584. 天地の叢雨
雲間からわずかな茜色が差し始めた。どこか不吉な輝きを伴うそれは、劇場の円灯がごとく荒野を彩る――。
「ウオォォラァ!」
喜々とした戦意。停止した馬車から飛び出すや否や、先陣を切ったのは『狂犬』ことエドヴィン・ガウルだった。
悪童の撃ち放った灼熱の火球が、弧を描いて上昇。高みで渦巻く黒影の群れへと叩き込まれる。
弓なりの赤い軌跡は二匹を貫通し撃墜したが、敵もさるもの。他の怨魔はクモの子を散らしたように慌てて旋回、羽ばたいて次々とこれを躱す。けたたましい怪鳥の怒号が連鎖した。
「チッ、二匹ぽっちかよ。意外と器用に避けやがるじゃねーか――、!」
見上げるエドヴィンの顔にサッと影が差す。
直上。黒いベールを被せるように街道を横切った『空賊』たちが、反撃とばかりに次々と石をばら撒いた。否、そのように生易しい表現では語弊がある。急降下や滑空の勢いを伴うその行動は、明確な射撃の域に達していた。
礫の大きさは、ひとつひとつがおよそ十五センタル程度。周囲の岩々から削れ落ちた破片なのか、鋭角的に尖った形状のそれらは、十分な殺傷能力を備えた天然の凶器と呼べる。
「ウオッ!?」
敵対者に容赦なく降り注ぐ無数の石礫。
ガッ、ゴン、ガンと鈍い音が重なり合う。
その衝撃に飛び散るのは、赤い血潮――ではなく、煌めいた白氷の欠片。
「……またそうやって、すぐ突っ走る」
青年の背後に滑り込んだレノーレが、手をかざし氷の薄板を展開。エドヴィンを着実に守っていた。
「ヘッ。でもよ、これで奴らの目はこっちに向いたろ」
「……それは否定しない」
エドヴィンの言葉に違わず。『空賊』の群れは、いきなり出てき二人にその濁った視線を向けていた。ひとまず馬や車両は意識から外れたに違いない。
「オッ」
そんな中、今ほどエドヴィン目がけて石を撒いた一団が、街道から離れた荒れ地の片隅へと一斉に降り立った。
そしてそれぞれが、ギャアギャアと荒ぶった奇声を発しながら足下に転がる石を鈎爪で掴み取る。再び同じ攻撃を仕掛ける腹づもりなのだろう。
が、その装弾行為は悪手だった。
馬車内から電光が迸る。
「シッ!」
紫電の尾を引きながら駆け迫ったダイゴスが、迂闊にも地上に降りた怨魔たちを薙ぎ払った。
雷節棍の中心を握り、交互に突き出す先端部と末端部で次々と打ち据え叩き伏せる。巨体に似合わぬ舞いにも似た流麗な棒術が、地表に立った異形の賊徒たちを這わせていく。
だが。
街道から外れたその位置は、すでに魔除けの加護が及ばぬ場所。怨魔が真価を発揮する領分。
怒りの咆哮を発した数匹が、放物線を描く軌道で直接ダイゴスへと飛びかかる。
「ふ!」
されど注目すべきは、巨漢のその技量か。
長柄の紫電を巧みに振るい、次々と異形たちを打ち払う。細剣にも似た怨魔の鋭い嘴が迫るも、その全てを雷棍で捌き切る。反撃の一突き、一薙ぎで、着実に怨魔を駆逐していく。並の人間には成し得ない、熟達した戦士にのみ許される抗戦だった。
「! ダイゴス、後ろだ!」
しかしやはり、あまりにも多勢に無勢。迂回する黒い影に気付いたエドヴィンが叫ぶ。
「むっ――」
ダイゴスの背後へと回った数体が砲弾じみた速度で躍りかかり、
「水よ!」
その怨魔たちは、駆けつけてきたベルグレッテの水流によって薙ぎ飛ばされた。少女騎士はそのまま、ダイゴスと背中合わせになって敵の群れと向かい合う。
「うむ。助かった」
「どういたしまして。あなたなら問題はなかったでしょうけど、一応ね」
上空を旋回する黒い渦。遠間で地表に降り立ち石を装填する一団。
「それにしても……、」
「予想以上の群れじゃな」
今や、その数は総計で五十以上にも及ぶだろう。大空賊団とでも呼べる様相だ。
いかにベルグレッテやダイゴスのような手練とて、とても捌き切れる数ではない。
しかし、である。
『第四班! 九時の方向、構え! 三、二、一、発射!』
反響を伴って勇ましく響くはクレアリアの号令。
