593. 裏側の軌跡
「……そう。シリルのことは少し聞いてたけど……そんな事情があったのね」
食事の手を止めたマリッセラは、笑みの消えた真剣な顔で低く呟いた。
ちょうど一年前に発生した、レインディール王女ことリリアーヌ姫の暗殺未遂事件。
しかしこの一件、実際に狙われていたのは姫ではなくベルグレッテとクレアリアだった。
仕組んだのは、同じロイヤルガード候補の家系に属する少女――シリル・ディ・カルドンヌ。
王女付きが約束されているガーティルード姉妹を妬んでの凶行だった。
ベルグレッテとしてはあまり掘り返したい出来事ではなかったものの、相手がマリッセラとなれば別だ。準ロイヤルガードという同じ立場の同胞として、そして友人として、情報を共有しておく必要がある。
「……馬鹿な子ね。仮に思惑通り事が運んでいたとしても、その後が続かなかったでしょうに」
「……その後?」
ベルグレッテがおうむ返すと、マリッセラは「貴女なら分かっているでしょう」とやや強い語気で言い捨てる。
「貴女とクレアリアが消えたとて、シリルが次期姫付きに抜擢されるかどうかはまた別の話。そもそも、あの子が姫付きに選ばれなかったのは能力が足りなかったから。強引な手段を使ってその座へ収まることができたとしても、力が及ばすに役目を果たせなかったことは間違いなくってよ」
マリッセラの指摘には遠慮も容赦もない。……その相手が、死した同胞であったとしても。
「目論みが失敗した結果、残ったのは不名誉だけ。カルドンヌ家は大罪人を出した系譜として汚名を被ることになって、リズインティ学院はあの子の出身校……咎人が在籍していたと知れば悪印象を抱く者もいるでしょう。あの子の行いが、周囲に無用な負を撒き散らした。一時の嫉妬心に駆られて、取り返しのつかない過ちを犯してしまった。姫付きになれるはずもない浅はかさだわ」
その言葉はあまりに厳しい。
けれど。
「……ったく。……今度、あの子のお墓に案内しなさいよね。ありったけの花と文句を用意してお参りに行ってあげてよ」
そっぽを向いて。やっと聞こえるぐらいの小さな声音で、マリッセラが零す。
「……うん」
ベルグレッテも小さく頷いた。
マリッセラの怒りは、その同胞を思うがゆえの悲哀の表れだ。
「……考えてしまうわよね。わたくしがこちらに来ていなければ、きっとあの子の相談相手になれた。少しでも話ができていれば、そんなことは起こらなかったかもしれない。あの子は今も生きていたかもしれない……って思うと」
「……ん」
ベルグレッテは今でも鮮明に思い出せる。今後も忘れることはないだろう。
幼少時代、皆でマリッセラの屋敷の庭を駆け巡っていたときの楽しさを。マリッセラの後をついて回る、シリルの屈託のない笑顔を。
「それにしても、よ」
一転、腕を組んだマリッセラが憮然とした面持ちになる。
「そのシリルの依頼を請け負ったのが、あのデトレフだったなんて……。冴えない顔をして、裏で何をやっているか分かったものじゃないわね。『銀黎部隊』の中でも下から数えたほうが早いような男が、一体何様のつもりだったのやら」
その鋭い目つきには、先のシリルに対するものとは違い一切の温情がない。
「そう、そうよ。それで思い出してよ。そのデトレフを成敗したのが、噂の遊撃兵になるのでしょう? リューゴ・アリウミ……だったかしら。風変わりな名前よね。今回の催しにも同行しているのでしょう? どんな人物なの? 今、この場には来ていなくって?」
キョロキョロと周囲を見渡すマリッセラに対し、
「ん。さっきから、すぐそこにいるわよ」
「え? どこに!? それらしき人なんていないんじゃなくって!?」
激しくなる彼女の首振りを止めるべく、少女騎士は苦笑しながら手のひらで指し示した。自分たちが先ほど離れてきた、すぐ隣のテーブル席を。
「ほら、あそこ。ミアの隣に」
「……って、はあ? 嘘!? あの平民丸出しの男子が? 給仕じゃなかったの? 若いとは聞いていたけど……まだ子供じゃなくって? 背もわたくしより低いし、冴えなくて地味だし、気品も何も感じられないし」
