599. 静穏
「なっ、何だって……? 挑戦……!?」
「レ、レヴィン様と……? 試合……? たたかう、ってこと……?」
その動揺や当惑を感じ取ったのだろう、舞台に佇む対戦相手――青年騎士本人が増幅の通信術を行使して補足するように呼びかける。
『ええと皆様、身構えられずとも大丈夫です! せっかくですので記念に……とか、僕が気に食わないから一丁揉んでやろう、とか。ちょっと身体を動かしたいな、闘技場の雰囲気を味わってみたいな、などの理由でも一向に構いません! せっかく闘技場へお越しいただいたご記念ということで! どなたでも是非、お気軽にどうぞ!』
と、両手を広げてにこやかに笑いかけた。
「ふむ。見学から体験まで。盛りだくさんの内容ですね」
クレアリアがそう評する。そんな風に言われると流護も、むしろ毒気を抜かれた思いで感心した。
「バランスのいいエンタメっすなぁ」
――さてここで真っ先に動きを見せたのは、最前列に陣取る女子の皆様である。
「…………」
「……じーっ」
彼女らが凝視するのは、眼下に佇む美青年騎士――ではなく、客席にいる自校の男子生徒たちだった。
「あんたさっき、レヴィン様に向かって大したことないとか言ってたでしょ。早速、絶好の機会が来たよ。挑戦したら? 大したことないなら勝てるでしょ?」
「は、はぁ? な、何を……」
「あーっ、怖いの? やーっぱり口だけね。情けなーい、結局は言ってるだけなんだ」
「な、何だと……! い、いいぜ! そこまで言うなら、やってやるぅ!」
若さゆえの過ちであろう。
引くに引けない状況となったか、男子の一人が勢いよく立ち上がる。
『おお、挑戦者の方ですね! 少々お待ちください! 今、私が伺います!』
と、先ほどから声のみの存在だった女性……エフィが客席最上段の片隅にある扉から飛び出してきた。茶髪の長い二十歳ほどの快活なお姉さんといった人物で、とととと、とその男子生徒の下へ駆けつける。
『お待たせいたしました! ささ、お名前をどうぞ!』
満面の笑顔で振ってくるエフィに対し、男子は困惑した様子で頭を下げた。
『え!? えっと……マグニタス、です……』
『マグニタスさん! では、どうぞ闘技場へご入場ください!』
エフィに付き添われて、あれよあれよという間に階段を下りていくマグニタス。その表情はあからさまにこわばっている。
「変なキャッチに捕まって怪しい店に連れ込まれてるみたいな絵面っすね」
「例え!」
流護と彩花がそんなやり取りを交わす間に、場では五メートルほどの距離を保って二人の男が向かい合う状況となっていた。
「え、えっと……お、俺……」
「マグニタスさん、でしたね。どうも、改めましてレヴィンです! 大丈夫です。全力で、お好きなようにいらしてください!」
レヴィンは自分の胸に手を当て、何やら熱血気味にそんなことをのたまう。
マグニタスはといえば、まさか本当に『白夜の騎士』と向かい合う展開になるなど考えてもいなかったのだろう。明らかに雰囲気に飲まれ萎縮している。
「え、あ、いやでも……」
「どうぞ! ささ、遠慮なく! お得意なやり方で、思いっきり!」
とても「攻撃を仕掛けてこい」と誘っているようには見えない爽やかな笑顔でレヴィンが促す。
「あぁ……えっと、じゃあ……い、いきます……」
少しの間と硬直。どうやら観念したマグニタスが集中を高め始めたようだ。
「チッ。敵の前で棒立ちで詠唱する奴がいるかよ、ったく」
エドヴィンの苦言をよそに、マグニタスの右手にバレーボール大ほどの火の珠が生じた。
「! 良い練り込みですね!」
「あっ、ど、どうも……」
「さぁ、いつでもどうぞ!」
「い、いきます……お、おりゃあああぁ」
ぶわ、とマグニタスが火球を放つ。サッと両腕を掲げたレヴィンが、その一撃をがっちり防御して受け止めた。火の粉が散逸、煙となって消えていく。
「良い一撃です!」
「あ、いや……ども……ども……」
「ふむ……、そうですね。余計なお世話かもしれませんが、右手の振りを、こう。内側に回すような感じで撃たれると、より速度が増すのではと思います」
「こ、こう……?」
