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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
15. 皓然のフロウ・ライン
603/667

603. 絶好調

 ――円形の闘技場。

 土くれの地面は思った以上にがっちりと固く、足場に問題はない。

 首を上向けて見渡せば、学院生たちが全方位から歓声を送ってきている。これが満席なら、その盛り上がりはどれだけのものになるだろう。


「おー。これが闘技場かあ」


 いい雰囲気だ、と有海流護は率直に感じていた。

 非日常の環境からなる独特の高揚感。自分が選ばれし者となったかのような特別感。天轟闘宴の舞台だった『無極の庭』とはまた違う緊張感。この場に立ち闘うことを生業とする者がいるのも頷ける。

 そんな未知の環境に対する新鮮味と興奮を覚えながら、しかし同時に苛立ちも感じていた。


(なんじゃいこの野郎……近くで見たらもっとイケメンじゃねーか)


 遠間を隔てて対峙するその男。

『白夜の騎士』、レヴィン・レイフィールド。


 間近でよくよく観察したなら粗が見つかるというか、実はそこまでイケメンではないのでは、などという淡い期待(?)を抱いていた流護だったが、そのような考えはあえなく打ち砕かれる結果となった。

 目、鼻、唇、耳……およそ全てのパーツの造形も配置も完璧で、これ以上はないと思えるほどの端正な顔立ち。彩花がベタ褒めするのも無理はない……のかもしれない。


(……何かクソむかついてきたんですけど)


 ディノも並外れた美形だったが、危険な雰囲気を纏っていない分レヴィンのほうが万人受けすることは間違いない。無論、ああいうオラついた系が好きな者も多かろうが。

 その美青年騎士が、どこまでもにこやかに口を開く。やはり、あの獄炎の男とはまるで対照的な語りで。


「あなたがリューゴ・アリウミ殿……。お噂はかねがね伺っております。此度の『修学旅行』にも同行されているとは聞き及んでおりましたので、いずれご挨拶をと考えておりましたが……よもや、この場でご表明いただけるとは。光栄の極みです」


 騎士式の優雅な一礼。

 品格溢れる佇まいに、観客席の女子生徒たちから黄色い歓声が上がる。


「あー、ご丁寧にどもっす。俺は正直、そっちのことはよく知らないんすけど……まあせっかくだし、ちょっとやってみようかなって」


 いざ面と向かっての初対話。

 まるで飾らぬがゆえ、無礼さの滲み出た第一声。社交辞令の欠片もない流護のそれに対し、


「良いですね! ええ、そのようにお気軽にご参加いただきたかったのです」


 青年騎士の笑みは崩れず。

 その丁寧な態度に偽りの気配はない。

 おそらくレヴィンは、本心で流護の挑戦を歓迎している。

 生徒以外……まして遊撃兵が絡んでくるなど想定していなかったろうに、まるで及び腰になる様子もなく。あまりに晴れやかな笑顔で。


(……こいつ分かってんのか? この一戦の影響ってのを)


 レインディールの遊撃兵VSバルクフォルトの最強騎士。

 やるべきではない一戦だ。

 白黒ついて明暗が分かれれば、国家の関係に無駄な軋轢が生まれかねない。その程度のことは、兵士歴一年の流護にだって理解できる。であれば、大陸中に名を轟かせるほどの騎士が察していないはずはない。


 なら、所詮は余興。

 双方ともにそれらしい見せ場を作って終わり……とでも考えているのだろう。


(もちろん俺も、ガチでやるつもりはねえけど……)


 ただ、少しばかり消耗してもらう。これからベルグレッテと出かけられない程度に。

 だから、


(あんま余裕ぶっこいてっと……恥かくぜ)


 元々、演技だのやらせだのができる性分ではない。

 相手は『ペンタ』。だが、今日の調子は悪くない。まず間違いなく、『見える』。

 もし仮に――その結果として相手が倒れてしまうのであれば、もはや知ったことではない。


『では、始めてください……!』


 エフィの広域通信が響き、すぐさまそれを掻き消すほどの大歓声が爆発する。


「うおおおぉぉ、行けアリウミ遊撃兵!」

「レヴィン様ああぁー!」


 開幕から最高潮。

 耳をつんざくその盛り上がりに反して流護は、


(……来ねえかよ)