ひどい言われようである。
そこでハッとしたマリッセラがニヤリと笑った。
「……やるじゃないのベルグレッテ。この二年の間に、場を和ませるための機知を会得したようね。あのお堅かった貴女が、真顔で冗談を言えるようになっただなんて……。危うく騙されるところだったわ」
「いや、えーと……冗談とかではないんだけど……」
「……本当に?」
「うん」
「我らがウィーテリヴィアに誓って?」
「誓って」
うーんと唸ったマリッセラは、腕組みをしながら疑わしさ全開の目で流護をじろじろと見やった。
が、無理もない話なのかもしれない。
無術無手の遊撃兵。先のシスティアナの言ではないが、その噂の数々を耳にしたなら、伝承におけるガイセリウスみたいな筋骨隆々の無頼漢を想像してしまうだろう。
「……で、その新進気鋭の遊撃兵殿ともあろうお方が、どうして甲斐甲斐しくミアの世話を焼いてるわけ?」
「あ。それはね……」
そうだ。現在のミアは苗字を失い、流護の奴隷という身分になっている。その経緯を説明するにためには、あのディノとの一件も話す必要がある。
改めて考えてみれば、この一年だけも本当に様々な出来事が起こったのだ。
「ええと、色々あって――」
食事を進めながら、かいつまんで過去の事件を紐解いていく。
まずはミアという少女の運命が大きく変わることになった、あの大立ち回り。
「――はあ!? あのディノ・ゲイルローエンと一戦交えた!? しかも勝ったですって!? …………いえ、それに……已むなきこととはいえ……認めたというの? ミアが奴隷の身に堕ちることを……」
眉をひそめるマリッセラのその表情は、かつての己の鏡写しなのだとベルグレッテは思う。
いかなる理由があれど、奴隷に身をやつすことなど考えられない。だからこそ、最後の最後まで競売に参加して助けるという手段は浮かばなかった。それは暗に、彼女が奴隷となるのを認めることになるから。
本能的に、その選択肢を除外していた。
この世界に生きる者の常識として、その事実を受け入れる発想がなかった。しかし。そんな『くだらない考え』を、有海流護は簡単に打ち破った。
「……結局、私たち次第だと思うの」
今だからこそ、少女騎士は言える。
「ミアがどんな立場に置かれようと、私は……私たちは、今までどおりに接すればいい。そうすれば、なにも変わりはしない」
「……そうは言うけれど。世間の目は、そういう風にもいかないでしょうに」
そんなマリッセラの言葉も、しかし確かな真実だ。
進級し、またひとつ卒業に近づいた自分たち。いずれは学院を巣立ってそれぞれの進路を行くことになるが、奴隷という身分を背負うミアには他の生徒ら以上の苦難が待ち受けているだろう。何を目指すにしても、偏見や差別、様々な制限に直面するはず。
けれど。
「リリアーヌも、独自に勉強して奴隷制度について見直そうと考えてくれてる。オルエッタも協力してくれるみたいだし……。ミアについては、私がどこまでも支えるつもり」
「……そう。もうなってしまったことだし、今更何を言っても仕方ないでしょうけど……まあよくってよ。それで、少し話が逸れてしまったけれど――」
「あ、うん。それでリューゴがね――」
王都美術館における、ノルスタシオンと名乗る者たちとの攻防についても。
「……そうなの。王都で、外つ国の者たちと一悶着あったという話は聞いていたけど」
「ええ。あの事件が契機となって、リューゴが遊撃兵に抜擢されたの」
東の隣国にて催された、伝統的な武祭についても。
「……なるほどね。あのダイゴスの素性も驚きではあるけれど……まさか、無手で天轟闘宴を制してしまうだなんて……」
「うん。リューゴの活躍ぶりは、レフェでも話題になったみたい」
アルディア王の悲願だった、禁足地への遠征についても。
「ズゥウィーラ・シャモアが四体ですって……? 想像したくもない状況だわ……」
「皆が死力を尽くした総力戦だったわね……。そう、信じられる? 飲み込まれてしまったリューゴが、胃袋の中から反撃に転じたの。それで――」
