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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
15. 皓然のフロウ・ライン
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598. ガチじゃない

「なっ、なに!?」


 びくんとした彩花のみならず、皆が驚いた様子で注目した。その出所――すなわち、競技場の端で鎮座する巨大な水竜の顔を。


 レヴィンが入場してきたそれとは反対側。しかし同じく開かれた竜の口腔から、凄まじい咆哮が放たれたのだ。


 とはいえ無論、彫像がそんな声を発するはずもない。ということは――

 どっ、どっ、どっと観客席まで届いてくるかすかな振動。

 それが足音だと分かったのは、水竜の口からまろび出た黒い影を目の当たりにした瞬間だった。

 わぁっ、と生徒たちの驚きが重なる。


 体長三メートルほどもあろう巨大なゴリラだった。全身を短い黒毛に覆われた、筋骨隆々の霊長目。しかし顔つきは、流護が知るその動物とは大きく異なる。赤く小さい瞳、怒りの形相ゆえ眉間や鼻上に寄った皺、恐ろしげに口から突き出た長い犬歯。ゴリラにしては、その面立ちがあまりに凶悪すぎる。

 土くれの円形闘技場に突如として現れたそんな大猿は、中央に佇むレヴィンの姿を認めてグルルと唸りを上げた。


『さぁ、今宵の舞台に現れし刺客は森林の壊し屋として名高いヒュージコング! それも繁殖期を迎え凶暴さを極めた雄の個体! 我らがレヴィン・レイフィールドはいかにしてこの凶獣に立ち向かうのか!? そのお手並み、とくとご覧あれ!』


 動じた様子もなく再び銀剣を抜き放つレヴィン、威嚇するように牙を剥いて睨む巨大猿。

 血気盛んな男子の歓声と、美青年騎士の身を案じる女子の悲鳴が大いに重なり合う。


「え!? も、もしかして闘うの!? あんなでっかいゴリラと!?」


 いきなりの展開に声をひっくり返す彩花だが、


「す……すげえ」


 今この瞬間、誰よりも驚愕しているのは有海流護だった。


「マ、マジかよ……あのゴリラ……冗談だろ……!?」

「え!? なに? あんたがびびるほどやばい相手なの!?」

「よく見ろ彩花! あのゴリラ、漫画みてーに手にバナナ持ってんぞ! 俺、リアルで初めて見た!」

「は!? そこ!? でもほんとだ!」

「お二人は何に驚いてるんですか」


 クレアリアが冷静に突っ込む間に、ヒュージコングはその手に握っていたバナナを雑に剥いて一口で頬張った。

 残った皮をポイと前方へ放って、ゆっくりと二足で立ち上がる。


「うわ、ほんとでっかぁ……! 一気に闘技場が狭く見えるんだけど! あのゴリラも、やっぱり怨魔なの……?」

「いえ、怨魔ではありませんよ。ただの獣です」


 彩花のそんな疑問はクレアリアが拾う。


「怨魔はその攻撃性の高さゆえ生け捕っての調査すら難しい存在ですので、こうした興行で扱うことは不可能と考えていいでしょう。ですが……このヒュージコングは、戦闘力という観点で考えるならば決して並の怨魔に引けを取りません」


 その言葉は、直後の光景によって立証された。

 ポリポリと頬を掻いたヒュージコングが、突如として一足跳びでレヴィンへと肉薄。半月の残像を描いて上から叩き落とされる、大振りの黒い拳。

 対する最強騎士はさすがに冷静で、くるりと横に身を翻しこれを回避。勢いのまま横一回転、正対し剣を青眼に構える。すぐ脇を通過した黒猿の拳は、強かに競技場の地面を打ち据えた。

 ごん、とその振動が客席まで伝播、見る者の足裏や尻を震わせる。


「うっそ、こっちまでビリッてきた!?」


 腰を浮かしかけた彩花を始め、生徒たちがわっと一斉に沸き立つ。

 その傍ら、全く動じないクレアリアが解説を続けた。


「先ほどの広域通信でも少々触れられていましたが……ヒュージコングの雄は繁殖期に入ると凶暴性を増し、怨魔相手でも敵対することがあります。ドラウトローやルガルを撲殺したという調査結果もあるそうで」

