610. 東西の女子たち
「ミアちゃん、おいしい?」
「うん! おいしいよ!」
頬を紅潮させて、瞳をキラキラと輝かせて。素直というか純真というか、ちょっと羨ましくなるようなまっすぐさ。
(私みたいなひねくれ者には眩しすぎるよ……)
何というか、現代日本という情報過多な成熟し切った土壌で生まれ育った自分にはない部分だと蓮城彩花は常々思うのだ。
(いやもう、刺身ぱくついてホクホク顔してるミアちゃんかわいすぎない……?)
彼女はすっかり魚介の魅力に取り憑かれてしまったらしく、頬いっぱいに詰め込んで満面の笑顔を咲かせている。その様はリスとネコの愛らしさをいいとこ取りしたかのようだ。彩花としては、一生眺めていられる自信がある。
「あ、このお魚もおいしいよ? 食べてみる?」
「で、でもいいの? アヤカちゃんの分なのに……」
「全然、いいよいいよー。また取ってくるし。はいどーぞっ」
「わーありがと、アヤカちゃん!」
「……、」
ともすれば緩みそうになる表情を必死で引き締めつつ、たまらない至福を感じる彩花であった。
さてそんな癒し系小動物ミアの他に、この席には九人もの女子が集まっていた。
というより、彩花もベルグレッテとクレアリアに誘われて同席する形になったのだ。
生徒ではないという立場上、どうしても自分からは声をかけづらい思いがある。ガーティルード姉妹のことだ、そうした心情も察したうえで配慮してくれたのだろう。
(他に知り合いがいるわけでもないし、そうなると流護とばっかり一緒にいちゃうことになるし。あいつとばっかり一緒にいたら、色々と噂されちゃいそうだし……)
ゆえに、こうして仲間の輪に加えてもらえるのはありがたいことだった。
そんな傍ら。ミアを挟んだ向こう側では、ベルグレッテとシスティアナ(やはり肩には白フクロウのオレオールが大人しく鎮座している)の委員長コンビが会話に花を咲かせていた。
「あら。じゃあリズインティ学院の三年生は、これで全員というわけじゃないのね?」
目を丸くしたベルグレッテに、システィアナが頷いて。
「ええ、実はそうなの。ウチには一人、ちょっと特殊な立場の生徒がいてね。先日も今日も、この場には来てないってわけ。ちょうど今は学院にやってくることも少ない時期で、ひと月に数える程度かしらね……。それでもこの共同学習には興味津々で顔を出したがっていたから、いずれ紹介できるといいんだけど……」
姉の隣に座るクレアリアが怪訝そうな顔でその言葉をなぞる。
「特殊な立場の生徒、ですか」
システィアナが首肯した。
「ええ。男子なんだけど、名前はエーランド・レ・シェストルム。私やベルと同じ十六歳で、普段は『サーヴァイス』の一人として勤めているの。『風嵐絶駆』という二つ名を授かっているわ」
「!」
ガーティルード姉妹が息ぴったりに驚いた視線を向ける。
「『サーヴァイス』に所属していながら、リズインティ学院の在校生でもあると……?」
普段は冷静沈着なクレアリアの驚愕ぶりが、その事実の異質さを端的に示していた。
「ふんむ。そうね……そちらで例えるなら、ミディール学院の生徒が『銀黎部隊』に在籍しているようなものかしら」
「えー! どういうことなの!」
その比喩でピンときたらしいミアが目を白黒させる。
それも無理からぬ話で、学院生は文字通りの学生だ。卒業した者の進路のひとつが『銀黎部隊』や『サーヴァイス』であるはず。それも間違いなく、簡単になれるようなものではない。
彩花の感覚で例え直せば、高校生がエリート警察官として勤務もしているようなものだ。
本来、両立はしないはず。どうしてそんな奇妙な立場の生徒が生まれたのか。
「あ、もしかして……」
さすが、と評するべきか、おずおずと推測を口にしたのはベルグレッテだった。
「元々学院生だったその人が、なんらかの事情で在学中に『サーヴァイス』として任じられたということかしら」
システィアナが満足げに「ご名答っ」と唇を上向けた。
そんな彼女の隣で、波打つ美しい金髪をかき上げる女子が一人。
「ふっ。さすがはベルグレッテね、なかなかの洞察じゃないの。鈍ってはいないようね。それでこそ、わたくしの好敵手というものだわ」
ベルグレッテのライバルことマリッセラである。腕を組んでふんぞり返るその姿は威風堂々、いかにもプライドが高いお嬢様の見本のよう。クレアリアの平坦な視線を受けながらも平然と構える彼女は、ふふんと鼻を鳴らして続ける。
「ちなみに、システィアナの例えは的確ではないわね。『銀黎部隊』は、アルディア王がご自身で隊員を選抜なさる私設隊に近しい存在。学院で優れた成績を残したからといってなれるものではなくってよ」
「だから例えばの話よマリー。細かいことは気にしなーい」
「しかし、その若さで『サーヴァイス』に抜擢とは。さぞ優秀な方なのでしょうね」
クレアリアの言を受け、システィアナはポテトを摘みながら頷いて。
「優秀は間違いない……どころか、率直に言って天才だと思うわ、エランは。元々は人手不足からの助っ人という形で幾度か『サーヴァイス』に力添えしていたんだけど、気付いたら在学のまま正式所属になって、みるみる実力を付けていって。今や最年少ながら上位五番手に分類される使い手だし。『おれはレヴィン様を支えるんだー』ってとにかく暑苦しいのが玉に瑕だけど。まっ、裏表がなくて分かりやすいし、いい奴なのは間違いないかなー。……ねっ、リム?」
