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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
15. 皓然のフロウ・ライン
624/667

624. スイート・サイエンス

 三階の階段を下ると、緑溢れる庭園が一行を包み込む。

 行きがけにも目にしたその場所は、天窓から差し込む光の筋によって煌々と浮かび上がっていた。光と影が織り成すコントラストの中で揺れる木々や草花。その美しさは、昼間の自然光によってライトアップされることを前提としたもののようにも感じられた。実際、位置関係などを考慮して植えられているのかもしれない。

 それら深緑を眺めつつ先頭を行くヴォルカティウス帝が、おもむろに立ち止まって窓越しの天を仰ぐ。


「……いよいよ冬の気配も遠退いたな」

「ホッホ。すっかり暖かくなりまして。空も春の青さに色付いておりますのう」

「フ、この時期になると思い出す。余が闘技者として舞台に降り立った頃のことを。訓練場では他の兵らの邪魔になるうえ、拳闘の鍛錬を行うには今ひとつ不向きでな。この庭園で稽古に明け暮れたものだった……」


 懐かしげに語った皇帝が、おもむろに振り返る。その目線が、間違いなく流護のそれと噛み合う。

 そして、一国の元首の口からその提案が発せられた。



「――リューゴ・アリウミ遊撃兵よ。一つ、余と手合わせを願えぬか」



 静寂。


「な!? な、なな、陛下!?」


 ローヴィレタリア卿の裏返った叫びと、一挙集まる皆の驚愕の視線。それらを意にも介さず、当のヴォルカティウス帝は何でもないことのように続ける。


「あのアルディア王が『拳撃ラッケルス』と名付けるほどの猛者だ。拳闘士の一人として、拳を交えてみたいと望むは当然であろう?」

「い、いえしかし……! しかしですな陛下……!」

「どうだ? アリウミ遊撃兵」


 取り乱す腹心にはまるで構わず、皇帝は気軽な雰囲気で答えを求めてくる。

 流護はというと、


「えっと……今、ここでですか?」


 特に動揺したりすることもなく、率直に訊き返した。


「左様」


 そして皇帝も、躊躇なく言い切る。からかっている風でもなく。


「分かりました。俺はいいですけど」


 流護のその返答で、ベルグレッテやクレアリアも明らかにうろたえた。


「ちょ、ちょっとリューゴ」

「な、何を考えているんですか……!」

「え? いやでもさ。じゃあどうすりゃ正解なん、これ」


 そう言うと、姉妹も「それは……」と口をつぐんでしまう。受けない、と突っぱねてしまうのもそれはそれで失礼っぽい。


「というより! 貴方は、なぜそんなに平然と受けて立つつもりでいるんですかっ。相手は皇帝陛下ですよ……! こう、もっと驚いたりとかしないんですかっ」


 密やかに小声で言い募ってくるクレアリアだが、


「いや別に……」


 特に感慨はない。

 バダルノイスの一件を経て、最強を目指すと決めた。

 もう、誰が相手になろうと驚きはしない。そして、誰が相手だろうと負けはしない。

 つまり、訪れる結果は同じ。なら、いちいち心を揺らがせたりもしない。そんな覚悟を決めているだけのことだ。


 それに、驚かなかった理由はもうひとつある。


「つーか、あの人も元は拳闘士だったんだろ? それなら……」


 己が肉体を頼りに生きるファイターたち。きっと、どんな世界でも……惑星や次元の垣根を越えた別の人類であっても、変わらない共通の渇望があると格闘少年は思う。


 即ち。

 強い奴がいるなら、闘ってみたい。

 それだけのことなのだ。


「流護、流護っ。本気なの……!?」

「ったく、心配性多すぎだろ。いいからほれ、これ持ってろ」


