608. 偉大なる先駆者
広大な空間に、二人組の腰掛けるテーブル席がずらっと並ぶ。
何だかんだと全てのコンビが無事に成立したようだ。全員が任意の席に座り開始の時を待つ。
やはり即席の二人組ばかりのためか、私語はほとんど聞こえてこない。
流護と彩花は、最後尾に設けられた席へ横並びで座っていた。
妙な静けさの中、前方の演台にナスタディオ学院長が登壇する。
『はーい、皆さん無事に今生の相棒が決まったようねー。ではこれより、初日の合同講義を始めます! まずは、相棒同士で自己紹介でもしましょうか! 名前やら趣味やら好きな食べ物やら、相手のことをよく知りましょう! はい、始めて始めて~!』
仕方ない雰囲気に流されるように、生徒らは隣に座った慣れぬ同胞と会話を開始する。
「はは……見てる分には他人事だから面白いんだけどな」
人見知りの流護は苦笑しつつ前方の生徒たちを眺めた。
さすがに全体的にぎこちない空気が漂う中、例外的な者も数名。
「ふっふ。自己紹介なら、一昨日済ませちゃったものね!」
「ええ、そうね。ふふ。あらためてよろしくね、シス」
「こちらこそ、ベル!」
それは数列先の席に座る委員長コンビのシスティアナとベルグレッテであったり、
「うう……とくに言いたいことも聞きたいこともないよ……」
「まっ! 何かと失礼ね、この田舎娘!」
その近くの席に座る、最初から顔見知りのミアとマリッセラであったり。
「にしてもさ……」
そして流護としては、この場へやってきて初めて気付いた組み合わせの二人がいる。
斜め左前方向、何列か先のテーブルに横並ぶ二人の女子。
「………………」
「………………」
ザ・無言。
物静かな風雪の少女、レノーレ。そして、一昨日の昼食会で少し一緒に過ごした、シロミエールという超絶引っ込み思案な高身長の少女。並び合って座ると、大人と子供ほどのサイズ差が目立つ。
「絶対自分から喋らん人たちやん……事故ってんぞ……。つか、どういう経緯でくっついたんだあの二人……」
どちらも率先して喋る性格ではない。コンビになったのが不思議なぐらいだ。
「学院長さんが組み合わせたとか……?」
「そうなんかな……」
流護たちの見ていないところでそうなっていたのかもしれない。
「…………改めまして、レノーレです」
「! あっ! ええ、どうも! すーっ……改めましてシロミエールです……! あぁっ、すいません、すいません……!」
(喋った!)
そうした時間を経て、学院長がにこやかに通信を響かせる。
『さて、多少はお互いのことを知れたかしらー? それでは始めていきましょう!』
珍しくも真面目な顔をしたナスタディオ学院長が、用意された大きな黒板の前をつかつかと往復しつつ語り始めた。
『――神詠術、とはそもそも何か。大いなる神が私たち人類に与え給うた力、大いなる恩恵。これは、言うまでもなく神詠術の専門校に通う皆さんにとっては周知の事実であり常識ですね』
不思議なもので、そうして言葉を並べる様はデキる先生のようだ。
『その神詠術を行使するに当たり、我々人間は魂心力を消費します。あまりに当たり前の話で、日頃意識したことがある人は少ないのではないでしょうか。お腹が減ったらご飯を食べる。走ったら疲れる。そういったことと同じ話ですから』
メガネの縁を押し上げて、意味深に微笑む。
『しかしある時、ここでその常識に疑問を持った人が現れました。厳密に、魂心力とは何ぞや? 神詠術とは何ぞや? と。どこから来てどこへ行くの? 具体的にどんな性質があるの? と。そんな風に考えたことはありますか? えーと、そこの……ファルミエルさん』
教壇に座席の名簿を置いているらしく、それと照らし合わせて前席に座る黒ローブの女子生徒を指名する。ファルミエルと呼ばれたその女子は、ふるふると勢いよく首を横へ振って緊張気味に答えた。
「そ、そのような畏れ多いこと……考えたこともありません」
女生徒の怯えとは対照的に、学院長はメガネの奥の瞳を細めて笑う。
『ンフフ、そうよね。そういう人がほとんどでしょう。それで……そんな畏れ多い疑問を抱いたその人は、周りから変わり者とも呼ばれたりもしました。ですが、いつの世も同じ。そうした異なる発想を持つ奇才によって、人類は新たなものを生み出し発展してきたのです』
(神詠術……変わり者……)
流護の中でそれら情報に合致する人物の顔が思い浮かんだのと、ナスタディオ学院長がその名を出したのは同時だった。
『ロックウェーブ・テル・ザ・グレート博士。レインディールにおいて、神詠術研究という分野を確立した第一人者です。やはり彼が活動を始めた当初は、反発の声も多く聞かれました。「神からの授かり物を『研究』など何様のつもりだ」と。実際、過激な輩によって命を狙われたこともありました。しかし、「主より賜った大切なものであるからこそ、ただ享受するだけでなくその本質を知りたい」。そうした信念の下で諦めず研究を続けた博士の努力があってこそ、我々レインディールは魂心力結晶という存在に至ることができたのだと言えましょう――』