「こう……ええ、そうです、そうです。加えて、そうですね……詠唱を短く取り、手数に重きを置いてみてはどうでしょう。いかがですか? よろしければ、もう一度」
「え、あ、はあ…………、こ、こうですか?」
「! ええ、先程より鋭さが増しています。続けていきましょう!」
流されるまま、マグニタスは二度、三度と火球を生み出してレヴィンへ投擲する。そのレヴィンはといえば、右手左手と交互に一撃を受け捌いていく。「その調子です!」などと言いながら。
「試合……これ、試合なの、かな……?」
「いや、完全にミット持ちするトレーナーと打撃の練習する新人選手の図なんすよ」
彩花の疑問をそうなぞらえる流護だった。
『はい! 五分が経過しました! では区切りもいいので、そこまでといたしましょう!』
闘技場の隅に控えていたエフィが声を響かせる。
「マグニタスさん、お疲れ様でした!」
「は、はい……えーと、ども……」
『はい! マグニタスさん、どうもお疲れ様でした! お楽しみいただけましたでしょうか? それでは、観覧席の方へお戻りくださいませ!』
疎らな拍手に包まれながら階段を上がってくる彼に対し、にやついた男子たちの野次が飛んだ。
「おいおいおい、稽古つけてもらってるんじゃねえよー」
「球投げしてただけじゃんか。とても試合って呼べる内容じゃなかったな〜」
そんな風に好き勝手にからかってくる同級生らを睨むマグニタスだが、
「う、うるさいよ……」
その反論も弱々しい。
とはいえ、無理はないのかもしれない。場所は本物の闘技場、突如として皆から注目を浴びる事態となったことに加え、相手は天下のレヴィン・レイフィールド。
ガチガチになったその緊張ぶりは誰の目にも明らかで、見ていて気の毒になるほどだった。
『では、お次の方! 挑戦を希望する勇ましき方は――』
「ふん、情けないッ!」
ガタン、と即座に席を立つ少年が一人。
「レインディール男児ともあろう者が、いかにレヴィン・レイフィールド相手とはいえ萎縮しおってからに! この私が魅せてやる! 獅子の国の詠術士の在り方というものを!」
バッと大げさに手を広げて、広域通信でないにもかかわらず朗々とした声を響かせるその人物は、見るからに貴族然とした金髪の男子生徒だった。少しナヨッとした立ち姿には上流階級の生まれらしい品位が感じられるものの、細身すぎるゆえか一抹の頼りなさも同居している。
「さ、さすがジェコ君!」
「やっぱりジェコ君はすごいや!」
しかし、周囲に座る男子らがここぞとばかりに彼を褒め称えた。そこで流護も気付く。何やら見覚えのある顔だ。
そうこうしている間に、彼の下へ駆けつけたエフィが通信を響かせる。
『はい! お次の挑戦者さん! ではまずお名前をお願いします!』
『我が名はジェコメッツィーニ・ド・フランソルディ・ワース! 栄えあるレインディール貴族はワース家、その第一子にして正統後継者よ! レインディールにおいて我が誉れ高き系譜を知らぬ者などおるまい!』
素でも大きかった声がそのまま増幅され、とにかくうるさい。皆が一斉に顔をしかめる。
「あいつ、そんなすごそうな血筋の人なん?」
片耳を押さえた流護が隣に座るロイヤルガード候補一家の次女(やはりうるさかったようでどう見てもブチギレ寸前)に問いかけると、
「……答えるのも面倒ですが。家柄を鼻にかけるような輩は、総じて論ずる価値もない、とお考えください」
実に彼女らしいお言葉が返ってきた。
こちらのそんな反応を知るよしもないジェコメッツィーニは意気揚々と闘技場へ降り立ち、何やら大仰に両腕を掲げて身構える。
「はああぁ……凍てつく力を統べし盟主に、今呼びかけん……氷神キュアレネーよ、麗しき零下の女神よ。その御力の一端を今、我に授け給え! とうっ!」
彼の言葉に応じて、ピシ、パキョ、とその右手に一本の剣が生じた。刃渡りは七十センチ前後。限りなく細身で先端の尖ったそれは、
「おー、細剣か。思ったよりちゃんとしたの出すじゃん」
「わ、すご、すご。いつ見てもびっくりしちゃうよね、神詠術であっという間に武器ができるの……」
流護は思いの外、彩花は純粋に感心する。
ジェコメッツィーニもその出来栄えに満足なのか、美酒に酔いしれるように自らの氷剣を薄目で眺めた。