 上着を脱ぎ、寄ってきた彩花に押しつける形で預ける。


「って、うっわ!? おもっ!」


 鍛錬のための重石入りである。

 少年が薄手の上衣一枚となったその傍ら、


「陛下! なりませぬ! なりませぬぞ!」

「心配無用。飽くまで軽い手合わせよ。時も取らせぬ。先に告げた通り、調子もすこぶる良い」


 押し止めようとするローヴィレタリア卿を適当にあしらいながら、ヴォルカティウス帝は身に纏う一枚布を腰の位置まで引き下げた。裸の上半身が露わとなる。


「わっ」


 その様子を目にした彩花が反射的に声を漏らす。成人男性の裸体を直視したことも理由ではあろうが、おそらくそれ以上に少女を驚かせたのは――


「…………」


 同じくその肉体をざっと眺めた流護は、手首のパワーリストを取り除き、足首を叩き合わせて黒牢石製の重りを外した。


(何つーか……)


 ヴォルカティウス帝の上半身。

 やはり、地球人ほど筋肉は発達していない。どころか一見した限りなら、華奢とも表現できる。まして、年齢も四十を超えたと聞いている。確実に衰えはあるはずだ。しかし。


(現役引退した人間のカラダじゃねーんだよなあ……)


 ヴォルカティウス帝の身体は、細くもしなやかな筋肉で無駄なくコーティングされていた。どこか密林に潜むネコ科の猛獣を彷彿とさせる、鍛錬の末に作られた闘うための肉体美。グリムクロウズに生きる人類、独特の。


「……下がろう、エーランド」

「え、レヴィン様!? いいんですか!?」


 諦めたような……何かに納得したようなレヴィンが配下の若い騎士に後退を促し、


「む……う」


 苦虫を噛み潰したような顔(それでも笑顔)のローヴィレタリア卿が渋々引き下がりつつ声を張る。


「……時間は三分! 双方、用いるは拳のみ! 強打は当てぬこと! 神詠術オラクルの使用は無論厳禁! ……お願いできますかな」

「感謝する、トネド」


 こちらへ向き直った皇帝が、よく通る声を響かせる。


「聞いての通りだ、アリウミ遊撃兵」

「了解っす」


 そして、新緑の荘厳な庭園の中央。二人のみが相対した。双方、数歩で踏み込める距離。


「フ……成程。凄まじいな。途轍もなく分厚い肉体をしている」

「どうもっす」


 ゆるりと。皇帝が両腕を高く顔の前で掲げる。ボクシングに酷似した、左足をわずか前へ踏み出すオーソドックススタイル。かつて双拳武術ピュジライズと呼ばれる技法にて流護やアルディア王と対峙した、ディーマルドという拳士に近しい構え。

 一方の流護は同じくオーソながら、左腕を肩の高さで。右拳を腰溜めで緩く握った半身。軽くステップを踏む。珍しくもない伝統派空手のスタイル。


「フフ……初めて見る構えだ。心が躍る。トネド、合図を頼む」


 待ち切れぬようにヴォルカティウス帝が身体を揺らし、


「……、始めいっ!」


 最高大臣の一声。

 すぐさま、皇帝が軽妙な足捌きで間を詰めてくる。流護はその場で待ち、瞬く間に双方の距離が縮まる。


「ヒュゥッ」


 先制はヴォルカティウス帝。左足の踏み込みと同時、まっすぐ突き出される左拳。

 そもそも身長差が大きく、リーチもそれに比例する。遠く間合い外から伸びてきた槍のような一撃を、流護は最小限のスウェーで躱す。そして、息をのむのは皇帝。


「!」


 引き戻される腕に追従するように、空手家は大股の右足で一歩踏み込んだ。同時、右拳をオーバーハンド気味に射出。追い突きと呼ばれるその一手。


「ッ」


 首を右へ振って反応した皇帝は、重心が右へ寄った勢いのまま水平に右フックを強振。

 U字を描くダッキングで潜り抜けた流護が左フックを被せると、皇帝は左手のひらを回して着弾点となる右頬をカバー。打ち抜かずトンと当てた流護はタタッとバックステップで後退。

