589. 交流会
「立食パーティー! こういうの初めて!」
砦の一階。大広間の隅っこで、彩花が興奮気味に目を輝かせた。
煌びやかなシャンデリアの下、延々と続く長テーブル。その上に並んだ色とりどりの料理たち。好きなものを取り分けて、座りたい者は奥まった席で。談笑や様々な料理を楽しみたい者は、その場で立ったまま。
自由度の高いバイキング形式を採用したその会場に、見慣れた制服姿がおよそ九十名弱。黒のローブを基調とした者たちも同じく九十名弱。
大勢が入り乱れて賑わいながら、それぞれの時間を過ごし始めている。
「わ。なんかもう、お互い仲よく話してる人とかけっこういるね……みんなコミュ強だぁ……」
彩花が声を震わせる。
幼なじみの少女が言う通り、すでに両学院の生徒同士で和やかな雰囲気を作っている者たちも散見された。
開始後しばらくの間は、牽制し合うかのようにどちらの陣営も同じ服装の者で固まっていたのだが――
「こういうとこ、やっぱ日本人にはないフランクさがあるんだよな」
近場にあった肉と魚をごっそり取りながら、流護は生徒たちを見渡した。
そもそもレインディールなどは、酒場などでも見知らぬ相手に「よう兄弟、飲んでるか?」などと気軽に絡んでいくお国柄である。そしてどうやら、バルクフォルトもそう変わりはしないらしい。
「陽と陽がぶつかれば眩しくて目が潰れる」
「あはは……でもほんと、気軽に絡んでく人多いね」
人見知りな流護と違って彩花は割と社交的なほうではあるが、それでも見知らぬ相手にホイホイ声をかけていけるほどではない……というより、異世界の人々の物怖じのしなさはやはり日本人のそれと違うのだろう。
「にしてもあれだな……久々の海の魚、うめえなあ」
「だねー」
所狭しと様々な料理が並んでいるが、レインディールのそれと異なるのは魚介の多さ。活け作り、刺身、フライ、焼き魚はもちろん、パスタにも貝が入っている。
「あーどれもいいけどやっぱ刺身うめえなあ……。懐かしさすら感じるでぇ……でもここまできたらっつーか、欲を言えば寿司も食いてえなあ……」
「魚にそこまで執着はないけど、でも分かるう……」
日本出身の二人が故郷のそれらに思い馳せながら食事を進めていると、近づいてくる小さな影がひとつ。
「わ、ミアちゃんだ」
長テーブルに並べられた料理を吟味しながら、とことことこちらへやってくる小動物。小さな両手で大きな白い器を握りしめて、どれを取ろうかと思い悩む表情は真剣そのものだ。
「まだこっちに気付いてないね……。うへへ。あ。私の前通りかかったら、後ろからガバッて抱きしめてびっくりさせちゃおうかな……?」
「食虫植物っすかね?」
「は?」
「あ、ふたりとも!」
いつも通りのやり取りが始まって気付かれた。
「おうミア、どうした? 全然料理取ってないじゃん」
彼女は大きな皿を持ち運んでいるが、よくよく見ればその上には何も載っていない。すっからかんである。
「うーん……お肉が食べたいんだけど、もう空になってるとこが多くて。あと、思ったよりお魚ばっかりなんだよね……!」
「あー。ならこの肉いるか?」
流護が自分の皿によそっていたそれを差し出すと、
「わ! いいの!?」
「食べなされ、食べなされ」
「リューゴくんありがとー! それじゃいただきまーす!」
「うんうん、よく噛むんやぞ」
「うわぁ……なんかほんとお父さんみたいな顔してる……」
ガチ引きトーンな彩花を尻目にしつつ、父……もとい流護はその肉の隣に取り分けているものも推してみる。
「おうミア、肉もいいけどこの刺身とかはどうだ?」
すると、肉を頬張る少女は物珍しげにその大きな瞳をぱちくりさせた。
「あ。それ、さっきからいろんなとこで見かけて気になってたんだよね。なんなのー?」
「ああ、何だか分からんかったのか。魚だよ」
「えっ! これが!?」
