604. 灰色こそ平穏
賑わう街の郊外に位置する、煌びやかな外装の高級料理店。
上流階級ご用達となるその食事処は今、一人の大貴族によって貸し切られていた。
バルクフォルト帝国における影の牽引者として名高い大物――トネド・ルグド・ローヴィレタリア、その人である。
本来であれば多くの客を迎え入れることができる豪奢な店内だが、今現在の利用者はローヴィレタリア卿を含めてわずか四名。最奥に設けられた特等席で大きな円卓を囲み、至上の食材を用いた料理たちに舌鼓を打っているところだった。
「ホッホ。いやしかし、至らぬばかりで申し訳ございませんな。既にお食事を済ませていらしたとのことで……」
どこまでも喜面のローヴィレタリアに対し、同席するクレアリアは「いえ」と前置く。
「お気になさらないでください。私も闘技場の熱気に当てられたと申しましょうか、冷めやらぬこの興奮を肴に何か口にしたいと思っておりましたので」
貴人の責務として心にもない言葉を繰り出しながら、小ぶりなワイングラスにたゆたう葡萄酒を唇へと運ぶ。
旨いことは確かだ。
鼻孔をくすぐる芳醇な香り、舌に広がるほどよい酸味と濃厚な深み。ライズマリー産の優れた品を贅沢に用いた紫色の液体は、高級店でのみ嗜める至高の一品に違いない。
「ごめんなさいねぇ、クレアリアちゃぁん。主人の対応が場当たり的でぇ。着いたばかりなのに振り回されちゃってぇ、疲れちゃったでしょぉ」
そう発言したのは、ローヴィレタリア卿の左隣に座る女性だった。
歳の頃は四十代半ばほどで、唇に差した濃い色の紅が目立つ。見るからに貴族然とした身なりと佇まいで、品格が溢れながらも気の強そうな顔立ちだが、何より特徴的なのは高く盛り上げる形で結わえられた金の髪。下ろせば相当な長さとなるだろうそれは全て頭の上で丸く巻かれ、各所に白い花や羽飾りが散りばめられている。
上流階級の貴婦人の間ではさして珍しくもない髪型だが、彼女についてはその編み込みようや装飾ぶりが段違いだった。そうした煌びやかな外見が、そのまま貴族としての格付けの高さを示しているようにも思える。
「お気遣いいただきありがとうございます、エルメラリア夫人。ですが、お陰様で有意義な時間を過ごさせていただいておりますので。ご心配には及びません」
「まっ、んま〜っ。ほんっとクレアリアちゃんったら、その歳でお世辞上手よねぇ~。しっかりしてるわぁ〜」
ご機嫌そうに手をパタパタと振るその人物の名は、エルメラリア・ミシュ・ローヴィレタリア。バルクフォルト最上位貴族であるアグレッド家からローヴィレタリア家へと嫁いだ、『喜面僧正』の奥方である。
「ルーバート卿やフォルテの教育がいいんでしょうねぇ〜。アテクシも見習わないといけないわぁ、ほんとにぃ」
そしてガーティルード姉妹の母フォルティナリアとは旧知の間柄。ゆえにベルグレッテやクレアリアに対しても気兼ねがない。
「ったくねぇ、この子もねぇ、少しはクレアリアちゃんを見習ってほしいわねぇ〜」
そう零した夫人が化粧ばっちりな目元を横向ける。己のすぐ脇に座った、小さな少女へと。
青いリボンを使ってポニーテールでまとめられている、茶色の交じった灰色の長髪。小さく愛らしい丸顔は、年相応のあどけなさを感じさせる。見るからに大人しげな雰囲気だが、特徴的なのはその瞳だろう。白目に対して大きめな瞳は、ルビーよりも濃い緋色。その中に、やや縦長で真っ黒な瞳孔が揺らいでいる。
会食が始まって以降、基本的には黙って下を向いたまま。時折、思い出したかのように食べ物を口へ運ぶ程度の動きしか見せていない。
「いえいえ、私などを見習っても……。リム殿は、その物静かな立ち振る舞いこそが魅力的かと存じますよ」
クレアリアがそう語りかけると、その少女――リムは一瞬だけ視線を合わせてくるも、またすぐに下を向いてしまった。
「んもぅ、気弱なだけなのよぉ。誰に似てこうなっちゃったのかしらぁ。話してても張り合いがないでしょぉ? ごめんなさいねぇ、クレアリアちゃぁん」
「いえ……」
そうしたやり取りの間も、話題の対象となっている当人はうつむきがちに食事を続けるのみだった。
そんな彼女の名は、リム・リエラ・ローヴィレタリア。
