618. 秘めたる策
「――諸君。こうして集まってもらったのは、他でもない」
場所はバルクフォルト王城、数十と内在する会議室のひとつ。
『喜面僧正』ことトネド・ルグド・ローヴィレタリアは、その異名に違わぬ笑顔でもって、居並ぶ要人一同の顔を広く見渡した。
今この場に会しているのは、いずれも公爵や伯爵、司教を始めとした国家の行く末を任される者ばかり。
そんな選ばれし重鎮たちの一人が、恐る恐るといった仕草で呼びかける。
「猊下……? もうじき、レインディールの使者との会合が開かれるとお聞きしておりましたが……?」
その参加者のうち、ヴォルカティウス帝とレヴィンだけはここに居合わせていない。
「私もそう窺っておりますが……まだ、時間には早いようですが……?」
他の一人が困惑気味に追従する。続く形で、別の者らも。
「それに、入り口に立っていたローブ姿の女性は何者で……?」
「ですな。何やら、我々の顔を確認していた風でしたが……」
フードを目深に被った一人の女性が、この会議室へ入室する者の顔を逐一確認していたのだ。
この面々の中でも最高の立場を有するローヴィレタリアは、常のにこやかな表情でわずかに顎を上下させた。
「うむ。実はその前に、皆に話しておかねばならぬことがあってな、ホッホ」
シャン、と右手に握る錫杖を床へつき、残る左手を身に纏うローブの内側……胸元へと忍ばせた。
「諸君は……ハンドショット、と呼ばれる道具について知っておるかの?」
肯定を返す者はいなかった。むしろ何の話かといった様子で、発言者ローヴィレタリアや他の同胞たちの顔を窺う。
「ホッホ。これはの、皆の衆。素晴らしい道具だぞ」
賛辞とともに、ローヴィレタリアは懐から取り出した。手のひらにすっぽりと収まる程度の、しかし恐るべき威力を秘めたその代物を。
銃把を握り、引き金に指をかけ、一同に向けて照準を定める。
「ぬふわはははは! 体感してみるかね、この素晴らしさを! 諸君ら自身で! ん~?」
大口を開けて哄笑を響かせた『喜面』の最高大臣ローヴィレタリアは、
「ふはははは! では味わうがよい!」
躊躇なく、その引き金を引いた。
――時は遡って、一時間ほど前。
藍葉の月、六日。
一年前の今日、有海流護はあのファーヴナールを撃破した。あれから一周年となるこの日、時刻は午前九時前。
共同学習も早五日目となるが、本日はベルグレッテ、クレアリア、レノーレの三人は欠席となる。
彼女らは現在、バルクフォルト王城へ向かう馬車の中で揺られていた。対面に座る流護、彩花、ナスタディオ学院長とともに。
三人同士で向かい合わせとなる席にてくつろぎながら、年長者かつ責任者の学院長が見本みたいな笑顔で一同を見渡した。
「ところでアンタたち、どう? リズインティの子たちとは上手くやれてる?」
思わず「先生みたいなこと言いますね」と口走りかけた流護だったが、すんでのところで踏み止まった。一人で勝手に冷や汗をかく少年をよそに、腕を組んだクレアリアが言葉を発する。
「そうですね。さすがは脱落者も多いとされるリズインティ学院で三年目を迎えた八十余名。皆総じて技量・知識ともに高く、やる気にも満ち溢れていて……いい刺激になります」
「アラ。それは良かったわ〜。当初は『こんな催し聞いたこともありませんっ』とかツンケンしてたクレアリアにそう言ってもらえるなら、この修学旅行も大成功ってとこかしらね〜」
「な! 何ですか、悪いですかっ」
「だから良かったって言ってるじゃないのー。ンフフフフ」
さしものクレアリアも学院長には手玉に取られるのだから面白い。その様子に微笑んだベルグレッテが意見を口にする。
「けれどたしかに、同好の士との交流がこれほど向上心を刺激されるものだとは……。私たちも精進せねば、という気にさせられます」
実際のところ、そこはお互い様なのだろう。
どちらも、国内に唯一の神詠術専門校。無二であるがゆえ比較対象が存在せず、その閉じられた環境はあらゆる面において独善的な偏りを生み出しやすい。
今回、国家の垣根を越えて同じ立場の者たちと接する機会を得られたことは、両学院にとって大きな財産となるはずだ。