と、なぜか最後にその少女へ話を振った。
クレアリアの隣にちんまりと座る彼女の年齢は、高く見積もっても中学一年生ぐらいだろうか。
ミアより小さい身体と、赤く輝く大きな瞳が印象的な。見るからに内向的な性格が見て取れる彼女は、言葉を発さず縦に首を振ることで意思を示した。
「あら、そうなのですか」
そのリムの様子を窺ったクレアリアが優しげに微笑む。そんな彼女らを横目にして、ベルグレッテが顎先へ指を添えながら呟いた。
「……十六歳で、『サーヴァイス』の上位に……。……それほどの実力を持ったかたがいたなんて、知らなかった」
同じ年齢、ロイヤルガードの見習いである少女騎士としては思うところがあったようだ。
マリッセラがカップに口をつけながら目を閉じる。
「そうね。確かにエーランドの才能は凄まじいものがあるわ。わたくしが留学してきた当初はまだ危なっかしい青二才、って印象だったけれど。レヴィン殿を支えたい一心で鍛錬を積んでいたようだし、その思いが彼の飛躍的な成長を促したのでしょうね」
「ん。志の高さは、やはり大事よね。……私も負けていられないなぁ」
いかにも真面目なベルグレッテの回答である。
……さて。一見賑やかに食事を楽しんでいる女子陣だが、今この場には九名もの人数が集まっている。にもかかわらず、会話を交わしているのはベルグレッテやシスティアナたちだけだった。
何しろ――
「…………」
「…………」
彩花を挟んで、ベルグレッテたちの反対側。
そこに座る二人は、ただ無言で食事を進めていた。
物静かなメガネの少女レノーレと、長身スレンダーながらほとんど下を向いているシロミエールである。
(き、気まずい)
この二人に加え、リムもほとんど自発的には言葉を発しないため、喋る者は限られていた。
「え、えっと。レノーレさん。おいしい?」
静かすぎるそちら側を賑やかしてみようと試みる彩花だったが、
「……うん」
「そ、そっか。それはよかった……」
「……うん」
「…………」
終了。
「え、えっとシロミエールさん。やっぱりバルクフォルトの人って、お魚とかは食べ慣れてるんですか?」
「え!? あ、えっと……すーっ……あ、はい、そうですね……すーっ……まあ、そうです。あぁ、すいません……」
「そ、そうなんですね」
「すみません……」
なぜ謝られるのか分からない。
そうこうしていると、
「……あ」
「どうしました? リム殿」
「……スープが、なくなって……」
「ああ。じゃあ、取りに行きましょうか。私もちょうどこちらのお皿が空になりましたので」
リムに付き添う形でクレアリアが席を立ち、「じゃあ私もー」とシスティアナが続く。
「ベルは何か取りに行かなくていい?」
「ん……そうね。それじゃあ、紅茶をいただこうかしら」
ベルグレッテも立ち上がり、「あたしもあたしも!」とミアが追従する。
彼女らがぞろぞろと飲食物の補充へ向かったため、場には喋らないレノーレとシロミエール、特に取りに行く用事のなかった彩花とマリッセラだけが残された。
「…………」
四人も残っているにもかかわらず、席には沈黙だけが漂う。
全く喋らず食事中のレノーレとシロミエールはさておいて――
(マリッセラさん、かぁ……)
曰く、ベルグレッテのライバル。いかにも高貴な貴族の見本みたいな少女。超絶美人だがプライドが高く、言い方は悪いがやや高圧的というか高飛車というか。
正直、彩花としてはちょっと話しかけづらいタイプの相手だ。
(……みんな、早く戻ってこないかな……)
ちびちびとスプーンでスープをすくいながらそんなことを考えていると、
「時に、貴女。アヤカ、といったわね」
頬杖をついたマリッセラが、その青く美しい瞳でこちらを見据えていた。
「えっ? あ、はい!」
慌てて居住まいを正す。本人にそんなつもりはないのかもしれないが、切れ長の目を向けられると睨まれているようで何だか緊張してしまう。
「貴女。よくは分からないけれど、遊撃兵殿の関係者だそうね」
「あ、はい……。えっと、子供の頃から一緒に育ったといいますか……」
「そう。恋人ではないの?」
「ち! 違います!」
「そ」
感慨なく相槌を打った彼女は、そのまま目線だけを横へとスライドさせた。その見つめる先――少し離れたテーブル席では、話題の流護がエドヴィンとダイゴスを交えて談笑している。
「やはり大層な腕利きなのかしら? 彼は」
「え……っと、そう、ですね。そうだと、思います……」
正直なところ、『あちら側』にいた頃はともかく、この異世界での流護の実力については彩花も把握しきれていない。桁外れなことは間違いないだろうが、まだ本気や限界を見てはいないのだ。そのためやや曖昧な返答となったのだが、
「そ」
何だろう。
いつもであれば、話の流れから「もしかしてこの人、流護が気になってるのかな」などと目を光らせがちな彩花だったが。
マリッセラの鋭い視線には、そんな浮ついた邪推など思わせない無機質さが含まれているような気がした。