607. はーい、二人組作って
英気を養って翌日。五番目の月となる藍葉の月に変わって、最初の一日目。時刻は午前九時を回ったところ。
砦の玄関ホールには、ミディール学院生とリズインティ学院生を合わせた総勢百八十名ほどが集まっていた。それぞれ自校の教師に率いられる形で、ブレザー姿と黒ローブ姿に分かれている。
生徒でない流護と彩花は、ミディール学院側の列の最後尾につけていた。総じて初顔合わせ時と似た位置取りだ。
「てかさ、私もここにいていいの?」
「他にやることもないしいいだろ。見学だよ見学」
いかに遠い異国といえどオルケスターに狙われた経験のある彩花を一人放置するるのは不安だし、流護としては一応学生たちの護衛との名目もある。となれば、こうなるのは必然なのだ。
生徒たちのざわめきが満ちる中、前方に進み出た金髪メガネの女性責任者が広域通信を響かせた。
『はーい皆さん、おはようございまーす! ミディール学院の学院長、ナスタディオでーす。本日から両校の合同学習がいよいよ開始ということで、準備はいいですかー? まだと言っても始めちゃいますけど。さて……では早速ですが、まず合同で学習するに当たって必要なものとは何でしょうか。それは――そう、信頼できる仲間です!』
(信頼できる仲間、ねえ……)
この人物から飛び出すとこれほど胡散臭く聞こえる言葉もないと思う流護だが、ひとまずは傾聴を続ける。
『先日の食事会で、両校の垣根は多少低くなったことと思います。が……まだ足りません! ということでハイ! まずは今から、二人組を作ってもらいまーす! いいですかー! それぞれ、リズインティとミディールで二人一組です! 同じ学校同士は禁止! あと、男子は男子! 女子は女子とです! 男女の組み合わせは認めません! 不純異性交遊の温床にはさせませーん! 残念でしたー!』
ざわっ、と場が喧騒に包まれる。
「わー! 部屋割りもそうだったけど、急な『グループ作って』は怖すぎ!」
「はは……フランクな人種ならではよな」
あまりコミュニケーションが得意でない流護としても、参加する側でなくてよかったと思うばかりだ。
『慣れない相手と上手く打ち解けてやっていくことも、詠術士に求められる資質の一つです。というワケで、まずは信の置ける相棒を作るところから始めましょう! 両校の人数がピッタリ同じじゃないので、リズインティ二人のミディール一人で組んでもらう人も出てきますが……それについては、最終的にアタシの方で調整しまーす。ハイ、質問のある方は挙手!』
学院長の声に応えて、黒ローブ集団の先頭付近にいる女子生徒が即座に腕を掲げる。麗かな金髪が眩しい見覚えあるその姿は、
『はい、ではマリッセラさん!』
「わたくしはリズインティの生徒、という扱いでよろしくて?」
『そーね。この催しが終わるまではリズインティ学院所属だから、それに倣って頂戴』
「承知しましたわ」
なるほど確かに、留学生たる彼女――マリッセラは唯一特殊な立ち位置にいる人物だ。この修学旅行が終了した時点でミディール学院生に戻り、一緒にレインディールへ帰還する予定になっていると聞く。
『他に質問のある人はいないようね。では相棒が決まったら、大広間に席が用意してあるのでそっちに行って二人で一緒に好きなとこに座ってー。はい、制限時間は今から三十分です! 始めてくださーい!』
最初は互いに戸惑った様子の両陣営だったが、時間も限られている。すぐにブレザーと黒ローブの集団は迎合し、玄関ホールも大きな喧騒に包まれた。
(……ったく、しょうがないわね。こうなった以上、わたくしも誰かと組まねばならないけれど……)
腰に手を当てたマリッセラ・アムト・ミーシェレッツは、嘆息しつつも周囲に首を巡らせた。
(……あえて相棒を選別するというのであれば、わたくしに相応しいのは……まあ、ベ、ベルグレッテしかいないわね。う、うん。あ、あえて選ぶならの話よ? はー、まったくめんどくさいったら!)
