590. 西の生徒たち
「いや、先程の挨拶は素晴らしいものだったよ。堂々としていて、言葉選びも分かりやすく実に適切だった。さすがは音に聞こえしミディール学院の代表を務めるだけある。そのうえ、容姿も非の打ち所がない麗しさなのだから恐れ入るばかりだ……。っと、自己紹介が遅れた。俺はリウチ・ミルダ・ガンドショール。リウチと呼んでもらって構わない。リズインティ学院一の伊達男を自認している」
長い睫毛とやや下向いた目尻に収まる緑色の瞳、左目の脇の泣きぼくろが印象的な美青年だった。年齢はいくつか上だろう。髪型はエドヴィンに似ており若干の悪童らしさを感じさせるが、話しぶりからは理知的な面が垣間見える。貴族の子息だろう。スラリと背が高く足も長めで、街を歩けば視線を注ぐ女性も多そうだ。
「改めまして、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードです。前例のない、国家の垣根を越えた学院同士の交流となりますが……今後も恒例の催しとして継続できるよう、手本となる行動を心がけたい所存です。およそ二週間ほどの期間となりますが、よろしくお願いいたします」
頭を下げると、男子生徒――リウチは渋く笑った。
「手本となる行動を、ね。ハハ、暗に『女性に気安く声を掛けるような真似は慎め』と釘を刺されてしまったかな」
「いえ、そのようなつもりでは……」
「いや、いいのさ。成程、話に聞いた通り真面目な女性のようだ。そのように身持ちの固い相手を崩してこそ……と言いたいところだが、俺も伊達男以前に詠術士の端くれ。レインディール人に会ったからには、是非とも訊かずにはおれんことがある」
一転して緑の瞳に真剣な光を宿したリウチが、待ち切れないように問うてきた。
「目に見える形で魂心力が確認された、という話は確かなのか?」
「!」
その話題か、とベルグレッテも瞠目する。
しかしそれも当然。この世に生きる詠術士ならば、是非ともその真偽を確かめずにはいられないだろう。
「何やら、白い結晶状の固体だったと聞く。既に、それを用いた封術道具の開発にも着手しているとか……」
少女騎士はコクリと頷いた。
同時、二人のすぐそばを背の高い黒ローブの女生徒が通り過ぎていく。
「いずれも事実です。固体化した魂心力は、原初の溟渤の奥深く……地下の洞穴内にて、岩盤へと張りつく形で存在していました」
「おお、何と……実に興味深い! ううむ、それについては知りたいことが多すぎてな。さて、どれから話したものか」
「ふふ。魂心力結晶の件については、今後の交流の中でも、その詳細に関する両校の意見交換会が予定されていると聞いていますので……」
「おお、それは楽しみだ! いやしかし、神の御力たる魂心力が目に見えるとなれば……未だ我々が気付いておらんだけで、神そのものも現世に降臨なされておるのやもしれん。存外、人のふりをして街で暮らしておったりしてな。ん? おや、待てよ……今、俺の目の前にいる君……いや、貴女様は……もしや、美の女神シャンマーユなのでは……!?」
「それはシャンマーユに失礼かと……」
ひとしきり笑った後、リウチがやや落ち着かなそうに頭を掻いた。
「…………ところで、先程から気になっているんだが。あそこにいるミディール学院の婦女は……」
「え?」
困惑したようなリウチの目線を追うと、離れたテーブルから、こちら――正確にはリウチを見つめる女生徒の姿があった。
だがその視線は、気になる異性を意識するようなそれでは断じてない。
侮蔑、敵意、怨嗟。
見開かれた群青の眼には、そんなあらゆる負の情が凝縮されている。
血を分けたクレアリアという少女の、視線だけで射殺さんとするかのような眼光だった。
「……いや、俺も女性の熱心な視線は受け慣れているんだがね……彼女は一体……」
ああ、とベルグレッテは思わず天井を仰ぎかけた。
「も、申し訳ありません。その……妹です……」
「何と!?」
「その、まだ姉離れできない妹でして……。不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません……」
これに関しては平謝りするしかない。このところやや物腰が柔らかくなったかに思えた妹だったが、まだまだ大人にはなり切れていないようだ。
「そ、そうか。妹君か。ああ、そういえば聞いたことがあるぞ。彼女がそうなのだな。成程、確かに君と似通った印象もある……。だがまあ成程、微笑ましいじゃないか。敬愛する姉君と話している俺が気に食わんということだろう。……ふむ。ならば、あちらの彼女は……?」
「え?」
と、またも首を巡らせるリウチの視線先をベルグレッテも追う。殺意の視線を放ちながら佇むクレアリアとは別方向、隣の列のテーブル。
そこには、もしゃもしゃと魚の切り身を頬張る小さな少女の姿があった。
眉を吊り上げて、いかにも「怒ってます」と言いたげな表情。その感情を食欲にでも変換しているのか、こちらを注視しながらも黙々と食べ物を口へと含んでいる。
ちなみに、そこにいるのは彼女だけではない。両脇に黒髪の少年少女が付き添っており、
「ミーアちゃんっ。これもおいしいよ? はい、あーん」
「はむ……んー、おいひい! ありがと!」
「おうミア。このイカは食ってみたか? 歯ごたえあってウマいで」
「むぐむぐ……ほんとだ! んまー!」
「あ、流護。ネコちゃんにイカ食べさせちゃダメなんだよっ」
「あー、腰が抜けるんだっけ? だがしかし衝撃の事実を教えてやるぞ彩花。なんとミアはな、ネコじゃないんよ」
「ネコじゃないよ!」