ローヴィレタリア夫妻の一人娘にして、リズインティ学院に在籍する詠術士の卵。同じ三年生だが、年齢はクレアリアの一歳下となる。
性格は極めて大人しく内向的で、確かにこの父母からは想像できない引っ込み思案といえるが――
「それにしても、しゅう……修学旅行ぅ、だったかしらぁ? すごいわねぇ、そんな大勢の学院生たちに国を越えさせるだなんてぇ。だって、もしこれが逆だったらと思うとぉ……無理無理無理、アテクシたち抜きでリムだけをレインディールに行かせるだなんて、絶対無理だものぉ〜」
自分で言いながらその様を想像したのか、エルメラリア夫人は身震いするようにかぶりを振る。髪にあしらわれた装飾品も、追従するように大きく揺れた。
「ホッホ。確かに、リムには荷が重いわの」
父たるローヴィレタリア卿も、その渾名に違わぬ表情を深める。
「第一この子ったらぁ、あんまり体力もないでしょぉ? そもそも、まだ子供だしぃ……とても長旅なんてさせられないわぁ。その点、クレアリアちゃんもベルグレッテちゃんも立派よねぇ〜。特に、クレアリアちゃんはリムとひとつしか違わないのにぃ」
「いえ、恐縮です……。……ええとリム殿、確か双角牛の蒸し焼きがお好きでしたよね。こちらに美味しそうなものがありますよ。いかがですか」
「! はい……」
話を変える形で勧めると、リムがハッとしたように表情を輝かせる。幼さの残る愛らしい声での肯定。思えばこの場に合流し挨拶を交わして以降、彼女はまともに一言も発していない。
その様子を眺める夫人が口を開く。
「あらっ、気が利くわぁ〜ありがとうねぇ〜。そういえばぁ、クレアリアちゃんは何が好物だったかしらぁ?」
「私は……そうですね、アルメーンの鴨肉でしょうか。特に、トマトソースで煮込んだものが好ましく……。独特の味わいがあるので人を選ぶようですが、私の口には合うようです」
「まっ、んま〜っ。渋いわぁ。今日は用意できなくてごめんなさいねぇ。それにしてもアルメーンのトマト煮とはねぇ、大人びてるわぁ。それに引き換えリムったらぁ、小さい頃から双角牛の蒸し焼きと卵焼きが大好きでぇ〜。いつまで経っても舌が幼いのよねぇ〜」
嬉々として口に肉を運ぼうとしていたリムがバツの悪そうな顔となる。
しまったな、とクレアリアは内心で己の迂闊さに舌を打った。
……これなのだ。
この夫妻――特にエルメラリア夫人は、ベルグレッテとクレアリアを褒めて持ち上げることが多い。
それは構わないのだが、その代わりに娘を……リムを下げようとするのだ。
こちらにもこの場に両親がいれば、「いえいえ、我が子もこれこれこうでして」とへり下る形に話を持っていけるが、今は自分しかいない。いくら否定しようとも、ひたすらおだてられ続けるのみだ。
ならせめてもと思いリムが比較されなくて済む方向へ話を誘導しようとしたのだが、結局はこうなってしまった。姉のようにはいかないものである。
(夫人に悪気はないのでしょうが……)
むしろ、どちらかといえば彼女は娘を溺愛している。
しかし今は貴族交流の手法のひとつとして、あえて下げている。そして下げられた当人は、何の非もないはずなのに母にあれこれ言われて居心地が悪い。貴族の子供にありがちな話ではある。
「ほぅら、リムったらぁ。クレアリアちゃんと久しぶりに会ったんだからぁ、何か話したいことはないのっ」
母に窘めるように言われ、リムは困り顔で食事の手を止めてしまう。そんな様子が少し気の毒に思え、食べながらでいいですよ、と言ってあげたくなる。
その表情からも明らかな逡巡。ややあって、
「…………どうすれば……」
か細く、呟いた。
「……どうすれば、クレアリアさまみたいに……なれますか」
すがるような上目遣いで。そんな問いが、向けられた。
「私のように、ですか……」
「まっ、んま〜っ。クレアリアちゃんに憧れてるのねぇ、この子ったらぁ」
そう言われて悪い気はしない。
が、
「私は……指標とされるほど立派な人間ではありませんよ。文武双方においても未熟ですし、焦りすら感じる毎日です。貴族として……ロイヤルガードとして、より高みを目指さねばなりません」
ようやく父に対し、素直に向き合えるようになった。
長年引きずっていた亡き兄の件に、精神的な踏ん切りもついた。
幾度となく死線を潜り、それなりの力も身につけた。