それを合図として、一斉に馬車の窓から撃ち出される光条の数々。
火、水、雷、氷、風。色とりどりの術弾が、空を渦巻く無法者たちへと叩き込まれる。
火球を避けたと思えば氷杭に貫かれ、雷光をいなせば水流に叩き落とされる。それら全てを凌いでも、渦巻く暴風に吹き飛ばされる。かすかな時間差を置いた偏差射撃が、着実に『空賊』たちの戦力を削いでいく。
相手が空賊団ならば、こちらとてミディール学院三年生一同という詠術士の集団なのだ。
それに加え、
「はっ!」
「炎神の加護を! 行けっ!」
生徒らの攻撃術より数段速く鋭い光条が、的確に怨魔を狙い撃つ。
後続車両から外に出てきた数名の先生たちだった。何が起きるか分からないこの修学旅行には、実戦派の詠術士としての顔を併せ持つ教師陣が随伴している。
「おら、こっちに来んじゃねぇよっ」
そして馬の近くを飛ぶ数匹が、御者の攻撃術によって散らされる。
かつて傭兵や詠術士として鳴らし、無事生き延びてこの職に転じた者ならば、この程度の鉄火場など慣れたものだろう。
それぞれの連係による奮闘が、確実にムシュバたちの数を減らしていった。
「す、すごいすごい! 皆すっごい! 強いじゃん!」
馬車の窓から観戦する彩花は、興奮も露わに嬌声を上げた。
「へへへ。だから、大丈夫だって言ったでしょ!」
得意げ鼻高々なミアには、クレアリアが「貴女は何もしていませんが」と冷静に突っ込む。ちなみにミアは狙いを定めての射撃があまり得意ではないそうで、一斉清掃に参加していない。
それはともかく、手厳しい騎士見習いの少女は表情を引き締めた。
「しかしいかに優勢といえど、油断は禁物。相手は怨魔……その爪や牙が食い込めば、人の身など容易に引き裂かれます。最弱と評される個体であっても、この原則は覆りません。ゆえにいつの時代も、怨魔は人類にとって脅威……大敵と見なされてきた訳ですが」
そこで、窓からの視界に入ってくる人物があった。
首筋を揉んだり肩を叩いたりしながら、散歩にでも出るみたいな足取りで街道の縁を跨ぐ少年が一人。見慣れた後ろ姿。
「り、流護!」
ここまで様子を見ていたのか、はたまた準備運動でもしていたのか。のんびりと、満を持したみたいな気配すら漂わせつつ。
だが正直なところ、皆の活躍ぶりを考えれば流護の出る幕などないのではないか。そもそも、やはり素手で何ができるのか。
「ちょっ、ちょっとあんた――」
まともに呼びかける暇もなかった。
自分からあっさりスタスタと魔除けの範囲外へ出ていった彼に、当然のごとく異形たちが反応する。
「あ、あぶ――!」
あまりに突然のことで、目を背ける時間すらなかった。
急降下し、幼なじみの少年へ飛びかかる凶鳥が二羽。
凄まじい速度で流護に突撃したそのふたつの黒影だったが、いきなり見えない何かに弾き飛ばされたように地面へと落下した。自らの勢いそのままに、砂塵を巻き起こしながらゴロゴロと数メートルも転がって静止、それきりピクリとも動かなくなる。
「…………え……?」
呆然となる彩花。クレアリアはやれやれと溜息をひとつ、
「向きや体勢から見るに、おそらく左の拳を二発……でしょうかね。まるで視認できませんでしたが」
どこか悔しさすら滲ませた口調で。
彩花が咄嗟にその言葉の意味を理解できずにいる間にも、十匹ほどからなる次の一波が押し寄せる。ざあっと覆い被さる形で迫り来るその様は、まるで黒いカーテン。実際、人の命を包み消す死の暗幕に違いない。
だが。
「――――――っ」
今度こそ、蓮城彩花は目撃した。
正確には――敵の数が増えて対処時間が伸びたことで、ようやく認識するに至ったといえよう。
弾丸じみた直線の軌道で飛んできた一匹を、流護は右の蹴りで一閃。半月を描くかのごとき、美しさすら伴った所作。それも、彩花がそうと理解した頃、すでに彼は地に足を着けて次の動作へと移行していた。
返す刀の左拳で二匹目を打ったと彩花が認識すれば、とうに流護は右正拳で三匹目を沈めている。