あれこれ考えつつ、貴族少女は賑やかな人混みの合間を縫ってその姿を探し始める。早足で。ほどなくして、前方に佇むガーティルード姉妹を発見した。
「では姉様、私はリム殿を探しに行きます。あの子が見知らぬ誰かと組む、というのも難しいでしょうし」
「ん、分かったわ」
苦笑したクレアリアが離れていき、ベルグレッテ一人が残される。奇遇にも邪魔者が消えた。声をかけるなら今。
(……って、そういう話ではないわ。やましいことなんて何もないんだから……!)
なぜか妙な緊張が込み上げてくる中、マリッセラは意を決して呼びかけるべく口を開く。
「ベル!」
が、そこで響いたのは自分の声ではなかった。
横から颯爽と現れたのは、同じ黒ローブ姿の少女。ハネ気味の赤茶けた髪と、両耳に三角を繋ぎ合わせた造形のイヤリング。細首には黒のチョーカー。そして、肩に鎮座した白いフクロウ。
学級の長を務めるシスティアナだった。ベルグレッテが手を振って彼女を迎える。
「あら、システィ……、シス! ごきげんよう」
「どうも、一昨日ぶり。どうかしら、ベル。よければ私と組まない?」
「あ、いいの? それじゃあ、お願いしようかしら」
「ふっふ。学級のまとめ役同士、きっと気が合うと思うのよね。それじゃあよろしく……、……うん?」
そこでシスティアナは気付いたらしい。その視線を追って、ベルグレッテも。
二人の視線が同時に注がれる。すぐ近くで立ち尽くすマリッセラへと。
「あっと、マリー……もしかして、ベルを誘いに?」
ちょっと気まずそうに呟くシスティアナに対し、マリッセラは慌てて首を横へ振った。取れそうな勢いでぶんぶんと。
「ち! ちちち、違うわよ! そんなわけないじゃない! 全然、そんなことないわよ! きき、気にしないで頂戴!」
「いやでも……」
「ほほ本当に! 違うから! あ!」
そうして視線を泳がせた際、マリッセラの視界に入り込む知った姿があった。
「ふんふーん」
すぐ脇をご機嫌そうに通り過ぎていこうとするミアである。
「田舎娘! さあ、わたくしと組むわよ!」
がっしとその腕を掴んだ。
「え!? マ、マリッセラ!? な、なに!?」
「わたくしが組んであげるって言ってるのよ!」
「えー!? なんなのー! い、いやだよ!」
「い、嫌ですって!?」
「せっかくだもん! 知らない人と友達になりたいよ!」
「まっ! 生意気をお言いでないわ! さあ、行くわよ!」
「ウワー! やだー! ベルちゃんたすけてー!」
捕獲した獲物を引きずって、貴族少女は無理矢理にその場を離れるのであった。背後に感じるベルグレッテとシスティアナの視線を振り切るように。
「ミアちゃんかわいそう……。でも、困ってるとこもかわいい。かわいそうは、かわいい」
「何つーか……歪んでんだよな、お前の好意って……」
たまたまその瞬間を目撃した流護と彩花はそんな会話を交わしつつ、マリッセラに強制連行されていくハムスター少女を見送った。困っているなら助けてあげたいところだが、こればかりは学院のイベントにかかわる部分である。流護が口を出せる領分ではない。強く生きてほしい。
それはともかく賑わう皆の様子を眺めると、一際目立つその男が今まさに勧誘を試みているところだった。
「組まぬか」
遥か高みから見下ろしてくるほどの上背。がっちりした体格。たたえられた不敵な笑み。ヌッと差し出された武骨で大きな手のひら。ダイゴス・アケローンである。
「……、……は、はい……」
話しかけられた大人しそうな黒ローブの男子学生は、目を丸くしながらその分厚い手を握り返すのみだった。
そしておそらく、ダイゴスが彼を誘った理由は単純明快。ふと周囲に視線を巡らせた際、最初に目が合ったとかそんなところだ。