 一拍の間を置いて。冷静に、前後のステップを刻み始めた。

 レヴィンとの距離は目測で五メートル前後。

 先のヒュージコングとの一戦を見ても明らかだが、この開始位置はすでにレヴィンの射程圏内。

 闘技場の中央をぐるりと薙ぎ払った雷刃の一撃のみならず、『ペンタ』であれば他にも即座に仕掛けられる攻撃術を備えていることだろう。

 そんな『白夜の騎士』だが、開始の合図を受けてもその場から動かない。攻撃行動には移らない。即座に先制を取ることはなかった。


 変化はたったひとつ。

 両手を腰の位置でわずかに浮かせる形で掲げ、西部劇のガンマンに似た構えを見せるのみ。

 腰の剣を抜き放つことも、攻撃術を繰り出すことも可能。即座にどちらをも選択できる、盤石の態勢といったところか。

 見守る学院生らの熱狂に反し、至極静かな立ち上がりとなった。


(ま、何でもいいけど……来ねえなら、こっちから行きますか)


 ステップを踏みながら、流護は少しずつ大きく歩幅を取って前へ。じわじわとレヴィンとの距離を縮めていく。


(……)


 一歩進むごとに攻撃が来ないことを確かめ、また一歩前進する。そんな工程を繰り返す。


(……何度目だろな、こういうのも)


 ふと、そんな感慨が頭をよぎる。

 向き合って、対峙して。闘い、抗うことが当たり前の世界。そうしなければ生き残れない世界。

 訳も分からないままそんな世界に放り込まれて、それでもどうにか生き抜いてきた。一度は故郷への帰還を果たしておきながらも、迷い悩んだ末に自分の意志で戻ってきた。

 この残酷な世界で暮らす仲間たちを守りたかったことも理由のひとつ。裏で暗躍する何者かの気配を感じ、結局は戻る羽目になるだろうと考えたことも理由のひとつ。

 そして、


(……何だかんだ、好きなんだよな……この空気が)


 色々な相手と闘ってきた。そして今対するは、大陸随一と名高い至高の騎士。不足などあるはずもない。


 少しずつ……されど確実に、双方の距離が縮まっていく。流護のほうから縮めていく。

 比例して、集中も高まっていく。

 眼前の端正な金髪の青年のみに意識を注いでいく。

 この男がベルグレッテと出かけることを妨害する……そんな当初の目的を忘れそうになるほどに。


「――――」


 交錯は間近と感じたか。

 薄笑みを浮かべて佇むレヴィンの双眸が、ほんのわずかに細まった――気がした。


「こっ、この距離でも、どっちもまだ行かねぇ……じれったいぜ」

「は、早く仕掛けろよっ、こっちの心臓がもたねぇ」

「でっ、でも……こ、拳の間合いに……入るぞ……!」


 観客席からの声。いつしか、それが明瞭に届くほど場は静かになりつつあった。

 少しずつ近づく両者の距離。比例して減っていく歓声。

 口を開く手間すら惜しみ、見逃すまいと注視しているのだ。

 激突の瞬間を。


 ――そして、


(……接近戦やるつもり、ってことか)


 会場は完全に無音となった。


 闘技場中央。

 両者を隔てる空間、わずか二メートル弱。

 今や、完全なる目の前。格闘戦の間合い。どちらともが一挙動で仕掛けられる距離。

 最後の一歩を踏み入れて、一撃。

 いよいよ、そんな距離までやってきた。


 開幕から変わらぬ態勢のままのレヴィン。間近で見れば見るほど、非の打ち所もない眉目秀麗。吸い込まれそうな蒼穹の瞳は、まっすぐに流護の視線とかち合っている。口元には薄笑み。


(……余裕そうにしてっけど……選択間違ったぜ、あんた)


