622. アリバイ
バルクフォルト王城は二階へと続く階段下。大広間の隅にて、流護たちとレヴィンは揃って待機していた。
しかしまた、この大広間の規模が尋常ではない。小さめの体育館ほどのスペースがある。中央から上部へ延びる石階段もそれに見合って豪奢かつ巨大で、ファーヴナールの巨体ですら行き違えそうなほどの横幅を有していた。
通行の邪魔にならないよう隅に寄っているが、城内は広々かつ閑散としており、時折通りかかる兵士の姿がちらほら見える程度だった。
「皆さん、すみません。このような場所でお待たせしてしまって」
レヴィンが申し訳なさげに言うと、すぐさまベルグレッテが応じる。
「いえ、とんでもございません。疑念を持ち込み、お手数をおかけしているのは我々ですから……」
今は、ナスタディオ学院長とローヴィレタリア卿の二人が席を外している。会談参加予定者の潔白を確認中なのだ。
もしここで怪しい者が見つかれば、学院長が即座にその身柄を押さえることだろう。何しろ虚実を見極める観察眼はもちろん、レインディールでも屈指の戦闘能力を誇る『ペンタ』である。
(そらミュッティなんかも、もちろんやべえんだけど……学院長も未だにまじで底が見えんからな……)
その確認結果待ちの現状ではあるが、実のところ今の時点で流護たちの予想は一致していた。
おそらく、『黒』となる者はいないだろうと。
そうあってほしい、という希望的観測も多分に含まれる。
が、その結論を導き出すに至った理由も存在する。
今回の会談に際してローヴィレタリア卿が選出したのは、古くからバルクフォルトの上位階級に家名を連ねる貴族たちだ。例外なく地位や名誉、そして莫大な資産を併せ持つ由緒正しき系譜ばかり。そのようにすでに何もかもを手にしている人種が、裁かれる危険を負ってまで闇組織に与するだろうかという点がひとつ。
そして――
「ところでベルグレッテ殿。先ほど外で仰っていた、『ある特定の期間』……それもまた、オルケスターに与する者か否かを見極めるうえで無視できない判断材料になるとのことでしたが……」
「あ、はい」
レヴィンの疑問に対し、少女騎士が対応する。
「具体的には、浄芽の月の二十一日から、風花の月の十二日まで。この期間中、長らく所在不明となっていた者はいないか。これが、ハンドショットにまつわる反応と同じく重要な証拠になりえます」
「やけに具体的な日付ですが……その二十日ほどの間に、一体何が?」
「……この期間中……オルケスターにとって重要な鍵となるであろう、カヒネと呼ばれる存在が消失しています」
さしものレヴィンもそれだけでは意味不明なようで、押し黙って続きを待つ。そんな中、流護は見逃さなかった。その名が出たことで、悲しげにうつむいた彩花の横顔を。
「かいつまんで説明いたしますと――」
忘れもしない、発端は浄芽の月、二十一日。
バダルノイス全土にてお尋ね者となった流護たちが、全てを覆すべく氷輝宮殿へ突撃を敢行した日である。
そしてこの日、オルケスターの有する『カヒネ』が『消失』している。
何者かからの連絡を受け取ったミュッティが、そのように告げてメルティナの臓器回収を放棄。時を同じくして、流護たちの前に立ちはだかっていたキンゾルとメルコーシアも戦闘を中断し撤退。双方ともに、携帯電話によく似た機械でその内容を告げられたようだった。
詳細こそ知れないが、自分たちの優位に進んでいた戦闘を切り上げるほどだ。オルケスターにとってはあらゆるを捨て置いてでも優先される事項だったと考えられる。
それからおよそ二十日後。風花の月、十二日。
王都へ出かけた彩花たちが、『カヒネ』と名乗る少女と出会っている。
そして最終的には、その兄だという人物が現れ彼女を連れていった。
つまりこの日、オルケスターは失われていたカヒネを無事回収したことになる。
実のところ、オルケスターのカヒネが彩花の出会った少女とイコールであるという確証は得られていない。が、その後に起きた出来事も含めて考えるならば、そのように断定して間違いはないだろう。
「ふうむ、そういうことですか……。そのカヒネとやらが失われた日と戻った日、それぞれが確と判明しているのですね。つまり『黒』となる人物が表向きな地位を有している場合……その期間中、オルケスターにとって最優先事項であろうカヒネの捜索に助力するため、姿を消していた時間がある可能性が高い。なるほど……まさしく、探偵の言葉で表現するところの現場不在証明という訳ですか」
