621. 砂塵の郷愁
「――諸君。こうして集まってもらったのは、他でもない」
場所はバルクフォルト王城、数十と内在する会議室のひとつ。
『喜面僧正』ことトネド・ルグド・ローヴィレタリアは、その異名に違わぬ笑顔でもって、居並ぶ要人一同の顔を広く見渡した。
今この場に会しているのは、いずれも公爵や伯爵、司教を始めとした国家の行く末を任される者ばかり。
そんな選ばれし重鎮たちの一人が、恐る恐るといった仕草で呼びかける。
「猊下……? もうじき、レインディールの使者との会合が開かれるとお聞きしておりましたが……?」
その参加者のうち、ヴォルカティウス帝とレヴィンだけはここに居合わせていない。
「私もそう窺っておりますが……まだ、時間には早いようですが……?」
他の一人が困惑気味に追従する。続く形で、別の者らも。
「それに、入り口に立っていたローブ姿の女性は何者で……?」
「ですな。何やら、我々の顔を確認していた風でしたが……」
フードを目深に被った一人の女性が、この会議室へ入室する者の顔を逐一確認していたのだ。
この面々の中でも最高の立場を有するローヴィレタリアは、常のにこやかな表情でわずかに顎を上下させた。
「うむ。実はその前に、皆に話しておかねばならぬことがあってな、ホッホ」
シャン、と右手に握る錫杖を床へつき、残る左手を身に纏うローブの内側……胸元へと忍ばせた。
「諸君は……ハンドショット、と呼ばれる道具について知っておるかの?」
肯定を返す者はいなかった。むしろ何の話かといった様子で、発言者ローヴィレタリアや他の同胞たちの顔を窺う。
「ホッホ。これはの、皆の衆。素晴らしい道具だぞ」
賛辞とともに、ローヴィレタリアは懐から取り出した。手のひらにすっぽりと収まる程度の、しかし恐るべき威力を秘めたその代物を。
銃把を握り、引き金に指をかけ、一同に向けて照準を定める。
「ぬふわはははは! 体感してみるかね、この素晴らしさを! 諸君ら自身で! ん~?」
大口を開けて哄笑を響かせた『喜面』の最高大臣ローヴィレタリアは、
「ふはははは! では味わうがよい!」
躊躇なく、その引き金を引いた。
「……ホッホ。お主に任せた私が愚かじゃったわい」
「まーまーまー、そう言わないでよ~。違和感なかったでしょ?」
「違和感しかありゃせんわ」
バルクフォルト王城内、とある長い廊下の一角でそんな会話を交わす。
異名の喜面を苦笑に変えたローヴィレタリアが、重々しい溜息とともにかぶりを振った。
その面持ちを前に、ナスタディオはかんらかんらと心から笑う。
「えー? 『喜面僧正』って、あんな感じでいいんじゃないのー?」
「あれじゃあ、ただの小悪党じゃろうが。お主の多才ぶりは認めておるが、少なくとも筋書き屋として成功せんことだけは分かったわ。いかに瞞しの出来が良かろうと、話に無理があってはな」
――という訳で、幻覚である。
『ローヴィレタリアが、集まった要人たちに向かってハンドショットの引き金を引く』といった内容の。
部屋の入り口で、入室する者たちの顔ぶれをそれぞれ確認する従者……のふりをして、ナスタディオが術を仕掛けたのだ。
「いやいやー。アタシからすれば、『じ様』はああいう印象なんだけどなぁ」
横目で意味深に見やり嘯くと、ローヴィレタリアが薄目を開けて蛇めいた瞳孔を覗かせる。
「ホッホ。それを言うならば、私から見たお主もな。幻覚にて惑わすに重きを置くとは、あのお転婆が随分と落ち着いたものよ」
「ンフフフ。それだけ大人になったってことでしょ」
一呼吸置いて。
「……そうじゃの。あれからもう、二十年も経つのか。私も老いるはずだ。のう、『金色』よ」
そう呼ばれ、ナスタディオはメガネ越しの眼を鋭く細める。
「ちょーっと。その呼び方はホントにダメよ? レインディールでも、アルディア王以外は知らないんだから」
