628. 怜悧なる黒豹
「お気をつけて」
「ありがとう。しばらく待機を頼む。それでは皆さん、行きましょう」
待機する御者の若兵に礼を述べたレヴィンが、流護たち一行へと振り返る。
小高い岩盤の上には、丸太をそのまま立てて並べたような壁が広がっていた。
崖際や周囲の林と一体化したそれは、天然の防備を借りた砦となってその一角に鎮座している。
小脇には三台の馬車が停められていた。御者の姿はないが、ここの住人の所有物だろう。
「あれがダスティ・ダスクのアジトか。不便そうなとこに住んでんなあ」
まあ、不便ということは外敵も近づきにくいはずだ。
流護たち八人は急勾配な岩肌を登りながら、要塞の出入り口と思しき小さな門へと近づいていく。
すると、壁の内側から延びる物見櫓に立った男が一人。何やら下へ向かって合図を出すような素振りを見せる。
「おっと、俺らに気付いたぞ。さて、どう出てくっかな」
ウキウキな流護とは対極、ひいぃと情けなく鳴く彩花にはクレアリアが寄り添い、レヴィンとエーランドが先頭に立つ。流護含め他の者は、いつでも動けるように状況を注視しつつ進む。
いきなり矢を射かけられたり刺客が突撃してきたりするようなこともなく、道沿いに進んだ一行は木で拵えられた簡素な門の前までやってきた。そこには最初からいたのか来訪者を警戒して出てきたのか、立ち塞がる形で一人の男が佇んでいた。
年齢は二十代中盤から三十前後か。黒髪を中分けにし、短い鼻ひげを生やした、垂れ目がちながらも眼光鋭い男だった。そのまぶたの奥には青い瞳が覗いている。
獣の毛皮をそのまま引き剥がして着ているかのような上衣。穿き込んで薄汚れた麻布の下衣。腰には鞘へ収まった曲刀。
見るからに荒くれといった風貌のその人物が、わざとらしいオーバーな素振りで肩を竦めながら口を開く。
「これはこれは。『白夜の騎士』殿に『サーヴァイス』のお方が、こんな辺鄙な場所にどんなご用で?」
実際、バルクフォルトの精鋭がやってきたことに驚きはしている様子。
目を丸くして問いかけつつ、男は眼前のレヴィンらとその後ろに控える流護たちをあからさまに見比べた。品定めするかのような視線は、一行の関係性を探っているのだろう。
誰もが知る『白夜の騎士』に連れられる形でやってきた、身分も生まれも明らかに違う少年少女たち(と大人の学院長)。
流護が向こうの立場だったとしても、どんな集まりなのかと疑問に思うことは間違いない。
そして、
(……俺とベル子……ついでに彩花を見ても特に反応なし、か)
もちろん、それだけで安易な判断はできないところだ。
レヴィンが一歩進み出て男に語りかける。
「自己紹介は不要なようですね。唐突な訪問となったこと、何卒ご容赦ください。ところで……不躾ながら代表の方にお会いしたいのですが、いらっしゃいますでしょうか?」
「――」
門番の男の双眸がわずかに窄まる。
「何のご用かは知りゃぁせんが……話なら、俺が聞きますぜ?」
にこやかに表情を崩すも、しかしその目は笑っていない。
エーランドがレヴィンの隣に並び、男の意識を引き寄せた。
「聞こえなかったですかね? レヴィン様は、代表に用事があると言ったんだが」
「坊やこそ聞こえなかったかい? 話なら俺が聞くと言ってんだ」
平坦な視線で睨み合う双方。
「せっかく気遣ってるのに無碍にしないでほしいね。三下の出る幕じゃない、ってハッキリ言わないと分からないかな、おじさん」
「その台詞はそのまま返すぜ、坊主。『白夜の騎士』直下の精鋭部隊って言やぁ聞こえがいいが、ようは太鼓持ちだろうに。ご主人様の威を借りてあんまり偉そうにしてんのは滑稽だぞ」
「その太鼓持ちのバチでぶっ叩かれなきゃ分からないって?」
「止すんだ、エーランド」
レヴィンが割って入る形で両者を引き離す。
さて。殺伐としているように見えるが、こんなものである。
国家に仕える兵士と、外の世界で生き抜く傭兵。
水と油……とまでは言わずとも、基本的な関係性は良好でないことが多い。