そんなレヴィンの推測を、ベルグレッテが静かな頷きでもって肯定した。そのうえで付け加える。
「しかし慎重に慎重を期すオルケスターのことですから、カヒネが失われていた二十日ほどの間、『黒』となる人物が丸々不在だった……ということはありえないと思われます。不自然で目立ちますし、さすがに露骨ですから。ただ……」
「そのミュッティやキンゾルなる者たちのように、急な要請を受けて招集に応じている可能性は高い……」
言わんとすることを的確に察したレヴィンへ、ベルグレッテは再び静かな点頭を返した。
つまり。浄芽の月・二十一日から風花の月・十二日の間、予定外の急用ができたなどの理由で姿を消していた者はいないか。
もちろん、これに該当する人物がいたとして『黒』とは限らない。が、見極める鍵ともなりうる。
改めてといった様子でレヴィンが唸る。
「そうですね。一定の地位を有す宮仕えの者であれば、日々の所在は細かく管理され記録に残っている……。洗い出すことも容易だ」
実はレインディールにおいても、この判別方を併用することで人々の潔白を判断していた。
ただ今しがたレヴィンが語った通り、この対象はあくまでそれなりの立場に就く一部の貴族や公人となる。例えばレインディールなら、ラティアスやオルエッタ以外の『銀黎部隊』などまではさすがに把握できていない。彼らが城に常在している訳ではないこともあって。
一方、それこそレヴィンやローヴィレタリア卿のような国家の中心人物となれば、事細かな記録が残っているだろう。
「承知しました。後ほど調査いたしましょう。改竄の形跡がないかも含めて。……しかし、身内を庇うかのような言い様となってしまい恐縮ですが……我が国の要人と呼べる立場の者で、その期間中に突如として所在が不明となっていた人物はいなかったと記憶しております。……、……ところでベルグレッテ殿、一つ疑問に思ったのですが」
少しの間を置いて、美青年騎士は何かに気付いた様子でやや柳眉をひそめた。
「そもそも、そのオルケスターはどこに拠点を構えているのでしょう?」
それは現状、誰にも答えられない疑問だ。
ベルグレッテが神妙な面持ちで口を開く。
「ええ……その点が疑問なのです。カヒネ捜索のための招集に応じるとして……撤収したミュッティやキンゾルの様子から、オルケスターの本拠なりに出向いたことはたしかだと思われます。それがいずこにあるのかは知れませんが、駆けつけるために相応の時間を要するはず……」
何しろ、移動に何日もかかる世界なのだ。
拠点がどこにあるにせよ、到着までにそれなりの日数が必要なのは確実。
結果として、カヒネは消えてから二十日ほどで発見されている。下手をすれば、駆けつけている最中の者もいたはず。
その二十日という期間内で、カヒネ自身も彼女を探しにきた兄を名乗る男もレインディールの王都に到達していた。
そうした事実を踏まえたうえで、
「……ミュッティは、徒歩でバダルノイス東の国境門を抜けている」
レノーレがぽつりと呟く。
流護も、それに続ける形で。
「キンゾルはあれだよな。何か、気付いたら消えてたんだよな」
こちらについては、誰にも目撃されていない。当時、出国禁止令によって国境部に厳重な監視体制が敷かれていたにもかかわらず、である。
「……バダルノイスの近隣に、彼らの本拠……ないし支部のようなものが存在する可能性は?」
「はい。現在も、その可能性を視野に入れて調査は進めておりますが……」「ふむ、手応えは得られていないと。それに……そうですね、話に聞く彼らの慎重ぶりを思えば、少なくとも支部のようなものは設けていないのかもしれませんね。そういった場がいくつも存在すれば、オルケスターの情報が露見する危険性もまた高まるでしょうし」
レヴィンとベルグレッテのキャッチボールに、クレアリアが頷いて加わる。
「そういえばカヒネの兄を名乗る男も、すぐさまレインディール北部から歩いて脱したようでしたが……」
すると、少しうろたえた彩花が小声で続いた。
「で、でも、ユウラちゃ……カヒネちゃん本人は、目撃されてないって話だったよね……」
これももちろん、その後に議論がなされたことだった。
レインディールのどこかに連中の隠れ家のようなものがあり、カヒネはそこに身を潜めた? しかし緊急招集までかけて捜すほどの対象をレインディールに残したまま、迎えに来たはずの男だけが単身で国外へ脱出するものだろうか?