おおっ、と会場がざわつく。主に、リズインティ学院生たちによって。早々にも『その単語』が登場したからだ。
『はい。これはリズインティ学院の皆さんも気になっていたことと思いますので、出し惜しまず説明しちゃうわよー!』
クルリとターン。白衣の裾を翻して黒板へ向き合った学院長は、白墨を摘まんでその名を書き記した。
『――魂心力結晶。これは仮にそう呼んでいるだけで、正式な名称はまだ決まっていません。その特徴ですが……まず、色は乳白色。鉱石に似た硬い物体として存在しているものの、決定的に異なる点が一つ。触れると、その者の属性に準じた現象を発現して消失します。炎属性を持つ人が触れば燃え上がり、水属性の人が手に取れば液体となって零れ落ちる……といった具合ですね。その性質から素手で触ることができないため、扱う際は細心の注意と手袋が必須になります。もちろん手以外の素肌に触れても同じことが起きてしまうので、研究員は顔から全身に至るまでを覆う専用の防護服を着用して作業に当たっています』
おおー、とリズインティ勢の溜息が木霊する。
その後も学院長による説明が続き、バルクフォルトの詠術士候補たちは食い入るようにして耳を傾けていた。やはり、神詠術を生業とする者にとってこれほど興味を刺激する話はないのだ。
流護としては今やよく知っている内容なので背もたれに寄りかかりながらリラックスして聞いていると、隣の彩花が囁きかけてくる。
「ようは、あれだよね。本来は目に見えない魔力みたいなものが、実は固体としても存在してました! って話だよね」
「まあ、そんな感じだな」
「そう考えると、ロック博士ってすごいよね……。不思議なチカラ〜、でふわっと済ませちゃいそうなものを、科学的に解明しようとしてるんだもん」
「ああ。しかもあの人、俺みたいに謎の強化補正がある訳じゃないからな。純粋に自分の頭脳だけで一つのジャンルを確立して、今はそれが国の中心プロジェクトになってる。普通にすげえよな。マジモンの天才だと思うわ」
……しかしそうした功績も、富や名声を欲してのものではない。
全ては――現代日本へ戻る手がかりを探すため。
十五年もの年月を経て、今までにない要素として登場した魂心力結晶。原初の溟渤より持ち帰って以降、博士は寝る間も惜しんでその研究に没頭している。きっと今、この瞬間も。
(あの人、ちゃんと休んでっかな。シャロムさんがフォローしてくれてるといいけど)
遥か遠いレインディールにて職務に励んでいるだろう彼らへ思いを馳せながら、講義内容を流し聞く遊撃兵の少年であった。
「…………」
春という季節を存分に体現した、麗らかな晴れの日。研究棟の開け放った窓からは、ふわりと爽やかな風が吹き込んでくる。
天空で輝く昼神こと太陽はほどよい暖かさを世界へ届けて、最頂点へ達しようとしていた。
そうした環境もそっちのけ、この異世界にてロック博士と名乗る岩波輝は、眼前の机に置いた十五センチ四方のガラス箱……正確にはその中身へ熱い視線を注いでいた。
(……十七日目……これはもう、気のせいじゃなさそうだ)
寝不足で閉じたがるまぶたを叱咤し、『それ』をまじまじと見つめる。
箱の中央には、大きさにして三センチほどの球体がぽつんと存在していた。色は、ほの薄い琥珀。容器をわずかに傾ければ、慣性のまま転がり壁面へコツンと当たって止まる。
「……よし」
意を決した博士は、箱の上部に設けられた蓋を外しにかかった。
完全に撤去することももどかしく思い、手袋に包まれた右手を中へ滑り込ませ、その球体を掴んで取り出す。
指先で挟み、メガネ越しにまじまじと観察する。印象としては、どこにでも転がっている石ころだ。何も知らなければ、これに特別性を見出す者などいないはず。
……だが。
「昼食を買ってきましたよ、ロック先生……、! それは」
後ろから聞こえた声に、岩波輝は緩慢な動作で振り返った。徹夜続きで腰やら肩やらがしんどいのだ。
部屋へ入ってきたのは、メガネをかけた理知的な面立ちの若い女性研究員。その腕に抱えられた袋からは、長いパンの先端が覗いている。
「……、例の……未だに……残っていましたか」
助手を務める彼女……シャロムの言葉に、博士はうんと大仰な頷きを返す。
「大きさは……やはり、変わりませんか?」
「うん。ずっと同じ……三センタル前後、だね」
原初の溟渤から持ち帰った、通称・魂心力結晶。
これは原則、時間の経過とともにその大きさを減じていく。正確には少しずつ蒸発し、大気中で再び結合を起こし、下方へと沈み落ちてくる。そしてまた固体として形成される。