少女の理解を先んじる少年の攻勢、それが計十度。
殺意に満ちた黒いカーテンはついぞ標的を覆うこと叶わず、散り散りになって荒れ地へと転がった。
脅威を蹴散らした流護はといえば、その場で何事もなかったように肩を回している。
「ひゅー! いいぞー! さっすがリューゴくん!」
拳を振り回して無邪気に喜ぶミアだが、彩花はただ唖然とするばかりだった。
「人にとって大敵であるはずの怨魔を、神詠術の加護もなしに真っ向からねじ伏せる。私はアリウミ殿以外に、そんな真似ができる人間を知りません。正直、ガイセリウスの逸話ですら脚色されたものだと考えていましたから」
「…………、」
同じく街道外、少し離れた位置でベルグレッテとダイゴスが怨魔と対峙しているが、それは戦闘だ。互い死角となる背中を守り合いながら、神詠術を振るって危なげなく敵を沈めていく。彩花の素人目から見ても明らかな、一流の戦士たちの戦い。
では、流護はどうか。
それは、駆除だ。
戦闘が成立していない。ただただ一方的に蹴散らすだけの行為。
そう感じるほどの差。
またも飛びかかってきた数匹を、流護が事もなげに撃墜する。彩花に見えたのは、拳――、が放たれたと思われる残像だけ。
しかしその集団は囮だったか、背後から別の一匹が迫る。
ベルグレッテたちと違い、流護は単独。背後を守る者はいない。
「りっ……!」
危険を知らせる間もなく。
真後ろからの突撃。完全なる死角からのこの一刺を、流護は振り返りもせず半身を傾けるのみで回避した。
同時、一直線に通過しかけたその刺客を右肘で叩き落とす。
続く襲撃も、当然のごとく。
前方からの攻撃はもちろん、背後から飛んでくる襲撃を、振り返ることなく前を向いたままで対応していく。死角など存在しないかのように。
「す、すごー! リューゴくん、なんで後ろからの攻撃を避けれるの!?」
絶句した彩花の心境をミアがそのまま代弁するが、すでにクレアリアは推測していたらしい。
「おそらくですが……、影ですよ」
そう告げた彼女が指差す先。流護たちも怨魔も岩場も区別なく、それぞれから黒く間延びして荒れ地に描かれる姿。
「今の時間帯、インベレヌスは西寄りの空に御座します。アリウミ殿の立ち位置からであれば、背後と表現できますね。ゆえに、後ろからの影はあの人の前方へ大きく延びる形になります」
つまり。
流護は地面に映った怨魔の影を頼りにして、背後からの攻撃を捌いている――?
「ふぇー! リューゴくん、やっぱりすごいね……!」
「っ……、いやでも、そんなこと、できるものなの……?」
言うほど簡単な芸当でないことなど、素人の彩花にも理解できる。
後方から間延びする影と実像とでは、距離感も大きく異なるはずだ。
「対峙した怨魔の速度、己の間合い、そしてこれまでの戦闘経験や実際にあの場に立つことで感じる鉄火場の空気……加えて、天賦の才。そういったものを全て踏まえたうえで実現している絶技、と言わざるを得ないでしょう。……アヤカ殿の仰る通り、それでも腑に落ちないほどの凄まじさではありますが」
気付けば、周囲の生徒たちからも喝采が上がっている。
「すげえな、後ろに目でもついてんのかよ!? 劇みてぇな真似してくれやがる! 全方位隙なしとは!」
「ヒュー! さすがはリューゴ・アリウミだ! 毎回毎回、魅せてくれるよなぁ! あの男は!」
「さ、さすがリューゴさんだ!」
「けっ……まぁ、さすがって言っておいてやるぜ」
「ガイセリウスの再来は伊達じゃないわね……!」
彩花も少し噂に聞いたことがあった。
この世界の伝承に語られる、古の英雄ガイセリウス。流護は往々にして、その生まれ変わりと称されていると。もちろん彩花はそうでないことを知っているが、この光景を目の当たりにすれば信じてしまっても無理はない。そう思うほどの、圧倒。
そんな当人はといえばだ。
誇るでもなく、勝って当然とでも言いたげな、堂々たる佇まい。むしろ物足りなげですらある。