 改めて、レヴィンは『ペンタ』である。

 この間合いまで大人しく待つ必要など、どこにもなかった。開幕から今この瞬間に至るまで、いつだって攻撃を仕掛けることは可能だったはず。

 無手で闘うと噂の遊撃兵に付き合ったつもりなのか、それとも余裕か。

 その真意は流護の窺い知るところではなかったが、


「!」


 わずかにピクリと蠢く、レヴィンの右手の指先。


(――――、来、る)


 抜剣か、攻撃術か。とにかく――軌道は中段、胸元から腹部へかけて。直線。


「――――――は」


 ああ。この感覚。

 今、確定した。このレベルの相手ですら。


 そしてこの瞬間、はっきりと自覚する。

 今日は、絶好調だ。


 何ひとつ。


 一切何もかも、当たる気がしない――――


 相手の『起こり』に合わせるカウンターを狙い、流護は先んじて動いた。右正拳を繰り出す――ための、左足による踏み込み。身体も軽い。羽が生えたような速度で――


 ごっ、と爆発したような衝撃。そして一拍遅れて大歓声。


(……、――!?)


 流護の視界には、一面に敷き詰められた石壁が現れていた。それもやけに遠く暗い。背中にざらついた感触。たった今の瞬間まで目の前にあったレヴィンの姿が影も形もない。頭がぐらつく。


(……、は? え? いや、)


 石壁ではない。あれは天井だ。

 なら、背後に感じるこの感触は。

 全方位から響く喝采の中、エフィの広域通信が高らかに耳朶を叩いた。


『たっ、たた、倒れたああぁーっ! リューゴ・アリウミ遊撃兵、大の字で轟沈――っ!』


 明滅する意識の中で、その絶叫と皆の歓声が木霊していた。






「あ! 気がついた!? 頭大丈夫!?」

「……いきなり辛辣すぎんか……、っと、……ここは……」


 目を開くなり耳に飛び込んでくる幼なじみの声。そしてやけにかすれた自分の呻きで、流護は意識が途切れ途切れになっていたことを自覚する。


 首を起こしながら周囲を確認すれば、場所は見知らぬ狭い石の部屋。棚や机に並ぶ薬品類を見るに、どうやら医務室のようだ。

 寝台のひとつで横たわる自分、脇に座っている彩花。そして部屋の出入り口付近の壁に背を預けるサイドテールの美少女が一人。


「目覚められましたか」


 普段通り無愛想なクレアリアである。


「流護、頭大丈夫!?」

「お前は何でものすげー失礼なん……」

「あ、いや違くて! だってあんた、すごい勢いで頭打ったから……」

「頭……」


 言われて遅まきながら気付く。後頭部にかすかな痛みが残っていることに。


「クレアリアさんが診てくれたんだよ……」

「大したことはしてませんが」

「……そうか。いや、サンキュ」


 礼を述べつつ、自らの状態を検める。……痛みらしい痛みがあるのは後頭部、そして背中や腰の辺り。どちらも身体の裏側だ。


「状況は把握しておられますか?」

「……いや、」


 クレアリアの問いに曖昧な答えを返しつつ、流護は記憶の糸をたどる――。






『たっ、たた、倒れたああぁーっ! リューゴ・アリウミ遊撃兵、大の字で轟沈――っ!』


 会場中に響き渡るエフィの絶叫、それを塗り潰すほどに爆発する歓声。


「ななな、何だ!? 何が起きた!?」

「いっ……いきなりアリウミ君がぶっ倒れたぞ!?」

「や、やられた!? あのアリウミ遊撃兵が……一撃で!?」


 観覧席も総立ちである。

 舞台の隅にて観戦していた通信役のエフィ自身、その目で見ていて分からなかった。

 いつ攻撃があったのか。これが達人の域の戦闘なのか。

 というより――


(レヴィン様……!? これほどあっさりと……まずいのでは……!?)