シャンデリアの明かりを受けてギラリと輝く新鮮な赤身には、よくよく目を凝らすと幾条もの白い筋が入っているのが見て取れる。魚の名前は忘れたが、食感や風味はマグロに近しい。流護や彩花にも抵抗なく……むしろ口に合って食べ進めてしまうほどの上物だった。
しかし確かに、知らなければこれを見ても魚とは思わないかもしれない。
「あれ、でもこれ……火、通ってるの?」
「通ってないぞ、刺身だからな。今朝捕れたばっかの魚を捌いてそのまま出したんだと。だからピッチピチの生よ」
「えー!? な、生!? 食べて大丈夫なの!?」
「まあまあ。取り敢えず一回食ってみろって。この塩をサッと掛けて、ほれ。ぐぐいっと」
「う、うーん……リューゴくんが言うなら……ちょっとだけ……」
おっかなびっくりといった様子で、ミアが刺身を一切れ口へ運んだ――その直後。
「……、……!? うまー! おいしい! なにこれ!?」
思わず、流護と彩花は揃って吹き出した。
「ははは。ウマいだろ? いっぱいあるし、好きなだけ食べたまえよ」
「う、うん……! で、でも、お魚がこんなにおいしいなんて……」
愕然とした面持ちで言いながら、しかしばくばくと刺身を口の中に詰め込んでいく。喉を通るより早く補充するため、頬がパンパンに膨らむのは必定だ。
「お。久々にハムスター化したなミア」
「うっわはぁ……はははぁ……そんなに急いで食べなくても、いっぱいあるからねミアちゃん……」
「お前の視線が完全に小動物を狙う肉食獣のそれ」
「は? 失礼すぎないこの人」
「あ、そういやミア」
平常通りな彩花とのやり取りを交えつつ、流護は今さらな疑問を眼前のハムスターに投げかける。
「ベル子たちと一緒に会場入りしてなかったっけ? 今、一人でウロウロしてたみたいだけど」
「もがもが。うん……」
刺身をもりもり頬張りながら、彼女は悲しげな視線を遠くへ向ける。
その見つめる先には――長テーブルを挟んだ反対側……会場の出入り口付近にて、ベルグレッテと談笑するナスタディオ学院長の姿があった。
「ああ。なるほど」
天敵に安住の地を追いやられ、ここまで逃げ延びてきたのだ。自然の摂理とは厳しいものである。
「レノーレも、お魚に詳しいみたいだから説明してほしい、ってマデリーナたちに連れていかれちゃったし……。で、でも! おかげで、お魚のおいしさに気付けたかも!」
「せやな。しかしミアよ、俺が言った通りになったであろう」
「? なにが?」
「お前はこの地で魚の真の旨さを知ることになる、と。レインディールに帰ったら、もうこういう刺身なんて食えんからな」
「……!」
その大きな瞳を見開いたのも一瞬のこと、
「じっ、じゃあここで一生分食べてくよ! もう見るのも嫌になるぐらい食べれば、帰ってから食べたくなることもな……! がふげふごほ、ごほ、げほげほ!」
「あーどうどう。ったく、リバースして苦手意識持って嫌になるぞ」
咳き込んだミアの背中をさすってやる。
苦笑した彩花がミアに水を手渡してやりながら尋ねてきた。
「やっぱり、レインディールだとお刺身とかって無理なの?」
「見たことも聞いたこともないな。あっちで魚ってーと川とか湖のやつしかないし、生で食えるような種類はいないみたいなんだよ」
「あー。学院の食堂で扱ってるお魚もみんな小ぶりだし、焼くか煮るかしないとなんだよね」
「そそ。ま、学院の場合は予算の都合もあるんだろうけど……んで食ったら食ったで、モサっとしてて今ひとつなんだよな。もちろん全部が全部そうじゃないんだけど。でも魚料理って聞いて、皆がそんなテンション上がらなかったのも分かるっちゃ分かる。こっちの鮮魚を冷凍してレインディールまで持ってっても、解凍してそのまま食うのは無理みたいだし」
冷凍は氷の神詠術による簡単な処置。このバルクフォルトからレインディールまで、商業馬車は原則として二週間ほどかかる。鮮度を維持したまま運ぶことは、現状不可能と考えていい。
「まあでもさ。今進めてる魂心力結晶の商品開発が形になってけば、いつかは冷凍保存の技術もよくなってレインディールでも刺身が食えるようになるかもしれんよな」
