627. くすんだ夕暮れ
馬車は快調に街道を走り抜けていく。
最高度に達した昼神インベレヌスの放つ光が地上へと惜しみなく降り注ぎ、春の到来によって青々と色づく草木は爽やかな風に揺れる。
適度に乾いた土くれの道は状態も良好なようで、馬蹄や車輪も砂塵を蹴散らす勢いで進む。
「ガーラルド・ヴァルツマン、か。あんまり詳しく聞いたことはありませんでしたね」
さして興味もなさげに呟くのは、向かい席に座った『サーヴァイス』の若き騎士ことエーランド。
「ああ。ダスティ・ダスクの名を知る人は多いだろうし、その頭領がやり手との噂も聞いていたけど……僕も、詳細までは把握していなかったな」
その隣に座った美青年騎士ことレヴィンが同調する。
「もっと有名なのかと思ってたけど、お二人でもそれぐらいの認識なのねぇ」
こちらの席で長い脚を組んだナスタディオ学院長が呑気な口調で言うと、
「相手が傭兵団の首領とのことですから、騎士側の認知としては妥当かと」
隣のクレアリアが相も変わらず無愛想に応じる。
「何だっけ。なんか熊みてえにデカくて、顔に切り傷があるオッサンって話だったよな?」
「……メルからは、そう聞いている」
窓際の流護が反対端のレノーレに話を振れば、彼女はコクリと小さく頷いた。
――さて。
流護、ベルグレッテ、クレアリア、レノーレ、学院長、そして彩花のレインディール組と、そこにレヴィンとエーランドを加えた八人。そんな大所帯は現在、帝都バーグリングヒルから出て北に延びる街道を馬車で移動中だった。ちなみに車両は城所有の一台で、御者は若い一般兵が務めている。
目的地は、三時間ほど北上した山間の麓に居を構えるという、傭兵団ダスティ・ダスクの拠点である。
その首領、ガーラルド・ヴァルツマン。メルティナと交戦したオルケスターの男が自称した名前。
流護としては、この調査のために修学旅行への同行を決めた部分も大きい。貴重な、オルケスターの情報が得られるかもしれない機会だ。
謁見が始まる前、レヴィンがダスティ・ダスクに接触できる手筈を整えておくと言っていたが、城を出る頃にはすでにこの馬車が一行を待ち受けていた。それだけでなく、レヴィンとエーランドも同行を申し出た。有能な者は決断も行動も早い、なんて話を聞いたことがある。さすがの手際、と評すべきか。まさかこれほどすぐに行けるとは思っていなかったが、流護たちとしても渋る理由などない。即決で向かうこととなった。
「とりあえず、名前が同じだけの別人とかじゃなきゃいいんだけどなー」
「それは大丈夫だと思いますよ」
流護の何気ないぼやきに応じたエーランドが、傍らに置いた鞄から紙束を取り出す。調査結果をまとめた資料らしい。
「『双濤斬将』、との異名を口にしたって話でしたよね。そんな通称を持つガーラルド・ヴァルツマンは、この男だけです」
「なら安心すね。そういや、そのソウトウ何ちゃら? ってどういう意味なんだろ」
言葉の印象から最初は『双刀』だと思っていたが違うらしい。流護の零した疑問はベルグレッテが拾う。
「そうね……『濤』という言葉は『波』を意味しているわ。メルティナ殿から聞いた話によれば、その男は激流のような二振りの水の大剣を駆使していたと……。そうした闘いぶりから渾名されているんでしょうね」
「はあ。なるほどなぁ」
解説してくれた彼女の面持ちは、どこか緊迫気味に引き締まっている。なぜなら――
(……思うとこがあるんだろな)
水剣の二刀流。奇しくもそれは、ベルグレッテが得意とする戦法と全く同じ。そしてその男は、北方の英雄メルティナと互角に渡り合っている。
名高い北方の『ペンタ』相手に、自らと同様のスタイルで鎬を削ったオルケスターの戦士。つまり単純に、己の数段上を行く敵。一人の詠術士として、歯痒い思いを抱かずにはいられないのだ。
「とりあえず、ヴァルツマン本人はいるんかね?」
「ん……その可能性は極めて低いわね」
「堂々名乗っておいて当たり前のように拠点に居座っているなら、さすがに大物を通り越してただの阿呆でしょうね」
流護の問いかけにはベルグレッテが即応し、その答えの詳細を妹が呆れ顔で補足した。
「……ただ」
レノーレが小さく言葉を発する。
「……ダスティ・ダスクが『そう』である可能性は、念頭に置いておいたほうがいい」
祖国の動乱を経験した重みある一言には、皆を見渡しながらのレヴィンが同意した。
「ええ。念のため、当人が不在であったとしても気を引き締めておくべきでしょう」
オルケスターの一員であるヴァルツマン。
その男が率いる傭兵団、ダスティ・ダスク。
なら、一味が丸ごと『そう』であると。
流護の頭でも容易に至る連想だ。
「でも、正直言って半信半疑ですよ。ダスティ・ダスクに助けられた、って人の話も多いみたいですから。実際におれも、幾度となくそういうのは聞いたことありますし……それぐらいには名前を知られてる一味です、彼らは」
