592. 噂のライバル
流護たちのみならず、近場にいた皆が一斉に注目した。
荘厳な広間の出入り口、そんな必要は絶対にないだろうというほど目いっぱい全開にされた両開きの扉。そこに、一人の少女が仁王立ちで佇んでいた。
肩にかけた黒ケープからして、リズインティ学院の生徒に違いない。下に平服を着込んでいるようで、膝丈の白いフリルスカートから細い太ももが覗いている。
やや癖のある金髪は長く伸ばされ、腰の位置ほどもある。しかし決して雑ではなく、青銀の髪留めや揃えられた髪先からも手入れが行き届いていることが分かる。
キリリと鋭くも猫目がちな瞳の色は青。どこか挑戦的な自信溢れる、気の強そうな面立ち。それでいて上品さが漂う美貌。
背は流護よりも少し高い。百七十センチをいくらか超えているだろう。スレンダーで脚が長く、堂々とした立ち姿もモデルのようで様になっている。
いきなり派手な音を立てて登場したことで一身に注目を集めている彼女だが、恥ずかしがるような素振りも申し訳なさそうな様子も皆無。
それどころか自分を見つめる皆をざっと一瞥し、満足そうにふんと鼻息ひとつ。そびやかした胸に手を当てて、
「おーっほっほっほっ! 待たせたわね皆の衆! このわたくしがいなくて、さぞ盛り上がりに欠けていたのではなくて!? おーっほっほっほっ!」
そんな口上とともに放たれる、見本のような高笑い。目も覚めるようなソプラノボイス。
流護は思わず呟いた。
「……すっげ……おーっほっほとか笑う人、リアルで初めて見たわ……」
「私も……」
隣の幼なじみも、まず同じ感想を抱いたようだった。
さて、そうした意見はともかく。
(……つか、誰?)
浮かんで然るべきな流護の疑問の答えは、
「マリッセラ!」
響いたベルグレッテの声によって解消された。
「ん」
胸を反らしてモデル立ちで佇む彼女――マリッセラが、その青い瞳を横向ける。
「………………あら。馴れ馴れしく呼んでくるから、誰かと思えば……ベルグレッテじゃないの」
鼻を鳴らすマリッセラへ小走りで寄っていった少女騎士が、珍しくも興奮気味に声を弾ませた。
「久しぶり……! 元気にしてた? ……すごい、また背が高くなったのね。髪も伸びて、ぐっと大人びて……ん、似合ってる。淑女の見本のようだわ」
流護が知る限りでも初めてかもしれないベルグレッテの早口に対し、マリッセラは数歩後ずさった。
「ちょ、ちょっとちょっと! 気安いわよベルグレッテ! わたくしと貴女は好敵手同士! 慣れ合う間柄ではなくってよ! その辺りの婦女みたいな反応はおやめなさい!」
「ふふ、ごめんなさい。あまりにも久しぶりだから、つい……」
「…………まぁ、二年ぶり……だものね。……うん。そ、そういう貴女も……その……一段と、き、きれ……」
「んっ?」
「何でもないわよ! 勘違いしないで頂戴!」
「ふふっ。性格はあまり変わってなさそうで、一安心」
「何よ!」
そんな両者の会話へ、これ見よがしな溜息と言葉が割り込んだ。
「相変わらず喧しいお方ですね……」
気付いたマリッセラが眉を吊り上げる。
「あら、クレアリアじゃない。相変わらず小さいわね。やっぱりまだ姉離れできてはいなくって?」
「そういう貴女は背丈ばかり伸びだようですが……姉様の好敵手気取りはそろそろやめた方が宜しいですよ。今の姉様は、おそらく貴女の想像を遥かに超える領域にいますので」
「あらあら、まるで傍観者の口ぶりね。そう言う貴女は追いすがることすら諦めたのかしら。牙の抜けた子犬のようね」
舌戦もそこそこ、睨み合う両者。
なるほど。クレアリアとマリッセラはこういう関係であるらしい。性格的に少し似た者同士感もある。
「……ふん。他にも覚えのある顔がちらほらと」
腕を組んだマリッセラが、品定めするみたいに周囲へ視線を走らせる。
まずその美しい青眼は、大きな皿に刺身をたくさん乗せた食いしん坊の少女へ注がれた。
「……田舎娘。貴女、しばらく見ないうちにちょっと丸くなったのではなくて?」
「ンモー! いきなりひどい!」
プンスコするミアだが、事実その指摘は間違っていないので仕方ない。