「ドラウトローを……ってマジか。じゃあ単純な話、クレアでもあのゴリラには勝てんと」

「え、クレアリアさんでも……?」


 現代組の視線を受けた妹騎士はやや心外そうに膨れっ面となる。


「……怨魔ではありませんので、如何ようにも対処するすべはありますよ。ただ……」

「ただ?」

「わざわざあそこへ降りて、あの猿と対峙したいとは思いませんね」


 軽く跳躍したヒュージコングが、駄々っ子のように太く長い両腕を振り回す。

 その様は玩具を買ってほしくてデパートで暴れる子供さながらだが、無論そんな微笑ましいものではない。

 ぶん回されるのは幼な子の小さな手ではなく、筋肉の塊でしかない剛腕。

 二、三と軽やかな足捌きで躱すレヴィンだが――続く四撃目の横薙ぎを、構えた剣の腹で受ける形となった。

 がっごん、と鳴り渡る重い衝撃音。軽々と後方へ弾き飛ばされる青年の肉体。

 女子たちの金切り声が木霊する中、両足の裏を擦って地面に盛大な轍を刻んだレヴィンは片膝立ちで持ち堪える。

 巻き起こった土煙の中でキッと顔を上向けるその様は、いかにも苦難に立ち向かう伝説の勇者のようだ。


「ひぇー! 防いだ!? あっぶな! 当たったらやばい! やばいって!」


 泡食ったような彩花――に反して、流護は冷めた息をついた。


「いくら『ペンタ』っても、そこは生身の人間だしな。直撃もらえば、まぁやられるんだろうけど」


 そして、いい加減そろそろ慣れたこの世界の常識を口にする。


「っても、やられる訳ねーんだよな。『ペンタ』だから」


 立ち上がったレヴィンが駆ける。

 振り回されたヒュージコングの腕を掻い潜り、銀剣によるすれ違いざまの一太刀。横薙ぎの軌跡が、がら空きとなった獣の胴を両断――

 ぎゃりりり、と甲高い金属音が木霊した。


「え!?」

「何だ!?」


 生徒たちがざわつく。

 交錯し、刹那に背中合わせの位置取りとなる両者。即座に何事もなく振り返ったのは、斬撃を受けたはずのヒュージコングだった。

 そのまま横向きの遠心力に任せ、水平に拳を一閃。

 対するレヴィンは振り向くこともなく、前方へと大きく踏み込んでこれを回避。足を接地ざまつま先を支点に反転、再び青眼の構えで大猿と向かい合う。

 その流麗な体捌きに観客席からは溜息が零れるが、男子の誰かが今しがたの不可解さについて言及した。


「一撃、入ったよな……? 全然効いてないぞ……」

「ああ……ピンピンしてるじゃないか、あの猿」


 そんな中、彩花が流護とクレアリアを見比べるようにして問いかける。


「ね、ねえ。なんか変な音しなかった? がりりり、みたいな金属音っぽいの……」

「したな」


 ありのまま同意する流護に続ける形で、クレアリアがその種を明かした。


「ええ。ヒュージコングは興奮状態になると体表から特殊な脂を分泌し、それによって自らの体毛を硬化させるという性質を持ちます。人間の打ち込み程度であればものともしない、天然の鎧となるらしいですよ」

