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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
3. 燦然のヘリオドール
59/669

59. 大乱戦

 ぶつかり合う銀と黒。乱れ飛ぶ炎、氷、水、雷、風。

 荒事に慣れているのだろう、若い兵士が黒服を氷の剣で次々と叩き伏せる。そこへまた別の黒服が数人、一斉に殺到する。いくら軽装鎧を着込んでいるとはいえ、鈍器と神詠術オラクルの集中攻撃を浴びてはたまらない。兵士はもんどりうって吹き飛んでいった。そこへまた、別の兵士が黒服たちへ向かって突っ込んでゆく。

 一対一で攻防を繰り広げる兵士と黒服。術の火花を散らしながら、互いに譲らず一進一退の攻防を繰り広げている。


 あちこちでそんな光景が展開されていた。

 兵士たちが狩人ならば、黒服たちは獣のよう。

 飛び交う怒号、罵声、悲鳴――。


 ベルグレッテは水流を展開させ、襲い来る黒服の二人を同時に薙ぎ倒し、ただまっすぐにミアの下へとはしっていた。

 入り乱れる銀と黒の奔流の中、それでも廃工場の最奥に捕らわれているミアと――目が合う。はっきりと。彼女の口が、「ベルちゃん」と動いたのを見逃さなかった。

 ミアのそばには、狼狽した顔で大乱戦の様子を見守るレドラックと、真逆に薄笑みを浮かべているディノの姿。柱にもたれかかって佇んでいる口布の男もいる。


 ――どきなさい、下郎ども。ミアのそばは、お前たちの居場所じゃない。


 横合いから跳びかかってきた敵の一人を水剣で叩き伏せ、複数の男たちによって中間距離から一斉掃射された炎の神詠術オラクルを水流で防ぎながら、ベルグレッテは――ディノを睨みつける。

 誇張ではなしに、二百の無法者よりも厄介な男。

 流護なら、この男とも渡り合えるかもしれない。けれど――

 すでに大剣の詠唱は終えている。今度は、不覚など取らない。ディノが何をする隙も与えず、大剣で一撃の下に叩き伏せる。

 騎士にあるまじき、不意打ちに近い一撃といえるだろう。


 だが――それが何だというのか。

 親友ひとり守れない騎士道ならば、そんなモノは掃き溜めにでも捨ててしまえ。

 私は絶対に――今度こそ、ミアを助ける――!

 キッとディノを見据え、また一人、襲い来る黒服を薙ぎ倒した。


 ――刹那。

 黒い影が、言葉通りの意味で正面から『飛んで』きた。


「――ッ!?」


 紙一重の差で、ベルグレッテは身を屈めてそれを躱す。切断された髪の毛がわずかに宙を舞った。

 凄まじい速さで飛来したその影は、黒服と騎士の数人を弾き飛ばし、土煙を上げながら派手に着地した。

 撃ち出された砲弾と見紛うほどの飛翔を見せたその正体は――ひどく細い体躯の男。


「へへ。さすがはガーティルードのお嬢ちゃんだねぇー。ちゃんと避けやがる。可愛い顔して腕も立つなんてねぇ。あー、あっしはザウラ。よろしくね、へへ」


 ザウラは裏通りにいる物乞いのように卑屈な笑みを見せた。とても今しがた鋭い飛翔を見せた男とは思えない。


「んん~、あっしとしてはね、可愛い子は苦痛に歪んだカオしたほうがソソると思うんだよねぇ」


 ザウラの両手。その十本全ての指先に伸びる、透明の爪。

 白いもやを放つ――冷気の爪。


「いい声でいてくれよォ、お嬢ちゃん?」


 男が爪をこすり合わせながら下衆な笑みを見せた瞬間、横合いから火球が飛来した。


「おっほ!」


 ザウラが咄嗟に爪で弾くと、軌道の逸れた火球は近くにいたマフィアの背中に直撃した。

 仲間であるはずの黒服がのたうち回る様を楽しそうに見下ろしながら、ザウラは爆笑する。


「へへ、はっはははは! おー悪ィ悪ィ。いきなり不意打ちで火の玉投げるなんざ、ヒデぇーヤツがいたモンだよなぁ?」

「てめーの仲間に向けてワザと弾くなんざ、ひでーヤツがいたもんだよ」


 そうして歩み寄ってきたのは――


「エドヴィン……!」


 限界まで口角を吊り上げた凶悪な顔の『狂犬』が、歩み寄りながら嗤う。

 その口の端からは血が伝っている。この少年のことだ、すでに派手にやり合い、何人かを沈めてきたのだろう。


「ベル、行けよ。こんなザコに構ってる暇ぁねーだろ」

「おぉーいフザけんなァ! 何でオメェみてぇなクソコゾーと乳繰り合わなきゃいけねぇんだ!? 男なんぞに興味はねぇ! すぐ片付けるから行かないでねぇガーティルードのお嬢ちゃん!」


