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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
15. 皓然のフロウ・ライン
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585. 星間アトラクタ

「ふう……」


 共同浴場から出た蓮城彩花は、織物で髪を拭きながら石階段を一歩一歩上がっていた。


 全体的にエスニック感漂う、小さな砂漠の中ほどに位置する街。今日はこの宿で一泊し、また明日も早朝から馬車に揺られることになる。


 西を目指して進み、三日目の夜。

 行く先々でその地域ごとの特色が溢れた街に滞在することになるため、飽きないといえば飽きない。

 しかしやはり、現代日本からやってきた普通の高校生でしかない彩花にしてみれば、知らない土地を移動し続けるというだけでも疲弊する。それが自分の常識では計り知れない異世界となれば尚更。まだ目的地にも着いていないのに、割ともうクタクタだ。

 ……まして今日は、かつてない出来事に見舞われている。


 石階段を上がり切ったところにある木扉を開け放つと、開放的な屋上が広がっていた。

 シーツが何枚も天日干しされており、ゆらゆらと風にはためいている。


 懐中時計を確認すれば時刻は夜の八時過ぎ。

 にもかかわらず、太陽――昼神インベレヌスは沈み切っておらず、遠い山嶺の向こう側で橙色を燻らせている。

 その色彩が交ざる空は濃い青紫。そんな中、いくつもの雲が長く尾を引いて延び、その狭間で星々が煌めいている。その光景は、思わず目を奪われるほど美しい。クレアリアから聞いた話によると、この地方特有の空模様とのこと。現代日本ではお目にかかれない不思議な夜の入りだ。


 そうした遅めの夕方とも呼べる景観の中、屋上の隅で柵に寄りかかりながら街並みを見つめる少年が一人。


「あ。今日のヒーローさんだー」


 わざとらしく棒読みで呼びかけた彩花が隣に立つと、


「今日どころかずっとヒーローっすけど?」


 街並みを見下ろす彼――有海流護が、しれっとそんな風に答えた。


「うわ、はずっ」

「……今のはちょっとアレかなと自分でも思った」


 少年がやや後悔したように言い捨てる。


「てか、お前……また謎シャツ着てんのな」


 風呂上がりに持参したそれに着替えた彩花だが、少し前に王都で購入したそのシャツ風上衣には『たくさん食べたい』とでかでか書いてある。


「そのワードセンスよ。作った人は何を思って書いたんだ……」

「はは、ちょっとシュールだよね。でも着てみると案外いいよ楽で。てかあんた……ほんとに……全然、ケガとかないの? 身体に当たってたでしょ? どう考えたって……」

「肩とか、平気な部分でちゃんとガードしてたしな。打ち身って呼ぶほどのもんですらねーよ。風呂すら滲みなかったな」


 顔や半袖から露出する腕に、わずかな赤い線や小さな跡が刻まれている程度だ。放っておけばすぐに治ることは確かだろう。


「……あのディノさん、って人に勝ったって話、ほんとだったんだ」


 かつてミアを助けるために一悶着あって勝利したとは聞いていたが、あの青年の圧倒的強さを実際に目の当たりにした彩花にしてみれば、とても信じられる話ではなかったのだ。しかし……


「嘘だと思ってたし無職だと思ってた訳だな、お前は」

「だって」

「ま、何でもいいけどな」


 気を悪くした風もなく、昔なじみの少年は笑う。


「何で……あんな風に動けるの?」


 昼間の、ムシュバと呼ばれた怨魔の群れとの遭遇。

 学院生や教員たちによる、神詠術オラクルを駆使した闘いぶりも見事なものに違いなかった。この世界の詠術士メイジたちは、ああして脅威から身を守っているのだろうと。


 しかし――昔から知っている幼なじみの少年が披露した、未だかつて見たことがないようなその活躍。

 彩花の素人目にすら次元違いと映った、その強さ。


「何で、って言われてもな……。まあこの世界に来た当初、自分でもびっくりはしたけど。俺は『向こう』にいる頃と同じように動いてるつもりなんだけど、そうするとこの世界だとオーバースペック気味っていうか、周りがついてこないっていうか……。まあ、もうすっかり慣れちまったけどな。俺の強さは、この世界の全てを置き去りにするのだ――」

「強すぎでは?」

「ま、別にいいべ。強くて困ることないだろ」

「……そうかもだけど」

「何だよ。何が不満なん」

「ふまん、とかじゃないけど。ただ……」

「ただ?」

「…………流護、何だか別人みたいに見えて。私の知ってる流護じゃないみたいに、思えて」


 あんな恐ろしげな怪物たちを、視認が遅れるほどの速度で悠々と圧倒し。天空から降り注ぐ文字通りの土砂降りに対し、避けて防いだ挙句は地上から投げ返すという意味不明な神業。最終的には傷らしい傷すら負わず、あっさりと撃退してしまった。

 皆から喝采を受けるその姿を見て、本当にこの異世界における『ヒーロー』なのだと感じた。

 ……何だか、どこか遠い存在になってしまったような気がした。


「何言ってんだよ。俺は俺だ。単に、この世界で俺が闘うとなんかああなるってだけでな」

「……うん」


 しばし、眼下に広がる異郷の街並みを眺める。

 通りを行く疎らな馬車、どこからか聞こえてくる笛の音と人の賑わい、鼻孔をくすぐる香辛料の匂い。店らしき建物の前では、手が届かない高い位置の松明に、地上から神詠術オラクルで着火する人の姿が見える。

