615. 静かな戦局
「決ッ闘っ!」
アンドリアン学長が大仰に叫んで、実に満足そうに頷く。
「ええですのぅ! 若人は、こうでなくてはならん! ふぉっふぉっふぉっ!」
盛り上がる学長や周囲の生徒たちとは裏腹、彩花が気が気でない様子でベルグレッテたちの顔を見渡す。
「けけ、決闘!? なんで!? なんかえらい騒ぎになってない!? てーか、マリッセラさんもすごい人なんだよね!? ど、どうするのこれ……!」
彼女がおろおろする一方で、落ち着き払ったクレアリアが溜息をひとつ。
「アヤカ殿、アリウミ殿が勝ちますのでご心配なく。その結果は分かりきっていますが……姉様はどう見ます?」
「……そうね……」
顎先に指を添えたベルグレッテは、ぽつりとその推測を口にした。
「マリッセラはきっと……リューゴの力を疑っている」
「えー!? リューゴくんは、ほんとに強いのに!」
真っ先にプンスコするミアの頭を撫でてやりながら、ベルグレッテは誤解を招かぬよう補足する。
「疑っているというのは、あくまで無手無術という点に関してね。リューゴの実力が本物であることは認めているはず。けど……武器を持たず、神詠術も扱わず……そのような身で、強者となれるはずがない。そうした考えが前提にある。だからこそあの子は、あれほどまでに怒っている……」
「ふんむ、なるほどね。本当に強いくせに、なぜわざわざ無手無術だなんてありえないことを標榜するんだ、ってわけね?」
システィアナの読みに「ええ」と頷きながら、ベルグレッテは更なる推測を口にした。
「だからきっと……マリッセラは、『化けの皮を剥がしてやろう』って考えているんだと思うの」
「ば、化けの皮?」
やや物騒な言葉を復唱する彩花に続き、その真意を汲み取ったらしい妹が得心顔となった。
「つまり、アリウミ殿に『術を使わせてやろう』と考えている訳ですね。例えば……アリウミ殿が慌てて防御術を展開して身を守るようなことがあったなら、それだけで無術という売り文句に傷が付きますから」
「えっ! で、でもあいつ、本当に術なんて使えないよ……!?」
「マリッセラ殿はそれを信じていませんからね。ゆえに、皆の目の前でアリウミ殿に術を使わせてやろうと。無術なんて偽りだと証明してやろうと。それが狙いで、決闘を申し出た訳ですね」
「で、でも! リューゴくんは、神詠術使えないよ!?」
「ミア。話を巻き戻さないでくれますか」
彩花が言葉を失い、ミアが小首を傾げた様子でいると、システィアナが淡く微笑んだ。
「……でも、気持ちは少し分かるかも。私はバルクフォルトの人間だから、仮にアリウミ遊撃兵が実は無術じゃなかったとしても、『レインディールはそういう方針で彼の名を広めようとしてるのかな』ぐらいにしか思わないけど……」
彼女が言い淀んだその先を、クレアリアがニヤリと拾う。
「自国でそのような売り出し方をする輩がいたなら、あまりいい気はしませんよね」
システィアナが慌てて手を横に振る。
「あっ、ごめん! レインディールの……よその国のことだからそれでもいい、って思って言ってるわけじゃないからね!?」
彼女が慌てると、その肩に乗っている白フクロウのオレオールもバタバタと羽ばたいた。主従の同じ仕草に吹き出したクレアリアは、「分かっていますよ」と苦笑する。
そんな会話を交わすうち、アンドリアン学長が大仰に手を振った。
「では、決闘とあらば公平を期すために私めが合図を務めましょうぞ。用意はよろしいかな、お二方」
静かにわずか頷くマリッセラ、「了解でーっす」と間延びした肯定を返す流護。
胸を張って半身に構える前者、何の構えも見せぬ後者。双方の距離はオルバフの時と同じ、十マイレ前後。
「は、始まっちゃう」
緊張しきりな彩花へ、ベルグレッテは「いえ」と否定を返した。
「え? どういう……」
「始めえぇいぃ!」
アンドリアン学院長の号令が木霊する。
十マイレほどの距離を隔てて向かい合う流護とマリッセラ。
双方ともに――、動かない。
そのまま、五秒……十秒、と経過していく。
「……やっぱり……」
生徒らのどよめきの中でベルグレッテが呟くと、彩花が「どういうことなの」と囁く。決闘者二人からは目を離さぬまま。
「……マリッセラはきっと、リューゴが『身体強化を駆使して無術を装っている』と考えている。であれば……」
そこで、リムがハッとしたように赤い瞳を見開いた。
「……時間ぎれを……」
「ん、その通りよリムちゃん。通常、身体強化の効果時間は十数秒から長くても数分。であれば……ああして待つだけで、効力の時間切れを誘える」
ディノのような例外こそ存在すれど(そもそもベルグレッテとしては未だに懐疑的だが)、基本的には長時間維持できるような技法ではないのだ。あくまで本来は、ここぞと思った瞬間に超人的な速度と膂力を発揮して畳みかけるための補助術。
流護が開幕から身体強化を発動していたと仮定する場合、動かずにいる今は効果時間が無為に過ぎ去っている状況となる。
そこで、自身もこの技能を会得しているクレアリアが引き継いだ。
「身体強化は、対象に剛力や身軽さを付与しますが……代償を伴います。効果が切れれば、倦怠感や疲労感といった反動に襲われる。術の精度にもよりますが」
「軽々しく乱用できるものじゃないわよね」
そんなシスティアナの言に頷いて。
「つまりアリウミ殿が身体強化を使っている場合、いつ攻めてくるとも分からないマリッセラ殿に備えて延々と術を掛け直さなければならない。そんなことを続けていれば、それだけで反動によって消耗していく……」
