588. 東西、対面す
場所は三階、階段を上がってすぐの廊下を突き当たった部屋。
四方を粗削りな石壁に囲まれた室内は広く、寝台は七つ。それでも窮屈な印象は皆無で、ゆったりとしたスペースがきちんと確保されていた。
木の梁が巡らされた天井も高々としており、採光用の小窓から差し込む明かりが眩い。
「よっと」
荷物を下ろした流護は、当面の自分の寝床となるベッドにひとまず腰を落ち着けた。
「ふー……」
枕元の脇には小洒落たサイドテーブル。下部は引き出しになっており、棚としての役割も兼ねるようだ。
それを挟んだ向こう側の寝台では、外見年齢五十代ほどの男性教員が自分の肩を叩いていた。広くなってきた額や顔の端々に刻まれた皺は、一人の大人として世間の荒波に揉まれてきた証だろうか。そんな先達はしかし、流護の視線に気付くと、小さく頭を下げてくる。
「おお……お疲れ様です、アリウミ遊撃兵」
「あ、どもっす」
親子ほども歳が離れているだろうに、教師の腰は低い。
リューゴ・アリウミは、アルディア王が直々に引き入れた特殊な兵。そうした事情を鑑みてか、目上の者に対するような物腰で接してくる大人も少なくはなかった。
「いやはや……アリウミ遊撃兵のおかげで、こうして無事バルクフォルトへ辿り着くことができました」
「まあ、大したことはしてないっすけど……お疲れ様です」
実際、怨魔との遭遇は『空賊』ことムシュバの大群と出くわしたあの一度きり。賊や野盗の類に至っては見かけてすらいない。流護としては、もっと色々な敵とやり合う想定でいたのだ。極めて安全な旅路だったといえるだろう。
「いえいえ……。私も今回、王都や学院からこれほど遠く離れたことは初めてですが……よもや、あれだけ大きな街道で怨魔に襲われるとは思ってもみませんでしたよ」
「ああ……、どうにも、魔除けって空の相手に弱いみたいっすからね」
「私などは座学専門で、戦闘の方はからっきしなものですから……。生徒たちも果敢に立ち向かったというのに、私は馬車の中で縮こまっていることしかできず……お恥ずかしい限りで……」
「いやまあ、人それぞれ得意不得意ってあるんで……」
確かに、流護にしてみれば一度襲われただけ。
だが抗う術を持たぬ者にしてみれば、その一度で殺されてしまうかもしれないのだ。
(遠出しただけで敵に襲われる……命の危険がある、って方が異常なんだよな)
すっかり麻痺しているというか、兵士としての感覚が染みついてしまっていることに気付かされた。
「しかしながら、随伴してきて正解でした。この歳になって初めて目にするものばかりで、年甲斐もなく興奮しておりますよ。まさか、海があれほど青く広大だったとは……。向こう岸すら見えないと聞き及んではいましたが、てっきり大げさに作られた噂話だと……。このバルクフォルトにしても同じこと。今回の『修学旅行』がなければ、私などが身をもって訪れ、見聞することなど叶わなかった……!」
口早に語る教師の瞳は、新たな楽しみを見つけた子供のように輝いている。
「今は、リズインティ学院との交流が楽しみで仕方ありませんよ」
レインディールは今、魂心力結晶を利用した商品開発にて国民の生活の水準を押し上げようとしている。
ナスタディオ学院長が発案したこの修学旅行も、同じような効果を生もうとしているのではないだろうか。
今まで行けなかった場所を訪れることで、新たな刺激や知見を得る。それが人としての成長に繋がる。多くの人がそういった経験を得られれば、それがやがては社会の質の向上にも寄与する。
(もしかして学院長、最初からこれが狙いだったのか……?)
