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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
15. 皓然のフロウ・ライン
632/667

632. 夕闇の戦士たち

 逃げるようにテントの外へ出ると、そそり立つ山嶺の向こう側へ太陽ことインベレヌスが沈もうとしているところだった。この昼神が完全に姿を隠せば、見違えるように夜の闇が舞い降りるだろう。


(やっぱ、月もほとんど見えないしな)


 巨大にすぎる存在感を放つはずの衛星は、分厚い雲間の向こうに霞んでいる。

 時刻はじき夜九時になろうとしていた。


(……)


 しかし、つくづく狂った世界だと現代日本の少年は改めて実感する。

 たった今、妙な恥ずかしさからテントを出てきたが、このまま敵が来て戦闘に突入し、仮に戦死するようなことがあれば、これが彩花やベルグレッテたちと今生の別れになる。もちろんそんなつもりなど更々ないが、いつ唐突に『終わり』が訪れるか分からない。


 死は、いつもすぐ隣で息を潜めているのだ。

 ……一年ほど前、別れを告げて自分の前から去っていった一人の少女。二度と見ることのできないその笑顔が思い起こされた。


「……さて」


 ダスティ・ダスクの手によるものだろう。テントに入るまではなかった松明が各所に設置され、ぼんやりと周辺を照らし出している。

 行き来している人影は、ほぼ全員が傭兵。作戦内容について確認しているのか、ちらほらと黄緑装束の村民の男たちの姿も垣間見えはする。

 ちょうど脇を通り過ぎようとした傭兵たちが、流護を一瞥した。目線が合ったのも一瞬のこと、


「それで……どこで仕入れたのか、商人が蟹の肉を安く売りに来てたんだと」

「ああ。そんなに安いのか?」

「らしい。かなり大量に仕入れたとかって話だ」


 こちらに関心を示すでもなく、会話をしながら通り過ぎていく。さすが歴戦の傭兵たち、いつ敵が来るとも知れない状況下でも緊張はないようだ。

 テントを回って右側へ出ると、がらりと開けたその中心部にキャンプファイヤーに似た組み木が用意されていた。ここで餌を焼き上げ、ドボービークを誘い入れるのだ。


(広さは充分……足場も悪くない、と)


 足下の芝生を踏み鳴らし、その感触を確かめる。

 彩花は心配しているが、今回はこれまでの仕事と比較しても各段に楽な部類だ。ドボービークなど、さすがに今の流護にとって手こずるような相手ではない。……数にもよるだろうが。


 臨戦態勢が整いつつある広場の様子をぼうっと眺めていると、横合いから誰かが近づいてくる気配に気付く。

 ダスティ・ダスクのオルケスター疑惑がまだはっきりしていない以上、もちろん油断をしているつもりなどない。目線だけをそちらへスライドさせると、やってきたのは見覚えのある男だった。


「よう。話は聞いたぜ、兄ちゃん」


 腰に下げた曲刀、いかにも荒くれ然とした人相の悪いひげ面の男。


「えーっと……門番の、エーランドさんに踏まれてた人」

「妙な覚え方をするない、続ければ負けちゃいなかった。ヨーダンだ」


 いかにも苦い顔を作って舌を覗かせてくる。強面ながら、意外とそうした仕草には愛嬌が感じられた。


「お前さん、レインディールの遊撃兵なんだって? 噂に聞いたことはあるぜ。いやまさか、こんな小僧っ子とは思わなかったが。まっ、とりあえずお手並み拝見といかせてもらおうかね」


 隣に並び、かっかっと豪快に笑う。と思いきや、そのにやけ面がふと真顔へ変わった。


「……ところであんたらよ、どこかでお頭に会ったのか?」


 その真剣極まる表情だけでも察せられる。ガーラルド・ヴァルツマンという男が、彼らダスティ・ダスクにとってどれほど拠りどころとなる存在だったのかが。

 そして、


(……この人がもしオルケスターだってんなら、随分と演技派ってことになりそうだな……)