そうなんだーと揃って頷く彩花とミアを尻目にし、流護もその未来に思いを馳せた。
そんなこんなで、三人で食事を楽しみながら談笑することしばし。
「あー!」
唐突に。口からエビの尻尾をはみ出させたままのミアが眉を吊り上げた。
「何だ、どうした」
「あれ見て!」
おかんむりな少女が指差す先。離れた席で料理を取り分けているベルグレッテに、リズインティ学院の男子生徒が話しかけている。
「男がベルちゃんにこなをかけてるよ!」
「おーっ、ほんとだほんとだ。てーかあの男の人、かなりイケメンそうじゃない?」
プンスコするミアと下世話な彩花が対照的だ。
「お前は何でちょっとウキウキしてんだよ……」
幼なじみにツッコミつつ様子を窺えば、その男子生徒は流護たちよりは少し年上だろうか。スラリとした細身の高身長、縮れた赤黒い髪をリーゼント気味にまとめた美青年だった。髪型はどことなくエドヴィンに近しいものを感じるが、顔立ちの違いでこうも印象が異なるものかと驚く。やや目尻の下向いた垂れ目がちの瞳が特徴的だが、ニヒルな笑みと相俟って男の色気を醸し出している。
「ほっといていいの〜? 流護くーん」
水を得た魚のように絡んでくるのは悪趣味な幼なじみの少女である。
「あ? いや、いいも悪いも……ああやって両方の学院生同士で親睦を深めるのが、この場の目的であってぇ……」
「ふーん、そっ。だが、俺はこの考えを後に後悔することになるのだ。あのときベルグレッテからあいつを引き離しておけば、あんなことにはならなかったのだ、と――」
「勝手なストーリーを作るな」
「ぬるいこと言ってちゃだめだよリューゴくん! ベルちゃんに近づく男は! 死! あるのみ! だよ!」
エビの尻尾を噛み千切ったミアの憤激ぶりを目の当たりにし、彩花が「ミ、ミアちゃん?」とやや驚きを隠せずにいる。
だがミアとて、この厳しい世界グリムクロウズを生きる一廉の小動物。時に、その気性の荒さを垣間見せる瞬間があるのだ――
「プンスコしてるミアちゃんも……うん、いい……」
「全肯定マシーンかよお前。つーかミアもちょっと落ち着け。あそこをよく見てみろ。いや、俺も今気付いたんだけど」
今にも突進していきかねない凶暴ハムスターをなだめつつ、流護は遊撃兵として培った観察眼を発揮する。
「え? なに……ひっ!? び、びっくりしたぁ!」
素で悲鳴を漏らしたのは彩花だった。
そうなのだ。
ベルグレッテと談笑するリズインティ学院のイケメン男子、その場よりわずか離れた長テーブルの近くに、ひとつの影が佇んでいた。
真白の顔と、完全なる無表情。頭の左側で結んだ藍色の長い髪を揺らして。ミディール学院の制服を纏ったその存在は、恨めしげな視線を二人へ――否、男子生徒のほうへと向けている……。
「お気付きになっただろうか。二人の背後から覗く、その亡霊の姿に……。姉に執着する、呪われた妹の霊だとでもいうのだろうか……」
「あー、クレアリアさんのこと亡霊とか言ってるー。あとで本人に言っちゃうもんね」
「お前もそのクレアの存在に気付いて悲鳴上げたんだよなあ」
何というか、なまじ容姿が整っているゆえに恐ろしい。凄みがある。シャンデリアの微妙な薄明かりもまた、その演出を強める要因となっている。
スマホなどでこの様子を撮影して誰かに見せれば、背景に幽霊が映っていると騒がれるに違いない。
ともあれ、あの怨霊が存在する限り並大抵の男など呪殺されることは必定。
「だめだよ、クレアちゃんだけにいいかっこはさせないよ!」
「いいかっこではないと思うんすけど、どう見ても悪霊だし」
「ほらいくよ! 二人とも! ベルちゃんを守らないと! まずは監視だよ!」
とにもかくにも、怒り心頭のミアに引っ張られる形でわちゃわちゃしながらベルグレッテの下へ向かうこととなった。
……まあ、流護としても。
割って入りたい気持ちであることは、間違いなかったので。