614. 高貴なる使命感
立ち合い決定の流れで盛り上がる生徒たちだったが、ベルグレッテとしてはただ困惑するのみだった。
それはすぐ隣の少女も同じだったようで、
「ちょっとマリー、本気なの……!?」
額を押さえたシスティアナが首を横へと振っている。何というか、まとめ役としてこの子も私と同じような心持ちなのかも、と少し親近感を抱くベルグレッテだった。
「ベル、どうにか止められない?」
そう言ってこちらを向く彼女と同じ思いでいるのか、その肩に乗った白フクロウのオレオールも似た仕草で顔を傾けてきた。
少女騎士はというと、苦笑しつつ言いづらそうに。
「あ、あはは……。いえ、やめさせたいのはやまやまなんだけど……」
ただ、言うなれば。
(私も、人のことは言えないのよね……)
かつて――流護の力に複雑な思いを抱き、決闘を申し込んだ身としては。
そして、そう考えたのは自分だけではなかったらしい。
「ふふ。私たちに止める資格はありませんよね、姉様」
心を読んだような言葉とともに、苦笑を浮かべたクレアリアがやってきた。その後ろからリムもひょこひょことついてくる。
「ええ。まあ、そうなのよね……」
動機こそ違えど、この妹も一度は本気で流護に挑みかかったことがある身だ。
「うーん……あなたたちが止めないのは少し意外だけど。でも、勝敗なんて分かり切ってるでしょう……?」
システィアナがそう呟くのも無理はない。今や、ここまでの流れを見た者ならば誰でも理解できるはず。
学院生程度の力量では、この遊撃兵の少年には束になっても敵わないと。
無論、マリッセラとて例外ではない。彼女はベルグレッテに匹敵する使い手であり、リズインティの首位を独走する優れた生徒だが、流護が相手では遠く及ばない。本人とて、そんなことは百も承知のはず。
「勝敗の問題ではないのでしょう」
凪いだ表情で、クレアリアが対峙する二人へと視線を送る。
「いても立ってもいられなくて、とにかく感情をぶつけなければ気が済まない……そういう心境なんだと思います。……分かりますよ。以前の私が、そうでしたから」
静かにそう呟く妹を、リムが不思議そうに見上げた。
「……、」
ベルグレッテにも、自分のことのように理解できる。
神詠術こそが全ての世界に、突如として現れた無手無術の少年。
これまで信じてきたものを根底から覆すかのようなその在りようを、はいそうですか、といきなり素直に受け入れられるはずがない。優れた詠術士となることを志す者ならば、殊更に。
ましてマリッセラから見れば、今の流護はその異質な力をもってレインディール王国の中枢に食い込んでいると映る。
(いえむしろ、あの子のことだから……)
それ以前に、流護の無手無術という特性を信じておらず、その絡繰りを暴いてやろうとさえ考えているかもしれない。
「ねえねえっ! 止めなくていいの!?」
そこで直前のシスティアナをなぞったように、最後尾の席から彩花が小走りで駆け寄ってきた。
「心配はご無用ですよ、アヤカ殿」
クレアリアが屈託のない笑顔で応じた。
「アリウミ殿は、女性に手を上げたりはしませんから」
しかしながらその言葉には、若干の皮肉的な響きが含まれている。
気持ちは分からなくもない。ベルグレッテやクレアリアは少なくとも、騎士として戦へ臨んでいる。そこは基本、いかなる手段も許される殺し合いの場だ。術や刃を受けることはもちろん、死すら覚悟していながら、拳で殴られることだけが例外であるはずもない。性別など関係ない。流護に対し決闘を仕掛けた時も、そうした気概で挑んでいたつもりだ。
しかし。あの少年は、それをよしとはしないのだ。
「い、いやでもさ」
「気にすることないよ、アヤカちゃん!」
話を聞いていたらしいミアが寄ってくる。
「マリッセラってば、リューゴくんのことを信じてないなんて! もう! だったらリューゴくんの力、その身をもって知るがよい!」
大層ご立腹なようで、中途半端に悪役みたいな口ぶりとなっている。
クレアリアがその後を継いだ。
「ミアの言う通り、結果は見えています。この二年でマリッセラ殿も腕を上げてはいるでしょうが……それでも、アリウミ殿には遠く及びません」
その点は間違いない。ゆえに先ほど、この国でのマリッセラを知っているシスティアナが止めようとしていた。