 その交錯で間合いを完全に掌握したのだろう、皇帝はより速度を乗せた左の牽制打を速射する。踏み込まれても対応できるよう、右腕を油断なく構えて揺らしながら。

 流護はこの左ジャブをノーガードで、首と上半身の動きのみで空振りさせていく。


「むうっ」


 攻防を見守るローヴィレタリア卿が唸り、


「こ、これは……今の現役王者の試合なんか、比べ物にもならないぞ……。お金取れますよ、この一戦……」


 エーランドが目を見開いて呆と呟く。


「……姉様。確か、皇帝陛下の闘技者としての戦績は……」

「ええ。二十六戦二十五勝、引き分けが一度。バルクフォルトの拳闘史上、ただ一人無敗の絶対王者。私も、当時の実際の試合を見たことはないけれど……」

「……とても、一線を退いた人の動きとは思えない」

「やば、やば……! す、すごいよね! 流護、大丈夫なの……!?」


 ガーティルード姉妹とレノーレ、彩花も密やかにそんなやり取りを交わしている。


「でも、さすがに身長差がでかいぞ。陛下の間合いの方が遥かに広い。遊撃兵は防戦一方になってきますよね、レヴィン様」

「……、」

「レヴィン様? どうかしましたか?」


 エーランドが隣の騎士隊長を窺う。


「いや……」


 レヴィンは口にした。眼前で繰り広げられる拳闘の光景から、わずかほども目を離さずに。


「これほどのものか……と、思ってね」






 ――これほどのものか。

 ヴォルカティウスは心に湧いた戦慄を噛み殺しながら、ひたすらに拳を振るっていた。


 当たらない。

 ただの一発も。


 左拳を何度も打ち出すが、流護はその全てを身体の振りのみで躱し続けている。

 そして、


(間を……!)


 気付いていた。流護は、拳を避けながら少しずつ間合いを詰めている。にじり寄ってくる。かすかながら、されど確実に。『避けながら迫ってくる』。このような真似ができる者など、かつての拳闘士には一人もいなかった。


(……何という技量か――)


 そも、これが真剣勝負だったなら。ヴォルカティウスは現時点で、すでに二度倒されている。

 一度目は、開幕の左牽制打の戻りに合わせてきた右拳で。わずかに首を捻って反応したヴォルカティウスだったが、あれは躱せていなかった。彼が寸止めした後に辛うじて動いたにすぎない。本来、開幕直後の一撃でやられていた。


 そして二度目は、左の回し打ち。

 ヴォルカティウスは着弾点となる自らの頬を守るべく手をかざし、流護もそこに軽く触れるのみで終わった攻防ではあったが、仮に全力で叩き込まれていたならどうなっていたことか。

 そして何より、喫緊の問題は今。


(――……、防げぬ!)


 ヴォルカティウスが見舞う左拳の連打。あらゆる猛者の前進を阻み、突き放し、あるいは打倒せしめてきたその攻勢を、少年は身のこなしだけで悠々と回避し続ける。回避しながら、少しずつ距離を詰めてくる。信じがたいことに、全く触れられない。彼の接近を防ぐことができない。本当に存在しているのか、と思うほど。霞や幻影ではないのか、と錯覚してしまうほど。

 強打は当てぬと約束するも、しかし速さについては加減などしていない。それでも、かすめる気配すらない。

 そして、双方の手が届く領域へと移行する。


(く……!)


 ヴォルカティウスにとっては近すぎる距離。腕の長さが災いして牽制打が出しづらくなり、水平に弧を描く回し打ちへと切り替える。

 横薙ぎに刈り取る一打を流護は屈んで潜り抜け、身を起こすと同時に掬い上げる軌道の右拳を放つ。


「ッ」


 回避、即反撃。先ほども全く同じ展開を経験していたため読んでいたヴォルカティウスは、どうにか身をのけ反らせて回避。下がった分だけ、再び両者の間が離れる。


(戴く!)


