620. 回答と謎
――ようやく仔細な説明を受けたバルクフォルトの大物両名は、にわかに言葉を失っていた。
そんな状況でも貼りつけたような喜面を維持したままのローヴィレタリア卿が、への字に曲げられた瞼の隙間から黄土色の眼光を覗かせる。蛇にも似た鋭い縦長の瞳孔が、滑るように周辺を一瞥した。
「……成程。周囲に気を配られるのは、そういった事情があってのことだった訳ですな」
「オルケスター……ですか。して、『融合』なる奇異な能力を持つ老人が存在すると……。いやしかし、オームゾルフ祀神長の一件については聞き及んでおりましたが……よもや……」
情報量が多すぎたか、さすがのレヴィンも深刻な表情で言葉を途切れさせる。にわかな静寂が訪れる中、レノーレが一歩進み出た。
「……ベルグレッテの語った内容は全て事実です。……オルケスターの策略によって、我が国は危うく潰えるところでした」
バダルノイス人の貴族にして事件の当事者たる彼女が言い切ると、ローヴィレタリア卿がかすかに重い息を吐いた。
「……ようやっと合点がいきましたぞ。私共がそのオルケスターなる組織に関与する者なのか否かを確認されたのですな。このハンドショットなる代物を用いることで」
「……率直に申し上げるならば……、仰る通りでございます。大変なご無礼を申し訳ございません。しかしながら……あのオルケスターの影響力を目の当たりにした身としましては、是非を確認せずにはおれぬと判断いたしました」
丁寧に頭を垂れるベルグレッテに対し、ローヴィレタリア卿は変わらぬ笑顔で答えた。
「いえ、お気遣いは無用ですぞ。仮に私が同じ立場に置かれたならば、やはり同じ対応を致すでしょう。一国の主導者たるオームゾルフ祀神長ですら例外たり得なかったならば、我らとて……否、もはや疑いから外れる者などおらぬと考えるが道理」
おー、と流護は胸中でローヴィレタリア卿の発言に唸った。
理解が早いうえに、多角的な視点を持ち合わせている。並の貴族であれば、試されたことに憤慨したり、自分の国に限ってそのような不届き者などいるはずがないと息巻いたりするところだ。
大国バルクフォルトにおける影の帝王、という肩書きは伊達ではないらしい。ベルグレッテも、旧知のこの相手の度量の大きさを承知してこうしたやり方に踏み切ったのだ。
(顔はめっちゃ悪徳政治家っぽいのに……)
実際、この老夫が時折覗かせる鋭い眼光は明らかに常人のそれではない。ただの好々爺などでないことは察しがつく。
快諾されてなお恐縮している風な少女騎士の横で、実にいつも通りな学院長が言葉を差し込んだ。
「うーん。お二人がまるで知らないとなると、ハンドショットを使った犯罪はこの国じゃまだ起きてないと考えてよさそうねぇ」
ローヴィレタリア卿が変わらぬ笑顔で愉快げに喉を鳴らす。
「おや、らしくありませぬな。『あの』ナスタディオ学院長が、早々に我らを潔白と判じてくださるとは。巧妙に謀っておるやもしれませぬぞ? ホッホ」
やや意外というか、こんな冗句も言えるらしい。学院長はというと、何でもないことのように。
「いやー、『嘘』を見破るのは得意なので。それに、ハンドショットを渡されたお二人の反応をジッと見させてもらったけど……まあ、『黒』ではあり得ないかなーって。ね? ベルグレッテはもちろん、リューゴくんもそう思ったんじゃない?」
いきなり水を向けられ若干戸惑った少年だったが、「まあ、そうすね」と同意はした。
ベルグレッテがこの凶器を取り出した瞬間の二人の表情に注視していたが、驚いたりなどの様子はなかった。加えてレヴィンは不用意に銃口を覗き込んだり、ローヴィレタリア卿は銃把を握った弾みで引き金を引いたりしていた。
ハンドショットを予め知っているなら、一見した限りでは弾が入っているかどうかも分からないこの武器に対し、そのような危ない真似ができるはずはない。彩花などは、弾が入っていないと聞かされても身を縮こまらせていたのだ。
無論、この判別方とて完璧ではない。疑いから外れるために逆を張り、あえてそうした行動に出る可能性がないとも言い切れない。
が、