「うんうん、その調子で頑張りなさい若人たちよ! あ、いやアタシもまだまだ若人だけどね? ね? ……。……そうだと言いなさいよ? 早く?」
「実際、向こうもあれだよな! 将来有望そうな生徒とか多いよな!」
「あらアリウミ殿! 例えばどなたが!?」
話が面倒な方向へ転がらないうちに流護が立て直すと、すぐさまクレアリアが乗ってくる。察してくれてありがたい。珍しく両者の息が合った瞬間である。
「いやまあ、後ろから授業見てた範囲でだけどさ。まず、システィアナなんかは万能じゃん? 指名されてもサラッと答えるし……何やらせても、そつなくこなしてるよな」
リズインティ側の委員長。肩に白いフクロウを乗せた、快活な少女だ。彼女に関しては、まず初顔合わせの挨拶の場で通信術を操る様からして「おお」と思ったものだ。余談だが、流護も彩花も、気軽にシスと呼んでほしいと言われている。あの高い社交性も、彼女の長所のひとつに違いない。
「それは確かに。……正直なところ、学院生の範疇であれば私を明確に上回るのは姉様とマリッセラ殿、そしてレノーレぐらいのものと思っていましたが……シス殿も、間違いなくその一人に数えられますね。あれほどのお方がいるとは……私も、まだまだです」
「明確に上回るって……ダイゴスは?」
「あの男は『十三武家』じゃないですかっ」
変なところで意地っ張りというか負けず嫌いというか男嫌いというか。
「あとはほら、よくクレアさんの後をくっついてる……」
「ああ、リム殿ですか。あのローヴィレタリア卿のご息女ですので……という安易な言い方をしては彼女に失礼ですね。弛まぬ努力あってのことでしょうから」
極めて内向的でいつもクレアリアやシスティアナの後ろに隠れるようにしている控えめ少女リムだが、講義を見ている限り相当優秀な詠術士候補であることが分かった。システィアナほどではないにしろ、知識も豊富で神詠術を扱う技術にも長けている。ただ、すぎるほどに大人しい。とりあえずこれまで、流護は彼女が自発的に喋ったところを見たことがない。
「そんであとは、レノーレと組んでる……」
相も変わらず物静かなメガネ少女へ目を向けると、
「…………」
「…………」
まあいつも通り会話が止まった。
「……シロミエール?」
「なぜ俺に訊く。いやそうだけど」
メルティナ・スノウに憧れているという、高身長モデル体型引っ込み思案な属性山盛り少女。彼女については『神詠術マニア』とでも呼ぶべきか、とにかくその関連の知識・造詣が深い。歩く辞書みたいなレノーレとは、ある意味で似た者同士とも思える。講義を見る限り、実戦的な技能も高そうだった。
「上手くやれてるっすか、レノーレさん」
俺が気にすることでもないんだろうけど、と思いつつ流護が尋ねると、風雪のメガネ少女は相変わらずの無表情で。
「……彼女は、私がメルの従者だから声をかけてきた。……私個人と親しくなりたかった訳じゃない」
「えぇ……いや、んな身も蓋もない……」
「……そんな切っ掛けではあったけど、彼女から学べることも多い。……おかげで、有意義な時間を過ごせてると思う」
レノーレなりに歓迎はしているということか。分かりづらいが。
そこでクレアリアがやや目を平坦にしてぼやいた。
「そういえば基本的には皆熱心ですが、さほどでない人もいるようですね。主に、リウチ・ミルダ・ガンドショール殿という方ですが」
この期に及んでのフルネーム呼ばわりを冷たいと見なすか、それとも長い名前をしっかり覚えられていると好意的に解釈するか。判断が難しいところである。
「はは、まあ確かに……。あの人、エドヴィンと組んでんのにそっちのけで女子に声かけまくってるよな」
もっとも、そのエドヴィンもリウチに対して全く興味がない様子。
そこは人と人。合う合わないはあるだろうし、ペアの数は四十組を超える。基本的にどのコンビも仲が深まっているようではあるが、そうでない者も存在して然るべきだろう。
(ん……? てかリズインティ学院って、入学のハードルは低くても脱落者多いんだよな。あんなやる気なさそうなのに三年生になれてるリウチさんって、実は凄いんじゃね……?)