だが、敬愛する姉は遥か先の領域にいる。特にあの少年とともに戦うようになってから、その成長速度は目を見張るようだ。
足手まといとならぬよう、日々研鑽に努めなければならない。
「ホッホ。ご立派なお心がけですぞ」
「ほんとにねぇ〜。謙虚よねぇ〜。リムも見習わなきゃダメよぉ〜」
どうあっても褒められることは避けられないらしい。
その後も葡萄酒をちびちびと嗜みながら、夫妻の称賛を浴び続けることしばし。
「それにしても……話は変わりますが。リューゴ・アリウミ遊撃兵でしたか、ホッホ。彼は、中々に型破りな若者のようですな。ホッホ」
「え、ええ」
ここまでと何ら変わらぬ笑顔のローヴィレタリア卿だったが、クレアリアはにわかにギクリとした。
レヴィンに対する最後の挑戦者として登場した流護が、バナナの皮で滑って転倒するというまさかの珍事。ひたすらの困惑だけが場を支配し、何とも締まらぬ雰囲気を残しての終幕となってしまった。生徒たちも皆、今ひとつ盛り上がり切れなかった様子で帰路へついたものだ。
彼をけしかけたクレアリアとしては、一抹の責任を感じてしまうところだった。
一見してにこやかなローヴィレタリア卿だが、せっかくの催しに妙な水を差されたと考えていてもおかしくはない。
「お噂は予々耳にしておりましたぞ。邪竜を無手で撃退せしめたとも、王都に入り込んだ異国の賊徒を成敗したとも……そう、直近の天轟闘宴を制したとのお話も伺いましたな」
「え、ええ」
老人の口舌はどこか空々しい。そうした逸話の数々を懐疑的に思っているのかもしれない。
もっとも、流護のあの凄まじい転倒ぶりを目の当たりにしては無理もないところではあるが。クレアリア自身、驚いたのだ。彼らしくないと。
「ふむ。つまるところ、レヴィンとは天轟闘宴を勝ち抜いた覇者同士。成程、あの場であれほどの盛り上がりを見せるのは必定だったということですな。全く予期しておりませんでしたぞ、ホッホ」
一拍の間を置いて、老人はグラスの底に残る真っ赤なワインをクイと飲み干した。
「ホッホ、如何でしょう。クレアリアお嬢様としては……リューゴ・アリウミ遊撃兵とレヴィン。仮にあのまま続いておったなら、どちらが勝っていたと考えておいでですかな」
「!」
「おっと、これは失礼致した。お嬢様の立場からすれば、どちらとお答えになっても据わりの悪さが残りますな。いえ、酔った爺の戯言とお流しくだされ。ホッホ」
「……」
無論ローヴィレタリア卿自身は、レヴィンが圧倒的に勝利すると信じているに違いない。
だが実際のところ、どうだろうか。
クレアリアは、両者の実力を知っている。
そのうえで流護を宛てがえば、レヴィンとて無傷では済むまいと考えた。だからこそ、あんなくだらないことを思いついた。
しかし、更にその先。双方が全力を尽くして鎬を削ったのなら、果たして最後に立っているのは――
「分からぬからこそ良い、とも考えられるのです」
不意に。次の酒瓶へと手を伸ばしたローヴィレタリア卿が、やや達観したような口ぶりで呟いた。
「例えば、『迅雷の三騎士』の中で最も強き者は誰か? 酒の席なぞで往々にして熱く語られる話題の一つですが……あれやこれやと議論に花を咲かせ、想像に浸っておるからこそ楽しい。そういった一面があるかと愚考するのです」
レインディールのラティアス、レフェのドゥエン、バルクフォルトのレヴィン。三大国、それぞれの国を代表する最強戦士。
奇しくも三者が揃って雷属性を宿すことから、民の間では『迅雷の三騎士』などとも呼ばれている。
して、この三名の中で最も強いのは果たして誰なのか? 確かに、少なからず挙がる議題のひとつだ。
「例えば、この逸品」
老夫が節くれ立った指で掴んだのは、芳醇と名高い高級葡萄酒の瓶。並の貴族であっても、おいそれとは口にできない高価な代物だ。
懐かしげに基面を緩めた彼は、その瓶を手で転がして品定めするように眺める。
「ホッホ。若き頃は、一口これを飲んでみたかったものでしてな。いざ相応の金を手に入れ味わってみれば、確かに想像に違わぬ絶品ではあった。しかし、何度も味わううち……その香りや風味は自分の中で常識と化してしまい、そこに特別な感情はなくなっていく」
その皺だらけの笑顔に、どこか寂しそうな気配が落ちる。