実際に事例もまとめられているのか、資料に目を落としたエーランドがやや複雑そうに呟く。すると、ベルグレッテが遠慮がちに反応した。
「そこは……バダルノイスと同じかもしれません」
「と、いうのは?」
「バダルノイスにおいても、かの組織に与していたのは全員ではなく一部の者でした。仮に『黒』となる者が存在したとしても、表向きは疑念を抱かれぬように振る舞っているでしょう。であれば……」
「なるほど。ダスティ・ダスクも同じかもしれない、ということですね。それに、先の会議の場でも出た話でしたね。誰が敵であっても、おかしくないと……。このぼ……おれだって、もしかしたら『黒』かもしれないと」
「エーランド。君は……」
レヴィンが何か言いかけたところへ、年若い騎士は満面の笑顔を返して。
「おれは、何があろうとレヴィン様に忠誠を誓うのみです。他の何者にも付き従うことはありません」
「……ああ。ありがとう」
このエーランドという少年、システィアナからの前情報でも聞いている。レヴィンに対し、絶対的な忠義を寄せていると。
「ま、とにかく実際にダスティ・ダスクに接触してみてかな……。……てかお前はまたやけに静かだな、どした? 馬車酔いか?」
と、流護は隣でガチガチになって座っている彩花を窺う。もうお偉いさんとの顔合わせも終わって肩の荷も下りたはずだが、幼なじみの少女はバルクフォルト城へ向かう時と同じように身をこわばらせている。
「だ……だって、なんかやばい人たちに会いに行こうとしてるんでしょ……!?」
「ああ、そういう」
これが当たり前の反応なのだろう。
切った張ったなど無縁の日常から、唐突に放り込まれた命懸けの異世界。
同じ現代日本出身にしても、戦闘という行いが比較的身近だった流護とは違う。
「大丈夫ですよ、アヤカ殿。我々がついています」
「う、うん……」
何というか、相変わらず彩花に対しては妙に優しいクレアリアである。
「ごめんなさいね、アヤカ。もちろんあなたに危害が及ぶことは防ぐけれど、不安よね。本当は、あなただけでも帰すべきなんだろうけど……」
柳眉を下げるベルグレッテの言葉通りだ。
これから向かう先で戦闘が勃発するかもしれない以上、当然ながら彩花は連れて行かないのが最善。……なのだが、その彩花もかつてオルケスターの的にかけられた身。一人で帰すことも、そのうえで待たせることも憚られる。であれば、連れて行ったうえで守る。そんな判断だった。あまりにテンポよく向かうことが決定してしまったので、彩花をどうするか迷う間もなかったことは確かだ。
「まあ安心しろ。お前はあんまよく分からんかもだけど、ここにいる七人全員強キャラだからな。今いきなり山賊団がウェーイって襲ってきても、余裕でノーダメで蹴散らしてくれるぞ」
「遊撃兵殿の表現はよく分かりませんが……その辺の山賊団ぐらいでしたら、おれ一人で何とでもなりますのでご安心を」
と、すまし顔のエーランドが言い放つ。幼さの残る顔立ちゆえ小生意気にも思えるが、そこは精鋭騎士団『サーヴァイス』の一員。ただの大口でないことは確かなはずだ。
「な。頼りになるべ」
「う、うん……」
そうは言っても、か。
確かに流護としても、そもそも荒事の現場に彩花を近づけたくない、見せたくないとの思いはある。
「無論……騎士の誇りに懸けて、レンジョー殿にかすり傷の一つとて負わせることはございません。が、万全を期すためにも、改めて動き方を確認しておきましょうか」
レヴィンのこの生真面目さは、ベルグレッテに通じる部分があるようにも思える。が、そう認めるとちょっとソワソワしてしまうというか、嫉妬に似た感情に駆られる流護少年である。
「まず、僕とエーランドが先に立ってダスティ・ダスクと対話します。仮に彼らがオルケスターと協調していたとしても、いきなり戦闘になるようなことはないはずです」
「そうねぇ。実情はどうあれ、『白夜の騎士』と『サーヴァイス』の隊員がいるのに吹っ掛けてくるようなら、この西部で活動する傭兵団としては考えものだものね〜」
レヴィンの推測に対し、学院長が苦笑して応じる。
「もっとも必要とあれば、おれが廃業させてやります」
このエーランドという少年、あどけない外見に似合わず好戦的なようだ。向こう見ずというか、若き精鋭としての自信の表れでもあるのだろう。
「てか、ダスティ・ダスクってどんな感じの集まりなんだろ。どれぐらい強いのか、あと規模とか」
流護が素朴な疑問を口にすると、エーランドが資料に目線を落としつつ答えた。