「ま、お二人に関しては『白』であることが前提だったから。伊達に長い付き合いじゃないしね、そこは信じてるわよ~。それにさすがにバルクフォルトの影の帝王と『白夜の騎士』がオルケスターなら、ここまで完全に隠し通すのは無理でしょ。とにかく人前に出ることが多いお二人だから、どこかしらで何らかの噂が立つんじゃないかしら。そもそもオルケスターなんて今まで名前すら耳にしなかった組織だし、それってつまり秘匿能力の高さはもちろんとして、基本的には人員が自分の素性を隠し通せるほど悪目立ちしない立場の者で構成されてるってこと。オームゾルフ祀神長は例外だけど、聞いた限りじゃかなり最近唆されたみたいだし、そもそも正規の人員じゃないみたいだし、結局は露見してるし」
「ホッホ。お主にそう判断されたなら、ひとまず安心しておくとしよう」
学院長も、このローヴィレタリア卿やレヴィンとは旧知の間柄だという。しかも、貴族としての立場から丁寧なやり取りを交わすベルグレッテたちと比較しても、数段気安い。
(この人の顔の広さと謎に高い立場はまあ、こういう時に助かるな……)
伊達に年は重ねていないということか。など口にすれば即座に幻覚の刑であろうが。
「それに……実はもう一つ、オルケスターに与する人間かどうか判断する材料があるのよ。ね? ベルグレッテ」
学院長が呼びかけると、少女騎士が同意の仕草を返す。
「はい。これについては長くなりますので、詳細はまた後ほどお話しさせていただきますが……『ある特定の期間』が、その人物の潔白……ないしその逆を裏付ける証明となりえます」
「ふうむ……それは察するに、探偵の言葉でいうところの現場不在証明のようなものでしょうか」
レヴィンが訝しげに問うと、ベルグレッテは「ええ、まさに」と肯定した。
「それで御大、これからの会談の話だけど。どんな顔ぶれを集めてくれたのかしら?」
「ホッホ、そこは『信の置ける者』に声を掛けたつもりですぞ。ガンドショール公爵、オードチェスター伯爵とその夫人、シェストルム司教……他、めぼしい者が数名といったところでしょうかの」
『信の置ける者』の言い方が妙に皮肉っぽいなあ、と密かに苦笑する流護だったが、
「ん? どした?」
ふと顔をそちらへ向ける。やや驚いたように息をのんでいるベルグレッテやクレアリア、レノーレに。
「ローヴィレタリア卿。その方々は……」
少女騎士が尋ねると、最高大臣は笑顔をより深めた。
「おお、そうでしたな。ベルグレッテお嬢様方はまさしく今現在、彼らの子息や子女と交流なされておいででしたな、ホッホ」
そう言われて、流護もようやく思い当たる。
「あれ、ガンドショール……って……もしかして……? あと、他の人も」
少年が呟くと、ベルグレッテも「ええ」と頷く。
何だかんだと親睦が深まってきた、リズインティ学院の生徒たち。
女好きのニヒルな貴族青年、エドヴィンのパートナーことリウチ・ミルダ・『ガンドショール』。
高身長でスタイル抜群で引っ込み思案でメルティナファンで神詠術オタクの美少女、レノーレとコンビを組むシロミエール・レ・『オードチェスター』。
そして流護たちもまだ面識はないが、学院生ながら精鋭部隊『サーヴァイス』所属でもあるという、エーランド・レ・『シェストルム』。
つまり今回の会談に際して集められた面子には、彼らの父親や母親がいるということだ。かくいうローヴィレタリア卿自身、あの引っ込み思案の少女リムの父親である。
(なるほどな。みんなミドルネーム持ちだから、いいとこの貴族なんだろうとは思ってたけど……、……ん? あれ、そういや……)
そこでふとあることが気にかかってチラリとレヴィンの顔を見やる流護だったが、そうしている間にも角ばった顎をさするローヴィレタリア卿が言い進めた。
「念のため、事前に申しておきますが……此度集めた面々の中に、後ろ暗い者はおらぬと私は考えますぞ」
「アラ。御大にしちゃ珍しい、身内贔屓かしら~?」
からかうような学院長に対し、『喜面僧正』の閉じられたまぶたからチラリと黒目が覗く。蛇のような縦長の瞳孔を宿す、鈍い黄土色のそれが。
「ホッホ、残念ながらむしろ逆での。この面々は、確かに今の我が国を支えてゆくに際し欠かせぬ者共ではあるが……しかし、私の目を掻い潜って『副業』に精を出せるほど肝っ玉の据わった者なぞおらぬのよ。……カジェスなぞは少しばかりボケが始まっとるしな。そのようにいっそ開き直った豪胆さを持つ『有能な』者がおれば、この老いぼれが未だに影の帝王なぞと呼ばれることもなく、のんびりとした余生を過ごせるんじゃが」
ホッホッホ、と高笑う老人だが、ようやく流護も察する。
(……あれだ。この人、一見ニッコニコしてるけどめちゃくちゃ厳しい鬼上司タイプや。間違いない……)