 日本とはまるで異なる、異世界の街の夜。


「……えいっ」


 と、彩花はおもむろに隣の流護の胸元にパンチを見舞った。微動だにしない少年が眉根を寄せる。


「何しやがる。俺が洋ゲーとかのNPCだったら今ので敵対してっからな」

「いや……流護があんなに強くなるなら、私だって同じ日本人だし、少しぐらいはと思って……」

「お前の運動神経マイナスじゃん。マイナスなんか何倍してもマイナスじゃん」

「失礼すぎるんですけど!」


 とはいえ、実際のところぐうの音も出ない。彩花の運動能力は間違いなく人並み以下だ。


「つか、お前は戦う必要ねえからいいんだよ。別に」


 こちらは見ずに、街の雑踏を眺めながら。


「流護が戦ってくれるから、でしょ?」


 前に聞かされたその言葉を先んじると、


「分かってんじゃん」


 少年は満足げにニヤリと笑う。やはりこちらには目をくれないまま。


「…………なんつーかさ」


 眼下の夜景に視線を移しながら、流護は和いだ表情で。


「俺は今、自分が空手始めた理由……っつか原点を実行できてるから、割と満足な訳で」

「?」


 今ひとつ意味が分からず、彩花は彼の顔を見上げる。


「だから……まあ、そういうことだよ」

「どういうことだよー?」


 何ひとつ説明になっていない。そのまんまの口調で真似て返すと、彼は根負けしたように頭を掻く。


「……ガキの頃さ、よくツルんでたじゃん。コウとタケジとヨモッチの三馬鹿トリオ」

「ああ、うん……なに、急に話飛ぶじゃん」


 近所に住んでいる上級生たち、その三人組のあだ名だ。全員がふたつ上で、中学以降はあまり顔を合わせる機会もなくなってしまったが。


「最後には何だかんだ仲良くなって一緒に遊ぶようになったけど、そもそもあいつらと最初に会ったのって、お前が泣かされてた時だったんだよな」

「あー……そんなこともあったねー」


 今となっては懐かしい。小学校にすら入る前の話だ。リーダー格のタケジが俗にいう腕白小僧で、彩花もいじめられて泣いた覚えがあった。


「で、俺があいつらに突っかかってって……まあ、三人に勝てる訳なかったんだけど」

「あの頃の流護ももう……やめてって言ってるのに、何回も向かっていったよね」


 日々、生傷を作りながら。

 何度も、自分より大きな上級生に立ち向かって。


「んでさ、俺はガキながらに思ったんだよ。どうすればあいつらに勝てるのか。そうこうしてたら、親父に空手勧められて」

「あ。今まで教えてくれなかったけど、それで空手習い始めたんだ?」

「そうだよ」


 幻想的な夜景を眺めていた流護が、おもむろに……しかし顔だけを間違いなくこちらへと向けて。



「――俺は、彩花おまえを守りたくて空手を始めたんだ」



 ……春先の暖かな夜風が、二人の間を吹き抜けていく。


「………………えっと。……いま私、プロポーズされた……?」

「してねーだろ! どうなってんだお前の頭ん中……!」


 そう言い捨てて前を向く流護だが、その挙動が照れ隠しなことぐらい見れば分かる。少なくとも、何だかアレな発言だった自覚はあるのだ。


「……そっか。そっかそっかそっかぁ……あ。だからずっと、空手始めた理由、教えてくれなかったんだ……」


 当然、これまでに何度も尋ねたことはあった。けれどそのたび、何だかんだとはぐらかして答えてくれなかったのだ。


「そっか」


 そうだ。それで空手を習い出してしばらくして、傷だらけになった流護が満面の笑顔でやってきて。「あいつらぶっ飛ばしてやったから、もう大丈夫だ」と。


「違うんて。まあ理由の十パーぐらいがそれで、残りの九十パーは俺身体弱かったから鍛えたかったって感じなんだけど。そんな、空手で鍛えた力で復讐するなんてね、よくないじゃないっすか」

「そっかー」

「うっせーニヤニヤしてんじゃねえ……!」


 そうか。私は今、ニヤニヤしてるのか。

 そんな風に遅まいて客観視する。


「いやお前が何か、俺が別人みたいになったとか言うから……俺の原点はそこだって話で。この世界でもそうしてやっから、って話。俺は何も変わってねえって話だよ。別にそんだけだよ」


 ああ。確かに、いつもの流護だ。不器用な励まし方なんて、昔から全然変わっていない。


「うん」

「変な意味じゃねえし。お前ってほら、家族みてえなもんじゃん。家族守りたいとかって思うのって当たり前じゃん」

「……そっか、家族かあ。確かにそだね」


 子供の頃からずっと一緒で。

 お互いを弟だ妹だと言い合ったり。


「はいはいそういうことで終わり! この話終わり! 部屋戻るぞ! お前も戻れ!」

「うん、一緒に戻ろうよ」

「やだよ!」

「小学生みたーい。あ、恥ずかしいの?」

「うっせ!」

「一緒に歩いて匂わせよーよ。やっぱあの二人、デキてんじゃね? って」

「やめれ! つか、お前はそれでいいのかって」

「いいよ?」

「ダメェ!」


 そそくさと背中を向けて歩いていく少年の後ろ姿を眺める。

 その歩き方だって、なるほど昔から変わっていない。


(はーぁ……)


 とにかく、今はただ。

 嬉しくて、死んじゃいそう。


 幾千の星が煌めく夜空の下、風呂上りに感じる春先の風がどこまでも心地よかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 前章完結で更新途切れて以来、数年ぶりに最初から読み直してきたけど追いついてしまった とても楽しませてもらってます 最後まで頑張ってください
[良い点] ヒロインレースを幼なじみ属性で一気に進めていくゥ!一緒に過ごした時間の長さもあっての気心知れた感じがたまりませんわ
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