 一年以上、帰ってくることも音沙汰もない。そんな行方知れずの頭領を、心から案じている。そんな雰囲気。

 実は裏でヴァルツマンとしっかり繋がっていて、流護たちを謀ろうとしている――と考えるには、少し無理矢理感があるほどに。


「いや。ちょっと仕事の関係上、訊きたいことがあるってだけすよ」


 まだ時間もありそうだ。今、このヨーダンに色々と尋ねてみてもいいかもしれない。が、流護にベルグレッテのような洞察力はない。この男が実はオルケスターの一員で、こちらを巧妙に騙そうとするやり手だった場合、頭脳戦で張り合える自信はない。やはり先走らず、まずは怨魔討伐に専念すべきか。


「そうかい。ま、そんなら詳しくは聞かんさ。後で副長と話でもしてくんな」


 ヨーダンもヨーダンでさして粘ることもなく、あっさりとそう言い残して去っていってしまった。


 それからも集落内を歩き回ってみるが、特に傭兵たちの中に怪しそうな者は見当たらない印象だった。不自然にこちらを意識している者はいないと思える。


(いやまあ、俺程度が見破れるもんでもないんだろうけど)


 そうこうしていると、またも見知った顔を発見する。

 傭兵ではない。短くまとめた金髪がサラサラな、丸っこい童顔の少年。しかし、その身に纏う軽装鎧の色彩は、夏の海を思わせる青緑。このバルクフォルトにおいて、精鋭部隊に所属する騎士である証。


「お、エーランドさん」

「遊撃兵殿ですか」

「出てきたんすね」

「ええ。遊撃兵殿がアヤカ殿とのやり取りであんな甘酸っぱい空気を作り出すものですから、どうにも居づらくなってしまいまして」

「!?」


 しれっと言われ、流護は思わずのけ反る。


「いえ、冗談ですよ」


 ……この人、こんなキャラなのか。

 考えてみれば、エーランドと一対一で話すのはこれが初めてだ。


「いや、何か勘違いしてるみたいっすけど。彩花とは子供の頃からの腐れ縁ってだけで、何でもないんで」

「はあ。青春ですねえ」


 この野郎。


「そういうエーランドさんは? あのリムって子と、なんかアレなん?」

「は!? ちっ、違いますよ!」


 そっちがそういうつもりなら、とカードを切ってやると、彼は覿面にうろたえた。国家精鋭部隊の一員とはいえ、そうした表情は年相応の少年のもので何だか安心する。


「でもあれか。あのリムって子、あのローヴィレタリアさんの娘さんなんすよね。はー……ってこた、あの人が義理の父親になるんかあ……バルクフォルトの超大物だもんなあ……色々と大変そうっすねぇ……」

「遊撃兵殿、おれも貴方と気軽に話していいですか? 今、すごく罵りたいんで」


 どちらともなく吹き出す。

 エーランドとは同い年だ。むしろ、そちらのほうが自然だろう。そうしようと同意すると、彼は屈託のない笑顔を覗かせた。


「じゃあリューゴって呼ぶ。おれのことはエーランドでも、エランでもいい。いややっぱり、エランはもう少し仲が深まってからにしてくれ」

「じゃあ間を取ってエンドにしようかな」

「あんた、ひねくれ者って言われないか?」


 意外に会話のテンポがよく、馬が合う気がした。


「エーランドって、その歳で『サーヴァイス』の上位なんだっけ? やるじゃん」


 そもそも『サーヴァイス』がどれほどの集団かよくは分からないが、レインディールの『銀黎部隊シルヴァリオス』、レフェの『十三武家』、バダルノイスの『雪嵐白騎士隊グラッシェラ・デュエラ』に相当する組織と考えれば、超一流と評していいことは理解できる。


「上位、って言えば聞こえはいいけどね。おれは五番目だよ。そもそも、『サーヴァイス』は上の四人が突き抜けて凄腕すぎてね。おれなんか、まだ全然及ばない。正直、何度も挫けそうになってる」


 遠く沈みゆくインベレヌスへ目を細めつつ、彼は拳を握る。


「でも、いつか絶対におれが一番になる。そして、レヴィン様をお支えするんだ」

「って、今も支えてるんだよな?」


 傍から見ている分には、部下としてしっかり付き従っているように思える。が、若き精鋭は悔しげに首を横へ振った。


「いや、心から頼られてる訳じゃない。まだ、あの方に背中を任せていただけるには程遠い」

「はあ。あんたは何でそんなに、レヴィンに忠誠を誓ってる感じなんだ?」

「おれは、小さな頃から間近であの方を見てきた。今や大陸で知らない者はいないほどの存在になられたが、もちろんそこまでの道のりは決して平坦なものじゃなかった。そして、これからもね。今日だって、激務の合間を縫ってこの場へやってきている。明朝すぐにここを発って城へ戻っても、やらなきゃいけない仕事が山積みになってるよ」