「…………、」
本当に。
今あの場に立っているのは、自分が知っているあの幼なじみなのか。
そんな思いすら浮かんでくる。
彩花が戸惑っている間にも、各員の奮戦によって、少しずつ……しかし確実に、空賊団はその数を減じていく。
ややあって、おもむろにピカリと周囲が光った。
「? 雷……?」
そう考えて見上げるも、空に雨の気配はない。遅れて雷鳴が轟いてくることもない。その代わり彩花に聞こえたのは、
「も~~~~、せっかく順調な旅路らったのに、水を差さないれほしいわね~~」
呂律の回っていない、明らかに酔っぱらっていると分かる女性の声。
出所を見下ろせば――剣を杖代わりにしてよたよたと歩いてくる、ナスタディオ学院長の姿があった。
「が、学院長さん!?」
「うわでた!」
ミアがぴこっと頭を引っ込める。怨魔の群れよりよほど恐ろしい、と言いたげに。
「ほーらほら、こっちこっち~」
学院長が指を鳴らすように閃かせると、その手先から光がパッパッと明滅する。それはまるでフラッシュライトだ。その瞬きに反応した上空のムシュバたちが、発生源へと注目する。
そして、
「え!?」
彩花は目を疑った。
学院長の近間を飛んで旋回していた怨魔たちが、いきなり次々と落下してきたのだ。
まるで羽の使い方を忘れたみたいに、どさどさと地表に叩きつけられる。
「ほーい、入れ食い入れ食い~、ってね~」
学院長は杖代わりにした剣の先を、地面でもがく怨魔たちへ面倒そうに次々と突き刺していく。
その無慈悲で生々しい止めの光景から顔を逸らした彩花は、そのまま物知りな妹騎士へと目を向けた。
「な、なんで怨魔、いきなり落ちてきたの!?」
「幻覚ですよ」
しれっとクレアリアは答える。
「光の明滅で注意を引き、視線の交わった相手にお得意の幻覚を仕掛ける。怨魔どもが何を見せられたかは、奴らのみぞ知るところですが」
「げ、幻覚って、怨魔にも効くんだ……!」
あの幻覚のリアルさは、彩花も身をもって体感したところだ。……その内容は、誰にも言えないし思い出したくもないのだが。
「うう……あんなに酔っぱらってよれよれになってるのに、簡単に怨魔をやっつけちゃうんだもん。やっぱり、学院長は頼りになるかもだけど怖いよ……」
窓の下枠に指先をかけたミアが、おっかなびっくり外を覗きながらぷるぷるしていた。
なるほど確かに、流護も学院長は桁違いだと言っていた。これが、あのディノという青年と同じ――『ペンタ』と呼ばれる存在の実力なのか。
ともあれ学院長も参戦し、大規模戦闘の趨勢は明らかにこちらへ傾き始めた。今や、ムシュバの数は半分以下まで減っている。
……と、怨魔もその旗色の悪さは自覚していたのだろう。
ギャアギャアと響く怪鳥の咆哮。呼応したように、群れ全体が同じ鳴き声を発する。怨魔は一斉に、流護たちから離れてどこかへ飛んでいく。
「や、やった! 逃げてくみたい!」
その光景に喜ぶ彩花だったが、
「……いえ」
クレアリアの目つきは鋭さを増す。
「あれは……怒声。諦めた者が発する声ではありません」
他の皆も同じように考えているのか、ムシュバの軍勢が飛び去っていった空の向こうに未だ気を払っている様子だ。
『このまま終わるとは思えない……警戒を! みんな、乗車室の窓を閉めて!』
外のベルグレッテがこちらに意識を向け、通信術越しにそう声を張った直後だった。
空の彼方に浮かぶ疎らな黒点。戻ってきた『空賊』たちであることは誰の目にも明白で、
「アラ。やっぱり得意技で来るみたいよん」
真っ先に気付いたのは、メガネ越しの瞳を楽しそうに細めたナスタディオ学院長だった。
『! みんな、防御を!』
緊迫したベルグレッテの叫びが木霊する。
「ちぃっ、やっぱり来やがるか……! 悪あがきしやがって! 頼むぜ~、もってくれよぉ!」
御者もこれまでにない様子で空を睨む。
