穴って、地震……地揺れが起きるまで、ずっと塞がってたんですよね。なら、何かがいた可能性って低いんじゃ……? 食べ物とかだって、なさそうだし……」
希望が多分に含まれたその意見に対し、レノーレがふるふると首を横へ回す。
「……そうとも限らない。……長い間に渡って休眠していた可能性もある」
学院長が唸りつつ便乗した。
「そーねー。さすがにアタシも実際にお目にかかったことはないけど、百年単位で眠るよーな怨魔とかもいるらしいしね。もし、ミッチーですら痕跡に気付かないような何かがそこにいたんだとしたら……ちょっと、タダモノじゃなさそーよねー」
口ぶりから、半ば冗談なのかもしれない。というより、明らかに怖がる彩花の反応を見て楽しんでいる。
「………………」
しかし。ベルグレッテはその目で見て、その身で経験してきた。
この世界には、自分の考えの範疇では到底計り知れないような事実が存在すると。
そして。
それらは、唐突に……何の前触れもなく、降りかかってくるのだと。