 ザウラは焦ったようにまくし立て、照準を合わせるかのごとくエドヴィンへ向かって右手をかざす。

 その手が、ガキン、と音を立てて凍りついた。

 この男の技かと思うベルグレッテだったが、そうではない。


「ぬっ!?」


 その証拠のように、ザウラが驚愕の声を上げた。

 対峙する三人の間に、たん――と重さを感じさせない軽やかさで舞い降りる、一つの影。傷ひとつ負っていない、その姿は――


「レノーレ!」

「……二階で闘ってたら見えたので。……ベル、行って」


 無表情ながらも鋭い視線をザウラに向けた彼女が言う。


「おおほぉー! こりゃまた可愛いお嬢さんじゃねぇの! オジサンと遊ぼうぜぇー」


 レノーレの一撃で凍らされた右腕をさすりながら、気味の悪い猫なで声を出すザウラ。


「……いいよ。……遊んであげる」


 無表情のまま、目だけをわずかに細めて答えるレノーレ。


「俺とも遊んでくれや! オッ、サン、よォ!」


 一連のやり取りの間に詠唱を終えていたのだろう、エドヴィンが一際赤く輝く火球を投げつけた。


「うるせ……、ッ!?」


 迫り来る火球を打ち払おうと左腕を振りかぶるザウラだったが、途中で腕を止め、咄嗟にその身を屈めた。

 空気の灼ける音を残しながら飛んだ炎の球は、遠くの壁に炸裂して豪快に石片を撒き散らす。


「ちっ。打ち払ってりゃーよかったのによー」


『狂犬』はニヤニヤと嗤う。

 ――ただの火球ではない。エドヴィンの奥の手、スキャッターボム。生半可な防御ならば、弾くことはおろか防ぎ切ることも許さない、豪速の爆炎球。

 仮にザウラが打ち払おうと腕を振るっていれば、その腕を吹き飛ばしていただろう。


「……ガキが……一丁前の技使うじゃねぇかオォイ……」


 これまで常にヘラヘラしていたザウラが、別人のような鋭い眼光で睨みつける。

 対するエドヴィンは、小馬鹿にしたようにヘラヘラとした笑いを返す。


「一丁前ねー、そりゃどーも。けどよ、世の中にはアレを神詠術オラクルなしに素手で弾くヤツもいるんだぜ? ま、テメーには無理だろーがよ」


 ベルグレッテは確信する。

 この二人は戦闘ならば、学院でも上位レベルに入る。大丈夫。エドヴィンとレノーレなら、この二人なら大丈夫だ。


「二人とも、ここはお願い」

「任せろっての」


 親指を立てるエドヴィンと、無言で頷くレノーレ。


「ガキがああぁ!」


 両手に炎を渦巻かせながら突っ込んできた黒服の一人を叩き伏せて、ベルグレッテは走り出す。






 風穴の空いた、廃工場の壁の外側。

 建物の脇、生い茂った樹や草むらが重なり合い、死角のようにすらなっている一角。


「はぁ、はあっ……!」

「アルマ、大丈夫?」

「はっ、な、なんとか……」


 背中合わせに立ちながら、プリシラとアルマの二人は油断なく呼吸を整える。

 騎士といえば聞こえはいいが、二人はまだ見習いだ。軽装鎧に身を包み、銀色の剣を携えてはいるものの、実戦経験が圧倒的に不足している。怨魔の駆除も、カテゴリーD以上の任務を経験したことはない。

 プリシラは訓練でそこそこの成績を残してはいるが、アルマは暴れる酔っ払いの対応でも苦労しているぐらいなのだ。


 それでも、騎士は騎士。二人がかりではあるが、慎重に立ち回りながら、六名の黒服を無力化していた。

 といっても、影に隠れながら一人でいる敵を狙撃。撃たれたことに気付き、怒り心頭で突っ込んでくる敵を二人がかりで倒す――という地味な戦法である。弱そうな相手だけを狙って倒しているのは内緒だ。