ふとそんなことを考える少年だった。
「…………ん?」
そして、そこで今さらながら気付く。
「何だお前、やけに静かじゃん」
すぐ隣。両手の握り拳を太ももの上に置いて、妙に肩を竦めた彩花の様子に。
「具合でも悪いのか? 馬車酔いか?」
「……違うって……。だってこれから、この国の王様とか、偉い人に会ったりするんでしょ……? みんな、緊張してないの……?」
「ああ、そういう。逆に何でお前はそんなガチガチになってんだよ」
「いやなるでしょ! マナーとか分かんないし、自分でも気付かないうちに失礼なことしちゃって打ち首獄門! 市中引き回し! とかなったら……!」
「ふふ、大丈夫よアヤカ。事前に話した通り、私たちの動きを真似てもらえれば問題ないわ。慌てず、ゆっくりでいいから。バルクフォルトは開かれたお国柄だし、ローヴィレタリア卿もヴォルカティウス帝も、とても寛大なおかただし」
「姉様の仰る通りですよ。我が国の陛下もそうですが、民との触れ合い場を設けられるお方に対しては、最低限の常識さえ弁えていれば問題ありません。例えば、謁見する市井の民が上流階級のしきたりや作法などを心得ているはずもありませんからね。そうしたことも承知の上でお会いになる訳ですから」
「そ、そうは言うけどー……!」
姉妹がそれぞれ微笑むも、何も分からない現代日本の女子高生としては当然の反応か。
確かに無理もない。ガーティルード姉妹は上流貴族、レノーレも同じ、学院長は『ペンタ』にしてその肩書き通り国内唯一の神詠術専門校を任される身。やんごとない階級の人物との顔合わせに慣れた面子ばかりだ。
「つかあれだな。お前、アルディア王より先にバルクフォルトの王様に会うことになるんだな」
レインディールで暮らしている身でありながら変則的な経緯である。
本日の予定としてはローヴィレタリア卿とレヴィンに合流後、まずヴォルカティウス帝と謁見。その後、国の重鎮たちとの会談である。よくよく考えてみれば彩花の場合、レインディールですらそうしたお上の面々と顔を合わせた経験はないのだ。
「あああ……」
とにかく、何を言っても彼女の緊張がほぐれることはないらしい。であれば、もう放っておくしかなかろう。
そこでおもむろに。ふう、とベルグレッテが息を吐く。自分を落ち着かせるように。
「……私も、アヤカとは違う意味で緊張はしているけど」
にわかに集まる注目。その意味するところは明白だ。
――即ち。
果たして、バルクフォルト要人の中にオルケスターと通じる人間がいるのか否か。
「……ベル子。『あれ』、ちょっと貸してもらってもいいか?」
流護が手を差し延べると、一拍の間。やがて小さく頷いた彼女が、自らの懐からそれを取り出した。
「……」
手渡しで受け取ったその物体は――
「……うわ。これが……?」
隣の彩花もまじまじと見つめてくる。
「ああ。これが――ハンドショット。ようは拳銃だな」
「うわ。すご、すご。聞いてはいたけど……ほんとに、まんまピストルじゃん……」
流護の手のひらに悠々と収まるそれは、オルケスター謹製の射撃武器。古めかしいクラシックなデザインだが、地球出身の人間が見ればそうとしか見えない一品。分類としてはデリンジャーが最も近しいか。
かつてレインディール南方の街・ジャックロートにて流護自身が悪漢から押収した代物であり、今回の会談に向けてベルグレッテが王城から預かってきた『判別道具』でもあった。
万が一にも『撃ててしまう』ことを防ぐため、弾は持ってきていない。もちろん弾倉も空で、完全に『銃だけ』である。つまり、これが武器として機能することはないのだが――
「これがあれば、オルケスターとかって組織の人を見分けられるの……?」
「一応はな」
彩花の呈した疑問に、流護は肯定を返す。
「でも、どうやって?」
「簡単なこった。例えば……お前、今いきなりこの銃口を向けられたらどうする?」
「どうって……、いやいや向けないでよ! え、私のことが邪魔になったの!? 始末する気!? 重いオンナですか!? てかそれ、弾は入ってるの? そんな触って、間違って撃っちゃわない……!? うわ危ない危ない! 危ないって!」
流護が手のひらでハンドショットを転がしていると、彩花が引き気味に意味不明なセリフを交えつつあわあわする。
「弾は入ってないから安心しろ」
「そ、そうなの? いやでもさー……!」
そして、向かい席のベルグレッテがぽつりと言うのだ。
「アヤカの反応が、そのまま答えになっているわ」
「え? どゆこと?」
「アヤカはその武器の危険性を知っているから、そうして慌てたわよね」
「そりゃそうでしょ!」
でもさ、と流護が後を引き継ぐ。
「これ。拳銃を知らない人が見たら、危ないモノだって思わないみたいなんだよな」