「で、でもさ。それって、流護が大人しくずっと待ってたらの話だよね。じゃあ、流護のほうから攻めたらどうなるの?」
彩花の疑問に対し、クレアリアは実にあっさりと言い放った。
「アリウミ殿が勝って終わり、でしょうね」
「え!?」
「ですが……今この場の状況を考えたなら、それはありえないでしょう」
「ど、どうして?」
「先の男子生徒との立ち合いもそうでしたが……そもそも今は、アリウミ殿が受け持った講義の時間。いかに決闘が成立したといえど、『生徒たちより遥か格上であるアリウミ遊撃兵が胸を貸している時間』なんです」
「ふんむ、そういうことね。アリウミ遊撃兵が先手を打ってマリーを倒してしまうなんて真似……講師が生徒を本気で倒しにかかるなんて真似、できるはずがないと。仮にやってしまえば、生徒相手に本気を出したみたいで格好も示しもつかないってわけね」
「正解です、シス殿」
「マリーはそれも見越したわけね。アリウミ遊撃兵は飽くまで待ちの姿勢、自分から攻めてくることはないって」
彩花が目をしばたたかせた。
「そんなことまで計算して……? じゃあ……もしほんとに、流護が身体強化? っていうのを使ってるだけの詠術士だったら……」
「ええ。ただこうしているだけで、一方的にアリウミ殿が消耗していくことになります」
未だ見合ったままその場から動かない、二人の決闘者。
しかし、刻一刻と戦況は傾いていくのだ。マリッセラへと。実に強かな才略といえる。
「とまあ、ここまで長々と語っていて何ですが……そもそも、今回に限ってはその前提が間違っている訳で」
はあ、とクレアリアが気の毒そうに溜息をつく。ベルグレッテも頷いた。
「ええ……リューゴは詠術士じゃないし、身体強化も使っていない……」
つまり、マリッセラは最初から間違えている。
が、それはあまりにも不可抗力というものだとベルグレッテは思う。
当初の自分とてそうだった。有海流護という『異なる世界』からやってきた少年の特異性など、このグリムクロウズに住まう者に知り得るはずもない。
「じっ、じゃあ、マリッセラさんのやってることは無駄で、流護には効かないってこ……、……ん、あれ?」
と、彩花が言葉を切って自分の目をこしこしと擦る。
「何だか……マリッセラさんの周りが、ゆらゆらして見える……?」
「『揺らぎ』ですね」
クレアリアがその疑問に回答した。
「神詠術を行使しようとする際に見られる、大気の揺らめきをそう呼びます。一流の戦いにおいては、いかに相手のそれを知覚し、一方で自分のそれを悟られぬようにするかが肝要となります。概して、『揺らぎ』の大きさは神詠術の強さに比例すると考えて差し支えありません」
「……、え、じゃあ……あんなに、蜃気楼みたいになってるけど……マリッセラさんは、すごい術を使おうとしてる、ってこと……?」
「ええ。彼女は今、『揺らぎ』を抑えるどころか意図的に見せつけている。これから強力な攻撃術を放つぞ、と。あえてアリウミ殿に示している訳ですね」
クレアリアの言う通りだ。ゆえに開始の合図以降、流護とマリッセラは全くその場から動いておらず何の攻防も起きていない状態だが、見守る生徒たちから野次の声などは上がっていない。皆、気付いているのだ。マリッセラの立ち上らせる『揺らぎ』が、時間とともに濃度を増していることに。
「……でも、そうなるわよね。アリウミ遊撃兵が何者だろうと、結局のところマリーとしては全身全霊の一撃をぶつけるのみ……ってわけよね。だから隠す必要もない、と……」
システィアナが固唾を飲んで呟く。
「本気のマリッセラがすごいことは、認めるけど……でも、リューゴくんには勝てないよ!」
鼻息荒げるミアは相変わらず盲目的なまでの信頼ぶりだが、しかし間違ってはいない。
その『揺らぎ』を見せつけられてなお、流護は平然とした面持ちで対峙している。攻撃が飛んでくる瞬間を悠々と待ち受けている。
「ええ。いずれにせよ、ミアの言う通りマリッセラ殿ではアリウミ殿には敵わない。……ですが……」
そこまで口にして、クレアリアは黙り込んだ。
「え!? で、ですが何? クレアリアさんっ」
当然、流護の身を案じる彩花としては気になってしまうだろう。
それでも続きを話そうとせず逡巡した様子を見せる妹に代わり、ベルグレッテがその続きを告げた。
「マリッセラ、クレア、私……そしてシリルもそうだったけれど……私たちは皆、レインディールのロイヤルガード候補となる家系の生まれで、奇しくも同じ水属性を扱う身。まだまだ未熟で、リューゴほどの使い手には遠く及ばない……。……けれど」
「けれど!? んもう、二人して何なの匂わせやめて……!」
無為に彩花を不安にさせても仕方がない。その事実を告げる。
「私たち四人の中で、リューゴ相手に最も大番狂わせを演じる可能性がある人物……それがマリッセラよ。……彼女が授かった二つ名の由来ともなる、あの技であれば……」
「……、……あの技……? 二つ名、って?」
誰の目にも明らかなほど揺らめく、マリッセラを取り囲む空気。いよいよ『その瞬間』が迫っていることは、荒事と完全無縁な彩花にもそれとなく感じ取れるのだろう。
対峙する両者から目を離さず……否、離せず尋ねてくる彼女に、ベルグレッテはその異名を口にした。
「――――『白銀の翼』。それが、マリッセラのもうひとつの名前よ」