「首領……ガーラルド・ヴァルツマンが凄腕との評判はおれたちの耳にも届くほどで、巷でも知られてます。現在の団の人数は三十名ほどだそうですが、怨魔退治に慣れた熟練揃いだとか。そこそこの大物を狩った実績もあるみたいですよ。ヴァルツマンが不在だとしても、それこそその辺の山賊団なんかよりは間違いなく強いでしょうね」
エーランドにそんな意図はなかったのだろうが、「強い」との言葉を聞いた彩花が不安そうに身をよじる。
「アヤカ殿。私がいる限り、何人たりとも貴女には指一本触れさせませんのでご安心を」
隣のクレアリアがまさしく騎士の鑑のようなセリフで宣言するが、現代日本の少女は不安の色を払拭できないらしい。
「う、うん……ありがと。でもほら、例えば急に流れ弾とか飛んできたら、さすがにどうにもならないよね……? あっ。もしそうなっても、クレアリアさんは何も悪くないから……責任感じたりしないでね……」
意外にネガティブなのである。本物の戦闘の緊張感を前にしては仕方ないことではあるが。
しかし。小さなロイヤルガードは平然と言い放った。
「いえ。流れ弾であろうと奇襲であろうと、貴女に対する一切の脅威はこの私が確実に払い除けます。かすり傷ひとつとて負わせはしません。神に誓ってお約束いたしましょう」
威風堂々。切れ長な藍色の瞳に見据えられた彩花はといえば、
「……、……は、はいぃっ……」
「大丈夫か彩花。顔がメスになってるが」
「なな、なってませんけど!」
真っ赤になって反論するも、ひっくり返った声が説得力を吹き飛ばしている。
いかに同性、いかに年下とはいえ、強さと麗しさを兼ね備えた人物に至近距離で見つめられながら断言されればやむなしといったところか。本物の騎士によって守護を誓われるなど、現代日本で生きていればまず経験しない出来事に違いない。
「まあ、実際安心しとけ。そもそも戦闘になるとは限らんし……つか、お前に詳しく説明したことなかったけど、クレアの術はちょっと特殊でな。マジで不意打ちだろうと何だろうと防いでくれっから。全方位三百六十度、完全オートガードっつうのかな。気付かないうちに後ろから攻撃が飛んできても大丈夫だぞ。伊達に姫様の守り任されてないって」
「そ、そうなんだ……」
そんなやり取りを前にして、エーランドが興味深そうな相槌を打った。
「ああ、聞いていますよ。クレアリアさんの完全自律防御。その堅牢な守りは、まさに戦神が携えし盾のごとしだと」
「あら。『サーヴァイス』の方にそう認知されているとは光栄です。しかし、どちらからそのようなお話を?」
「ああ、リムからですよ。ベルグレッテさんの話をするマリッセラ……ほどじゃないですが、何度となく聞かされましたから」
彼がガーティルード姉妹を見比べながら苦笑すると、クレアリアは気勢を削がれたように「そ、そうですか」と口先を尖らせた。
(クレアさん、あのリムって子にはお姉さんぶってるとこあるからな。裏で名前出されてて嬉しいんだろな)
微笑ましい気持ちになる少年である。
「エーランド殿は、リム殿とは親しいのですか?」
「親しいというか……まあ、お互いの父親が元々ジェド・メティーウ神教会の役職者同士で、今現在も会合でご覧になった通りの間柄ですからね。おれたちも、物心ついた頃からの顔見知りなんですよ」
「ふむ。そうだったのですね、それは初耳です」
何というか、流護としては感慨深い。あのクレアリアが、さして棘もなく普通に男子と接している。リムの関係者ということもあるのだろうが、それだけ人間的にも成長したということか。同じような気持ちらしく、ベルグレッテもどこか微笑ましそうに妹を見守っている。
「そう考えると何だかんだ、リムとももう十年ぐらいの間柄になるんですかね……。学院でも、何の因果か同じ学級ですし。昔馴染みの腐れ縁ってやつです」
「ということはつまり、まさしくアリウミ殿とアヤカ殿のような間柄なのですね」
と、クレアリアがこちらに視線をスライドさせながら言う。
しかしエーランドはなぜか慌てて首を横へ振った。
「いやいやいやいや……違いますよ! 僕っ……おれとリムはそんな関係じゃないです! 違います違います」
待て。こいつ、俺と彩花を何だと思ってやがる。
流護が反論するより早く、学院長が美酒を味わうかのように唸った。
「かーっ、いいわね若い子は青春でぇ。でも覚えとくといいわよ〜、色恋沙汰なんて、一番楽しいのは最初の部分。アタシはあの人のことが好き〜、向こうはこっちをどう思ってるんだろ〜、ってヤキモキしてる時期が実は最高潮なんだから。付き合い出して相思相愛が当たり前になると、色々ともうね……フゥン……ハァン……」
過去に何があったんだよこの人は。
「そうよね」
と。そこで静かに四文字を繰り出したのはベルグレッテだった。
「リューゴとアヤカは、傍目にも『そんな風』に見えるわよね……」
「!?」
ベル子さん!? 何でそんなこと言うの!? この俺のアナタへの一途な思いを知りながら!?