「やはり……邪魔されない遠方へ一時退避して、群れ全体で石を拾ってきたんです。来ます、『石驟雨』! 全員、窓際は危険です! 伏せてっ!」
クレアリアの喚起に従い、わあっと伏せる馬車内の生徒たち。大空からこれまでにない勢いで響く空賊団の鬨の声。
そんな中、流護は迫り来る黒い群れへ向けて自分から一歩踏み込んだ。あまりにも無防備。天空を見上げ、全てを受け入れるかのように両手を広げて。
「リューゴ、来るわ……!」
そんなベルグレッテの喚起を聞いてなお、彼は背を向けたままただ右手の親指を立ててみせて――
「り、流護っ!」
「アヤカ殿! 伏せてくださいと言っているのに! 全くもう!」
仕方なしといった様子で、クレアリアが彩花の肩を抱いて前方へ手を伸ばしつつ身構える。二人の眼前に、うっすらと淡い水色のフィルターみたいなものが展開される。
――直後。石礫の豪雨が、降り注いだ。
彩花の目に映ったそれは、もはや完全なる絨毯爆撃。
上空から叩きつけられた無数の凶弾が、土砂によるスコールが、大地を削り飛ばす。街道外の地表を、土煙で覆い尽くす。砕けた破片や小さな砂粒が、この車両の窓にまで飛んできてカラカラと音を立てる。幸い、窓を突き破るほどの流れ弾は来なかった。
しかし、馬車を完膚なきまでに破壊した、という逸話も頷ける。こんなものに晒されれば、人間など瞬く間に挽き肉と化すことは確実。
目下の標的は、最も目立つ外側に立ち多くの同胞を討っていた流護たちだったのだろう。
前線のベルグレッテとダイゴスが、両手で頭上に神詠術の天板を掲げて文字通りの『土砂降り』から身を守り――
そして流護の取った行動は。
「――――――――――」
躱す。躱せないものは防ぐ。
天空から注ぐ石の豪雨を、数え切れないほどの爆撃を、どう考えたって生身で対処できるはずがないそれらを、両手の手甲で、あるいは前面に押し出す肩で、あるいは突き上げる膝で捌いていく。
躱す、躱す、躱す、防ぐ、防ぐ、躱す、防ぐ。
それだけではない。防御の合間に砕け舞った石を掴み取り、それを上空へと投げ返す。直撃を受けた個体はそのあまりの衝撃からか己が自身も飛び道具と化し、仲間を巻き込みつつきりもみ状に吹き飛んでいく。
結果、地上からも迸った。
人力による、有海流護という個人から放たれる『石驟雨』が。
天と地の射撃攻防、時間にしてみればわずか十数秒。
全弾撃ち尽くしたか、上空を過ぎ去った黒い影が、少し離れた位置でゆるりと旋回する。
「くぅおお、こっちまでは来なかったが……あっぶねぇ……!」
防御術を展開して馬を守ろうとしていた御者がどっと息を吐き、
「けほけほ、けほけほっ! あーもう、砂まみれじゃないの!」
車両の傍らにいた足下の怪しい学院長が土煙に咳き込み、
「ぬうう……大丈夫ですか、先生がた」
「ええ……」
防御に徹した教師たちが互いの無事を確認し合い、
「……エドヴィン、鼻血出てる」
「小石が飛んできたんだよ……」
馬車の下から這い出てきたレノーレとエドヴィンがぼやく。
ここまでは――あくまで攻撃の余波に晒され、それを凌いだ者たちだ。
そして、
「……く、」
「むう……」
直に攻撃を受けたうちの、二人。
片膝立ちになりながらも猛攻を凌ぎ切ったベルグレッテとダイゴスがどうにか水と雷の天板を消しつつ立ち上がり、
「っと……」
ただ一人。
全員が防御や退避に徹した中、ただ一人反撃に転じた男。
砂埃にまみれながらも堂々と。『無傷』で佇む流護が、悠然と空を見上げていた。
「いやーさすがに、思ったほどは削れんかったかな」
街道外。
凶器のスコールを振り撒きながら流護たちの直上を通過したムシュバの群れは、しかし明らかにその数を減らしていた。
「ま、何回でもやってやるけど」
砂まみれの顔で、ニッと強気に笑う。
その様に気圧された――のか。
ケェ、ケェ、と響く『空賊』たちの鳴き声にも、もはや先ほどまでの威勢が感じられない。
「…………、……真っ正面から、『石驟雨』に立ち向かって……やり返す、だなんて……、ふふ、あの方は、どこまで」
