611. 教えて流護先生
「え? 講義? あんたが?」
「そういや言ってなかったけど、そうなんすよ」
午後一発目の講義が終わってその休憩時間、定位置となった最後尾の席にて会話中。ナスタディオ学院長から頼まれた役目を話した流護に、彩花が驚きの目を向けてきた。
「昼休み、急に言われてな。もうこの次の時間だな、俺がやることになった」
「えー! うそ!? 何すんの!? あんた、こんな大勢の前で話なんてできるの!? 無理でしょ」
「おう決めつけんなや。たまに城行った時とか、兵士に接近戦の技術指導とかすることもあるし……一応、人前でそういうこともやってんだよ。そらまあ、話はヘタクソだけどな」
「へー……」
相変わらず疑いの眼差しを隠しもしない幼なじみである。
もっとも、間違っても得意でないことは確かだ。そんな昔からの人見知りがちな空手少年をよく知るがゆえの反応。
「そなんだ……。ならまぁ、流護先生の講義をじっくり聞かせてもらおっかな」
「おう、耳かっぽじっておきたまえ」
そんなタイミングで、リズインティ学院の長ことアンドリアン学長がゆったりとした足取りで演台に登壇した。
一時の休憩に談笑していた生徒らも次の時間が始まると解し、私語をやめて前へと向き直る。
いかにも穏やかそうで好々爺といった雰囲気の学長が、にこやかに第一声を発した。
「――――諸君。拳闘は、良いぞ」
緩やかな物腰に反した、力強さを宿す一言だった。水を打ったような静寂が舞い降りる。
「純粋なる肉体と肉体のぶつかり合い。敢えて神の加護に頼らず、鍛え上げた己が身に全てを懸ける原始的な闘争。粗暴だの野卑だのといった評も耳にするが、それは真の拳闘を知らぬと口にしているも同然。熟達した拳士たちの果し合いを目したことがあらば、その様が野蛮どころか筆舌に尽くしがたい崇高な美しさを伴っていると理解できよう」
あまりにも淀みない弁舌であった。隣の彩花が囁いてくる。
「ね、ねえ。向こうの学長さんって、こんなキャラだった……?」
「いや……?」
あまり印象にないが、絶対違った気がする。
思わず顔を見合わせる流護たちの思い違いという訳でもないだろう、その証拠にざっと眺める限りミディール学院生たちも戸惑った表情を浮かべている。だがその一方で、リズインティの生徒たちからは「始まったよ……」との密やかな声が上がっていた。
「バルクフォルトにおける長き拳闘史を振り返っても、やはりヴォルカティウス帝は比類なき拳士であった。実力、貫禄、魅力……全てを兼ね備えた至上の闘技者に違いなかった。あれから十年……昨今の拳闘事情はどうか。現王者デルダムは拳打法をまともに齧ったことすらありもせぬ、図体ばかり発達しおった木偶の坊よ。しかし真に嘆かわしきは、そのような輩を止められる者がおらぬ現実……。仕舞いには、全盛期のヴォルカティウス帝ですら彼奴には敵わぬのではないか、なぞと囁かれる始末……。何を莫迦なと思いながらも、仮にその対戦が実現したならばどのような結果となるのか? 拳打のみであの巨躯を地に這わせることは可能か? 即座の答えが導き出せぬことも事実……。結局のところ、肉体的な強さとはその目方に比例してしまうものなのか。拳闘の技巧とは、巨きに通じぬ小手先の技術でしかないのか。無術の英雄と名高きガイセリウスの逸話は、飽くまで伝説に過ぎぬのか……」
怒涛の語りを披露するアンドリアン学長は、哀愁に染まったかに見えたその瞳をやにわにカッと見開き、
「否ァッッ!」
鬼神さながらの恐ろしげな面相で吼えた(ちょっとビクッとする流護含めたレインディール勢)。……と思いきや、元の穏やかな表情へ戻って。
「……という訳でしてこの時間は、えー……実際にその拳にて数々の功績を打ち立てたレインディールの雄、『拳撃』ことリューゴ・アリウミ遊撃兵からご講話をいただきます。あー、その拳にて邪竜ファーヴナールを撃滅なさったご活躍を始め、輝かしき栄光の数々……そして、あんなことやこんなことまで。様々なお話を拝聴させていただきたく思う次第です。えー、それではリューゴ・アリウミ遊撃兵、こちらへご登壇願えますかな。よろしくお願いいたします」
促す学長の所作に従い、振り返った生徒たちの視線も集まる。
「……あ、ん? お? っと……じゃあ行ってくるわ……」
「う、うん……」
アンドリアン学長の急なキャラ変で困惑していた二人だったが、ハッと我に返った流護は慌てて腰を浮かせた。皆の注目と拍手を浴びながら前方へ移動して、学長と入れ替わる形で演台に上がる。