例えばバダルノイスでは、兵長ヒョドロが傭兵について『薄汚れた稼業』と評し、貴族のグリーフットがその道へ入っていたことを悲嘆する一幕もあった。
そうした世情をよく知るベルグレッテたちは、特に緊張した様子もなくこの『茶番』を見守っている。「俺たちってこういう関係ですよね」という、ある種の確認みたいなもの。真っ青になって頬を引きつらせているのは、例によって彩花だけだ。
レヴィンが改めて門番の男を見据える。
「部下が失礼しました。代表の方に対し、少々お尋ねしたいことがあるのです。個人的な事情が関係するため、代理の方にお願いする訳にはいかないところでして」
「そうですかい。だが俺たちも忙しい。特に今日はこれから一仕事あるんでね、悪いがまた出直してもらえないか」
さて、この態度をどう捉えるか。
単純に騎士を毛嫌いしているから応じないのか、それとも――
(やっぱりオルケスターと繋がってて、何か後ろめたいことがあるのか……)
いずれにせよ、このまま素直に帰るという選択肢だけはありえない。
仮に彼らダスティ・ダスクが『黒』だった場合、猶予を与えることになってしまう。再訪までに、見られたくない情報の秘匿や隠蔽、その気があればこちらを抹殺するための罠や企ての準備もできるだろう。
相手方に察知される前に、『アポなし』でここへ来た。この機を無駄にする訳にはいかないのだ。
「馬鹿を言わないでもらおうか」
エーランドが語気を強めて門番の男を睨めつける。
「レヴィン様に徒足で帰れって言うのか? 三時間も掛けて来てるんだぞ」
「それはそっちの勝手な都合だ。俺らには関係ない」
「……へー、そうか。んー……勝手な都合だとか関係ないだとか、そういうことを言い出したら話し合いは成立しない。おれがそっちの都合を無視してもいいって道理になる」
「はぁん? どうやって?」
その言葉と手捌きは同時だった。
門番の男は刹那の挙動で、腰から抜き放った曲刀をエーランドの首筋へと宛てがっていた。
(おお、速いな)
素直に流護は感嘆する。
数秒も遅れて、「ひっ」と彩花の息をのむ声が聞こえた。そのタイムラグはそのまま、男の熟達した抜刀速度を物語っていた。
「帰ぇりな」
エーランドの頸部、まさに薄皮一枚の位置で刃を止めた男は、眉ひとつ動かさず平坦に言い放つ。
わずか一ミリ単位の距離で命を握られているはずのエーランドは、満面の笑顔で唇を蠢かせた。
「――それはそっちの勝手な都合だ。おれには関係ない。と、言っていいんだよね? さっきのおじさんの理屈なら」
「別に構わんが……阿呆の選択だ、そりゃぁ」
風切り音。
一瞬で薙ぎ払われた曲刀が、鋭く空気を斬り裂く。その高らかな音響は、男の並ならぬ剣腕を示す証左でもあった。
しかし。
その音は、刃が獲物を捕らえられず空転したからこそ発せられたものでもある。
「――伏臥せしめよ、弊絶風貫」
少年の高い声音にて紡がれる言霊。青緑の輝き、そして足下を伝う衝撃。
まさに早業。
風に吹かれた葦の草なさがらに身体を横へ倒すことで男の曲刀を躱したエーランドは、体勢を持ち直しざま青緑に輝く神詠術の槍を顕現。横方向へ回し打ったそれで相手を地面へと叩き伏せ、制する形で上からその身を押さえつけていた。
一連の余波によって生じた風が、ふわりと軽やかに頬を撫でていく。
「ひぇっ……!」
いちいち彩花の反応がワンテンポ遅れるが、それだけ展開のほうが早いのだ。
「阿呆はどっちだったか、はっきりしたね」
男の背に足を乗せ、さしたる昂りもなく言い捨てるはエーランド。風槍の穂先を相手の顔へと宛がいつつ。
「……、ああ、そうだな」
うつ伏せに寝かしつけられ完全制圧された門番の男は、歯を剥き出して無理矢理に笑んだ。
「!」
全員が間を置かず気付く。
壁の向こう側から突き出る物見台。離れた塀の近くに停められている馬車の影。
それぞれの位置から、ボウガンを構えた男たちが計四人。一斉に、こちらへと向けて狙いを定めていた。
「……ったく、負けず嫌いだねおじさん。でも、実際にやられて理解できてるはずだ。四人じゃ全然足りないよ、おれ一人を相手にするにしてもね」