 自国の英雄の強さのほどなど、宮廷詠術士(メイジ)であるエフィも存分に承知している。

 相手が隣国で噂の遊撃兵とて、決して遅れなど取るはずはない。レヴィンといえばバルクフォルト――否、大陸最強に違いない高潔な騎士なのだ。負けるはずもない。

 しかし、である。


(猊下のご指示によれば……)


 勝つことも負けることも許されない。均衡を保ったまま終わらせるのが最善策。ゆえに、制限時間も密やかに縮めてどうにか引き分けへと持ち越す。

 直接レヴィンに伝える時間こそなかったものの、彼ならば当然がごとく誰に告げられずとも察する。

 そのはずだったが――


(…………?)


 と、エフィが異変に気付いたのはその時だった。

 仰向けに倒れ込んだ流護と、眼前で見下ろすレヴィン。


 問題は、そのレヴィンの表情である。

 面食らったような、驚いたような。

 とても相手を打倒した者の顔ではない。


(レヴィン様……?)


 そんな彼が、ハッとした様子で視線を転じる。

 両者から少し離れた位置。土くれの地面に、無造作に打ち捨てられている物体があった。


(……何? あれは……)


 競技の舞台にこれほど大きな異物が落ちていれば、事前に必ず誰かが気付くはず。荒れる試合には瓶だの何だのが罵声とともに投げ込まれることもあるが、レヴィンの演目にそのようなものは無縁である。

 エフィは眉をひそめて、恐る恐るその物体へと近づき――


「……え? これって……」


 屈み込んで注視するが、間違いない。土まみれで潰れているそれは、どう考えても――


 レヴィンや観覧席のほうを振り仰いで、エフィは仕事柄無意識に紡いだ広域通信へ声を乗せる。


『バナナの皮、ですね……』


 水を打ったような静けさ。

 瞬間的に理解できなかった。

 エフィ自身も、そしておそらく観客たちも。

 どうしてそんなものがここに落ちているのか。

 呟いたのは、さすがというべきか洞察力も完璧なる青年騎士レヴィンだった。


「……ヒュージコングが食べていたね」

『あ』


 そして察する。出来事が繋がる。

 何が起きたのか。

 ふたつめの演目にて、猛然と闘技場へ駆け込んできたヒュージコング。その手にはバナナ。入場するなり勢いよくそれを頬張った彼は、残った皮をひょいと放り投げて――

 そのままだ。

 誰も片付けたりはしていない。

 つまり、


『……アリウミ遊撃兵が、踏んで……?』


 滑って、転んで、倒れた。

 まさかまさか、よりにもよって。

 両者の距離が縮まり、いざ激突――というあの瞬間に。

 そんな、古典の喜劇みたいな。


「……」

「…………」


 沈黙。

 レヴィンの目の前。仰向けに倒れ伏したその少年へと……起きてしまった結果へと目線を向ける。


「ウーン……、……あ、今日、スクワットしたっけ……」


 その当人こと流護が眉根を寄せて呻く。それでレヴィンもハッとしたらしい。完全に昏倒してしまったというよりは、意識がぼやけているようだ。


「エ、エフィ、担架を。頭を強く打っているみたいだ」


 咄嗟に屈み込んで、闘うはずだった相手の容体を確認する。

 進行役を務める女詠術士(メイジ)は困惑しながらもどうにか頷いて、


『ええと……、アリウミ遊撃兵ですが、その……ちょっと足が滑ってしまわれたようです! 念のため、救護班の方! 担架をお願いします! そして催しにつきましても、名残惜しい次第ですがちょうどお時間と相成りました! 最後の最後に予期せぬ展開となってしまいましたが、お楽しみいただけましたでしょうか!? ミディール学院生の皆様にとって、よき思い出となりましたら幸いです! それでは今宵は闘技場サスクレイストにお越しいただき、誠にありがとうございましたー……!』