両校合わせて百八十もの生徒らがずらりと居並び、自分に注目しているという壮観な光景。
先ほど彩花に語ったことでもあるが、遊撃兵としてある程度は場数も踏んできた。今さら大勢の前で緊張してどうこう、ということはない。
それよりこれ声張らないと後ろは全然聞こえないな、などと思っていると、黒板の近くに控えたナスタディオ学院長がヒョイと指先を舞わせた。すぐさま、流護の口元に通信拡声の波紋が出現する。何だかんだ、こういった気配りはさすがである。
『……あー、あー。えーっと、皆さんこんにちわ。ご紹介にあずかりましたー、レインディール王国遊撃兵のリューゴ・アリウミです。一昨日の昼食会にも参加してましたので、リズインティ学院の皆さんの中には自分を見かけて「この平服着たチビ何なんだ」と思ってる人もいたかもしれませんが、今回のミディール学院の修学旅行に護衛という形で同行してきました。年齢は十六なので、多分皆さんとそう変わらないと思います。ということで自分は学生じゃないですけど、これから二週間よろしくお願いします』
軽く頭を下げるや否や巻き起こる拍手。それと同時、
「ほら、やっぱりそうだったじゃないか」
「いや……まさか、本当に彼が遊撃兵だったのかあ」
近場に座る黒ローブ姿の男子二人が、前後の席でそんな会話を交わしていたりする。
なるほどな、と流護はここで理解した。
一昨日はさほどでなかったにもかかわらず、今日になってからやたらと感じたリズインティ学院生たちの視線。あの昼食会以降に、『黒髪平服の地味な少年』が遊撃兵であるとの認識が広まったのだろう。
『えっと、じゃあ軽く自己紹介というかを……。ちょうど去年の今頃すね、たまたま縁があってちょっとミディール学院のお世話になってたんですけど、そしたらファーヴナールが飛んできたので闘って。それが切っ掛けでレインディール王宮と繋がりができて、夏頃に王都で起きたテロ事件の解決に協力したのが決め手になって遊撃兵に誘われました。その時に「拳撃」って二つ名をもらいましたけど、実際のとこ拳だけで闘う訳でもないです。そもそも生きるか死ぬかの闘いなんで、素手にはこだわりません。っても、神詠術の方はからっきしなんで……その辺に武器になりそうなものがあれば、それも普通に使うって感じで。例えば室内なら、椅子とか燭台とかテーブルとか』
ほぉ〜、とリズインティ一同から漏れ聞こえる溜息。
一拍置いて、生徒たちの波から伸び上がる腕があった。
「質問というか、少しばかり気になったんだが……よろしいかな、遊撃兵殿」
流護は見覚えあるその人物を指名する。
『ああ、はい。どうぞっすリウチさん』
自称、リズインティ学院一の伊達男。ベルグレッテの話では神詠術の話題に関しては誠実な様子だったとのことだが、流護の印象としては今のところ女好きの貴族青年である。すぐ隣では、一応彼の相棒となるエドヴィンが気だるそうに頬杖をついていた。
「うむ。無手に拘らんとのことだが……であれば、最初から武器を所持した方が良いのではないか?」
もっともなリウチの指摘に対し、流護は乾いた笑いを零す。
『あー、たまに言われます……。ええとそうですね、自分が武器を持ち歩かない理由はいくつかあって――まず、自分が全力で使うと武器のほうがすぐ壊れちゃうのが一つ。ちょっと人より力が強いみたいなんで……。あとはそうすね、素手なら敵に武器を奪われるってことも起きないですし、出かける時に余計な荷物も減るし、買う必要がないからお金もかかんないし。そんな感じですかね』
握り拳を掲げながら言うと、リズインティ一同がざわついた。まあ無理もないだろう。
「武器のほうが壊れるだって……?」
『鉄の剣なんかでぶっ叩いたら、すぐ剣のほうが曲がっちゃいますね』
聞こえてきた声に苦笑しつつ応じると、
「随分と大仰ですわね、遊撃兵殿」
凛とした仕草で長い金髪をかき上げる女生徒が一人。ベルグレッテのライバルことマリッセラだった。
「軽々にそのようなことを仰ると、実際にやってみせろと言われてしまいますわよ」
平坦極まるその視線は、懐疑的な胸中をありありと示している。
「ウソじゃないもん! ほんとだよ!」
そこで答えたのは、彼女の隣に座るミアだった。
「リューゴくんは、レギエル鋼でできた板だって簡単に曲げちゃうんだもん!」
またも起きるどよめき。それも当然といえば当然の話で、レギエル鋼はその高い硬度から『銀黎部隊』の防具などに用いられている。グリムクロウズ人の常識からすれば、ただの力技でどうにかなるような代物ではないはずなのだ。