都度二人に答えつつも、表情は変わらず不機嫌そうなまま。一瞬たりともこちらから目を離さないミアに代わり、流護と彩花がそれぞれ彼女の手にした器や口元へ食べ物を運んでやっている。
その甲斐甲斐しい様子は何というか、食欲旺盛な子羊と餌を与える飼育員のようだ。
「うーむ……こちらの様子を窺うことにも、食事にも熱心なようだが……。それに、制服姿でないあの二人は? 彼女の世話を焼いているようだが」
「その……、三人とも、友人です……」
「お、おお。そうなのか」
「ええと……特に食事中の子は、普段から私にべったりというかでして……」
「ふ、ふむ。つまり、あちらの妹君と同じような心境でいるということかな……」
「も、申し訳ありません。交流の場だというのに、我が校の生徒が……」
「ははは、気にすることはない。個性に溢れていて結構なことじゃないか」
世辞ではなく本音なのか、リウチは心底愉快そうに笑った。
「…………」
さて。そういうことであれば実はベルグレッテも、先ほどから気にかかっていることがある。
リウチの背後。
数歩分離れたテーブルの位置にて、立食中の生徒が一人。
黒ローブを羽織った、リズインティ学院の女子だ。歳の頃は自分たちと同じぐらいだろうが、特徴的なのはその背の高さ。男性陣と比べても目線の位置が変わらない。百九十センタルに届くと思われる。女性の中では珍しいほどの上背だが、小顔で足も長く、すらっとしていて非常に均整の取れた身体つきをしている。ぼさついた短めの髪は、やや赤みの交じった白。長めの睫毛に覆われた細い薄目は煌めく水色。気弱そうなかなりの美人で、少し前からチラチラとこちらの様子を窺っている……ように見える。
せっかくの交流の場。声をかけてみるべきか――と思った矢先、
「ハァ……」
おもむろにリウチが溜息ひとつ。半身で後方を振り返りつつ、
「全く。気になるなら君も話に交ざってはどうだ? シロミエール」
と、その彼女へ向けて呼びかけた。
シロミエールと呼ばれた長身の女生徒はというと、大げさなほどビクリと肩を震わせ、
「え!? ななっ、なってないなってない、気になってないです。気のせい。すーっ……わ、私のことはどうか気になさらず、はい、お話の続きを……はい」
見た目にそぐわぬ、やや高い鼻声でまくし立てる。そのまま、クルリと翻ってこちらに背を向けてしまった。
「ったく」
苦笑したリウチが手のひらで優雅に彼女を指し示す。
「彼女はシロミエール・レ・オードチェスター。見ての通り、人付き合いが少々苦手でね。しかしながら、人一倍の探究心に溢れた詠術士でもある。固体化した魂心力の件について、誰よりも知りたがっていたのは彼女だろうな。今日この日を待ちに待っていたはずさ。だが……引っ込み思案な性格が災いして、とても自分からミディール学院の生徒に話しかけることなどできはしない。ゆえに、ああして聞き耳を立てているという訳だ。我々が話を始めた矢先、ちょうど脇を通りかかっていたようだったしな」
「な、なるほど」
リウチの説明が的を射ているのか、シロミエールはやや背を丸め気味にして恥ずかしそうに数歩分遠ざかった。無言の抗議だろうか。しかしまあ、後ろから見える耳が赤く染まっている。
「ちなみに彼女は、北方の英雄メルティナ・スノウに憧れているらしい。幼少の頃、バダルノイスへ行った折に偶然出会って助けられたことがあるんだとか。あの髪も、本来は赤毛なんだが……わざわざあのように白く染めているのだよ。メルティナ氏と同じ色にしたくてね」
リウチがそう解説すると、
「ちがっ……そんな、ちがっ! いえ、すーっ……あ、はうっ」
慌てて振り返って抗議らしき素振りを見せるシロミエールだが、ベルグレッテと目が合うなりサッとまた背中を向けてしまう。
微笑ましく思いつつ、少女騎士はここで出てきた意外なその名前を反芻する。
「メルティナ殿……ですか」
奇しくも、今やベルグレッテにとっても伝え聞くだけの存在ではなくなった北方の女英雄。
バダルノイスでの一件については、ここで語るべきことでもないだろう。ある程度の噂話は流れているだろうが、かの国としてもあまり大っぴらにしたいような内容ではない。
その代わりという訳でもないが、関連する事実を口にする。
「奇遇、といいますか……実は私たちの学級に、メルティナ殿の従者を務めている子がいまして」
「何だって? そいつは驚きだ」
そんなリウチの反応と同時、ビクンとあからさまに跳ねたシロミエールが後ろ姿のままこちらへ一歩近づいた。
「ということは、今もこの会場に?」
「ええ。どこかにいるはずです」
言いつつ見渡してみるが、さすがに百名以上を悠々と収容できる大広間。一見しただけでは、彼女――レノーレがどこにいるかまでは分からない。
ちなみに、シロミエールもキョロキョロと首を巡らせていた。仮にいたところで面識がなければ顔も分からないだろうが、そうせずにはいられなかったのだろう。
「メルティナ氏の従者となれば、その人物もバダルノイス人ということか」
「はい。メルティナ殿の提案で、我が校へ留学しています。大人しい性格の物静かな子で……」
ずずい。後ろ姿のままのシロミエールがさらに数歩近づいてきた。これ以上なく興味があるらしい。何というか。言葉こそ発しないが、実に分かりやすい人物なのかもしれない。
「こら、リウチ!」
そこで響き渡ったのは、キリリとした一喝だった。
いきなり横合いから差し込まれたその声に、ベルグレッテとリウチは揃って顔を横向ける。
すると一人の少女が、すぐ間近で腰に手を当てて立っていた。