 無理矢理気味にまくし立て、幕引きへと持っていくのだった。

 困惑の空気を大いに残したまま。






「おお、レヴィン様! 本日はありがとうございました!」


 控え室へ入った青年騎士を迎えたのは、裏方の職員らの最敬礼だった。


「ええ。皆さんも、夜分遅くまでお疲れ様です」


 レヴィンも挨拶を返しつつ、室内に視線を彷徨わせる……までもなく、それは部屋の最奥に鎮座していた。

 およそ五マイレ四方もあろうか。巨大で頑丈な鉄格子の檻。

 レヴィンが歩み寄ると、その中に閉じ込められた黒い巨体が身じろぐ。

 その正体はヒュージコングだった。

 今宵の競技者の一人……と表現しては、彼もいい迷惑だろう。

 近づいてくる存在に気付いた巨獣は、牙を剥いて威嚇の様相を見せる……が、しかしそれも一瞬のこと。

 つい先ほど自分を痛めつけた相手だと気付いたか、レヴィンの顔を見るや否や慌てて檻の奥側へ引っ込んでしまう。


「おお……この凶暴な猿めが、すっかりレヴィン様に恐れをなしておりますな。獣すら調伏してしまうその武勇……流石にございます」

「いえ……」


 レヴィンは曖昧に答えつつ、檻の前に跪いた。

 体躯で遥かに勝るはずの大猿だが、怯え切った様子で縮こまって顔を上げようとする気配すらない。身を丸めて、震えて。嵐が過ぎ去るのを待とうとしているかのように。


「……、」


 レヴィンは肩にかけていた荷袋からバナナの房を取り出し、静かに檻の内側へと差し入れて置く。

 それでも警戒を解こうとしないヒュージコングから視線を外して立ち上がり、職員らへと向き直った。


「では、またよろしくお願いします。僕の出演は来月の十日と十八日、あとは二十六日でしたね。十八日については、ラダマイヤ卿との合同演舞で」

「えっ……と……、はい、仰る通りのご予定にございます! よろしくお願いいたします!」

「はい。では、僕はこれで」

「お疲れ様でございました……!」


 職員一同に見送られて部屋を後にすると、ちょうどこちらへと近づいてくる影がひとつ。緩やかな歩調に合わせ、その豪奢な錫杖に括りつけられた鈴がシャンと涼やかな音を散らす。


「……猊下」

「ホッホ。お勤めご苦労」


 にこやかな笑みを宿す最高大臣。『喜面僧正』の呼び名で知られるローヴィレタリアだった。

 物心つく頃から知るその人物に対し、レヴィンは小さく息を吐きながら問いかける。


「……猊下。動物を用いた演出は必要なのでしょうか?」

「心が痛むか。うむ、良いぞ。それでこそ皆が思い描く心優しき『英雄レヴィン・レイフィールド』よ」


 満足げに笑みを深めた大臣が、壁へと寄りかかってわずかに目を見開く。その合間からは、黄土色の眼光。蛇に似た縦長の鋭い瞳孔が覗いている。『喜』と呼ばれる感情にはまるで似つかわしくないそれが。


「質問の答えだが、『必要』だ。お主の点前を知らしめるための演出としてな」

「強さを示すことが目的であれば、『サーヴァイス』との模擬戦闘を披露する形でもよろしいのでは。訓練にもなりますし……」

「その域の戦闘をかいせるのは目の肥えた玄人のみよ。一部の者にしか伝わらんのでは意味がない。己より遥か巨大な獣に立ち向かう騎士の姿……そうした単純明快な構図こそが大衆の目を引くのだ」


 分かっていたことだ。こんなところで進言して受け入れられるのであれば、とうの昔に変わっている。


「お主なら私がどう答えるかも分かっておろう。無駄な問答よ。……もっとも、それでこそ『お主』だがな」


 伊達に長い付き合いではないということだった。互いに。


「それより……少しばかり肝を冷やしたぞ。よもや、遊撃兵が挑戦を表明するとはな」

「!」

「何が目的だったのか……妙な茶番となったが、最悪の事態には至らず何よりだった。……さて」


 元通りの『喜面』に戻った老人が壁から背を離す。


「これからベルグレッテ嬢と出掛けるのだろう? ホッホ、あまり淑女を待たせるものではないぞ。猿を気にする暇があるならば早々に行くがよい。私も、妹君の方を歓待せねばならんのでな」


 手にした錫杖を支えに、ローヴィレタリアはゆったりとした足取りで去っていく。


(…………茶番、か)