この現象が絶えず繰り返されることになるが、その過程で、魂心力は少しずつ大気に分散して減っていく。結果、やがては完全消失という末路をたどる。
――はず、なのだが。
この直径およそ三センチの結晶は、決して消えることがなかった。この存在に気付き、観察を始めてから今日で十七日目。どのような環境下へ置いてもこれ以上小さくなることなく、ずっと箱の中に存在しているのだ。このサイズになれば、通常は数日程度で消失する。二十日近くも大きさが変わらないのは初の事例だった。
「うん、シャロム君。お願いがあるんだけど」
「何です?」
「これ、素手で触ってみてくれるかな?」
「っ、えぇ!?」
腕に抱えた袋を取り落としそうになった若き女性研究員は、素っ頓狂な悲鳴とともに睨みをきかせてきた。
「そ、そんなことをしたら……!」
魂心力結晶は、触れるとその者の属性に準じた現象を発現して消失する。
今や、研究員のみならず学院生の間でも知られる情報だ。
結晶の量には限りがある。こんな小さな欠片であっても、無駄に触れて消費してしまうことは避けたい。
……のだが、シャロムはハッとした様相で目を見開いた。彼女も優秀な助手。すぐさま意図に気付いたようだった。
「……まさかロック先生。『そういうこと』、ですか……?」
「恐らくね」
ごくり、と喉を鳴らす音が届く。
「い、いやでも……、ってそれより、ちょっと待ってくださいロック先生! どうして私で実験しようとしてるんです!? じ、自分で触ってみてくださいよ!」
「いやいやシャロム君、ボクは炎属性だよ。こんなところで触ったら大変なことになっちゃうじゃないか」
紙の資料やら大量の本やらが散らばる手狭な一室である。この場所で火が巻き起こればどうなるかは、まさに火を見るより明らかだろう。
無論、そもそも日本人である岩波輝に神詠術は使えないし、炎属性など宿しているはずもない。完全無術を悟られないよう、そのように公言しているだけだ。
そんな一方、シャロムは風属性を授かるグリムクロウズの人類。彼女曰く、「詠術士を志そうと考えたことは一度もない」。そう言い切るほどには能力に恵まれなかったという。術が発現しても、危険性は低い。せいぜい部屋がより散らかる程度だ。
「……わ、分かりました。骨は拾ってくださいよっ」
意を決したシャロムが近くの机に荷物を置き、博士の下へやってくる。素手の指先をこちらへと伸ばしてくる。
差し出した博士の掌上に載る、琥珀色をした小さな球体。一瞬だけ躊躇する素振りを見せた彼女だったが、えいやと一気にそれを――掴み込んだ。
「…………! ……、……術が……発動、しません……!」
恐る恐るシャロムが指を開くと、その手には変わらず琥珀球がぽつんと存在している。
「……うん。じゃあ、次は自発的に術の行使を頼むよ」
「わ、分かりました……!」
次いで、シャロムは球体をぐっと握り込む。そしてもう片方の手を添え、念じるように目を閉じて――、一呼吸。
ぼん、と巻き起こった。
「うわったぁ!?」
渦巻いた風に乗った紙束が乱舞し、本棚が揺らぐ。ロック博士は突き飛ばされたように後方へ倒れ込み、椅子ごとひっくり返った。
一瞬の後、窓の外から生徒の声が響いてくる。
「うわっ、何!? パンが降ってきた!?」
シャロムが買ってきてくれた昼食が窓から飛んでいったらしい。
「ったたたた……、っと、あ!? 無事かな!?」
横倒しとなった博士は、視界に飛び込んできたそれにハッとした。慌てて、そこへ――部屋の隅へ並べていた箱の下に這っていく。他の魂心力結晶を保存している容器群である。幸い床に直置きしていたおかげか、被害らしい被害はなかった。
「あああと、シャロム君も!?」
ずり落ちかけたメガネを直しつつ立ち上がる。心配が二の次になってしまい申し訳なかったが、『爆心地』となった彼女は、術が発現する前と何ら変わらない直立不動の姿勢で佇んでいた。
驚きに目を見開いた顔で。
「……、……い、今の術を…………私が……?」
シャロムは風属性こそ宿しながらも、神詠術の能力は高くない。
しかしたった今発現した風術は、風の『ペンタ』たるリーフィアのそれを彷彿させるような暴威だった。
彼女が恐々と指を開けば、その手のひらには――琥珀の球体が鎮座していた。
わずかほども、形や大きさを変えることなく。
ぞ、と博士の腕に鳥肌が立つ。
きっとシャロムも同等の衝撃を受けたのだろう。ふらつきかけ、慌てて足に力を入れ踏ん張ったようだった。
「ロ、ロロ、ロック先生。こ、これは……」
「…………ああ」
能力以上の術の行使。何ら消費した様子の見られない結晶。
らしくもないことを自覚しながら、ロック博士――岩波輝は獰猛に口の端を吊り上げるのだ。
「大発見……どころじゃない。これから起こるのは、大革命だよ……!」