 マフィアもピンからキリだ。素人丸出しで突っ込んでくる若い兵もいれば、慎重に間合いを取りながら神詠術オラクルを駆使してくる手練もいる。


「ベルグレッテさん、大丈夫かな……一人で突っ込んで行っちゃったけど」


 遥か遠方の大乱戦を見ながら、すり傷だらけになったアルマが気遣わしげに呟く。

 プリシラも釣られるように目を向けた。

 ぶつかり合う銀と黒。弾け合う炎と氷。雷撃と風。とてもではないが、あんな只中に突っ込んでいって活躍できるような技量はない。


「はは。あの子は見習いでも、あたしたちとは別格だからね。正規兵クラスの腕前だし」

「……なるほどおー。それもそうだね」


 弱々しく笑ったアルマ。

 その彼女の腹部が、唐突に爆発した。


「――……、あ……?」


 何が起こったか分からない。

 そんな表情のまま、アルマがぐらりと傾く。


「アルマっ!?」


 地面に吸い寄せられるように崩れ落ちかけた彼女を、プリシラは辛うじて支えた。


「アルマ、アルマっ……しっかりっ!」


 ジジ、と耳障りな音が響いた。

 苦痛に顔を歪めるアルマを支えたまま、プリシラは音のしたほうへ恐る恐る顔を向ける。


「ま、恨みはねえんだが……大人しく死んどいてもらえるか。小娘ども」


 腕をバチバチと帯電させた、黒服の大男がいた。

 思わず周囲を見渡すが、ここは自分たちで選んだ死角の場所。他の黒服もいないが、仲間の騎士もいない。


「女と見りゃ甚振いたぶるザウラの奴や、レドラックの兄貴にやられるよかマシだろ。あばよ」


 ――慣れている。

 人を殺すことに、慣れている。逡巡しゅんじゅんも躊躇もない、そんな動作。男は、プリシラの顔に向けて手のひらをかざす。バチッ、と火花が散った。

 プリシラの胸中に死がよぎった瞬間、黒服の大男は咄嗟に手を引っ込めて大きく飛びずさる。直後、それまで男のいた場所に、長大な尺を誇る棍が突き刺さった。紫電を散らす、プリシラの背丈よりも遥かに長い――雷の棍。


「惜しいの」


 建物の影から現われたのは、黒服の大男に勝るとも劣らない体格の巨漢だった。


「あなた、は……」


 マフィアではない。騎士でもない。ミディール学院の制服。プリシラも詳しく知っている訳ではないが、この大男は――捕らわれたクラスメイトを助けるために参戦した、ベルグレッテの友人だ。

 開いているのか閉じているのか分からないほど細い目をした大男は、不敵な笑みを浮かべながら、見た目通りの低い声を出した。


「ワシが闘る。お主らは退け」


 一切の無駄を省いた、端的な物言い。


「え、いや……でも、そういうわけにも……!」


 仮にもプリシラは騎士だ。いくら何でも、戦いの場を学生に任せっきりで退くという訳にはいかない。不勉強で未熟であまり熱心とはいえないプリシラであっても、さすがに抵抗があった。


「意地を張って、連れを死なせるのが騎士か?」

「そっ……!」


 分かっている。プリシラでは、この黒服の大男には絶対に勝てない。このままでは、アルマも危ない。


「騎士として学生に任せられんと思っとるなら安心せえ。ワシはただの学生じゃないからの」

「ほう。じゃ、何モンだ?」


 訊いたのは、黒服の大男だ。


「その棍、いい錬度だ。学院でお行儀よく勉強してる学生なんぞが、簡単に創出できるようなシロモンじゃねえ。そんな物騒なモン、授業で教えたりしねえよな。……デカイの、お前からはニオイがする。俺たちと同じ……死のニオイだ」