「っても、ここに来るって言い出したのはそのレヴィンな気もするけど……」

「そうさ。そういうお方なんだ。困っている民がいれば、捨て置くことなど決してなさらない。まさに騎士の鑑だ」


 集落の中央に鎮座する大きなテントを流し見つつ。


「そんなあの人を、おれは少しでも支えたい。それだけさ。…………まして、その使命に挫折しちまった奴がいるからね」

「?」


 ふとエーランドが見せた悲しそうな横顔――の意味を尋ねるより早く、今度は彼が興味津々な目を向けてきた。


「そういうリューゴこそ、随分と変わり種だ。噂は聞いてたし、ただ正直言えば色物だと思ってた。陛下の全力をああも完璧に凌いだ以上、もうその実力は認めざるを得ないけどね。悔しいけど、あんたは間違いなく今のおれよりは上だろう。もちろん、レヴィン様には及ばないけどな?」


 と、歯を剥いて笑う。何というか、最後のその一言、その主張は譲れないらしい。


「リューゴ、あんた……謁見の時、最強を目指すだとか言ってたけど……本気なのか?」

「いやまあ、本気かな」


 即答すると、エーランドはどこか諦めたみたいな苦笑を浮かべた。


「やっぱり変わってるよ、あんた。……さて、話も尽きないけど……そろそろ準備をしておいた方がよさそうだ」


 エーランドの言葉に倣い辺りを見渡すと、一段と風景が暗さを増していた。橙色の輝きは気付けば山の向こう側へと消え去っており、確実に夜と呼べる時間に差しかかっている。

 広場の中央を見やれば、傭兵たちが餌罠の準備に取りかかり始めたところだった。


「おおっと、そろそろ料理の時間みたいだ。おれはもう少し事前に戦場を把握しておこうと思うが……あんたは?」

「そうだな……テントに戻る……のも時間的に微妙か。その辺で座って様子でも見てるよ」

「分かった。じゃあまたあとでな、リューゴ」

「おう。始まった時に遅れるなよー、エーランド」 


 距離の縮まった挨拶を交わし、それぞれ反対の方向へ別れる。ここからは一時隠れて、ドボービークたちがやってくるかどうか様子を窺う。

 流護は近場の家屋の陰に腰を下ろし、展開を見守ることにした。

 ざぁ……と、周囲の森が風にさざめく。


「…………」


 吹き抜ける空気が、温い。それは単純に春風ゆえの暖かさといったものではない。どこか粘性を纏うような、心地よさとは対照的な肌触りの悪い風。


(……来るな、これは)


 確証はない。ただ、そんな漠然たる予感があった。

 怨魔たちは、間違いなく来る。兵士として培われた勘が、そう告げている気がした。


 さて、そもそもが小さな里である。

 尻を下ろして緋色の残滓が引いていく夕空を眺めていると、またも見知った顔が通りかかった。


「おお……ここにいたんだね、リューゴ殿……くん」

「ぷっ。わざわざ言い直さんでも」


 思わず吹き出すと、その人物――レヴィンは照れくさそうに笑みを見せる。


「いや、やはりアルディア王が選別なされた遊撃兵に、このような喋り方では……」

「気にすんなって。むしろ堅苦しい話し方のが疲れるから、楽にしよーぜ」

「……君がそう言うのなら」

「おう。で、何してん? 見回りか?」

「うん。事前に戦場や周囲の環境を把握しておこうと思ってね」


 エーランドといい、騎士として生真面目と評するべきか。


「そういうリューゴ君は?」

「襲撃待ち」

「はは、肝が据わっているね」


 微笑む『白夜の騎士』だが、流護から見れば彼とてこれから戦を控えている人間には到底見えなかった。


(……)