「ダイゴスさんの圧っ……! ま、まあ断れないよね……。いや、私らはダイゴスさんがいい人で怖くない人だって分かってるんだけど……。本人も、圧かけてるつもりないだろうし……」
「はは。ダイゴス相手に面と向かって『嫌です!』って言える奴はなかなかおらんだろな」
流護とて、当初はかの巨漢の不敵な笑みに言い知れぬ迫力を感じていた。今となっては懐かしささえ覚える話であるが。
「…………ねえねえ。流護、流護」
そんなこんなで賑々しい会場を眺めていると、彩花がぽつりと囁いてくる。
「……なんかあんた、結構見られてない?」
「ん? …………」
言われてみれば、である。
近くを通り過ぎていくリズインティ学院の生徒が、流護の存在に気付くと何となしにチラチラ見ている気がするのだ。男女別なく。それでいて誰も話しかけてはこない。
「うーん。皆と年齢もそう変わらんし、でも制服着てないから『何だこいつ』とか思われてんのかな」
「でも、それが理由なら一昨日の食事会でも同じように見られてそうだし……すぐ隣の私を見てる人はあんまりいない感じだし? 何だろね?」
(それはそれで、たまにお前を見てる男子とかいるんだけどな)
まあ、あえて口には出さない。
そうこう様子を見ている間にも、次々とコンビが成立し、隣の大広間へ続く扉を潜っていく二人組が続出する。
「こういうの、残り人数少なくなってくると焦ってきそうだな」
「たしかにー」
傍観者たる日本人の少年少女としては気楽なものである。
引き続き周囲の様子を窺うと、他にも見知った顔を発見することができた。
同じブレザー姿でまとまる三人。エドヴィン、ステラリオ、アルヴェリスタである。
斜に構えた不良生徒エドヴィンを中心としたその集団は何というか、やや近づきがたい雰囲気を醸し出している。実際、三人ともまだパートナーは決まっておらず絶賛捜し中のようだ。
「なんかアングルがCDのジャケットみてーだなあいつら。いきなりロッケンロールとかヒップホップ歌い出しそう。んで最後に楽器破壊しそう。バンド名はミ・ディールな」
「なにその偏見は。……エドヴィンさんは何回か話したことあるけど……あとの二人って、私よく知らないんだよね。でもでも、アルヴェリスタさん? ってすごいよね。最初、女子かと思っちゃったもん!」
初見で女子かと思ったランキングを開催すれば絶賛首位を独走するような見た目である。
「てかアルヴェリスタさんてさ……私より、かわいくない……?」
「まあぶっちゃけ、お前よりは可愛いよな」
「………………ほう。男のアルヴェリスタさんを可愛いと思う流護くん、と」
しまった! これは罠だ!
「……そかそか。……私の幼なじみは、同性もイケる人でしたっ、と」
語尾にハートマークがつきそうな満面の笑みである。
「やめろ。いけねーよ。やめてくれ。すいません。俺が悪かった。彩花さんかわいい! 美人! 最強!」
「もっと言ってー。でもさー実際、どうなんだろ。アルヴェリスタさんって……、だ、男子が好きだったり、しないのかなっ」
「いや何が『しないのかなっ』だ。今、最高に気持ち悪かったぞお前」
渋面を作るしかない少年である。そして同時に、やや苦い真実を告げねばならない。
「アルヴェリスタはノーマルやぞ。しかもあいつ、明らかにミアに惚れてるからな」
「え! ミアちゃんに!?」
ひゃー、と予期せぬゴシップに驚く彩花だが、即座にその目を細めて薄ら笑う。
「ははー。で、流護お父さんとしてはどうなんです? もしミアちゃんとアルヴェリスタさんが交際するとかなったら、認めるんです?」
「は? ダメに決まってんだろ。この過酷な世界でミアを守れる奴じゃないとダメなんすよ。少なくとも、俺のボディ打ちに耐えられないような軟弱な奴は認めません。奴が耐えられると思うか?」