顔色ひとつ変えないエーランドだが、事実その通り。
この門番の男の剣腕は、間違いなく熟練のそれだ。そして今、物陰からこちらに照準を絞っている男たちも。決して弱くはない。
(でも、ちょっと足りないかな)
超一流の詠術士を相手取るには。
こちらもそれが理解できているため、涙目で顔を真っ青にして両手を上げようとしている彩花以外は誰も動じていない。
ひとまずそんな幼なじみがそろそろ気の毒になってきた流護は、諸手を上げ敵意がないことを示しつつ一歩進み出た。
「ほいほい、挨拶はこれぐらいでよくないっすか。話を進めたいんすけど」
馬車の陰に屈んでボウガンを向ける男が、動くなと言いたげに得物をこれ見よがしに構え直す。彩花が口をパクパクさせている(危ない撃たれるやめてとでも言いたいのだろう)が、
「いや撃つ気ないでしょ。分かるっすよ」
流護には、『はっきりと見える』。『何も見えない』ことが。
少なくとも今、攻撃の兆しはない。言われた相手も面食らったようだったが、それでも構えは解かない気らしい。
同時、すぐ近くで閉じられていた木製の門がおもむろに開いた。
あっけないほどあっさりと、そして静かに解放されたそこから、一人の男が現れる。
黒に近いほど焦げ茶の肌。チリチリに丸まった癖のある黒髪。大きな鼻と分厚い唇、そして炎がそのまま灯ったような真紅の瞳。まつ毛が長く、女性的な繊細さも感じさせる。
流護としてはおそらく人種の違いによる感覚からか、いまひとつ年齢が推し量れない。二十、三十、四十……いずれの年代と言われても納得できる。 身長は二メートル弱。全体的に細い印象だが頸は妙に太く、繋がる肩部へとなだらかな曲線を描いている。格好はやはり周囲の男たちと同じ、見た目より機能を重視した傭兵仕様の装い。
総じて、どことなく密林に待ち受ける黒ヒョウを思わせる風貌だった。
(……強いな、こりゃ)
そう推察したのは流護だけではなかったらしい。
門番の男を拘束しているエーランドの眼差しが鋭さを増す。
果たして、そんなこちらの警戒を汲み取っているのか否か。
「私はアキムという」
現れた人物は開口一番、簡潔に名乗りを上げる。大人の色気を含んだ、低く独特な渋みのある声だった。
「ダスティ・ダスクの副長を務めている。……お前たち、武器を下ろせ。あと、ヨーダン……君が踏みつけているその男の名だ、彼を解放してやってくれると嬉しい」
ボウガンを構えていた傭兵たちが大人しく指示に従う。
アキムの穏やかな喋り口から話が通じそうと思ったか、エーランドも特に反することなく風の槍を虚空へと帰す。同時、門番の男……ヨーダンの背中から足をどけて素直に離れた。
「ちっ、くそったれ」
片膝をついて身を起こしたヨーダンが、砂埃を払いながら悔しげに舌を打つ。アキムはそんな仲間の様子に苦笑し、
「相手を見て喧嘩を売らないとな。……話はそこにある伝声管を通して聞かせてもらった」
後半の言葉を一行へと向けて、当たり前のように親指で丸太の壁を示す。もちろん流護はその存在になど気付いていなかったが、確かに言われてみれば木目に沿ってそれらしきものが設置されている。まあとにかく、話が早いようで助かる。
「団長……ガーラルド・ヴァルツマンは不在だ。ゆえに、今は私が仮の代表ということになる。団長は、もう一年以上もここへは戻ってきていない」
「!」
「ある日、ふらっとどこかへ出てそれきりだ。行き先も知らない。音沙汰もない。元来そういう気質の人だったが、これほど長く戻らないのは初めてかもしれないな」
こちらが詳しく尋ねるより早く、アキムはそう近況を語った。
「特に、そうなるに至った心当たりもない……が、そうだな。敢えて言うなれば、あれはいつのことだったか――、っと」
話を切ったアキムは、思い出したかのように胸元から懐中時計を取り出して盤面に目を落とした。
「先程ヨーダンも言ったと思うが、我々はこれから一仕事控えている。済まないが、他に知りたいことがあるならまた後日に書簡でも寄越してくれないか。返事は必ずすると約束しよう」