「それで弾かれたってこと!?」


 こちらがそんな会話を続ける間にも、眼下の舞台では攻防が繰り広げられている。

 縦横無尽に暴れるヒュージコング、いなすレヴィン。時折繰り出される青年騎士の剣はしかし、黒猿の剛毛に弾かれ虚しい金属音を響かせるのみだ。


「おいおい、こんなもんか!? 天下のレヴィン・レイフィールド様が随分と手こずってるなぁ!?」

「レヴィン様ー! 負けないでー!」


 野次を飛ばす男子と、そんな同級生を睨みながら声援を送る女子。

 そうした膠着状態が続く中、前席のエドヴィンが、隣のダイゴスを横目でチラリと見やりながらつまらなそうに呟いた。


「ケッ。ワザとやってんのか? あの英雄様はよ」


 問われた巨漢は、「ニィ……」といつもの不敵な笑みを浮かべて。


「じゃの。魅せを意識しとる」


 訳知りげな二人に対し、その後ろに座る彩花が焦ったように食いついた。


「ど、どういうことですか!?」


 両者のどちらかが答えるより早く、少し離れた席からの声が聞こえてくる。


「な、なあ。おかしくないか? どうして、レヴィンは神詠術オラクルを使おうとしないんだ……?」


 そこで彩花もハッとしたらしい。

 そして、


「だよな……始まってから、一度も術を使ってないぞ。あの闘い方は、まるで……」


 幾人かの視線が自分に集まるのを感じながら、無術の戦士たる少年はこれ見よがしな息をついた。


「何つーか、ガチンコじゃねーわな。見世物っすねぇ」

「見世物ですよ」


 珍しくもクレアリアと意見が合致する。


「これだけの観客を集めて披露している訳ですから。もちろん、見世物以外の何物でもありません」


 グオォ、と重苦しい呻きが響いた。生徒たちの歓声が重なる。

 幾度目かとなるレヴィンの剣撃を受けたヒュージコングが、よろめいて後退したのだ。


「弾かれなくなったか。何だっけ、興奮状態だと脂が出て毛が硬くなるんだっけ」

「! ってことは……!」


 目を見開いた彩花に、クレアリアが頷く。


「ええ。興奮状態が解けた……ということです」


 今や、誰の目にも明らかだ。

 ヒュージコングは牙を剥いて威嚇の気配を見せるものの、完全に腰が引けている。

 これほど大きな体躯の霊長類なら、それなりの知能も有しているだろう。ゆえに、幾度もの干戈を交えて気付いたのだ。

 目の前の、自分より遥かに小さな人間に対して。いくら攻撃しても倒せない。まともに当たりもしない。


 獣ですら感じ取れる、その力の差。

 絶対に、敵わない相手だと。


 その瞬間を待っていたかのように、顕現する。

 レヴィンの握る銀剣から、雷光が迸った。目に眩しいほどの稲妻が、渦巻き弾けながら伸長、巨大な剣を象る。その全長は十マイレ近くにも達するか。

 観客席がどっと沸いたのと、レヴィンがそれを横一閃したのは全くの同時。

 舞台の中央で振われたそれは、戦場の半分を電光の真円で塗り潰す。

 眩いばかりの雷鳴刃に薙ぎ払われたヒュージコングの巨躯が、トラックにでも撥ねられたかのようにもんどり打って転がった。

 舞踊さながら一回転し片膝をついたレヴィンから――握ったその長剣から、白雷の粒子が弾け消える。

 熱気を纏った白煙と土煙が闘技場内に漂う中、青年騎士はゆっくりと立ち上がって一礼。

 決着に気付いた生徒たちが、またも一斉に歓声を爆発させた。ほとんどスタンディングオベーション。


「ああぁさすがレヴィン様! あぁ、素敵!」

「くっ、凄まじい一撃だな……」

「へ、へっ、思ったより大したことないっての……あんなゴリラに時間掛けて手こずってるんだ」

「手こずってないだろ……遊んでた、っていうんだよあれは……むしろ完封だぜ」


 感想は様々ながら、最前列の女子陣などは抱き合って喜んでおり、また気をやってしまう者が出ないか心配になるほどだ。

 そんな状況において、『狂犬』は拍手もせず吐き捨てた。


「チッ、やれんなら最初からやりやがれ。勿体つけやがってよー」

「催しじゃからの。ガイセリウスを意識した無術での立ち回りを披露し、最後は凶禍……『ペンタ』としての力を遺憾なく発揮してのめ。演目としては見本のような内容じゃろう」


 一方、相棒の巨漢は不敵な笑みをそのままにパンパンと緩やかに手を叩く。彼の性格というか、皮肉ではなく心から感心しているようだ。


「……眩しい」

「まぶしかったねー! よそ見してたらいきなり光ってびっくりした!」


 ここまで無言だった奥の席のレノーレが目頭を押さえる一方、目を×の字につぶったミアもその身をプルプルさせている。ともにマイペースだ。


「いかがでしたか? この催しは」


 と、クレアリアが流護と彩花のほうをチラリと窺ってくる。


「ミアちゃんじゃないけど、びっくりしちゃった……。やっぱりすごいんだね、『ペンタ』って……」


 かつてその力の一端を――あの獄炎を目の当たりにした彩花としては、それを想起させる光景だったのだろう。

 流護はといえば、それはもうにこやかに手を叩いた。


「ま、いいんじゃね? ブラボーブラボー。最初は術を使わんで舐めプ、最後には戦意喪失した相手を『ペンタ』特有の派手な一撃でドーン、と。実に超越者様らしいんじゃないっすかね」

