61. 雷霆
レインディール王国より遥か東に、レフェ巫術神国という国がある。
国長と呼ばれる王の統治の下、平野を中心とする広大な国土に七十万を超える人々が暮らす、レインディールを遥かに上回る規模の大国だった。
言葉こそイリスタニア語が通じるものの、あまりに国土が広いため、地方によっては言葉の訛りがひどい。同じレフェの人間同士であっても、最北端の住民と最南端の住民では意思の疎通が難しいとまでいわれているほどである。
衣食住などの文化も、他に類を見ない独自性を貫いていた。
神詠術は『巫術』と呼称され、『神から与えられたものである』という認識こそ他国と同じではあるものの、その理由は正反対のものだった。
『神があまりに脆弱な人間を哀れむあまり与えた力』。
レインディールや他国における『神が人の進化を称賛し褒美として授けた力』という考え方とは全く異なるものだ。
レフェの王族を含む一部の国民たちの間では、『哀れみの恩恵』とまで呼ばれている。
しかし、巫術が――その『恩恵』がなければ、全てが成り立たないことも事実。人々がその力を頼りに生きていることは、他国と何ら変わりなかった。神から与えられた『誇り』か、『哀れみ』か。その認識の違いでしかない。
結局は国の名に巫術という言葉が組み込まれていることからも、その重要性は推し量れる。遥か昔は巫術を賛美する文化があった名残だともいわれているが、詳細は判明していない。
巫術――神詠術を神聖視しない風土のため、能力の低い者にとっては暮らしやすい国であるともいわれているという。
そんなレフェ巫術神国、その主である国長の一族に仕える、『十三武家』と呼ばれる家系があった。
いわば、ロイヤルガードである。
王家に仕える、総数十三にも及ぶ選り抜きの家系。その一つに、こと『敵対勢力の排除』に特化した一族があった。
彼らについていえば、ロイヤルガードという呼称は的確ではない。
主君を護る盾ではなく――矛。主に仇なす敵を屠る、血塗れた刃。
その一族。
名を、アケローンと云う。
「……、……ッ!」
レドラックファミリーの中でも名うての武闘派であるビゼンテは、ガクリと膝をついて崩れ落ちた。
身体が悲鳴を上げる。腕が軋む。足が軋む。喉が――限界を訴える。
信じられないほど正確に穿たれた傷が、悲鳴を発する。
「ぐば……、がぁッ!」
血の塊を吐き出した。土くれの大地を、おびただしい粘性の赤が彩る。
ヒューヒューと血まみれの喉を鳴らしながら。脂汗を浮かべたビゼンテは、震える身体に鞭を打って顔を上げた。
瀕死のビゼンテを見下ろすは――不敵な笑みを浮かべたまま雷の棍を構える、無傷のダイゴス・アケローン。
――強え。
いや、強いだろうとは思っていた。何しろアケローンだ。
だが……理解したうえで戦慄する。
何だ、コイツは。強すぎる。
アケローンの一族が、レフェ王族のいわばロイヤルガードであることは知っていた。
それでも。
目の前で悠然と、自分を見下ろすこの男。ミディール学院に所属し、未だ学生であるはずの男。いや、身体こそ大きいが、少年といって差し支えない年齢のはずだ。ロイヤルガードといっても、ガーティルードの娘と同じく見習いに過ぎないはずだ。
それが……闇の世界でそれなりに渡り合ってきた自分を、こうも一方的に打ちのめすほどだというのか。
「ぬぅああぁッ!」
ビゼンテは咆哮を響かせ、獣のようにダイゴスへと飛びかかる。
バチバチと帯電した右腕を閃かせた。
その腕が、ダイゴスの手にした雷棍によって軽く弾き上げられる。
刹那、まさに電撃としか喩えようのない激しい衝撃が、ビゼンテの左脇腹と右肩口を同時に打ち据えた。
焦げたような臭いが立ち込める。
「……、……が……!」
ダイゴスは長大な尺を誇る雷棍の中心を握り、素早く左右に傾けることで二発の打撃を繰り出していた。
もはやビゼンテには二発が同時に飛んできたとしか感じ取れなかった。その速さ、正確さは城壁に固定された狙撃砲台のようでもある。
レドラックファミリーで修羅場を潜ってきた男は、為す術なく大地へと倒れ伏す。
ダイゴスは棍を回転させた残像で円を形作った後、ピタリと止めて構える。そこに――隙などというものは、微塵も感じ取れない。明らかに練達した――達人の動き。
「お……かしい、だろ、おい……」
ビゼンテは倒れたまま、声を絞り出した。
「……聞いて、ねえ。こないだミディール学院を……襲った、ファーヴナールの、事件……お前ほどの、奴がいれば……ちっとは、話を耳にするはず、だろうが……」
ミディール学院が、二十体を超えるドラウトローと邪竜ファーヴナールに襲撃されたという事件。
これほどの手練が学院にいたのなら、その話を……活躍を、多少は耳にするはずだとビゼンテは思ったのだ。
実家帰りをしていて学院にいなかったなどという間抜けなオチはありえない。レフェは遠く、週末の休み程度の時間では、帰省することはできない。それとも街にでも遊びに出ていたのか?