「フッフフ。この硬度、輝き、そして身震いせんばかりの冷気……今宵の我が剣は一味違う……。これはキュアレネーも仰っておるのだろう。レインディール男児として、今こそ勇猛さを示す刻であると――」
とそこで、珍しくもムッとした表情になるのはレノーレだった。
「……勝手にキュアレネーが言ったことにしないでほしい」
エドヴィンも半目で鼻を鳴らす。
「御託が長ぇ。いーからさっさとやれってんだよ」
こちらの面々には大層不評なジェコメッツィーニだが、実際に対峙するレヴィンは屈託のない笑顔を咲かせた。
「良いですね! 『創出』を得意とされているようで。では、僕もこちらでお相手いたしましょう」
わずかほどの詠唱もなく、レヴィンの右手にそれが出現する。
ジェコメッツィーニが握る氷剣と同程度の長さを有した、雷の刃。つい先刻ヒュージコングを薙ぎ払ったそれと比較したなら、あまりにその規模は小さい。
「ぬうう、私を侮るなよ『白夜の騎士』! おのれ! ゆくぞ!」
舐められていると判断したか、ジェコメッツィーニが一気に突っかけた。
「ヘヤ!」
甲高い掛け声とともに繰り出される突きを、レヴィンは最小限の動作のみで躱す。
「ヘヤ! ヘヤ!」
同じ展開が数度。
「いや、いくら何でもへっぴり腰すぎる」
突っ込みを抑えられない流護である。威勢こそよかったジェコメッツィーニだが、何如せん腰が引けていた。ケツがプリプリしている。あれでは速度も乗らないし力も入らない。腕を引いて突き出す動作もあからさまで、これから攻撃しますよと丁寧に教えているに等しい。
「そこそこの武器が創出できたとしても……それを巧みに操れるか否かは、また別の話ですからね」
クレアリアが冷めた目で言い捨てる。
「ぬうぅ、おのれちょこまかと!」
ジェコメッツィーニが繰り出した幾度目かの突きを、レヴィンは雷刃の横っ腹で難なく受け止めて防御。そのまま傾け、氷剣を上から押さえつける。両者の間に、氷と雷による十字が描かれた。
「ぬお!?」
得物が組み敷かれたその勢いに引っ張られる形で、ジェコメッツィーニは片膝をつきそうなほど大きく姿勢を崩す。
「そうですね。せっかくの刺突ですので……腕の力のみではなく、踏み込む勢いを利用して繰り出すのがよろしいかと思います。このように!」
すっと一歩退いたレヴィンは、右足で踏み込むと同時に右手の雷刃を閃かせる。
「うぅわっ!?」
光芒じみた一刺が、ジェコメッツィーニの鼻先でピタリと静止した。
これが実戦ならばどうなっていたかは、この場にいる全員が察したことだろう。雷の切っ先を眼前に突きつけられたジェコメッツィーニを含めて。
すぐさま武器を引いたレヴィンが、その場で足を使って軽快なステップを刻む。
「先の尖った得物ですが、必ずしも深く突き入れる必要はありません。軽装の相手であれば先端が掠めるだけでも充分に傷を負わせることができますし、このように穂先を揺らめかせれば相手を牽制し、惑わすことも可能です」
半身に構えたレヴィンが剣先をゆらゆらと泳がせる。
「う、うぬう……小癪な……」
不規則に動く雷刃を懸命に目で追うジェコメッツィーニだが、その視線は落ち着かない。ネコじゃらしに釘づけとなったネコのよう。小刻みな足捌きと相まって、いつ今ほどのようにズドンと突き入れてくるか分からないのだ。
「フェンシングだな」
その挙動を流護が一言で表現すると、彩花がハッとした様子で頷いた。
「あーっ、それっぽい。こっちの世界にもあるの?」
「いやないだろ。ただ、なんつーか……二足歩行する生き物がああいう得物を使って、その精度を突き詰めていくと……自然とああいう動きになるんかもなって感じがするな」
無駄を削ぎ落とし、必要な動きを磨き上げ、その結果として残ったもの。
それがこの技巧。レヴィンのそれは、そう思えるほどの完成度を誇っている。
「おのれ、おのれ!」
「やや、今の一撃は良いですね! そう、踏み込みながら一撃! その調子です!」
負けじと挑みかかるジェコメッツィーニではあったが、結局は先ほどのマグニタスと同じ。レヴィンによる公開稽古が披露される結果となった。
『はい、ではそこまでです! ジェコメッツィーニさん、ありがとうございました! 観覧席の方へお戻りくださいませ!』