「各々の国家にて最強と謳われる戦士たち……彼らが実際に干戈を交えたならば歴史的一戦となるでしょうし、勝敗が決すれば、その瞬間はさぞ盛り上がることでしょう。しかし、その熱気はいつまでも続きはしませぬ。明確に分かたれた勝者と敗者……やがてその認識は常識となり、そこに驚きはなくなっていく。次第に、酒の席で話題に出す者も消えていくことでしょう」
そうなるぐらいなら、と老人は珍しく憂鬱げな溜息をついて。
「最も強き者は果たして誰なのか? 延々とそう語られ続けた方が、誰にとっても損がないのではないか。幻想のままにしておいた方がよいのではないか。そんな風に考えることがあるのですよ」
当人にとって『常識』となってしまった最高級葡萄酒――その栓を開けた最高大臣は、顔色ひとつ変えず中の赤い液体を口腔へと流し込んだ。自らの言葉を証明するように、何の感慨もなさげに。
「……、深きご一説、勉強になります」
実はローヴィレタリア卿自身、若い頃に戦場を転々とした武僧である。かつては、過酷極まる『南の大熱砂』の探査・開拓にも携わった経歴を持つ。『灼蛇弾正』の二つ名を持つが、現役時代に負った足のケガが完治しなかったため、今は錫杖を支えとして歩いている。
そうした戦士としての一面も併せ持つ為政者だからこそ至った、ひとつの考え。
下手に白黒などつかないほうがいい。明暗がはっきりと分かれれば、その者の今後にも影響が出る。まして国家を代表する戦士であれば、面子や体裁というものがある。
(やはり色々、大人のしがらみがあるという訳ですね)
自分もいずれは、そんな目線で物事を見るようになるのだろうか。
その後も他愛のない話題で交流を続けるうち、何だかんだで夜も更けてきた。
そろそろお開きの頃合いだ。リムは眠気が襲ってきたのか、先ほどからしきりに目尻をこすっている。その様子に気付いたエルメラリア夫人が、優しい手つきで娘の頭を撫でた。
そんな微笑ましい光景を眺めつつ、クレアリアは帰る前に忘れじと口を開く。
「……時にローヴィレタリア卿。不躾ながら、レインディールの王城関係者としてご相談したいことがございます。きっと姉も今頃、レヴィン殿に同様の伺いを立てていることかと」
「ふうむ。私とレヴィンめに? 如何様なお話でございましょうか」
酒が入ってやや弛緩していた最高大臣だが、その大きな身体を揺すって居住まいを正す。相手の口ぶりから真剣みを感じ取っての素早い切り替え。赤ら顔となった『喜面』からは想像もつかないが、やはり超一流の為政者なのだ。
「お忙しいところとは存じますが……近日中に、両国の主要関係者を交えての会談の場を設けていただきたいのです。ローヴィレタリア卿にレヴィン殿、そちらの高官各位……そしてこちらは我々姉妹にナスタディオ学院長、アリウミ遊撃兵といった面々にて」
「ほう。それほどの顔ぶれを集めるとなりますと……例の魂心力結晶についてですかな?」
「いえ。そのお話とは別件になります」
「ふむ……」
思案するローヴィレタリア卿のにこやかな表情を、クレアリアは静かに窺った。
会談の議題は言うまでもない。
オルケスターについてだ。
バダルノイスの裏で暗躍し、国家をも支配下に置こうとしていた闇組織。レフェで催された天轟闘宴においても密かに入り込み、何らかの意図を秘めて動いていたらしいことが判明している。
クレアリアとしては未だ自身で遭遇していないため実感も薄いが、捨て置くことのできない危険な集団であることは確か。
そして、かの組織についてまことしやかに囁かれる噂がひとつ。
(……一応は当てはまる、ということになりますが)
やんごとない身分の人間が参画している可能性。
バダルノイスで女王相当の人物が与していたことを鑑みれば、それこそバルクフォルトにおける実質的な指導者――このローヴィレタリア卿が『そう』でないとは言い切れないのだ。
(もっとも……姉様の見立てによれば、ローヴィレタリア卿とレヴィン殿は除外してよいとのことでしたが)
その根拠としてまず、バダルノイスとバルクフォルトでは国家の規模や情勢がまるで異なることが挙げられる。
藁にもすがりたいほどの苦境へ陥っていたバダルノイスとは違い、バルクフォルトは大陸の中でも三大国に名を連ねる屈指の先進国。経済力も軍事力も申し分ない高水準を誇り、闇組織などに付け入られるような隙は存在しない。……少なくとも、国家単位で籠絡されるようなことはありえない。