そして直近での、バダルノイスにおける無実を勝ち取るための戦いについても。
「……いかに小さな北国とはいえ、ひとつの国家がそんな真似をしでかすだなんて……。オルケスター? その者たちも、見過ごすわけにはいかないわね。それにしても、真正面から敵地へ乗り込むだなんて……」
「リューゴの武力があってこそ実現した作戦だったわ」
駆け足ながら一通りの説明を終えると、食後の甘味に手を伸ばしたマリッセラが一言。
「…………ところで。貴女、遊撃兵殿と親しいの? さっきからリューゴ、リューゴと呼んでいるけれど」
「え!?」
別にやましいことなど何もない。ないはずなのだが、なぜか声が上ずった。
「ええと、まあ。同僚みたいなものだし、歳も同じだし、級友みたいな感じで……べつに……普通、じゃない?」
「そ」
ふん、とマリッセラが息をつくと同時、増幅されたアンドリアン学長ののんびりとした声が広間中に響き渡った。
『えー、では皆さん。宴もたけなわでございますが……そろそろ食事会の時間を終了としたいと思います。あー……では以降の予定となりますが、リズインティ学院の皆さんは校舎へ帰還。ミディール学院の皆さんは、えー、長旅の疲れもおありでしょうから、ここでゆっくり羽を伸ばしていただいて……しばしの宿となるこの砦にお慣れください。そのまま、明日も終日お休みと聞いています。えー詳細については、ナスタディオ学院長よりお話があるかと思います。して明後日から、本格的に両校合同の講義などを進めていくということで。あー何卒、よろしくお願い申し上げます』
巻き起こる拍手を皮切りに、お開きの空気が広がっていく。
ざっと周囲を確認すれば、別れの挨拶を交わしている両校の生徒も多い。交流会の成果は上々といったところか。
「……っと。私ったら、マリッセラと話してるだけでほとんど終わっちゃったわね」
遅まきながらベルグレッテはハッとする。確かに今のマリッセラはリズインティ学院の生徒だが、そもそも同郷の仲間――昔からの顔なじみである。異文化交流、という点ではまともに達成できていない。学級のまとめ役としてはあまりよろしくない戦果だ。今後、巻き返していかねばるまい。
決意も新たに隣のテーブル席を窺うと、皆が賑やかに談笑していた。
「それじゃあ、ひとまずはお開きね。いや、有意義な会話ができてよかったわクレアリアさん。そんなにしっかりしてて、ベルや私の一個下だなんて……見習わなきゃ。今更だけど、クレアって呼んでもいい? 私のことはシスでいいから」
「もちろん構いませんよ。こちらこそ実りのあるお話ができて為になりました、シス殿。……っと、そちらのフクロウが何やらバタバタしていますが」
「ふふ。この子もあなたのことが気に入ったみたい。オレオールって呼んでくれ、って言ってるのよきっと」
「あら、そうですか。では貴方もよろしくお願いしますね、オレオール」
「ふっ、親睦も深まっていいことだ。では遠慮なくクレアと呼ばせてもらおう」
「は? 何か私にご用ですか? リウチ・ミルダ・ガンドショール殿でしたか」
「おっと、俺は親しく呼ぶことを許されていなかったか……」
「うーん……シロミエールさんは、すごく背が高いね!」
「あっ、ひっ、いえ! すーっ……すみませんすみません、無駄に大きくてすみません……!」
「スラッとしてて、モデルさんみたいでかっこいいのに……。ね、流護」
「身長、二十センチぐらい分けてほしいっすね……」
「ひーっ、わ、分けて差し上げられるならそうしたいのですけど……すみませんすみません……!」
皆、何だかんだと仲が深まったようだ。
「それじゃあマリッセラ、あなたもひとまずリズインティ学院に戻るのよね……、マリッセラ?」
と、ベルグレッテはここでようやく気付く。
彼女が、その美しい眦を鋭く細めていることに。見つめる先は――
「――ええ。ひとまずは解散ね」
察知されることを避けるように、マリッセラはすいと顔を逸らした。