聞いていない。学院にアケローンがいて、これほどの手練がいて、怨魔どもを撃退するのに一役買ったという話は、聞いたこともない。
神詠術を使わない小僧が素手でファーヴナールを倒したなどという、作るにしてももっと上手くやれと言いたくなるような与太話しか耳にしたことがない。
「聞いとらんか。それは結構じゃ」
ダイゴスが棍を片手で回転させると、全長二マイレはあった長大な雷が、火花となって虚空へ消えた。
「あまり目立っては困るからの」
「へ、へ……、」
――そうか。隠しているのか。
これほどの実力を持ちながら、無力な学生のふりをしているのか。
「……へ、実力を隠しておきながら……何で、今、こうして闘った?」
その問いに、ダイゴスはピクリと反応した。
学院が襲われたときですら、ダイゴスはその真の実力を振るわなかった。
関係ないのだ。
レインディールの学院が、級友が襲われようと、レフェ巫術神国の王族に仕える身である自分には――レインディールの内情を探るために滞在しているだけの自分には、関係がない話なのだ。彼らとの縁も、所詮は四年で切れる。
主より、過剰に目立つような真似はするなとの命も受けている。
自分の立場上で考えるならば、ただそれだけのこと。
ミディール学院における自分は、『アケローン三男の凡庸な男』。『十三武家』の一員でありながらも才覚のない平凡な男が、社会勉強のために他国の学院へ在籍しているだけ。知る者に対してアケローンの名は脅しのような効力をも発揮するが、ただそれだけ。ダイゴスという男はただの木偶。
それが、表向きの姿。
若干十八にして、如何な脅威をも単騎で退けられる刃。
アルディアという武王が支配するこの国で何があろうと、独力のみで切り抜けられる武人。
相対する者を無情に屠る、殺戮の矛。
それは、故郷の国長たちのみが知る事実。
しかし。
幾度となく助けた。
ドラウトローに襲われる生徒たちを。ファーヴナールに片足を吹き飛ばされた男子生徒を。そのファーヴナールと対峙する有海流護を。彼がファーヴナールに屈しそうになったときは、思わず拳を柱に打ちつけた。
そして今――ミアを助けに、ここへ来た。
先日、通信をしたときの兄の言葉が、脳裏に甦る。
『……仲間、か。……ヘッ、何だ、不器用なお前が外国で上手くやってけるか兄さんは心配だったが――』
どうせ四年で卒業し、国へ帰る身だ。当初、人とかかわるつもりはなかった。
ベルグレッテやクレアリアにはあらかじめ面を通していたが、それも事務的なものだ。
学院へ入学した当初、エドヴィンと知り合ったのが始まりだったのかもしれない。
「お前、絶対強いだろ。分かんだよ」と意味の分からない理由で決闘を申し込まれ、返り討ちにした。エドヴィンは「やっぱおめぇ、強ぇな」と笑顔を見せてきた。無口で愛想もない自分に、ミアは人懐っこく接してきた。彼らを通じてレノーレたちとも知り合い、共に学んだ。
そうして一年。
結局は、彼らとの生活が楽しかったのだろう。そこから失われようとしているミアという欠片を、取り戻しに来た。それだけのことだ。
彼女が売られると知ったときは、諦めた。それも一つの未来なのだろうと。
しかしその未来を、強引に捻じ曲げた男がいた。
まるであの少年の熱が飛び火したように。気がつけば迷わず参戦権を行使し、ここに駆けつけた自分がいる――。
『殺す』ために磨かれた矛に、そんな感情が残っているとは。ダイゴスは心中で苦笑する。まだまだ未熟ということだろう。
だが、なぜだろう。その未熟が、矯正しなければならない負の要素だとは思えなかった。
「……ったくよ……」
よろめきながら起き上がり、片膝をつくビゼンテ。