「ホッホ。あの過酷な南方を駆けずり回った日々が懐かしい。何度も生死の境を彷徨ったはずが、思い起こせば不思議と郷愁に駆られよるわ」
かつてナスタディオがラプソル・エインディアとして生きた中で経験した、砂漠での凄絶な戦いの日々。
今現在『喜面僧正』と呼ばれるこの老人は、当時の同胞。数少ない生き残りだった。
「……話が逸れたな。で、どうかの。ウチの青二才共の中に、それらしき者はおったかね」
「いえ。全員『白』と考えて間違いなさそーね」
今回、集まった要人たちに対し『ローヴィレタリアがハンドショットを突きつける』という幻覚を仕掛け是非を見極めようとしたが、ここに見逃せない要点がひとつ。
ナスタディオの幻覚は原則として自らが思い描いた情景や筋書きを対象に見せつける技だが、『仕掛けられた相手が見る幻はその者の知識に依存する』。
つまり――『ハンドショットを知らない人間は、正確にその幻覚を見ることができない』のだ。
あくまで、自分の知識の中から想像したものを具現化するに留まる。
ゆえに要人たちの視点からは、ローヴィレタリアの構えた道具は各々で異なる物体に見えたはずだ。あるいは、知らぬ単語から今ひとつ想像が浮かばず、何も持っていない図を夢想したかもしれない。
幻覚の中で老人は、その現物を取り出す際に「ハンドショットという道具を知っているか」と前もって口にした(させた)。
仮にあの場に本物を知る者がいれば、ハンドショットを正しく想像し、唐突にそれを突きつけられたと考えて少なからず感情を揺らがせたはず。まして、それをやってくる相手が自国の最高大臣ローヴィレタリアとなれば。
だが、集まった者たちは一様に呆けた様子で最高大臣を見やっていた。緊張感の欠片もなく、そもそも何をしているのかも分からない風情で。まず間違いなく、ハンドショットを正確に思い浮かべた者はいなかったろう。
「ンフフ。あの様子を見ると、じ様が部下の皆様方にちょっと頼りなさを感じてる理由も分かった気がするわ」
「ホッホ。そうじゃろうよ」
総じて、絶対的な権力を持つローヴィレタリアに対し腰の低さが見て取れた。
「まー、それはじ様がおっかないから恐縮してる、ってのが理由の全てだと思うけど」
「何を言うか。この寛大なる『喜面僧正』に向かって」
「現役時代を知る身からすれば、貴方の笑顔は返り血に染まってた記憶しかないのよねぇ」
減らず口を、と鼻を鳴らしたローヴィレタリアが、薄目から覗く蛇眼をジロリと横向ける。
「我々のことはよい。して、そちらはどうなんじゃ。レインディールに、疑わしき者は存在しとらんのか」
「アタシも詳しくは知らないけど~。少なくとも、王城関係者は『白』みたいね。『銀黎部隊』以下はさすがに人数も多いし、あんまり確認できてないみたいだけど」
「ふん……」
「詳しくはアタシじゃなくて、ベルグレッテに訊いたらいいじゃない」
「不躾に訊けるはずもなかろう」
憮然とした横顔を垣間見せる老人に対し、ナスタディオはぱたぱたと手を振った。
「アラ、やだわ~。あの『殺戮坊主』が、孫ほども歳の離れた小娘の顔色を気にして訊きたいことも訊けないだなんて! ンフフフフ」
「喧しいわ。それが為政者というものよ。あとその名で呼ぶな」
言い捨てつつ、言葉尻にシャンと錫杖の金属音が交わる。
「無駄話は程々にして参るぞ。皆も首を長くして待っておろう」
方向転換し歩き始めた老人の背を追いながら、ナスタディオは何気なく口にした。
「そーいえば、皇帝陛下のご様子は?」
わずか、無言の間を置いて。
「……変わらんよ」
疲れたような声音。
「謁見はできそうなの?」
「幸い、今日は随分と調子がよろしいようでな。当初の予定通り、謁見はもちろん……会談にもご出席いただく予定じゃ」
「あらそう。…………」
ナスタディオは無言で後に続く。
(変わらず、戦神に魅入られたまま……ね)
気苦労も絶えないのだろう。
常人と比しても大柄な『あの』ローヴィレタリアの背中が、幾分か小さく見える気がした。