 その機を逃さず。攻撃を外し、上体を伸ばし切ったままの流護へ向けてヴォルカティウスは右の直突きを見舞う。


「な!?」


 聞こえてきた驚愕は、観戦するエーランドのものだった。

 最短距離をまっすぐ飛んだ拳は、流護の頬に着弾――したはずだった。

 ぐるん、と横向く。拳で押した分だけ、彼の首が。そのまま少年は全身ごと素早く横一回転、何事もなかったかのように前を向いてヴォルカティウスと正対した。まるで回転扉のように。

 まさに一瞬の神業――。


(……、)


 確かに当たった。が、まるで手応えがない。押したままの勢いに乗る形で、ぐるりと。完璧にいなされた。

 舞い散る木の葉か、揺らめく霞か。そんな挙動。


(……フフ)


 曲がりなりにも、かつて拳闘で一時代を築いた身。

 後年には、勝つことが当たり前となった。ゆえに賭けが成立しなくなり、三十歳を節目に退いた。

 そうして絶対王者とまで称されたヴォルカティウスだからこそ、理解できることがあった。



 ――この少年は、住む世界が違う。



 人並外れた身体能力を誇り、かつ断じてそこにあぐらをかいていない。己が機能を存分に活かすための体術を会得している。

 そして、その体術の完成度が桁外れに高い。武芸そのものが……技のひとつひとつが、拳打法ブラットゥーソより遥かに洗練されている。


(……成程、な。決して大言壮語ではない……ということか)


 先の謁見における彼の宣告。

 徒手のみで最強を目指すと。

 うつけでも夢想家でもない。

 この少年は本気だ。大真面目に、無手無術の身で――そこから生じる単純な強さのみで、世の頂を目指そうとしている。

 まるで、古の大英雄ガイセリウスのように。


(……)


 かつて拳闘の世界にて頂点へ上り詰めたヴォルカティウスだが、その経験が皇帝としての責務に活かされているかと問われれば怪しいところだ。


(……いや、それどころか余は……、――――、……)


 ……不意に途切れかけた思考を持ち直す。

 さらには……そう、戦士としても同じこと。

 いかに強き拳闘士とて、それで本物の戦場に立てる訳ではない。

 色彩豊かに乱舞する神詠術オラクルの輝きはもちろん、鋭利な剣刃、怨魔の牙爪といった脅威の数々を前に、拳の技巧などもはや無力だとすら断言できる。


 むしろ詠術士メイジとして奮わず大成を諦め、拳闘の世界に『逃げ込んで』くる者もいるほどなのだ。

 何の役にも立たない腕力にすがって、狭い世界で競い合う負け犬たち。拳闘士をそう揶揄する者もいる。

 貴族かつ詠術士メイジとしてもそれなりに名を馳せたヴォルカティウスが王者となったことで、多少はその風潮も和らいだ。


 だが、根底は変わっていない。拳闘はあくまで競技であり、娯楽にすぎないということ。


(フフ……それを、この年端もいかぬ少年は――)


 己は今、未来へ語り継がれる人物と対峙しているのではないか?


「――コォッ」


 自ずと、血が沸き立つ。戦意が息吹となって溢れ出る。

『戦士』として。『風塵の帝』と呼ばれた詠術士メイジとして、挑まずにはおれまい。

 一線を退いて久しい身。余生を思えば、二度とこのような相手とまみえる機は訪れぬ。

 自制よりも先に、ヴォルカティウスの四肢が本能の赴くまま唸りを上げた。

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― 新着の感想 ―
[一言] もうバナナで転ぶなよ
[良い点] 戦闘描写が素敵です。
[良い点] 皇帝陛下も大したものだが、それでも流護が上回る。 顔にヒットした瞬間にスリッピングして受け流すのは格好良い。 [一言] 流護の強さを知らしめるには絶好の機会ですね。
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