「それにあとやっぱ、気になるのはあれだろ。連中が使ってた、ケータイみたいなやつ」
ミュッティやキンゾルが使い、モノトラの死体からも押収されたその物品だ。
おそらく通信機械と思われるものだが、そうなるとここで単純な疑問がひとつ。
神詠術による通信術が存在する世界。彼らの中に扱える者も多いはず。なら、なぜわざわざそんなアイテムを使ってやり取りを交わすのか?
ベルグレッテがその予測を明かした。
「ええ。彼らはきっと、傍受を防ぐことも目的だとは思うけど……なにより、通常の通信術では届かない遠距離から連絡を取り合うために、あれを用いている。であれば……」
であれば、やはりオルケスターの拠点はどこか遠くにあるのではないか。
もっともそれならそれで、ミュッティやカヒネ兄が徒歩で去ったこと、キンゾルやカヒネが誰にも目撃されず帰還したであろうことの説明はつかない。
とにかく、あちらを立てればこちらが立たないような。辻褄の合う仮説が見つからない状況。
「いずれにせよ、仮にこのバルクフォルトに内通者が存在するならば……カヒネ消失の連絡を受けて、かなりの日数に及ぶ不在期間があるはず。それがないのであれば……」
「ううむ。そうあってほしいところですが……」
ベルグレッテとレヴィンが唸った。
ここバルクフォルト帝国は、大陸の最西端に位置している。隣国のレインディールからも、通常の馬車で二週間もかかる道のり。
カヒネの捜索に助力するため招集に応じるならば、相当な長期に渡って不在となることは避けられないはずなのだ。実質、王城勤めの要人がそのような真似をするとなると現実的ではない。
が、だからといってバルクフォルト帝国の人間全てが疑惑から外れる訳ではない。現時点で『黒』が確定している人物がいる。
「でもま、そこであれだろ。何だっけ。ガラ……ガーラルド……」
「……ガーラルド・ヴァルツマン」
レノーレの補足で、そうそれと少年は同意する。
レヴィンが眉をひそめた。
「おや? その名前は……」
話が早い、と言いたそうにクレアリアが表情を輝かせた。
「おお、やはりレヴィン殿のお耳に入るほどでしたか。何やら、西部を拠点に活動する傭兵団……ダスティ・ダスクという名前でしたね。その頭領と目される人物の名です。詳しくご存じではありませんか?」
そこで青年騎士もハッとした顔となる。
「やはり! ダスティ・ダスクならば僕も知っています。実際に面識はないので、あまり詳しくはありませんが……その界隈では名の知れた傭兵集団です。帝都を出て北部の海岸沿いに彼らの拠点があったはずですが……、……まさか」
察しのいい彼を先読みし、少女騎士が神妙な顔で。
「はい。その頭領、ガーラルド・ヴァルツマンがオルケスターの一員のようなのです。メルティナ氏と交戦していた二人のうち一人が、そのように名乗ったと」
細かいことをいうなれば、その男が本物のヴァルツマンである確証はない。全くの別人が『そう名乗っただけ』のセンもある。
「何と……では、ダスティ・ダスクがオルケスターの下部組織としての役目を担っている可能性もある訳ですね……。ええ、承知しました。直ちに彼らへ接触できるよう、こちらも手筈を整えておきましょう。実際に彼らと会えば、そう名乗った人物がガーラルド・ヴァルツマン当人であるかどうかも分かるはずですし」
「はい。迅速なご支援、大変助かります。よろしくお願いいたします」
そんな話がまとまったところで、向こうの廊下からナスタディオ学院長とローヴィレタリア卿がやってきた。