その常識を基準としているであろうマリッセラは、眉を八の字にして引き気味にミアを流し見た。
「あー! ウソだと思ってるでしょ!」
隠しもしない猜疑の態度にプンスコするハムスターにも、貴族少女は呆れたような溜息を零すのみ。
そんな中、ざわめきに交じって幾人かの声が聞こえてくる。
「ああでも、おれ見たことあるぜ。『竜爪の櫓』に飾ってあったよ。遊撃兵が曲げたレギエルの板、って。織物みてーにキレイに折り畳まれてんの」
「おいおい本当か?」
「店主の目の前でやってみせたって話だぜ」
「あの頑固店主が見たってなら、間違いなさそうだな……」
それらに眉をひそめるマリッセラに対し、ミアが頬を膨らませる。
「本当だよ! ベルちゃんだって見てたんだから! あたしはそのとき寝てたけど!」
「何ですって……?」
その一言でようやく琴線に触れたらしい。マリッセラは、己が好敵手たる少女騎士のほうへと首を回して――
『えー、皆さんお静かに、お静かに。質問は、後ほどまとめて時間を設けましょう。あー、まずは遊撃兵殿のお話の続きを』
アンドリアン学長が取りなすように通信を響かせる。
そんな気遣いを受け、流護も慌てて口を開いた。
『あーと、あれでしたら後で何かやってみせますよ。実技って感じで。……ってか、話の続きとはいっても自己紹介はそれぐらいですかね……。えっと、じゃあとりあえず質問とか気になることとかあれば――』
「ハイ!」
誰よりも早い挙手に全員が注目する。流護のすぐ脇に立っているアンドリアン学長に。常のゆったりした物腰からは考えられないような素早さだった。
『あ、えっと……学長さん?』
「あー、恐縮ですなふぉっふぉっ。えー、よろしければ遊撃兵殿の体術について、詳しく知りとうございましてな~」
『あ、はい。えーそうですね、自分は空手というのをやってまして――』
あまり細かく語ってもグリムクロウズの住人に伝わるものではない。そこは表面的な説明をするに留めて、
『とまあ、そんな感じですかね……。じゃあ、他に質問のある人は――』
「ハイ!」
アンドリアン学長がまたも同じようにピンと腕を伸ばしていた。怒涛の二回攻撃である。
『えーと……学長さん……?』
「あー、えー、すみませんな、ふぉっふぉっふぉっ。して、少々小耳に挟んだのですが……先日、闘技場にてレヴィン様とご交流なさったとか……?」
『ああ、その話ですね』
ミディール学院生を招いての特別な催しではあったが、やはりというべきかそれ以外の者もすでに知るところであるらしい。
『いや、せっかくレヴィン……殿、と交流を、って感じで名乗り出てみたんですけど……ちょっと、なんか転んでしまいまして……』
頭を掻きつつ言うと、生徒たちからどっと笑いが零れた。実際に見ていたミディール学院の皆は元より、リズインティの学生たちも話は聞き及んでいるようだ。
「ううむ! 本格的に干戈を交える……とまではいかんかったようですが、いかがでしょう。もし、何事もなく続いておったなら……?」
まるで好奇心を抑えきれない少年みたいに。本当に興味本位で、『格闘マニア』として気になるらしい。アンドリアン学長が、ごくりと喉を鳴らさんばかりの勢いで尋ねてくる。
『……そう、ですね』
流護はというと、そのテンションに押されつつも一拍置いて。
『あの場では、レヴィン殿も様子を見ようとしてたみたいですし……実際に動くところまで行ってないので、何とも。ただ、その前のヒュージコングとの一戦を視る限り……完璧でしたよね』
「ほう! 完璧、と」
『レヴィン殿はしばらく、あえて神詠術を縛った立ち回りをしてましたが……体術だけでも、非の打ちどころがないと感じましたね。自分は残念なことになっちゃいましたけど、結果として見させてもらえてよかったな、と』
「ほうほう、ほ~う……。遊撃兵殿の目からご覧になっても、レヴィン様の体捌きはそれほどのものとお映りになりましたか。いやいや……」
無難なまとめだったろう。ちなみに、誰かには訊かれるだろうな、と薄々思っていたからこそのあらかじめ用意した回答だ。
概ね嘘も言っていない。途中で始まったレヴィン先生の女子生徒レクチャーなどは退屈で眠気すら感じていたが、開幕の剣舞、ヒュージコングとの一戦を見るに、レヴィンの実力の高さは確かに疑いようのないものだった。