(そもそも、ローヴィレタリア卿は『影の帝王』とも称されるお方……。現バルクフォルトの実質的な牽引者であり、最高位の権と財を備えた貴人。表立って堂々と国の行く末を左右できるようなこの方が、わざわざ闇組織に与するとも思えません)
望むものがあれば容易に手にできる。裏でコソコソと悪事を働く必要すらない。トネド・ルグド・ローヴィレタリアとは、それほどの力を持つ存在なのだ。彼の采配ひとつで、バルクフォルト帝国は独裁国家にも民主国家にもなる。
(そして、レヴィン殿も同じく)
今やバルクフォルト帝国の顔とも表現できる『白夜の騎士』。
その知名度は間違いなく大陸随一、栄光の道を歩んだ末に伝説となることが現時点で確定しているような人物。
バダルノイスにおいてメルティナがそうだったように、連中によって身柄を狙われることこそあれど、自発的に加担するといった真似はさすがに考えられない。
何より、レヴィン・レイフィールドといえば全ての騎士が手本とすべき高潔な英雄だ。
(……さすがにありえません。何せあのお方は、兄様を……)
「ふぅむ、承知致した」
笑みの形に閉じられていた大臣のまぶたがうっすらと開き、わずかに黄土色の双眸が覗く。蛇にも似たその縦長の瞳孔が、サッと周囲を一瞥した。
奥で彫像さながらに佇む給仕、傍らでうつらうつらと舟を漕ぐ娘、その傍らで世話を焼く妻。
「……では、クレアリアお嬢様。後日こちらからお声掛け致します故、しばしお時間をいただけますかな」
「……は、お願いいたします」
やはり油断ならない人物だ、とクレアリアは改めて噛み締める。
部外者には明かせぬ内容であることを正しく察し、今は詳細を尋ねることなくそう返答するに留めたのだ。
「さてさて。それでは、今宵はお開きと致しましょうぞ。クレアリアお嬢様……本日はご到着されたばかりでお疲れのところをおいでいただきまして、誠にありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、お忙しいところをお招きいただきありがとうございました」
二人がそれぞれお決まりの挨拶を済ませる傍ら、完全な眠りに落ちていたリムをエルメラリア夫人が優しく揺り起こす。
準備を整え皆で連れ立って外へ向かうと、すでに二台の豪奢な馬車が路肩で待機していた。
「御者には、ダルクウォートン砦までお連れするよう話を通しております故。ではクレアリアお嬢様、お気を付けてお帰りくだされ」
「クレアリアちゃぁん、またねぇ。ほぉら、リムもご挨拶なさぁい」
夫人に手を繋がれ寄り添っていた少女が、背中を押されておずおずと一歩進み出る。しかし、
「……、」
引っ込み思案な彼女としては、咄嗟に言葉が出てこないようだ。
その様子を読み取ったクレアリアは、慣れない笑顔を作ってわずかに膝を曲げ、目線の高さを合わせて語りかけた。
「リム殿。これからおよそ二週間ほどの交流学習となりますが、よろしくお願いしますね。明後日、また砦でお会いしましょう」
「…………、は、はい」
どうにか綻んだ淡い笑顔と、消え入るような返事。
だがそれは、クレアリアが意図して引き出したものだ。
このまま無言の間が続けば、また夫人がリムを咎めてしまう。それを防ぐべく、簡単な相槌で違和感なく会話を終えるための一手。
「もぉう。気が利かない子でごめんなさいねぇ」
……結局は、そんな夫人の一言が付されてしまったが。
ともあれ、挨拶の応酬を終えて馬車へと乗り込む。
「お話は伺っております。では、ダルクウォートン砦までお連れいたします」
柔らかな背もたれに身体を預けるなり、御者が丁寧に宣言してくれた。至れり尽くせり、とはこのことか。
馬車が走り出し、それに伴って動いてゆく景色。
小さくなっていくローヴィレタリア一家の姿に頭を下げながら、視線を異国の夜の街並みへと移す。
(……ふう。姉様はお戻りになっているでしょうかね)
相手はあのレヴィン。面白くはないが、『間違っても間違いは起きない』はず。
とはいえ姉思いの妹としては、少しモヤモヤした気持ちを抱えながら異国の夜景を眺めるのであった。