「――コイツを使うハメになるとは……、思わなかったぜ」
ビゼンテがパチンと指を鳴らす。直後、ビゼンテの周囲に紫電が散り始めた。散った火花が弾け、倍々で増えていく。次々に雷球となって浮遊する。その様は、まるで――
「……俺の奥の手、イフェメーラ・フィックス」
総数は軽く百を超えるだろう。ビゼンテを守るかのごとく空中へと漂う、電光で成した膨大な火花の群れ。小石程度の大きさでバチバチと音を鳴らして漂っているその様は、光でできた蟲の大群のよう。暗くなりつつある周囲を明るく染め上げている。
倒れている間に、詠唱を完了していたのだ。奥の手との宣言に偽りなし、一目で大技だと理解できた。
この電光たちが殺到すれば、人間など瞬時に食い尽くすだろう。
「お前は強え……が、甘え。所詮はまだ小僧だ。俺が倒れてる間に容赦なく止めを刺すぐれえじゃなきゃ、務まらねえんじゃねえのか? アケローンってのはよ」
その言葉に、ダイゴスは「ニィ……」と深い笑みを見せる。
「悪いな。お前には何の恨みもねえが……死んでもらう。卑怯だと思うか? これが……レドラックファミリーの掃除役、ビゼンテのやり方だ」
「卑怯? まさかの」
ダイゴスが右腕を横に薙いだ。瞬間、呼応するようにゴッと烈風が奔る。
ビゼンテが瞠目した。
迸る、白い雷光。
ダイゴスの周囲――その空中に、雷光でできた、六対の槍が出現していた。槍の全長は、一本につき三マイレにも達する。槍の一本からして、巨漢のビゼンテよりも長く大きい。その全ての先端が、火花を散らせながらビゼンテへと照準を合わせていた。
その様は、電光の処刑器具。
「は……、は、何だよ、それ……そんな、『ペンタ』みてえな技……ッ?」
声を震わせるビゼンテは、そこでハッと息を漏らす。
「まさ、か……お前……ッ……!?」
ダイゴスはその推測を鼻で笑った。
「フ、そう思うか。ちなみにレフェでは、『ペンタ』ではなく『凶禍の者』と呼ぶ。忌まれる呼称だが……ともあれ、褒め言葉として受け取っておくかの」
ダイゴスは笑みを崩さず続ける。
それに応えるかのごとく、六対、十二本の槍が輝度を増してゆく。
「――アケローンが巫術、参之操・六王雷権現。我が系譜の教えには、『卑怯』などという言葉自体が存在せんよ。卑怯も正々堂々もない。相手が何じゃろうと、どんな状態じゃろうと完殺する。お主がどんな手段を使おうと結果は何も変わらん。アケローンが立ち塞がるとは、そういう意味じゃ」
「く、そ、が……ありえねえ、そんな訳はねぇ……!」
ビゼンテが悪夢を振り払うかのように頭を振る。
ダイゴスは淡々と告げた。
「ついでに言っておくがの。アケローンの仕事は、『戦闘』ではない。『殺す』ことじゃ。むしろ、『強者と闘う』という事態は可能な限り避けねばならん。主からも、僅かでも敗北の可能性がある戦闘は避けるよう厳命されとる」
ドラウトローの大群やファーヴナールを相手に生徒たちを助けたなどという行為は、愚行と評されることだろう。知られれば、独房入りを命ぜられるかもしれない。
「敗北が……、何……だって?」
「敗北の可能性がある戦闘を避ける」というダイゴスが、自分の前に立っているという事実。その意味を理解しただろうビゼンテの表情が、驚愕から憤怒へと変わっていく。
「ガキが……ガキがッ、舐めてんじゃねえぞ……!」
「フ、それでええ。せめて全力で抵抗せえ。――おっと。この技は、あまり人に見られとうないんじゃったのう。終わるとしようか」
わざとらしいダイゴスの言葉に、ビゼンテが咆哮を上げる。
「な、め……んなくそがああああああぁぁッ!」
百の電光と十二の閃光が、衝突した。