そしてもちろん、この場では「ガチでやれば俺が勝ってましたよ」などとは間違っても言わない。いかに色々と未熟な流護といえど、そんな失言をするほど間抜けではなかった。
「それとですな、話は変わってしまいますが……やはり、遊撃兵殿の腕に巻かれたその手甲! 噂には聞いておりますが……」
『あ、はい。ファーヴナールの鱗を使ってますね』
腕を掲げながら言うと、生徒たちの間からも「おお」と感嘆の声が漏れ聞こえた。
『めちゃくちゃ硬いんで、職人さんも作るのにすごい苦労したみたいです。おかげで、使う側としては重宝してますけど』
「ふむ。ふ、触れてみてもよろしいですかな!?」
『え? あ、はい……。どうぞっす……』
「オッホ! 硬ぁい!」
何というか、やはり少年のようなはしゃぎようのアンドリアン学長である。今この場で誰よりもテンションが高い。
「ううむ……この堅牢なる防具が無手による戦闘を可能としている要素の一つということですかな……。して、遊撃兵殿はそのカラテをおいくつの頃から?」
『うーんと……五歳ぐらいの頃に始めたんで、もう十年ぐらいになりますね』
「ほほう、十年も! 若き御身にて熟練の拳士というのも納得ですな! して、えー、カラテを始められた経緯……切っ掛けなどはおありですかな?」
うっ、と流護は瞬間的に詰まった。
『俺は彩花を守り――』
最奥の席に座るその当人をさりげなく窺う。
頬杖をついていた彼女は目が合うなり、ふいっと視線を逸らしてしまった。こう、どう見ても照れを滲ませた様子で。
(な、何だ!? その反応は――っ!?)
彩花のことだ。ここぞとばかり、「流護は私のために空手を始めたんだよね~」などと言いたげな感じでニヨニヨするものと思っていた。なのに――
(おっ、女みてーな反応してんじゃねーよっ)
動揺から返答に詰まった少年の間をどう解釈したのか、アンドリアン学長がしたり顔で頷く。
「おおっと、これは無粋な質問を失礼いたした。男が拳を磨く理由なぞ、一つしかございませんでしたな。コレ、でありましょう!?」
下世話に言い放ち、いやらしい垂れ目で小指を立ててくる。
(何だこのじいさん!?)
色々と思ってたキャラと違いすぎる。とにかくこれ以上妙な邪推をされる前にと、流護は慌てて喋り出した。
『ち、違いますって。元々身体があんまり丈夫じゃなかったんで、鍛えるためってのと……あとはまあ、その……何つーか……家族を守るため、って感じで……』
言いつつ最後尾の席をチラ見すると、その『家族』は頬杖をついてそっぽを向いていた。何を考えているのか、その横顔から窺い知ることはできそうにない。……直前の予期せぬ反応も相俟って、余計に。
『ま、まあそんな感じで。えーと、他には何かありますか』
半ばアンドリアン学長への確認だったが、当人は何を納得する要素があったのかやけに満ち足りた表情で大きな頷きを返すのみ。
すると、今度は生徒たちの波から黒ローブに包まれた腕が上がった。
『あっ。どうぞどうぞ』
ようやく生徒からの挙手である。流護は何だかホッとしつつ、自分よりいくらか年上と思われる精悍な顔つきをしたそのリズインティ男子を呼び当てた。
雰囲気のある生徒だった。ぼさついた黒髪は肩口まで伸ばされ広がっており、どことなく野性的な印象がつきまとう。学院生としては珍しく、詠術士よりも剛健な戦士といった風貌の人物である。
「自分はオルバフという。……少々礼を欠いた物言いになってしまうかもしれないが……遊撃兵殿が優れた『拳士』であることは確かなのだろう。しかし、拳闘は飽くまで競技。実戦とは違う。本当に、無手無術の身で怨魔や詠術士を打ち負かすことなど可能なのか? とてもではないが、そのような真似ができるとは……」
遠慮がちながらも確かな疑を表明する彼――オルバフに対し、流護は自然と笑みが零れるのを自覚しつつ返答した。
『いやー、ですよね〜』
「……う、うむ……?」
機嫌を損ねることも想定していたようで、オルバフはそれどころか破顔する遊撃兵に目を丸くした。
『いや、当たり前の疑問だと思います。素人同士のケンカならともかく、素手で詠術士とか怨魔とかにも勝てるなら、神詠術使う必要ないじゃんってなりますし。ってことで、実際にお見せしますよ。自分が使うのは格闘術なんで、あれこれ喋るよりはやってみせた方が早いと思うんで。何かこれをやってみろ、みたいのとかありますか? 可能な範囲でお応えするっす』
ぐっぐっと肩を回しながら問うと、彼はわずかに瞳を眇めてこう言った。
「……承知した。では是非に、自分とお立ち合い願いたい」