 大陸にその名を轟かせる英雄。ベルグレッテたちとは旧知の間柄である貴族騎士。

 先入観や闘技場の夜の一件もあり、このレヴィンに対し好印象を抱いていたとは言い難かった流護だが、馬車内での会話やここまで見てきた人となりによって、少なからず心象は変化していた。


「……情けない話だよ」


 ぽつりと青年騎士が零す。消えゆく陽、その残光の中でそう呟く切なげな横顔すら、絵画から切り取った場面のように様になっている。


「英雄だの何だのと持て囃されていながら……僕は、こんなにも身近にいる人たちすら救えていない。彼らアシェンカーナ族との問題に対し、有効な解決策も見つけられずにいるんだ」


 そんな懊悩に沈む彼に対し、現代日本の少年は座って空を見上げたまま言った。


「神様じゃないんだから、そらしょうがねぇよ。何でもかんでも完璧にできるって訳じゃないだろ。それに、少なくとも今日はこれから救えるじゃん。とりあえず、それで良しにしようぜ。今日のこの一件が、これからの何かの切っ掛けになるかもしれんしさ」

「リューゴ君は……、考え方が柔軟だね」

「いやいや、ベル子とかあんたみたいな騎士があんまりにも真面目すぎるんだって」


 と、そこで流護はふと思い出したことを尋ねてみる。


「そういやあさ。こないだの闘技場の夜、なんかベル子に俺のことを訊きまくってたとか聞いたんだけど……」

「! やや! これはお恥ずかしい!」


 何が「やや!」だと思う少年だったが、まあ反応は素直に面白い。


「その、特に他意はないよ。噂の数々を聞き及んでいたので、どんな戦士だろうと気になって……」


 ベルグレッテによれば、それで朝方まで話に付き合わされたとのことだったが……。


「あー……やっぱあれか? あんた、このバルクフォルトで一番強い訳じゃん? やっぱ、他に強い奴がいるとかいうと気になるとか」

「……そうだね。それもある。ただ、僕が興味を抱いているのは……その人物は、どんな心持ちで戦っているのだろうということさ」

「心持ち?」

「強き者には、自ずと皆の耳目が集まる。多くの人々の関心を引いた状態で、どのようにして立ち回っているのだろうと。行動や発言如何では、失望されてしまうこともあるかもしれない。どのように注意を払い、考え、振る舞うことが最良なのだろうと。気付けば、そんなことばかり考えていてね……」

「そうなんか。俺はそんなん、考えたことすらねーな」


 えっ、としゃっくりみたいな声。見れば、こんな顔をするのかと思うほど間の抜けた表情を晒している『白夜の騎士』。苦笑しつつ、少年は飾らない言葉を紡ぐ。


「俺なんて、ヴォルカティウス帝との謁見で言ったことが全部だよ。最強になる。そうすることで、周りの奴らを守りたいだけ。あとは、適当に生活に困らなければどうでもいい。他人が俺をどう思おうが、知ったこっちゃない。顔も知らない誰かの期待に応えようとかは思わないし、それで失望するなら勝手にしてくれって感じかな」


 ただ、と言葉を繋いで。


「今回みたいに、困ってる人がいるなら助けることは全然やるよ。でもさっきも言ったけど、神じゃねえんだ。俺も、あんただってさ。そうやって、無理のない範囲で自分にできることをやって……って感じかな。それが広がっていって、最終的に世界平和とかになりゃいいよな。もちろん、そんな簡単な話じゃねえんだろうけどさ」

「……そうか。そういう考え方も、あるんだね」

「何も参考にならんで悪いな」

「いや。とても心に響く話だったよ。ありがとう」


 社交辞令なのか、本当にそう思っているのか。流護には、今ひとつ判断がつきかねた。

 と、そこで何とも表現しがたい独特な香りが漂ってくる。


「お。始まったか」


 その出所を探せば、広場中央に用意した罠の餌が白い煙を立ち上らせていた。


「そうだね。そろそろ持ち場につくとしようか。ではリューゴ君、ご武運を。戦神の加護があらんことを祈っている」

「おー。適当に頑張ろうぜ」


 背を向けて去っていく生真面目な騎士を見送り、少年は準備運動がてら肩を回し始めた。

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― 新着の感想 ―
ミネットのこと思い出したのかな… 懐かしくて最初を読み返そうと思ったら十数年前でヒュッとなりましたよ。
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