と思う少年であったが、気のせいだろうか。
にこやかな少女騎士の瞳からは、微妙にハイライトが消えている気がする……。
「だってさ、流護。照れちゃうねっ」
「やめろ照れちゃうんじゃねぇ!」
最近の彩花はそういうネタに便乗する遊びを覚えたから困る。つい今の今まで不安そうだったくせにこれだ。
「そういえばぁ、レヴィン殿はどうなのぉ? 大陸中の女子の憧れだもの、浮いた話の一つや二つあるんでしょ~?」
と、学院長が下世話な一球を放る。的にされた美青年騎士はというと、何やら肩に力を込めて居住まいを正した。
「い、いえいえ! 僕は、そういったことにかまけている時間もなく……。また、世間の目や印象というものもありますので……」
「……ベルみたいなことを仰っている」
確かに、と思われる感想をレノーレがぽつりと零す。と、エーランドが意外そうな面持ちとなった。
「あれ、言わないんですかレヴィン様。あの話……ほら、ラトゥーレスの丘で――」
「エラン! やめたまえ!」
割とガチめなレヴィンの一喝で、エーランドが「す、すみません!」と首を竦めた。
「あ。これ、絶対なんかあるやつじゃんレヴィンさん……じゃなかった、レヴィン様! 様! す、すみません!」
ついうっかりといった感じで彩花が平謝りするが、
「あ、いえ! レヴィンさんでも何でも! 畏まらず、お好きなようにお呼びください! さあ! どうぞ!」
とりあえずこの英雄様、話をごまかすのが致命的に下手くそなのはよく分かった。
「そんなこと言うと呼び捨てにするっすよ」
何となく流護が冗談めかした声を出すと、彼はむしろ声高に言い放つ。
「良いですね! 友達っぽいじゃないですか! では、僕もリューゴ君、と呼んでもよろしいですか!」
何かヤケになってないかこいつ。
「まあでもアレよな。俺ら、よく考えたら皆して年齢近いじゃん、同じ学校の生徒同士でもおかしくないぐらいだし。そりゃ違う国の要職同士ってのもあるかもだけど、もっと肩の力抜いて話してもいいんじゃないって思うけどなあ」
流護が何となしに言うと、『なぜか』学院長が誰よりも大きく頷いた。
「そうよね~。この場にいる皆、似たような若さだもんね~、ンフフフフ」
いや、あんたは含まれてないです。しかし言えない少年であった。
そうして互いの距離感も縮まったのか何なのか、賑々しい会話も絶えず馬車に揺られることしばらく。
「……ってうわ、眩しいな」
不意に、窓から差し込んでくる斜陽。その朱色に流護は目を細めた。
いつしか昼神インベレヌスはやや傾いて、赤みの増した光が世界を包んでいる。
外の景色はやや針葉樹の林が目立ってきた程度で、大きな変化もない。ただ、緋色に染め上げられたそれらが郷愁を感じさせるだけだ。
特筆するならば、快晴だった空にはどこからか大量の雲が押し寄せていた。遠からず、昼の主はこれらの向こう側へと隠れてしまうだろう。
この分だとおそらく、月こと夜の女神イシュ・マーニも分厚い雲のベールに身を包むことになる。周期的にも新月。暗い闇に閉ざされた夜となることは確実だ。
「……もう夕方か」
「ええ。じき、目的地に着くはずです」
流護の独り言を拾ったレヴィンが告げる。
(そういや……博士が言ってたな)
オルケスター関連についての情報は、もちろんロック博士こと岩波輝教授とも共有している。
(確か……『くすんだ夕暮れ』、だっけか)
ダスティ・ダスクってどういう意味の名前なんすかね? と何気なく口にした流護に対して、ロック博士が齎した回答だ。
もちろんその団名に秘められた本当の由来など知るよしもないが、英語であればそんな意味合いになるのではないか、とのことだった。
「…………」
輝く橙色の中、混ざるように立ち込める暗雲。
傭兵団の本拠へ近づくにつれ、妙な不吉さを孕んだ『くすんだ夕暮れ』はどこまでも深まっていった。