いい加減なようでも、そこは国内唯一の神詠術専門校を預かる責任者。何だかんだで教育にかかわる者として、そうした考えもできる――
「アラぁフランベ先生! やーっとバルクフォルトに着きましたね〜! いやー新鮮なお魚が楽しみだわー。ンフフ、ほんっと楽しみだわー」
廊下から、やたらウキウキした学院長の声が届いてきた。
(うーん……)
やはり気のせいかもしれない。
とにかくそんなこんなで、今後しばらくの寝泊まり先となる大部屋にて時間までくつろぐ流護だった。
いざ、両陣営の対面する瞬間がやってきた。
「おお……あれが」
「西国の名門、リズインティ学院の奴らだな……!」
時間になってダルクウォートン砦の外に出たミディール学院生を待ち受けていたのは、率直に表現するなら黒い集団だった。一定の距離を保つ彼らは、こちらと同程度の人数で構成されていると聞く。
陽気で物怖じしない我らがミディール学院生たちも、若干緊張した面持ちで異国の生徒らを遠目に窺う。
「向こうの先生とかもそうだけど……見た目からして、いかにも魔法使いって感じだな」
「やー……でもでも、だからこそ映画みたいじゃん」
流護としてはミディール学院の制服を見慣れているせいか地味な出で立ちに思えるが、彩花はむしろ王道と感じているようだ。
両校の生徒の間に立つ教師陣の姿を眺め、遊撃兵の少年はふと思いを巡らせた。
(……例えばリズインティ学院の関係者の中に、オルケスターの人間がいる可能性……も、否定はできないんだよな)
バダルノイスの一件を経た以上、決して楽観できないその疑念。
ただ、ある程度の絞り込みはできる。
組織に利を齎すことが目的であろうから、実のある成果を得られる人間でなくてはならない。となれば、ある程度の地位や立場を備えた人物。事態が思わしくない方向へ転がりそうな場合に対処できるだけの『力』――権力、武力、財力なども必須。
バダルノイスでそうだったように、一部の勢力が丸ごと与している可能性もなきにしもあらずだが、オルケスターの慎重さを考えると同じ轍を踏むとは思えない。
(こうなると、普通の学生とか先生は除外してもいいんだろうけど……)
実は今回、疑わしい者を篩にかける手段を用意している。状況に応じて実行することになるだろう。
そんなことを思い耽るうち、向こう寄りの位置に立つアンドリアン学長が通信の術を増幅させて声を響かせた。
『では、えー、双方の学院生がようやく対面、揃い踏みということで。まずは、両学院の生徒代表から挨拶をお願いいたしますぞ。えー、まずはリズインティ学院代表、システィアナ・オッド・ミルドレドさん」
「はい!」
自校の長の呼びかけに従い、一人の女生徒が広場の中央へ歩み出た。
流護と同年代だろうか。ハネ気味の赤茶けた髪を首元の長さで短く揃えた、明るい印象の女子だった。両耳にはデルタが知恵の輪になったみたいな変わったデザインのイヤリング。細首には黒のチョーカーを巻いている。黒一色の野暮ったいローブ姿ながら、その中に自分なりのお洒落を散りばめているようだ。
鳶色の大きな瞳は好奇心が強そうで、口元には勝ち気な笑み。両頬にまぶされたそばかすが、元気娘といった印象を与えている。この場に集った約百八十名ほどの注目を浴びながらも、緊張した様子はない。
そして何より特徴的なのは、
「おぉ……、何だあれ。鳥だよな……フクロウか?」
彼女の左肩に、一羽の小さな鳥が留まっているのだ。
その体色は白一色。丸い顔に、もこっとした体毛。つぶらな鳶色の丸い瞳がふたつ。飛び立つ気配もなく、少女の肩こそが自分の居場所であるかのように堂々と居座っている。
「フクロウだよね! すごい、あんな大人しく留まってて……使い魔かな!? もう見本みたいな魔女っ子! って感じであの子も可愛い。けど気が強そう」
彩花が自由気ままな感想を呟く間に、システィアナは淀みない動作で指を振った。すぐさま、彼女の直上に通信術の揺らめきが現れる。ちなみに、彼女の肩に身を寄せた白いフクロウは落ち着いた瞳でその様子を眺めているように見える。
それはともかく、
(おー、手慣れてるな)
流護もこのグリムクロウズで暮らして一年。自分では扱えずとも、詠術士の立ち振る舞いを見ればそれとなく察しはつくようになった。なかなかの使い手だ。
その読みの正しさを証明するかのごとく安定した波紋が、青空の下にシスティアナの元気な声を響かせる。
『ミディール学院の皆さん、ようこそバルクフォルト帝国へ! リズインティ学院代表として挨拶を務めさせていただきます、システィアナ・オッド・ミルドレドと申します。本日は海神セーレンスが祝福してくださっているのでしょうか、同好の士との出会いに相応しい穏やかな晴れの日となりました。レインディールとバルクフォルトは同盟国として長い間柄ではありますが、それでも今この瞬間に至るまで、学院生同士が交流したという事例はありませんでした。未知の体験……新たなる一歩を控えて、我々も期待に胸を膨らませている次第です。これからおよそ二週間、同じ道を志す者同士で高め合っていけたらと考えております。どうかよろしくお願いいたします!』