気のせいだろうか。前者は妙に上機嫌で、後者は相変わらずの笑顔ながらもやや疲れを滲ませているようにも見える。
「学院長、ローヴィレタリア卿。お疲れさまでした。……結果は、いかがでしたでしょうか……?」
戻ってきた両名へ、早速でありながらもベルグレッテが気遣った様子で問いかける。ローヴィレタリア卿のやや浮かない表情から、悪い事態も想定したのだろう。
が、
「ダイジョブダイジョブ、白よ白。怪しい人はいないわ」
あっけらかんと学院長が吉報を齎す。一同、そこはかとなく安堵に胸を撫で下ろす面持ちで息を吐いた。しかしそれならばなぜ、横の最高大臣は妙に渋い顔をしているのか。
「とりあえず一安心、といったところかとは思いますが……ローヴィレタリア卿、いかがなさったのですか?」
クレアリアも疑問に思ったらしい。尋ねられれば、老人はゆるりとかぶりを振った。
「ホッホ。いえ、ナスタディオ学院長の奔放なお人柄をすっかり失念しておっただけでございますよ。ホッホ」
ああ、と流護はすぐに察した。
(ロクでもない幻覚見せたんやろなあ……)
と。
「ホッホ。ひとまずは安堵したところで……ではこれより、玉座の間にて皇帝陛下と謁見していただくことになりますが」
気を取り直したローヴィレタリア卿が、進路の先頭に立ち一行へと振り返った。
「ベルグレッテお嬢様とクレアリアお嬢様は、陛下とは……三、四年ぶりになるのでしたかな」
ガーティルード姉妹が「はい」と口を揃える。
「アラ。アタシもそれぐらいよ~」
「ホッホ、そうでしたな」
学院長にはどこか流すように応じつつ、最高大臣は流護と彩花、レノーレにその喜面を向けた。つまり皇帝とは初対面となる三人に。
「ホッホ。我らが皇帝陛下ことヴォルカティウス帝は、文武双方に長け、バルクフォルトの頂点にして西海のように広き度量を持つお方。何者にも分け隔てなく接する賢帝として知られてございます。他国の王との顔合わせとなると、つい肩に力が入ってしまわれるやもしれませぬが……身構えることなくお会いになってくだされ。ホッホ」
隣でガチガチとなっている彩花を横目にして、流護は胸中で訝しむ。
(……賢帝、ねえ)
それが何やら、様子が変わっただの戦神に魅入られただのと聞いている。それゆえ、このローヴィレタリア卿が影の帝王などと呼称されるようになっているはずだが――
そんな思いを察した訳でもないだろうが、『喜面僧正』はやや眉を八の字へと寄せた。
「ただ……陛下は近年、少々調子を崩されることが多くなられましてな。しかし本日は快調かつ、是非とも皆様にお会いしたいとの陛下のご意向もあり、謁見の場を設けさせていただいた次第です。……ゆえに……陛下のご様子について、少々意外に思われる場面もあるやもしれませぬが、そこはお気になさらぬよう……」
「……とんでもございません。……名高き西の賢帝にお目通りできる機会をいただき、光栄に存じます」
レノーレがさすがの高貴な一礼で応じる。すらりとこんな言い回しが出てくるあたり、やはり彼女も貴族なのだ。
「あ。よろしくお願いしまっす」
「っ、あ、ありがとうございます! よよ、よろしくお願いします!」
そして相手が何者だろうと適当な流護と、緊張でガクガクな彩花である。
「……ホッホ。では参りましょうぞ」
シャン、と錫杖の輪が金属音を響かせる。身を翻したローヴィレタリア卿に続き、一行は階段を上がって城の最奥へと進んでいった。