 巨漢の学生は「ニィ……」と不敵に笑い、「お主もデカイじゃろが」と軽口を叩いた。


「で、でも……、えー、どうすりゃいいのっ」


 半泣きでおろおろしかけたプリシラに、巨漢の学生は黒服の敵を見据えたまま言う。


「ワシは……アケローンじゃ。お主が気にかける必要はなかろう。レインディールの騎士よ」


 黒服の大男が器用に口笛を吹いた。おそらくは、驚きの感情で。


「アケ……ローン……!」


 プリシラは思わず凍りつく。

 話には聞いていた。ミディール学院に、アケローンの一族が在学していると。まさかベルグレッテの知人だったとは――

 ――しかし同時に、迷いは消えた。


「恩にきます……!」


 プリシラはアルマを抱え、その場から離れるために走った。

 この瀕死の友人を助けるために。

 アケローンの暴威に、巻き込まれないために。



 黒服の大男は嗤い、身構える。その両腕を取り巻く形で、白い火花が光を放つ。


「俺はビゼンテだ。苗字はねえ。孤児だったんでな」


 雷の棍を拾った巨漢も笑い、腰を落とす。その得物が応えるように紫電を散らす。


「ダイゴス・アケローンじゃ。さっさと始めるとするかの」






「はっ……はあっ、はぁ……!」


 黒服たちの神詠術オラクルを間一髪で防いだものの、ベルグレッテはたららを踏んで大きく後退した。

 ミアのいる最奥まで数十マイレ。その間に蔓延る黒衣の獣たち。


「はーはー言っちゃって限界かぁ!? お嬢ちゃんよ!」


 横合いから、風の神詠術オラクルを帯びた黒服が踊りかかる。


「――っく!」


 辛くも水を展開させてその拳を防いだものの、相手の風によって大きく吹き飛ばされ体勢を崩した。


「女に生まれたコト後悔させてやっぞ小娘よぉ!」


 下卑た笑いを浮かべた男たちが、餓えた猛獣のごとく一斉にベルグレッテへと殺到する。

 三人、四人の猛攻を防ぎ、捌き、防御に徹しながら、少女騎士は顔を上げる。

 こちらを見て、必死に何かを叫んでいるミアの顔が見えた。


 ――待っててね、ミア。絶対に助けるから。


 許されない。仮にも弱きを助ける騎士である自分が、何度もミアを助けることに失敗するなど、絶対に許されない。例え神が許しても、自分を許せない。


 パアン、と。

 横から飛んできた何かの神詠術オラクルが、ベルグレッテの頭に炸裂した。


「――……、」


 ぐらりと……視界が、傾く。暖かい何かが、頬を伝う感触。

 好機とばかりに、男たちが踊りかかる。

 腕を掴まれ、乱暴に床へと引き倒された。一人の男が馬乗りになる。


「……、け」


 うまく、声が出ない。


「あぁ!? 何か言ったか!? ハハ、デケー乳しやがって、メチャクチャにし」

「どけッッ!」


 ごばっ、と水が吹き上がった。

 ベルグレッテの胸元に伸びかけていた男の手が、鮮血を吹き上げて捻り曲がった。押さえつけようと密集していたマフィアたち数人がまとめて吹き飛ぶ。唸りを上げる水流の中に、赤色が混じった。


「ぎ、ああああぁっあああぁ!?」


 腹、腕、足。噛み千切られたような傷を負った黒服たちは、鮮血を撒き散らして床に転がった。

 渦を巻いた巨大な水流が、荒れ狂う大蛇のように周囲を蹂躙する。五人、六人とマフィアたちを薙ぎ倒していく。


 ――私は、どうにも術に名前をつけたりするのが恥ずかしくて。

 この術を『アクアストーム』と呼んだのも、元はミアだ。

 今では、言葉に出したりこそしないものの、私も心中では便宜的にそう呼んでいる。


「ふー……」


 大きく息を吐きながら、ベルグレッテはゆっくりと立ち上がる。

 かすかにピンク色を含んだアクアストームが消失すると、もはや周囲に立っている者は皆無だった。

 己を囲んでいた十名以上の黒服たちが倒れ、呻き声を発している。


「く……この、小娘……」

「つ、強ぇぞコイツ……!」


 遠巻きに警戒する黒服たち。


 身体が……重い。

 頭が、くらくらする。


 一体、あと何人いるのか。

 ああ、そうだ。あまりの敵の多さに、大剣の詠唱を破棄して、アクアストームに切り替えてしまった。また、大剣の術を詠唱しないと……。

 あの大技の詠唱は、約五分。あと五分だけ……待っててね、ミア……。


 ベルグレッテは――前方に視線を向ける。

 未だひしめく十数の男たち。戦闘の様子を眺め、軽薄な笑みを浮かべるディノ。狼狽した表情を見せるレドラック。その近くには、口布で顔を覆った金髪の男も佇んでいる。動じた様子もない。この相手も只者ではないだろう。

 まだ、倒さなければならない敵が山ほどいる。

 レドラックと目が合った。

 ベルグレッテは、その薄氷色アイスブルーの瞳で敵を睨みつける。


 ――それこそ私が『ペンタ』だったなら。こうして睨みつけるだけで、本当に敵を凍りつかせることだってできるかもしれないのに。


「く……! お……おめぇら、退くぞ! ディノ、そのガキを引っ張ってこい!」


 ある意味で凍りつかせてしまったとでもいうべきか。あろうことかレドラックは周囲の男たちや口布を巻いた男を伴い、背後にある扉の奥へと走っていく。未だ闘っている、大勢の自分の部下たちをも見捨てて。


「オイオイ、逃げちまうのか? アイツ、気になるんだけどな……」


 ディノは名残惜しそうに、けれど楽しそうに笑う。その赤い瞳が見ているのはベルグレッテではない。遥か向こう――おそらくは獅子奮迅の活躍をしているだろう、『彼』を見ている。