波紋を消してペコリと一礼した彼女が下がると、両陣営からの拍手が場を包み込んだ。流護としては、微動だにせず大人しくしている彼女の肩の白フクロウがすごいと思う。
一拍置いて、今度はナスタディオ学院長が自国の生徒たちを見渡しつつ告げた。
「では我らがミディール学院からはー、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードさん! 代表として、ご挨拶をお願いします」
「はい!」
おなじみ少女騎士が一歩進み出ると、ざわめきが巻き起こった。出所はリズインティ学院の生徒たち。その中でも男子生徒、である。まさに色めき立つといった様子に、彩花が露骨な溜息をついた。
「あー……ベルグレッテ、めっちゃ美人だもんね……ってか、あんたちょっとドヤってない? あ。ベル子は俺のオンナだしドュフフ、とか思って優越感に浸ってるんでしょ。えっち、ばか、きもっ」
「別に思ってねえよ何と戦ってんだお前は。あとジャブ、ストレート、アッパーみたいなテンポの良さで言うな」
「あれ? でもさ、そういえば……ベルグレッテ、ミディール学院で男子に言い寄られたりとかはしてないよね。見たことないもん」
「お前の情緒ジェットコースターかよ……。てか、前にチラッと聞いたんだけど……やっぱ入学したばっかの頃は、割と声掛けられたみたいだぞ。んでもリリアーヌ姫のロイヤルガード候補だってのが分かると、どんな野郎も引き下がったらしい」
「リリアーヌ姫! こないだの生誕祭のだよね。めちゃくちゃ可愛い人だったね。ちょっとあざといけど、計算してなさそうなとこが……。流護、意外とああいう人タイプそう」
「自分で話振っといて脱線させんなや。とにかくさ。レインディールの民族性っつーか国民性っつーかで、ベル子を口説こうって奴は意外といなくなるんだよ」
「どゆこと?」
先のシスティアナと同じく、堂々と落ち着いた物腰で挨拶中のベルグレッテ。そんな彼女を遠目に見やりながら、彩花が少し首を傾げる。
「レインディールの男って基本的に、ザ・脳筋っつーか……『強さイコール男らしさ』みたいに考えてるからな。だから、惚れた女は自分の強さで守りたいー、とかって思う奴が多いんだけど……少なくとも学院の生徒の中で、ベル子より強い野郎なんていない訳だ」
『ペンタ』や国交の役割を担って留学しているダイゴスは例外として、純粋な生徒でベルグレッテに勝てる者など存在しないという実情。
「あー。ベルグレッテを守るどころか、逆に男子のほうが守られちゃうみたいな?」
「そそ。勇猛果敢なレインディール男児としちゃカッコつかん訳よ」
加えて戦闘の腕前のみならず、学業、家柄、経歴……。全ての要素において、およそ並び立つことなど不可能。
到底釣り合いが取れず、ただただ男が惨めに映ってしまうのだ。身の程を弁えた者であれば、自ずと引き下がることになる。
……まあ、密かに片思いをしている男子はかなりいるだろうが。
「それにまあ、ほれ。あそこに、姉ちゃんに近付く奴は全員抹殺するウーマンがおるじゃろ?」
流護が顎で示す先には、敬愛する姉の挨拶に耳を傾けてうんうんと満足げに頷くサイドテールちびっこの姿。彩花は苦笑いを浮かべつつ。
「あはは……まー、めちゃくちゃ高いとこに咲いてる高嶺の花って感じなのかな? で、強さにぶっちぎりで一点特化したあんたが、見事それを射止めたと」
「いやぁ……まだそんな関係じゃないっすけど……」
「うっわデレデレしちゃってきもっ! ばかばかばーか」
「乗っかったらこれだよ」
蓮城彩花の制御ほど難しいことは他にない、としみじみ思う幼なじみの少年であった。
「ああでも、そういや……」
そこでふと思い立った流護は、向こう側に居並ぶリズインティ学院の生徒たちを眺めた。全員が黒いローブ姿のうえフードを被っている者もいるため、ほぼ最後尾となるこの位置からではあまり個々の判別がつかない。
「どうかしたの?」
「いや。向こうの学院に、ベル子のライバルみたいな女子が留学してるって話なんだよな。成績とか家柄とか、それこそ強さとかもほぼ同スペックなんだと。どこにいるんかなと思ったけど、こっからじゃよう分からん……。てかまあ顔も知らんしな」
「あー、そういえばミアちゃんがそんなこと言ってたかも」
そうこうしている間にベルグレッテの挨拶が終わり、拍手が巻き起こる。
教師の一人が声を張った。
「ではこれより、ダルクウォートン砦内で両校を交えての昼食会といたします。是非ともこの機会に各々親睦を深め、お互いにとって有意義な関係性を築いていただけたらと思います!」