 かつて武僧として鳴らした『灼蛇弾正デフュライア』の目にすら、そう映ったのか。


(……なら……)


 この握った手のうちに未だ滲む汗の正体は何なのか。今、この感情は何なのか。

 答えを見い出せないまま、青年騎士はしばしその場に立ち尽くしていた。

 





「思い出したぞ……そうだよ……いきなり、足がズルッて滑って……」


 後頭部を押さえた流護が呻くと、無表情のクレアリアがコクリと小さく頷く。


「覚えておられたようで何より。運悪く、ヒュージコングが打ち捨てたバナナの皮を踏んでしまわれたんです。あんなことが本当にあるんですね。では準備ができましたら、帰りの馬車が待機していますのでそれで砦へお戻りください。私はローヴィレタリア卿との約束がありますので、これで失礼します」

「え!? ちょ、待ってって!」


 あっさり踵を返して出ていこうとした彼女を、流護は慌てて呼び止める。


「何です?」

「いや、何です……って。何つーか、その、あれだよ。……ベル子は?」

「姉様でしたら、レヴィン殿とのご予定があるのでもう行かれましたが」

「……」


 分かってはいたが、やはりそうなってしまったらしい。


「え、えーと流護、あれだよ? ベルグレッテ、ついさっきまでここにいて、あんたのこと心配してたんだよ? もう約束の時間になっちゃうってんで、あんたが起きる前に行っちゃったけど……」


 流護の胸中を察したのか、珍しくも彩花が焦ったように補足してくる。


「アヤカ殿の仰る通りです。では」

「いやあの!」

「何です、まだ何か?」

「いや……何と申しますか……ご期待に添えず、申し訳ないっつーか何つーか……」


 ミッションに失敗してしまった。依頼者たる妹さんはさぞ失望したことだろう。

 が、意外にも彼女は逆に申し訳なさそうな表情となる。


「……いえ。この件ついては、私も大人げなかったといいますか……ちょっと調子に乗ってしまいました。レヴィン殿にも失礼でしたし……結果として、アヤカ殿にも無用な心配をかけてしまいましたので……」

「話聞いたよ。ベルグレッテをレヴィンさんと行かせないようにするために、あんたが闘おうとしたって。クレアリアさんがそうお願いしたって」

「ああ……」


 改めて言葉にされると、確かにどうにも情けない動機だ。


「ということですので、帰って安静になさってください。では」

「ちょっ、待ってって!」


 言い残して出ていこうとするクレアリアを、流護はなおも呼び止める。


「もう、何です。まだ何か?」

「いやさ……結局は、俺がこんなんなっちゃったからベル子を行かせちゃった感じな訳じゃん。いつものクレアさんなら、『役立たず』とか『失望しました』とか言ってきそうじゃん。でも言ってこないから逆に怖いじゃん?」

「何ですかその理屈は。ですから、私も幼稚にアリウミ殿を焚き付けるような真似をしてしまいましたので……」

「えぇ……俺の知ってるクレアさんはこんな寛容な人間じゃないぞ。どうしちまったんだ」

「は?」

「おおそれ、それだよ! それでこそクレアさんだよ! もっと怒って! ほれ!」

「うわっ、何ですかこの人は気持ち悪い! アヤカ殿……、後はお任せしましたよっ」


 珍しくもたじろいだクレアリアは、今度こそ引き止める間もなく部屋から出ていってしまった。

 我慢できないといった様子で彩花が吹き出す。


「きもがられててうける。てかきもー」

「うるへえ。……丸くなったんかな、クレアも」


 何だかんだで出会って丸一年。初顔合わせから露骨に敵視されたり、果ては殺意大盛りで決闘を仕掛けられたり。それらも今や、遠い昔の出来事のように思える。


「クレアリアさん、ずっと気にしてたよ。自分がくだらないこと思いついたせいで、流護は倒れるしイベントも白けさせちゃったし、って」

「はあ。白けたん?」

「いやまあ、そこまで深刻な話じゃないけど。最後、あんたが立候補してめちゃくちゃ盛り上がったじゃん? んでいざ始まったら、いきなりすごい勢いでぶっ倒れて。何も見えなかったぞ、これが達人同士の闘いなのかー、みたいに盛り上がったと思ったら、実はバナナの皮を踏んで転んでましたーってなって、それで時間になっちゃって……。まあ白けたっていうか、みんなほんと困惑してたよね」