「ふむ。お気に召さなかったようですね」

「……まぁ何つーか、俺には合わねえかな。『ガチ』を期待してたら思ってたのと違ったってのもあるし……こう見えて動物好きなんでな、ゴリラがちょっと可哀想になってな」


 かといって、他にどうしようもあるまい。いかに闘争心を失っていたとはいえ、猛獣が諸手を上げて降参するはずもなし。この決着以外はあり得なかった。

 結局のところ、これから想い人と出かけようとしている男が気に食わなくて文句をつけたいだけなのかもしれない。

 そんな思春期少年の内心をよそに、隣の幼なじみも控えめに頷く。


「……ん、みんな盛り上がってるけど……実は私も、ゴリラがかわいそうに思っちゃった。……殺しちゃった、の?」


 土くれの大地に力なく転がる大猿を見下ろしながら、クレアリアが小さく息をついた。


「そこは心配ご無用。しっかり加減されているはずですよ」


 その言葉を待っていたかのように、水竜の大口――選手の入退場口から、大きな荷車を引いた裏方らしき者たちがわらわらと現れる。倒れたままかすかに痙攣するヒュージコングを大勢でどうにか積み込み、重そうに牽引しながら退場していった。


「うーん。おっかないヒュージコングも、ああなっちゃうとちょっとかわいそう……」

「だね……」


 しょんぼり顔で呟くミアと同意する彩花が、竜の口に飲み込まれていく獣と裏方たちを見送った。


『皆様、いかがでしたでしょうか! レヴィン・レイフィールドの力を余すことなく発揮した一戦になったかと思います!』


 響き渡る女性の広域通信と皆の拍手に耳を傾けながら、流護は反対に問いかける。


「そう言うクレアさんはどうなん? 楽しかったか?」

「……そうですね。主催側の思惑が透けて見えるのが少々癪……といったところですか」

「思惑?」

「ガイセリウスを彷彿とさせる無術での立ち回りに加え、見るからに恐ろしい巨獣を派手に打ち倒す様を演出しておけば、血気盛んなレインディールの若者は喜ぶだろう、と。そうした安易な思惑が見え隠れするようで、少しばかり気に障りますね」

「へー。爽やかそうなツラして腹黒いじゃねえか、レヴィンってのも」

「いえ。その筋書きを考えたのは他の方に違いありません。それがどなたなのかは、まあ察しがつきますが……レヴィン殿は演じただけでしょう」

「はあ、色々とめんどくせえんだな……」


 ただ、ここまでで確かなことがひとつ。

 レヴィン・レイフィールドの実力は、本物だということ。


 開幕で見せた剣舞、その完成度の高さは先述の通り。

 加えて、今のヒュージコングとの一戦。

 無術の英雄ガイセリウスをなぞらえたかのような、剣腕のみでの立ち回り。流護は「舐めている」と表現したが、無論分かっている。

 ドラウトローすら屠るというヒュージコングに対し、神詠術オラクルを控えたままでの圧倒。

 この世界でそんな真似のできる人間が、果たして他にどれだけいることか。


(ふん……)


 決して、名前先行の偽物などではない。どころか、超一流。

 眼下で爽やかに笑う青年騎士がその域の使い手であることだけは、疑いようもない事実だった。


 すっかりおなじみとなったエフィの広域通信が木霊する。


『それではいよいよ、最後の演目となります! ……さて、演目……とは申しましたが、これにつきましてはお集まりの皆様次第! ということでしてさぁ皆様! この場でレヴィン・レイフィールドに挑戦してみませんか!? もし試合に勝利することができれば、そこのあなたが次のレヴィンかも!? さぁさぁ我こそは! という勇敢な方は挙手、またはご起立にて意思の表明をお願いいたしますっ!』


 ざわわっ、と観覧席に困惑の気配が広がった。

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