「え!?」
事実、流護は目にしてきている。
悪漢によってこのハンドショットを突きつけられた住民たちが、当たり前のように平然としていた様を。
銃口を向け今にも引き金を引こうとしている悪人に対して、まるで臆さず真正面から突っ込んでいったレオという青年の姿を。
あのジャックロートの街で死者が出なかったことについては、ただ運がよかっただけとしか言いようがない状況だったのだ。
「あのディノの野郎だって、初見じゃまるっきり無警戒で撃たれたっていうからな」
「えっ!? あの人が……!?」
実際に当人の強さを目の当たりにした彩花にしてみれば、さぞ分かりやすい例えのはず。
「あれ、でもそれで大丈夫だったの……? 私が見たときは、そんなケガもなさそうで……ピンピンしてたみたいだけど」
「まあ、そこはディノだからな……。で、とにかくだ」
ハンドショットをベルグレッテに返しつつ。
「この世界のほとんどの人は、まだハンドショットの怖さを知らない。だから、銃口を向けられてもビビらない。でも当然、知ってる人間なら危険度を理解してる訳だ。今さっきの、拳銃を知ってるお前みたいに」
「あ! じゃあ、オルケスターかもしれない人にそれを見せたら……?」
「そゆことだな」
銃口をいきなり向けられるようなことがあれば、反射的に身構えるはずだ。製作側ゆえ、その危険性を誰よりも熟知しているのだから。
あのグリーフットが出会ったデッガ――ヴァルツマンと名乗る男が、まさにそうだったという。野盗にハンドショットを向けられ、グリーフットを含めたほぼ全員が何事かと訝るのみだった中、ただ一人真っ先に防御術を展開してみせたのだ。というよりも、この判別方法はその一件から着想を得ている。
そんな発案者ベルグレッテが捕捉した。
「もちろん、これに反応したからといって安直に『黒』と断じることはできない。すでにこの武器の存在を知っている人も少なからず存在するし、逆にオームゾルフさまのようにオルケスターと通じていながらも武器に疎く把握していないといった相手もいるかもしれない。だから、あくまでも目安のひとつということにはなるけれど」
「まー、丸っきりアテにならないってことはないと思うわよ?」
両手を頭の後ろで組みながらあっけらかんと言うのは学院長だった。
「実際、アタシはそのハンドショットが使われたとこを見たことないからね〜。見た目だけだと、とてもそんな危ないブツには思えないし」
そんな言に対し、クレアリアとレノーレも追従した。
「一理ありますね。ここまで小さな道具からそれほど強力無比な射撃が放たれるなど……未だにわかには信じられない、というのが本音です」
「……想像がつかない」
そうなのだ。結局のところ流護とベルグレッテ以外は、この武器が実際に使われるところを目の当たりにしていない。
「そうだな……単発ではあるけど、メルティナの姉ちゃんの本気の射撃みたいのが撃てる道具……って言やぁ、レノーレには何となくヤバさが伝わると思うけど」
「…………、」
わずかにしかめられる、風雪の少女の柳眉。珍しくも崩れた無表情が、彼女の覚えた危機感の度合いを示している。
「レノーレでなくとも……かの北方の英雄と同等の攻撃が誰にでも放てるというのであれば、その異常性は理解できますね。少なくとも、言葉のうえでは」
クレアリアも神妙な表情でそう言い結んだ。
「アレね。一度、関係者集めて実演してみた方がいいわね。そのハンドショット撃つとこを。こーゆーのって、何だかんだ自分の目で見てみるのが一番だから」
あっけらかんと言ってのける学院長だが、こういった提案を柔軟に持ちかける感性はさすがである。
「弾は十発分ぐらい押収してるんでしょ?」
「そうすね。あのモノトラって奴から回収したのも含めればもっとたくさんあるし。確かにあのヤバさは一回、皆集めて見てもらった方がいいかもな……」
ことハンドショットに関しては現状、その性能と人々の認識に大きな乖離があると流護は感じている。
まさに今しがたのクレアリアたちのように、話に聞いてなおそんな代物が存在するとは信じられない――といった具合に。それほど、この世界の常識や文明から考えて突出した性能を誇る凶器なのだ。
「まあそれはおいおい考えるとして、とりあえずまずはこのやり方で判定してみるって感じだな。で、それでもイマイチだったら……」
言いかけて少女騎士を見やると、彼女がコクンと首を縦に振る。
実はハンドショットに対する反応を窺う以外に、同様の信頼性を持つ判断材料をひとつ用意している。
さて、果たして疑わしい人物は発見されるのか否か。
今から、いかなる事態にも対応できるよう気構えを作っておく必要がありそうだった。