「た、頼む! そもそもお主でなければ、そいつを担いで走るのは無理だ……!」

「わーったわーった。懇願するみてぇな目で見んな。気持ち悪ィから」


 ディノは大人しく命令に従い、ミアの身体を担ぎ上げた。


「な……」


 ベルグレッテは思わず声を漏らす。


「ベル、ちゃ……! ベルちゃああぁん!」


 ミアが絶叫する。

 レドラックが。男たちが。ミアを担ぎ上げたディノが。扉の奥へ――闇の中へと消えていく。


 ふざけ、ないで。この期に及んで、逃げようだなんて……!


 追いかけようと駆け出したベルグレッテの足が、ふらついた。

 足が。前へ出ない。

 受け身も取れず、前のめりに倒れ込んだ。


「あ、ぐ……待っ……、」


 腕に力を込める。足に力を込める。けれど、動かない。限界を訴える身体は、起き上がろうとしない。


「待っ、て……待ってっ……、あ、ああああぁあああ!」


 声を絞り出した。全身にありったけの力を込めた。


 けれど、それだけだった。


 身体は、起き上がらなかった。

 拳を地面に打ちつけたくなる。しかし指の一本すら動かず、それすらできない。


「――お前の勝ちだよ、ベル子」


 聞き慣れた少年の声が響いた。

 屈み込んだ流護が、ベルグレッテの身体を優しく抱き起こす。


「リュー……、ミア、……私、助け、られ……」


 勝ちなんかじゃない。

 届かなかった。ミアの下へ到達することすらできずに、逃げられてしまった。

 また、助けられなかった。


「ベル子一人で何十人もブッ倒して、マフィアのボスとディノって野郎がケツまくって逃げちまったんだ。お前の勝ち以外の何でもねえよ」


 そんなことない。あの子を助けられなければ、なんの意味もない。

 むしろ、無駄に暴れて、警戒されて、逃げられてしまったのだ。


「お前のおかげで、俺も随分と力が温存できた」


 嘘。

 ファーヴナールのときもそうだった。あなたは嘘が下手すぎる。

 リューゴの顔。すり傷。切り傷。頬に血だって伝っている。

 一体、何人の黒服たちを薙ぎ倒してきたのか。自分の比じゃないはずだ。いかにリューゴとはいえ、あれだけの数の無法者たちを相手に、無傷でいられるはずがない。疲弊していないはずがない。


「何だよその顔。ウソじゃねーぞ? かなり、余力が残ってんだからな」


 ベルグレッテは少年に支えられ、優しく座らされる。

 流護に呼ばれて、同僚の女性騎士の一人が駆けつけてきた。すぐにベルグレッテの傷口に手が当てられ、回復の施術が開始される。


「ベル子は、安心して休んでろ。もう勝ちは確定してんだからよ」

「なん、で……だって、ミアが……」


 少年が立ち上がる。


「だから。お前が頑張ってくれたおかげで、俺は余力を持ってヤツらを追っかけられる。俺はヤツらをぶちのめして、ミアを連れ戻せる。勝ちだろ?」


 流護は笑顔を見せながら軽くそんなことを言って、首をコキッと鳴らした。


「じゃあ、ベル子のこと頼みます」

「ええ。任せてください」


 同僚の騎士が笑顔で送り出す。


「よし、休憩終わり。待ってろ、すぐ追いつくからな」


 駆け出した流護は、レドラックたちが消えていった扉の向こうへと走っていく。


「……大丈夫よ、ベルグレッテ」

「え?」

「周り、見てみなさい」


 首を巡らせて、言われた通り周囲を見渡す。


「――――あ」


 意識が朦朧としていたせいで、気付いていなかった。

 自分のいる、廃工場のこの区画。

 周囲にいる全ての黒服が倒され、制圧されていた。四十人ほどだろうか。騎士たちが、次々と黒服たちを後ろ手に縛り、拘束作業に入っている。


「ほぼ半数はあなたの功績よ、ベルグレッテ。隣の広い区画とか外では、まだ戦闘が続いてるけどね。ひとまず、ここは安心。……それでね、私も驚いたんだけど――」


 女性騎士はベルグレッテに回復の術を施しながら、流護が消えていった扉の向こうに引きつった笑みを向ける。


「あのカレ。気を遣って嘘ついてたわけじゃないわよ。多少のケガはしてるけど、本当に、ほとんど消耗してないの。なんだろ……かなり、体力の消耗を抑えることを考えてたみたい。あれだけの数を相手に……とんでもないわね、ほんっと」

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