彩花の肩を抱いたクレアリアですら、こわばった笑みを張りつけ呆然となっていた。
「流、護……」
神業。そんな言葉すら安っぽく思えるような。
上空から迫ってきたムシュバの群れは、例えるなら豪雨を降らせる黒い雨雲だ。それを、流護は地上から迎撃した。何ら濡れることなく、反撃に転じこの積乱雲を削った。
数を減じ疎らな群れとなったムシュバたちは、そのまま再び遠い空へと消えていく。
「あっ、ま、また……!」
「……いえ、今度は違うようですよ」
再び『石驟雨』を仕掛けてくるかと緊張する彩花だったが、クレアリアが穏やかな声音で防御態勢を解いた。
先ほどと異なるのは、怨魔たちが一丸となってではなくそれぞれバラバラの方向へ飛び去っていく点だ。それも、慌てふためきながら我先にといった様子で。
「再度『石驟雨』を放ったところで、奴らの数が減っている以上その威力も落ちることになります。先の一撃ですら通用しなかったのですから、もう勝ち目はない……と悟ったのでしょう」
敵勢力の敗走を見届けて、馬車の外の皆もそれぞれこちらへと戻ってくる。
室内からドッと喝采が沸き上がった。
「うぉっしゃぁ! やったぜ――!」
「すげえぇ! 勝った勝ったぁ!」
もはや場はお祭り騒ぎだ。
「ど、どうなったの!」
ピコッと顔を出すミアの頭へ、クレアリアはやれやれと手を置いて。
「いつも通りですよ。いつもと同じように、何ら危なげなく……アリウミ殿がやってくれました」
ふふ、と微笑んだクレアリアが、意味ありげな流し目を彩花へと向けてくる。
「いかがですか? アヤカ殿。貴女のアリウミ殿の、『この世界』での活躍は。ご覧の通り、あの方はあまりに規格外。その闘いぶりを目にするたび、私も未だ『そんな真似が可能なのか』と驚かされます。今回も然り。心配するのが馬鹿らしくなりますよ、いずれ」
「…………ん……うん……う、ん? ちょっ、ちょっと待って。今っ。『あなたの』、とかって言わなかった? べつに、私のじゃないので……!」
「あら。違うのですか?」
何やら妙に白々しい。
そうこうしている間に、戦闘を終えた面々が馬車に戻ってくる。砂埃にまみれてこそいるものの全員がほぼ無傷だ。
「うおおおぉぉ! さすがアリウミ遊撃兵だぜ~! 『石驟雨』を真正面からやっちまうなんてよ!」
「さすがね! あなたがいればこの旅も安心だわ!」
「あー、どもどもっす。任して任して。つか、みんなお疲れ! 全員で結構数減らしたからこその結果だしな」
「ったくー、立ててくれるねぇ!」
入ってきた流護が親指を立てると、場に拍手喝采が巻き起こる。生徒たちに揉みくちゃにされるその様子はまるでスターだ。
「……まさか、石を投げ返して『石驟雨』を迎撃するとは思わなかった。……すでに、バダルノイスの一件からかなり腕を上げているみたい」
メガネが砂まみれになっているレノーレが驚いているのかそうでないのかよく分からない口調で呟くと、
「まーな。最初にあいつら、エドヴィンに向けて石投げたじゃん? あれ見て、『この程度ならやれるな』って思ったんだよな。まあでも、オルエッタさんあたりなら砂煙も避けそうじゃね?」
砂で汚れた自分の姿を見下ろす流護が苦笑し、
「それはさすがに……。……ええ、まあ、オルエッタならやりそうな気はするけど」
同じく砂に汚れたベルグレッテが神妙に頷く。
(…………流護……)
凱旋し異世界の学生たちに囲まれる流護を遠目に、彩花は少しだけ複雑な気持ちになる。
あまりに別格な活躍ぶり。英雄のようなその扱い。
確かに、これだけ強いのなら安心かもしれない。ミアを始めとした皆が、全幅の信頼を寄せるのも頷ける。
無事に帰ってきてくれたことも、もちろん嬉しい。
(……でも……)
わずか、心がざわついた。
自分が誰よりもよく知っているはずの有海流護が、何だか遠くへ行ってしまったような……別人になってしまったような気がして。