629. 血脈の贖罪
夕日が照らす中、再出発した馬車に揺られながら。
「……申し訳ありません、皆さん。勝手に決めてしまって。付き合わせる形となってしまいました」
レヴィンが悲しみに暮れたような顔で切り出す。あまりにその表情が切なそうだったため、流護は思わず咄嗟に応じた。
「いや、いいっすよ。どうせ、ダスティ・ダスクをこのまま行かす訳にもいかなかったんで」
「……ありがとう、リューゴ君」
「いや、俺は別に……レヴィンさ……レヴィンのためじゃねーし……? って感じで?」
先の移動中に交わされた、友達のように呼び合おうという提案。それに沿ったやり取りである。改めて意識すると何だか気恥ずかしいが。
そして、隣の彩花がなぜかご満悦で頷いている。視線が合うと、こっそり親指を立ててきた。つい今さっきまでビビリ死にしそうだったくせに、男同士のやり取りを『そっち方面』に変換してしまう感性は平常運転らしい。
――さて。
再び馬車に乗り込んだ一行は、帝都へ帰還するのではなくさらに北上。
前方には、ダスティ・ダスクの団員が乗り込んだ馬車が三台連なって走っている。流護たちの車両は最後尾から追走し、計四台の馬車が一列となって進んでいる状態だ。
「しかし……レンジョー殿……いえ、アヤカさんも、重ね重ね申し訳ありません。次の行き先では、確実に戦闘が発生することになります」
「あ、はいっ、えっと、大丈夫です、お構いなくっ……」
レヴィンに謝罪を向けられると、改めてといったように彩花も緊張を取り戻す。ちなみに気軽に呼び合おう企画の一件で、流護と同じく彩花も名前で呼ばれることになった。
「ご心配なく、アヤカ殿。相手はドボービークのようですし、それでしたら山賊団よりも楽な相手ですので」
「規模にもよるけどね……」
と、ガーティルードの妹と姉。
「さすがに、原初の溟渤ん時みたいなことはないだろ……」
流護も、かつての出来事を思い出して天井を仰ぐ。姉の感想に心底同意しつつだ。
識別名、ドボービーク。カテゴリーはD。体長は四十センチほどで、ほとんど二頭身。大きな顔の横まで裂けた口が笑みのような表情を象り、その上部には血走った眼球がふたつ。身体は薄汚れた緑の長い体毛に覆われており、周囲の草葉や苔に紛れる保護色。直立二足歩行で俊敏に動き回る、小型の獣人のような怨魔。
流護とベルグレッテはかつて、原初の溟渤への遠征時にこの怨魔の大群と交戦している。一匹の戦闘能力はさほどでもないが、数が多ければ相応に厄介な敵だ。
「原初の溟渤で何が?」
尋ねてくるレヴィンに、流護は当時を思い起こしながら語った。
「いや、ドボービークの群れに出くわしたんだけど……二百匹だったっけ? そらもう大乱戦よ。んで結局、そいつらも四体のズゥウィーラ・シャモアから逃げるために移動中だったっていう」
「……聞きしに勝る魔境ですね」
答えると、さしもの『白夜の騎士』ですらやや苦い顔となった。隣のエーランドも示し合わせたように同じ表情で口を開く。
「……こう言っては失礼かもですけど、よく生き残れましたね」
「まあ逆に、そのズゥウィーラ・シャモアが他の怨魔とか猛獣とかを粗方食い尽くしてたみたいで。あいつらさえ倒せば、あとは静かなもんでしたよ」
つくづく、流護たち遠征隊があの魔境を制覇できたのは運に恵まれていた部分が大きい。ロック博士を始めとした研究者らによれば、これほど『当たり』の環境に巡り合うことはそうないだろうとのことだった。
話は戻って、とにかくダスティ・ダスクはこのドボービークの討伐を前もって請け負っており、今夜それを実行するために出発した。
そして、彼らにこの仕事を依頼したのが――
「……アシェンカーナ族……話に聞いたことはありましたが」
ベルグレッテの遠慮がちな声。レヴィンが無言での頷きを返した。
尋ねたそうにしている流護を察したのか、『白夜の騎士』は対外的な作り笑いで口を開く。
「バルクフォルト国内において、古くから外の世界を生きている流浪の民です。十名から二十名ほどの規模で山間部に集落を作り、十数年単位でその住まいを変遷するといわれています。現在は、そうした『家族団』と呼ばれる集まりが国内に十数存在するとのことです」
「一旦定住して子供を作って、その子がある程度育った頃に再び移動する……といった生活を繰り返してるらしいですね」
エーランドが言い添える。
「はあ。でも危ねぇなあ。外には怨魔とか山賊とかいるのに。何で街とかに住まないんだろ」
『新参』の部類ながらこの異世界の厳しさを知った流護としては、そんな暮らしをするなど自殺行為としか思えない。
「……ダメなんですよ。彼らは……どんなに忠言しても、おれたちの……国家の庇護下には入ろうとしないんです」
エーランドが重い声で応じると、レヴィンが静かな口ぶりで引き継いだ。
「……話はガイセリウスが生きた時代に遡ります。当時……国家を統治していた僕らの祖先と、大陸西部を気ままに渡り歩いて暮らすアシェンカーナ族は、良好な関係を築いていました」
遊牧民でもあったアシェンカーナ族は家畜の成果物などを帝都の者たちに分け与え、その対価として国家は彼らの守護を受け持つ。
当時の大陸西部はそれほど危険な怨魔も確認されていなかったため、そうした生活様式が成り立っていたらしい。