話を切り上げようとするアキムだったが、流護たちとしては困る。まだ彼らに対し、オルケスターと繋がっているかもしれない疑惑を払拭できていない。
「ちょっと待ってくれるかな、アキムさんだったか」
やはりエーランドが制止をかける。
「団長さんは一年以上も音沙汰がないって話だけど……となれば、生きてるか死んでるかも分からない状態のはずだね。でも、あなたは特に心配もしてなさそうだ。何か、無事って確証でもおありなのかな?」
一理あった。アキムは、消息不明なはずのヴァルツマンが生存している前提で話を進めていたように思えた。
指摘された当の副団長はといえば、特に動じた様子もなくフッと微笑む。
「……そうだな。例えば君は、そこにいるレヴィン・レイフィールド殿がある日おもむろに姿を消したとして……待てど暮らせど戻ってこなかったとして、その死を疑うかい?」
「……レヴィン様を一緒にしないでもらおうか」
「一緒さ。少なくとも私……いや、我々にとってのガーラルド・ヴァルツマンは、そのような存在だということだよ」
ややむくれ顔になるエーランドだが、この問答はアキムが一枚上手か。言われた当人もそう考えたのだろう、咄嗟の反論は出てこないようだった。
その無言の一瞬を見計らったかのように、開いている門から男たちがゾロゾロと現れる。似たような身なりの、いかにも武骨そうな一団だ。
その総勢は二十名ほど。さすがに流護たちも注目する(彩花はもう気絶しそう)。
大所帯の彼らは、こちらに敵意を示す――どころかろくに目もくれることなく、停泊している馬車の下へと忙しげに駆け寄っていった。
馬の様子を見る者、車輪状態を確認する者、荷物を積み込む者。明らかな出立の準備。
「さってと、俺も手伝いに行きますぜ」
アキムの後方に控えていたヨーダンが、同じく馬車へ向かって歩いていく。と、思い出したように振り返って、
「うおっと、覚えとけよ小僧。俺は負けてねぇ」
エーランドをびっと指さす。そうしたかと思いきや、今度はアキムへ。
「おう副長。カンテラはいらねぇんだな?」
「ああ、不要だろう。乱戦になることを思えば、荷物は少ない方がいい」
そんな会話を交わす。
これから一仕事あるとの話だったが、こちらを追い払うための方便という訳でもないようだ。
「さて、宜しいかな。それでは私も失礼する」
「待て、まだ話は終わってない」
「アシェンカーナ族」
まだ粘ろうとするエーランドに対し、アキムは謎の言葉を呟いた。
流護にとっては全くもって意味不明な一言だったが、
「!」
真っ先に息をのんで反応を示したのはレヴィンだった。そして、同じくエーランドも。
「ここより二時間ほど山間を進んだところに、二十名ほどが住まう集落がある。元々は、あまり怨魔も近付かない好立地だったが……近頃、夜になると妙な遠吠えが聞こえると住人から相談があってね。一週間ほど前には、近隣で数匹のドボービークが目撃された。そして今宵はイシュ・マーニが下界に背を向ける晩。空には雲も多く掛かっている。おそらく、完全な闇夜となるだろう。風も生暖かく、気温も高い」
「……怨魔たちの活性化しやすい条件が整っている、ということですね」
レヴィンの推測に対し、アキムは少しだけ目を伏せた。
「目撃された数匹は、間違いなく斥候だ。どこかに群れの本隊が潜んでいて、集落に狙いを定めている。そして狡猾で知られるあの怨魔のことだ、今夜という機を逃しはすまい。我々が今向かわねば、『また一つ』アシェンカーナの血脈が失われることになるだろう」
意味ありげな物言いを前に、レヴィンとエーランドが何ともいえない複雑そうな表情を浮かべる。
(アシェンカーナ族……? とかってのが、何かあるのか?)
流護としては初めて聞く名前だが――
「では」
今度こそ背を向けようとするアキムに対し、
「お待ちください」
レヴィンが待ったをかけた。
そして、一も二もなく宣告する。どこか逸るように。
「僕たちも向かいます」
「……そうか。好きにするといい」