「はは……そいつはなんつーか……」


 確かに、締めがそのオチでは冷めたろう。仮にチケットを買って観戦する形式の試合だったなら、返金が必要だったかもしれない。


「てかさー、バナナの皮であんなにずっこける? 漫画じゃないんだから。びっくりしたんだけど!」

「実際コケたじゃねーか。一番びっくりしたのは俺だ……」


『ペンタ』との一騎打ち、多くの観客が見守る闘技場、格闘家の端くれとして否応なく高まるテンション。『バナナの皮を踏むかもしれない運転』をする思考、なんてものはなく。


「一応、反射的に受け身は取ったんだよ。んでもこっちは、全速で踏み込んで全体重乗っけてパンチ出そうとしてる訳でさ。そこで滑ったらああもなるわ。まあ、何つーの? ある意味、俺が俺自身のスピードについて来れんかったみたいな……」

「はあ。そうなんだ」


 苦笑した彩花は、ちょっとうつむき加減になりながらぽつりと呟く。


「……でも正直、私はちょっと安心したかも」

「ん? 安心……? 俺がコケて頭打って搬送されて安心とな……? 我が死を願っておるのか貴様……?」

「もう、違うじゃん。そうじゃなくて……こないだの空飛ぶ怨魔の時とか、あんた別人みたいにすごかったから……。だから今回、人間味があってちょっと安心したっていうか……」

「何じゃいそら」

「あとほら。なんかバナナの皮っていえば、小学校の頃のこと思い出しちゃった」

「小学校の頃? バナナの皮で? 何かあったっけ」

「小一の時だったかなぁ。朝、二人で一緒に登校してて……ゴミ捨て場の脇通りかかった時に、私がバナナの皮踏んで滑って。で、咄嗟に隣にいたあんたの腕掴んだら、二人一緒になってこけたんだよね」


 当時の光景を思い出したのか、ふふと目を細めて笑う。


「ああ思い出したわ。お前があまりに重いから、それで俺の肩外れたんだわ」

「初耳ですけど」


 嘘なので当然である。


「つか、それ厳密にはコケたのお前じゃん。俺、巻き込まれただけじゃん」

「まあまあ。お裾分けってことで……」


 そんな緩い会話を断ち切るように、前触れなく部屋のドアがどばーんと開け放たれる。


「リューゴくん! 大丈夫!?」


 飛び込んできたのはミアだった。


「お、おう。どしたすごい勢いで」

「クレアちゃんから目が覚めたって聞いて! 大丈夫!?」

「おお、そうか。いや、全然何ともないぞ。ちょっとすっ転んだだけだからな。心配かけたかな」

「ん……無事でよかったよ」


 その琥珀色の大きくつぶらな瞳が、みるみるうちに潤んでいく。


「うう、ごめんねリューゴくん……ベルちゃんを引き止めようとしてたんだけど、あたしには無理だったよ……。それに、ひどいんだよ! ジェコメッツィーニとか、レヴィン様に挑戦して負けた男子たちが、さっきの試合はリューゴくんの負けだって言ってるんだよ! 自分たちが手も足も出なかったからって、リューゴくんを負け犬仲間に引き込もうとしてるんだよ!」


 涙目となっている理由はいくつもあるようだ。


「ん……そうか。てか負け犬仲間て」


 苦笑する流護ではあるが、勝ちか負けか、で定めるのなら負けに違いない。

 例えばあれが、ルール無用の果し合いだったなら。滑って転んで半気絶など、もはや勝負あり。戦場であれば、そのままトドメを刺してくださいと言っているようなものだ。


(……つか、ほんと自分でも何やってんだかと思うけど……。……)