まだまだ自分たちロイヤルガード候補は未熟。流護に勝利する目は皆無に等しい。
「……、でも」
と、ベルグレッテが口にした瞬間。
うおおお、と生徒たちが沸いた。
「うわー……マリー、本気なの……」
システィアナの呻きが示すように、マリッセラの行動が原因だった。
対峙する二人の距離は、およそ十マイレ弱。そんな中――マリッセラは懐から取り出した短刀を抜き放ち、流護へ向けて右手で掲げ、その先端を突きつけていた。射殺すがごとき眼光をもって。
それ即ち、決闘の合図。先のオルバフとの手ほどきとは違う。命を賭すことも厭わない、己が信念を貫き通すための所作だった。
(わたくしは、迎合などしませんわよ)
今にも飛びかかりたい激情を心の裡に抑え込み、マリッセラ・アムト・ミーシェレッツはまっすぐに刃を掲げていた。
眼前の、有海流護という自分よりも小さな少年へ向かって。
――勝てるとは思っていない。
この年端もいかぬ相手が紛れもない強者であることなど、今この場にいる全員が理解しているだろう。
強いのならそれでいい。王の眼鏡に適うのも問題はない。
けれど。
なぜ、偽る。
(無手無術? そんな馬鹿げた話があるもんですか)
その強さを素直に売り込めばよいではないか。なぜ、余計な嘘を織り込む必要がある。
民の関心を引き、かつてない印象を与えたい意図もあるのだろう。持たざる者の身でありながらも成り上がった、ガイセリウスを彷彿とさせる英雄だと。
一見すればそれは、このバルクフォルトにおけるレヴィンと同じ戦略。
輝かしい栄光や実績を与え、意図的に稀代の英雄を作り上げようという。
それもいいだろう。伝説的人物の存在は、いつの世も得てして民の心の支えとなるものだ。
だが、この少年は決定的に違う。認めがたい部分がある。
――神詠術の加護なしに、人は強者にはなれない。
その真実を逆手に取ったかのように、さも無術で強いふりをするな。
大人たちも大人たちだ。
アンドリアン学長やナスタディオ学院長ほどの手練が、術の前兆となる『揺らぎ』を感知できないはずがない。それを、
『学長の目からご覧になっても、遊撃兵殿は一切の神詠術を使ってはいないとお見えになりましたか?』
『ふぉっふぉっ、そうじゃの。少なくともこの老いぼれの目には、そう映ったかな』
『ナスタディオ学院長も、同様に思われますでしょうか?』
『ンフフ。気持ちは分かるわよ~、マリッセラ』
遊撃兵を持ち上げるために、あんな見え透いた猿芝居すら打って。神詠術学院の最高責任者が何という体たらくか。
そもそも、あのアルディア王がこのような神詠術を軽視した売り出し方をすることも信じられない。
その若い身空、ただ強いだけでも充分なはずだ。ファーヴナールやディノを下したというだけでも、手放しに誇れる戦果だろうに。それだけでは足りないとでもいうのか。どこまで強欲なのか。
少なくとも、自分は『合わせて』やったりなどしない。
(……何より、ですわ)
許せない。
そんなくだらない茶番に、ベルグレッテを巻き込んでいることが。
あの聡明で信心深い少女騎士が、心から同意しているはずはない。遊撃兵の露骨な持ち上げようを、本心から支持しているはずがないのだ。
先日の昼食会でも、不自然なほど彼の名を出していた。汚い大人たちの策略に利用されているのだ。
(……今、わたくしがその呪縛から貴女を解き放って差し上げますわ。ベルグレッテ――)
少なくとも、無術などという馬鹿げた幻想をここで暴いてやる。
怒りと使命感を胸に相手の出方を窺っていると、何やら困ったように頭を掻いた流護が、渋々応じる形で懐から短刀を取り出した。
「分かりました、受けるっす」
いかにも乗り気しない、といった様子で掲げる。
それはそうだろう。
この少年が強者であることは確かなのだ。遥か格下と分かっている相手に決闘を挑まれたところで、身が入るはずもない。
(実際のところ……彼我の実力差を鑑みたなら、わたくしの勝ちの目は皆無に等しい。けれど少なくとも、化けの皮を剥がして差し上げますわ。貴方は『ただの強力な詠術士』に過ぎないのだと。……それに)
決闘が成立したことを確認し、マリッセラは短刀を懐へと仕舞い込む。
(……あまりわたくしを侮っていると、『万が一』がありますわよ。遊撃兵殿)