この笑顔のまま、手にした錫杖でいきなり横っ面をぶん殴ってきても何ら違和感がない。「南無阿弥陀仏」とか言いながら。そんな感じ。
(……けど、とにかくあれだな……)
今日の会談のために集められた面々がリウチやシロミエールらの父母であるのなら、流護たちとしても『黒』ではあってほしくないところだが……。
と、最高大臣が自らの隣の美青年騎士へと意識を向ける。
「ホッホ。如何したか、レヴィンよ。何ぞ気に掛かることでもあったか」
「……いえ」
ここまで押し黙っていた『白夜の騎士』は、思案した様子で言葉を発した。
「僕も……身内贔屓をする訳ではありませんが、我が国の中にそのような輩が存在するとは思えないのです。……かつて、バーディーン子爵の一件もありましたし……貴族の不祥事という点に関しては僕も目を光らせているつもりですから。そのうえでこれまで、わずかほどもそれらしき闇に心当たる出来事はありませんでした。しかし、そうなると……」
もしその推測が正鵠を射ているのであれば、バルクフォルトにオルケスターの魔の手は伸びていないということだ。喜ぶべきことであろうに、しかしレヴィンの表情は晴れない。
「レノーレ殿には不躾な物言いとなってしまい恐縮ですが……オルケスターは、バダルノイスの国力が低下しているところへ付け込む形で接触を図ってきた。そして国家再建に協力すると申し出、その代償としてメルティナ殿の力を欲した……でしたね」
当事者のレノーレが、気を害した風もなくコクリと同意を示す。
「オルケスターは、そもそも何の目的があってそのような真似に打って出たのでしょう。一国家を篭絡して……更には、『ペンタ』の力を奪ってまで……彼らは、何を為したいのでしょうか」
「それは……」
ベルグレッテを始めとした皆が押し黙る。あのバダルノイスの一件を乗り越えはした流護たちだが、未だオルケスターについては謎の部分が多すぎるのだ。が、
「相手は悪党だし……単に、勢力拡大してブイブイ言わせたいだけ……とかじゃ、ないんすか?」
流護は単純な思いつきを口にする。
意外にも、それに対しレヴィンは真摯な眼差しを向けてきた。
「そうなのかもしれません。しかし、力が大きくなればなるほど……勢力を拡大すればするほど、動きづらさが増していきます。司法の目に触れかねず、同業からも疎んじられるなど……。結果、悪事の秘匿も難しくなり、やがては自分たちの存続にも関わってくるのではと。得てして、巨大にすぎる力は自らを滅ぼすものですから。これまでの話を聞くに、極めて慎重なオルケスターがそこを理解していないとも思えません。ならば……そんな危険を犯してまで、なぜ……」
「…………」
確かに、だ。
オルケスターはおそらく、今でも充分な力を持っている。小規模とはいえ国家再建を提案するほどの資金力、ハンドショットやセプティウスを開発するほどの技術力、そして所属しているミュッティやメルコーシアを始めとする構成員の戦闘力。
(……あいつらには、何か……そこまでする目的があるのか……?)
シャシャン、と鈴の音色が多重に響く。ローヴィレタリア卿が杖としている錫杖で石畳を突いて、煌びやかな飾りが揺れたのだ。
「ともあれ、続きは会談の席にて致しましょうぞ。仮に怪しき者が我々を覗き見ておれば、いつまでもこのような場所で話しておることを訝しむやもしれませぬでな、ホッホ」
確かに、ここで立ち話に興じて結構な時間が経過している。
老人の提案に従い、ようやく一行は城へ向かって長い橋を渡り始めた。
「それではまず、一応は集めた我が国の者らの潔白を確認しておきますかな。如何致しましょうか。いっそ奴らの鼻っ面に、そのハンドショットとやらをいきなり突きつけてもらっても一向に構いませんが。ホッホ」
「い、いえ、さすがにそれは……」
こちらとしてはそれも辞さないつもりではいたが、いざそう提案されて意気揚々と肯定できるものでもない。ベルグレッテが引き気味に困り顔となる……が、乗り気な人物がいた。その金髪美女が、意味深にメガネを光らせる。
「おっと、そんな大雑把でいいのであれば御大。手っ取り早く、アタシがやっちゃいましょうか」
「……ふむ、そうじゃのう。ナスタディオ学院長のお力を使えば、『現物を持ち出す必要もない』か。ホッホ」
何やら、『怖い大人たち』の間で物騒な取り引きが成立したようだった。