 もちろん外での私闘であれば、足下やら周囲の環境に注意は払うし、あんな無様を晒すことなどありえない。


 ただ。

 今日は、はっきりと自覚した。そしてあまりにも『コンディションがよかった』。ゆえに、『バナナの皮が見えなくなった』。

 そちらの驚きのほうが大きい。


(……自分でもびっくりした。ああなるんだな、『被る』と。勉強になった)


 妙に俯瞰している。実戦ならば負けだったが、実戦ではなかった。現に今、こうして生きている。機運も味方したと、どこか他人事のように捉えている自分がいる。

 期せず、学びを得たと自然に思考し落ち着いている。

 最初から命を懸けた潰し合いでもなし、正直、勝敗についてはどうでもいい。不純な動機で臨んだ一戦ではあったものの、むしろ思いがけぬ収穫があった。そんな一方で、


「リューゴくんは、負けてないよね……! 滑って転んだ、だけだもん!」


 嗚咽をぐっと堪えた、あまりにも無垢な少女の主張。


「……ああ。ちょっとコケただけだ。まだお互い、攻撃すらしてなかったしな」


 その不安そうな顔を前にしては、格闘家としてのシビアな考えを口にすることも憚られた。


「……うん! リューゴくんが一番、強いんだもんね……!」

「おう」


 この守るべき大切な仲間に、一抹の不安をも抱かせないために。

 今は違うかもしれなくとも、いずれはそうなれるよう。


「もー、ミアちゃんに心配かけないでよねっ」

「お前はさっき安心したとか言ってたのにな……」


 ミアに対してはとにかく全肯定な困った幼なじみである。


「っと、そういや時間はどうだ? そろっと帰らんくていいのか?」


 今さらな疑問には、目尻をこしこしと拭ったミアが頷く。


「うん。もう、帰りの馬車が出てるよ。準備ができた人から出発してて、今は最後の一台が残ってるって。レノーレとダイゴスとエドヴィンも、闘技場の見学しながら待っててくれてるよ〜」

「そうか。持つべきものは仲間っすな。んじゃ、俺らもそろっと行くべ」


 彩花とミアに促しつつ立ち上がる。身体の各所を確認してみるが、不備もない。本当に転んだだけだ。

 と、幼なじみの少女がやけに生温かい視線を向けてきていることに気付く。


「……何だよ。何見てんだ」

「ううん。私とミアちゃんは、そばにいるよ――って思って」

「はあ? 何だいきなり。J-POPの歌詞みたいなこと言い出して」


 その意図が掴めずにいると、彩花はより目尻を垂れ下げた。


「だからー。ベルグレッテは今夜、エヌティーアールされちゃうかもしれないけど……私とミアちゃんはそばにいるからねっ、て」

「!?」


 ようやく気付く。にっこり恍惚としたその表情は、とことんまでいじり倒そうとする悪魔のそれだ。


「お、お前は何言ってんだよ。そそ、そんなことある訳……」

「今夜は、帰したくない(イケボ)」

「やめろやぁ!」

「えぬてぃーあーる、ってなにー?」

「ほらミアが興味持っちゃったろうが! おら、くだらんこと言ってねえで帰るぞ! 早よ!」

「そして流護は脳を破壊されるのだ……」

「うるせぇ!」

「ねえ、エヌティーアールってなんなのー?」

「やめんかミア! 純真な眼差しでそんなこと言っちゃダメ! おら、さっさと行きますよ!」

「えー! いじわるしないで教えて!」

「いや、いじわるとかじゃなくてだな……!」


 賑やかに、しかし行ってしまった少女騎士に関する一抹の不安を胸に。

 二人を急かす思春期の少年であった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] バナナの皮、客席からも見えていたはず。転移あるいは隠蔽した上に、リューゴ含めて、それを変だと思わせないような思考誘導の技も? [一言] 和み枠はミアだけで充分じゃないかなぁ。彩花が出て…
[一言] ん~?この展開は何なんだ?
[一言] こ、こうなったかぁ~~! 敵への過集中はいいが環境把握ができなくなるのは結構痛い、まあ確かにここで知れてよかったというところ しかしこいつ割と定期的に調子に乗っては失敗してるな…
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