「どうせ、食べては寝てを繰り返してるんでしょ」
「そ! そ、そんなことないもん……」
そうです。
なるほど、観察眼にも優れているらしい。というより、ミアの生態を知る者であれば誰でも想像がつくかもしれないが。
「器に食べ物を山盛りにして言っても説得力がなくってよ」
これ見よがしな溜息とともに、マリッセラの青い瞳は次いで流護の目線を捉えた。
こうして正対すると如実に実感する。ベルグレッテとはまたタイプが異なるものの、目の覚めるような絶世の美少女だと。
そんな彼女だが、特に流護へ声をかけてくることもなく視線を転じた。元々面識もないうえ、服装から平民の給仕とでも思われたのかもしれない。ミアを挟んだ向こう側の彩花に対しても同様で、一瞥するに留まる。
最終的にその視線は、その後方にいたらしい人物へと注がれた。あからさまなジト目という形で。
「あら。まだ学院にいたのね、駄犬」
「ケッ。まるで変わってねーな、高飛車女」
その人物ことエドヴィンが、舌打ちを残して去っていく。丸めた背中は言外に「相手するのもめんどくせー」と語っているかのようだ。もっとも、互いにソリが合う間柄でないことは容易に想像がつく。
そんな中、首を横へ振ったシスティアナが呆れ気味にぼやいた。
「もう、どこへ行ってたのマリー。時間になっても来ないし、捜してもいないし」
「……あぁ、悪かったわねシスティアナ。野暮用よ野暮用。貴女が気にすることではなくってよ」
「まったく。点呼するほうの身にもなりなさいよね」
そんな会話ながらも、特に空気の悪さは感じない。普段からこんなやり取りを交わす関係なのだろう。
「……ふうむ、成程。そういうことか。今日はいつも以上に美しいな、マリッセラ」
おもむろに。何か含みのある口ぶりのリウチに対し、派手な令嬢は先ほどエドヴィンに向けた以上のジト目を送る。
「……妙なモノでも食べたのかしら、リウチ。わたくしを口説くのは諦めたのはなくって?」
「口説いてなどおらん、事実を述べたまでだよ。そしてそれこそ、君が遅れた理由さ。ベルグレッテ嬢やミディール学院の皆との再会に備え、美容室でおめかししてきたという訳だ。違うかい?」
「は、はぁ!? ち! 違うわよ!」
「そうか。君の行きつけの店の理容師に聞けばハッキリすることだが」
「おやめなさいよ!」
大正解らしかった。
「まままったく! もう! ほらベルグレッテ、このわたくしが料理の解説をしてあげてよ! 海のものなんて、さすがの貴女でも詳しくないでしょ! ふんっ、来なさいよ! ありがたく思いなさいよね!」
「ん、ありがとうマリッセラ。それじゃあ、せっかくだからお願いしようかな」
「べっ、別に貴女のためじゃないから! 勘違いしないで!」
もはや支離滅裂なマリッセラが、微笑むベルグレッテを引っ張ってこの場を離れていく。
流護はまたしても呟いた。
「すっげ……あんなテンプレって感じのツンデレお嬢様キャラ、リアルで初めて見たわ……」
「私も……」
彩花もやはり呆然と同意する。
と、隣のミアが見本のような膨れっ面をしていることに気付いた。果たしてその頬の丸みは、食べ物を詰め込んだからか怒りのせいか。両方かもしれない。
せっかくなので、もう分かり切っていることをあえて確認してみる。
「なあ、ミアさんや」
「なんですか!」
「あのマリッセラって人は、ベル子のこと大好きなん?」
すると、プンスコする生物はより一層の激昂状態へと突入した。
「や、やっぱり! リューゴくんもそう思うよね!? 昔からそうだったんだよ! マリッセラってば、なんだかんだ言ってベルちゃんと一緒にいることが多くて、しかもすごく楽しそうにしてるんだよ!」
はははと笑うのはバルクフォルト勢の二人だ。
「やっぱりそうよねぇ。マリーってば、何かにつけてベルの話題を持ち出すぐらいだから」
「ああ、恋人の惚気を聞かされている気分になるからな」
システィアナとリウチが言うと、シロミエールもこくこくと小刻みに頷いている。
「ンモー! ベルちゃんはあたしの恋人なのに!」
「違いますが?」
どさくさに紛れたミアの発言を聞き逃さないクレアリアの形相が恐ろしい。
(……ん?)