「お疲れ様でした!」
「ぜはー、ぜー、ぜー、ふーっ、はーっ」
指導を終えたインストラクターさながらに微笑むレヴィンとは対照的、ジェコメッツィーニは肩を激しく上下させており足元もおぼつかない。およそ五分間、体力の配分も考えずにひたすら攻撃を仕掛けていれば無理もない話か。加えてただの一撃も浴びせることができないのだから、いかに誇り高い詠術士の卵であっても実力差を思い知らされたことだろう。
「ジェコ君、大丈夫かい!?」
「よくやったよ、ジェコ君!」
集まってきた取り巻きたちに肩を貸してもらいながら、やっとのことで階段を上がっていく貴族少年だった。
その後も、
「ふん、情けない奴らだ! 俺がやってやる!」
と勢い込んで挑戦した男子が、
「あ、ありがとうございました……」
と手も足も出なかったうえに適切なアドバイスをもらい、しおらしくなって帰ってくる展開が続く。
して、そんな様子を眺める彩花が呟くのだ。なぜかちょっと目を輝かせながら。
「うーん……ケンカ腰でかかっていった男子が、みんなメス堕ちして帰ってくる……」
「メ……、やめろやお前、何てこと言い出してんだ」
「じ、じゃあ、ほも堕ち……?」
「よりストレートにするな」
色々と困った幼なじみに突っ込まざるを得ない少年であった。
そうしてまたレヴィンによる『指導』を受けた一人の男子が頬を染める頃、おもむろに口を開いたのはミアだった。
「ねー、エドヴィンはいかないの〜?」
と、前の席に座る『狂犬』に話を振る。なるほど確かに、エドヴィンといえばこの手の話には真っ先に首を突っ込んでもおかしくない血気盛んな性格だ。が、
「あ? 興味ねーな」
彼は冷めた目で闘技場を見下ろしながらそう返した。
「あーっ、勝てないからそんなこと言ってるんでしょ!」
「何言ってやがる。俺ぁ、勝てるか勝てねーかでケンカ相手を選んだことはねーよ」
と、ミアの煽りには乗らずどこまでも静かな口ぶりでぼやく。
「俺がケンカに求めんのは、楽しめるかどうか……そいつと闘って、熱くなれるモンがあるかどうかだ。アリウミと闘った時も、ダイゴスと闘った時も……そこはブレちゃいなかったつもりだぜ」
当事者の一人たる流護は、今や懐かしいその一戦を思い起こす。
『本当にお前が神詠術を使わずに強えなら……その力が見てえ』
当時、無術での強さに憧れていた彼としては、いても立ってもいられない思いに駆られたのだろう。
「ふ。懐かしいの」
かつて似たような経緯があったのか、ダイゴスもいつもの笑みを深める。
「そりゃ俺よりはさぞ強ぇんだろーよ、あのレヴィンはな。けどよ……断言できるぜ。あいつとやっても面白ぇケンカにはならねー。あの野郎には、熱さが感じられねー」
「うーん、よく分かんないよ……。エドヴィンのくせに、難しいこと言わないでよ!」
「おー、ガキには難しかったか。かっかっかっ」
「ンモー! 子供扱いするんじゃないぞこのー!」
「…………」
頬を膨らませるミア(と、その様子を恍惚とした表情で見つめる彩花)だが、流護としてはエドヴィンの言わんとすることも理解できなくはなかった。
(ま、アドレナリンが出てる顔じゃねえんだよな)
ヒュージコングと対峙していた時も、そして今も。
レヴィンは、およそ戦闘中とは思えない穏やかな表情であの場に立っている。時折、屈託のない笑みすら覗かせながら。それとて、決して相手を見下している訳ではない。その態度は極めて丁寧だ。慇懃無礼になることもなく。
(『普通』すぎる、っつーか……)
戦闘行為による昂りや緊張感というものがまるでない。ただ、何事もない日常に身を置いているかのような。
「お前はどーよダイゴス。やってみたらどーだ?」
と、『狂犬』は隣の相棒へ話を回す。その巨漢はといえば、「ニィ……」とおなじみの不敵な笑みを深めて。
「勝てぬ相手とは闘うな、と言い付けられとるんでの。何より勝手にあの『白夜の騎士』と闘り合うたとなれば、『十三武家』や『千年議会』の間で物議を醸しそうじゃ」
「ケッ、めんどくせーな。お国の家柄ってのはよ」
とはいえエドヴィンも分かって尋ねたのだろう、それ以上この話題を続けることはなかった。