「……いやむしろ、あんたのパンチに耐えられる人っているの……?」
「誰だろうとブチ抜くよ」
シュッシュッと拳を振って実演しつつ断言する。
つまり、娘は誰にもやらん。そういうことである。
そうこうしていると、動きがあった。黒ローブを着た一人の『女子生徒』が、そのアルヴェリスタに話しかけたのである。
「あ、あの! どうも! よければ、私とどうですか……?」
「えっ!」
目を白黒させるアルヴェリスタ。一瞬眉根を寄せたエドヴィンとステラリオが、咄嗟に口元を押さえたり後ろを向いたりする。笑いを堪えたのだ。
「だめ、ですか?」
「いや……えっと……、僕、男です……」
「ええっ!? う、うそ!? あ、えっと……し、失礼しました!」
脱兎のように去っていくリズインティ女子。
その背中を見送るや否や、ステラリオが遠慮なしに笑う。
「だーっははっはは! おうアルヴェよー。お前やっぱり、自分から声かけに行ったほうがいいんじゃないか? これで三回目だぞ」
「うう……」
どうやらすでに二回勧誘を受けていたらしい。女子に。ちゃんと男子の制服を着ているにもかかわらずこれなのだ。
「まー、自分から声かけたらかけたで、『俺、男子なんですけど』って相手に言われそうだけどな!」
「や、やめてよ……本当にそうなりそうで怖いんだから……」
「しかしアレだな。いい時間になってきたし、さすがにそろそろ誰か見つけないとな。俺、ちょっと本腰入れて捜しに行ってくるわ!」
颯爽と腕を掲げたステラリオが走り去っていく。その姿を見送ったエドヴィンが面倒くさげに頭を掻いた。
「……かったりーが、確かに時間もなくなってきたしよ。アルヴェ、お前も行ったほうがいーんじゃねーか」
「う、うん……分かったよ」
ここで三者がばらける形となった。バンド解散である。
ソロ活動を開始し、いつも通りのヤンキー丸出しで肩を怒らせながら歩き始めたエドヴィンだったが、そんな風に幅を取ったせいかすぐに誰かと身体がぶつかった。
「チッ」
『狂犬』が不快感も露わに振り返る。
接触したその相手は、
「おっと、すまないね」
似たようなリーゼント気味の髪型と、どこかニヒルな雰囲気を漂わせる男前。一昨日の昼食会で流護たちとも少し会話を交わした、リズインティ学院の男子生徒。女好きの貴族ことリウチ・ミルダ・ガンドショールだった。
ほんの一瞬だけ、両者の間に無言の数秒が……緊張感らしきものが生まれる。
表情を緩めたのはリウチだった。
「……あー君、まだ誰と組むか決まっていないのかい? 俺も、相手が男となると気が乗らなくてねぇ……。だが、そうも言っておれんしな。良ければ、俺と組まないか?」
その言葉にしばし眉を寄せたままのエドヴィンだったが、
「……そーだな。どーせ誰かしらと組まなきゃいけねーしよ」
「おお。それじゃあ、よろしく頼むよ」
双方ともにあまりやる気がなさそうではあったが、やむなしといった気配で一緒に大広間へと向かっていく。
「……はー。一瞬、ケンカになっちゃうのかとドキドキした」
「いくらエドヴィンでもそこまでアレじゃねえだろ。……多分」
だが正直なところ、ツッパリ全開の悪童と女好きの貴族青年。あまりソリが合うとは思えない。こんな催しでもなければ、積極的にかかわることもなさそうな二人だ。
『はーい、残り人数も少なくなってきましたー。時間はまだあるけど、まごついてるとアタシが勝手に組ませちゃうわよー。早めに決めてくださーい』
学院長の広域通信が響き渡る。
「うし、そろそろ俺らも大広間入って待っとくか」
気付けば、見知った顔はもう近くにはいなくなっていた。
続いて始まる合同学習を見学すべく、流護と彩花も隣の広間へと足を向けるのだった。