そんな持ちつ持たれつの関係が永遠に続く、と誰もが信じて疑わなかったある日のこと。
「突如として、北方よりワルターニャと呼ばれる恐るべき怨魔が現れました。体長は十マイレを超え、その巨大な姿は蟹に酷似していたと伝わっています」
「ワルターニャ……通称『破城』。現代においては目撃情報も確認されていない、伝説的な怨魔ですね。絶滅したのか、それとも……とにかく、昨今の怨魔補完書には掲載されていませんね」
ベルグレッテが補足を入れる。
「ええ。時代背景を考えるならば、これはあのヴィントゥラシア出現の前触れでもあったようで……。伝承によればワルターニャの猛威たるや、もはや移動要塞そのものであったと。鋭く大きな鋏は全てを薙ぎ倒し、堅牢極まる甲殻はあらゆる攻撃を弾き返す。国家大隊を以ってしても返り討ちに遭うほどの存在だったそうです」
相も変わらず怨魔の暴れぶりは天井知らずだな、と流護は心の中で溜息をつく。
「軍隊がワルターニャをなかなか討伐できず手を焼いているうち、この怨魔は南下してとある要人の住まう砦に接近。魔除けの技術も現在ほど確立していなかった当時、もはやその進撃を防ぐ術はありませんでした。……そして」
騎士は重苦しい吐息とともに吐き出す。
「時の権力者は……この要人を逃すために、アシェンカーナ族を囮に使ったのです」
かちり、とはまった気がした。レヴィンの、罪を独白するかのようなその話しぶりが。
「……飽くまで伝承です。僕らも、祖先のその所業を実際に目の当たりにした訳ではありません。ですが……アシェンカーナ族が今も国家を頼ろうとしないことは事実」
それはまるで、再びの裏切りを恐れるかのように。
「おれたちに対し、無視する訳でも明確に敵意を示す訳でもないんですよね。ただ……一切、干渉しようとしないというか」
エーランドが寂しそうな口ぶりで言い添える。
両者の間に『何か』が起きることを避けるがごとく。
そして厳しい野に生きる彼らは、時代とともに少しずつその数を減じていった。
長い年月を経て伝承を知らぬ者も出てきている昨今、アシェンカーナ族が滅ぶのも時間も問題と考えられている――。
(レヴィン……それで、あんな食い気味についてくって言ったのか)
つまり、贖罪だ。
現代日本で生まれ育った流護としては、難儀な性格だなと思う。何も、今を生きるレヴィンやエーランドに非がある訳ではないのに。
「ま、とりあえずその部族の人たちは悪くないし、困ってるなら助太刀はしとくべ。てか、問題はダスティ・ダスクだな。どこまで信用できるかね?」
まだ彼らについては白黒がはっきりしていない。そんな状況で共闘するような流れになってしまった。
最悪、これからの戦闘などのどさくさに紛れて背後から刺される可能性もゼロではない。
「ひとまず、対象を討伐するまでは安全と考えてよろしいかと思います。彼らも怨魔相手の仕事となれば、そちらを片手間にこちらをどうこう……などという余裕はないはずです」
レヴィンがほぼ断言するが、これは実際一理ある。いかに相手がドボービークといえど、群れの規模によっては死傷者も出かねない。歴戦の傭兵団であっても――闇の組織であっても、余計な真似は己の首を絞めることに繋がる。
「あのアキムという男の言葉がどこまで信用できるかは分かりませんが……ヴァルツマンは一年以上戻っていない、などと言っていましたね」
クレアリアが推し量るように言うと、ベルグレッテが細い指先を己の顎先へと添えた。
「そうね。それに……なにか言いかけていたわよね。それらしき心当たりはないけれど、『あえて言うなれば――』って。彼には、ヴァルツマンが戻らなくなったことに関して気にかかっていることがあるんだわ」
果たしてそれは何なのか。是非とも聞き出す必要がありそうだ。
「エーランドさんに転がされて踏まれてたヨーダンって門番のおっさんはともかく、あのアキムって副団長は割と気持ちのいい性格してそうなんだよな。もちろん、まだ敵か味方か分からんけど」
流護が誰にともなく言うと、彩花が見上げてくる。
「あの人……肩が、すごく撫で肩だったね……!」
何だその感想は、と思う少年だったが、せっかくなので『その間違い』を指摘してやる。
「あれは撫で肩じゃねえ、僧帽筋が発達してんだよ。首から肩にかけての筋肉が盛り上がってるから、撫で肩に見えるんだ」
「そ、そうなの」
では、なぜそんなにも筋肉が隆起しているのか。
「……強いですね、あの男は。正直驚きましたよ。こんな近くに、あれほどの者がいるとは」
エーランドが静かな声を滲ませる。
「ああ。ダスティ・ダスクといえばガーラルド・ヴァルツマン……といった評判を聞きがちだったけど、アキム氏も相当な使い手に違いない。きっとヴァルツマン氏が健在の間、彼は裏方に徹していたのだろうね」
レヴィンが生真面目な所感を述べれば、
「副団長であれぐらいとなると、噂の団長はさぞ優れた使い手なんでしょうね~」
レヴィンと同じ『ペンタ』である学院長は棒読みで適当に微笑む。
「……メルと渡り合った時点で、超一流」
そして、その事実を元にレノーレが断ずる。やや複雑そうに。
「とりあえず、その強そーな副団長が敵かどうかは様子見……ってとこだな」
『そうだった』場合のことも考えて備えておくべきだろう。
ひとまず今は、目的地へ向けて馬車に揺られ続ける一行だった。