視線を転じて、そこで流護は初めて気付いた。
呪殺人形と化したクレアリアの後方。数メートル分も離れた壁際に、いつからいたのか一人の女生徒が立っている。
おそらく、この会場にいる者の中で最年少の部類ではなかろうか。身長はミアやクレアリアよりも明らかに低く、百五十センチを大きく割り込むだろう。十二、三歳ほどに見えるその少女はリズインティ学院生の証たる黒ローブを纏っているが、小さな身体に見合うサイズがないのかブカブカだ。
茶色がかった灰色の髪は長く、青いリボンを使ってポニーテールでまとめられている。小さな丸顔で、年相応のあどけなさを感じさせる可愛らしい面立ち。見るからに大人しげな雰囲気だが、特徴的なのは両目の色だ。白目に対して大きめな瞳は、ルビーよりも濃い緋色。やや縦長で真っ黒な瞳孔と相俟って、人外の生物めいた美しさすら醸し出している。同じ赤でも、ディノとはまたどこか違う色味だ。
そんな彼女は、その真紅の視線でクレアリアの後ろ姿を見つめていた。話しかけるか否か迷っている風な素振りだったが、
「……っ!」
流護の視線に気付くと、すぐさま気まずそうに走り去ってしまった。
(ありゃ)
両校の交流の場だ。自分と同じようなミニマムさのクレアリアに親近感を覚えて声をかけようとしていたのだろうか。
しかしそのクレアリアは今、世にも恐ろしい般若じみた形相でミアの首を絞めにかかっている。迂闊に話しかければ、この顔が少女に振り返っていたであろう。ホラーでしかない。
「……ちょっといつもと違うね、ベルグレッテ」
賑やかさの中、ふと呟いたのは彩花だった。
隣列のテーブルで、海の幸について得意げに解説しているらしいマリッセラ。微笑みながら頷いて、時折何事か語りかけるベルグレッテ。そんな二人の様子を見やりつつ。
「いつものベルグレッテは、こう……みんなから頼られてる委員長、って感じだけど。マリッセラさんといると、普通の子っぽいっていうか。うーん……上手く言えないけど」
「あー」
言わんとすることは流護にも理解できた。
ベルグレッテといえば博識で面倒見がよく、慈愛に満ち溢れた性格。多くの者が彼女を頼り、彼女もまたそれに応える。受け身寄りの姿勢で、困った誰かに助けの手を差し延べることが多い。
しかし、マリッセラが相手の場合は違う。気兼ねや遠慮なく、対等なやり取りを交わしている……という印象だろうか。
「…………そうですね」
不服そうながらも、クレアリアが観念したような息を吐く。……ぼっさぼさになったミアの頭を小脇に抱えながら。
「マリッセラ殿は、数少ない……姉様と同じ景色を見ることができる方ですから」
「同じ景色、とな」
流護が反芻すると、妹騎士は複雑そうに首肯する。
「学院のみならず……ロイヤルガード候補の家系の中でも、姉様は突出した才を持つお方です。並び立つ者のいない優秀さ……それは裏を返せば、価値観を共有できる相手がいないということ。孤高の存在、と呼ぶこともできると思います」
最も優れた者であるがゆえ、己一人しかいない。他の誰かと同じ目的や目標を共有できない。そんな孤独。
「認めたくはありませんが、マリッセラ殿はそんな姉様と唯一並び立つことができる存在。同じ目線や考え方で、思いを共有できる相手。同じ景色を見ることができる相手なんです」
「ふんむ。まさしく好敵手ってわけね。素晴らしきかな」
うんうんとシスティアナが唸った。
(……そういや、何回も思い出すけど。俺もメルティナの姉ちゃんが人体急所に詳しくてテンション上がったもんな)
格闘技の成熟していないこの異世界グリムクロウズにおいて、独自にその域へ到達していた白氷の狙撃手令嬢。
自分だけしかいない思っていたところに現れた理解者。まさに同好の士を見つけたかのような昂りを覚えたものだ。ベルグレッテの話とは異なるかもしれないが、似たような感覚ではなかろうか。
「…………同じ景色を共有、か……」
そこで、小さく呟いたのはリウチだった。
(……?)
ベルグレッテとマリッセラを見つめる彼の緑色の瞳は、美女にうつつを抜かす軽薄な男のそれではない。どこか悲しげな、届かない何かに焦がれるような。そんな情の入り混じった視線に思えてならなかった。