581. 西域の事情
――さて。
こうしたわちゃわちゃ感も一時的なもので、いつまでも続くものではない。
「てかさ、今回の交流相手……リズインティ学院、ってのはどんな学校なんだ? ミディール学院のバルクフォルト版って感じなんかな」
長い旅路である。暇つぶしがてら、特定の誰かに向けた訳でもない流護の疑問に答えたのは、おやつを頬張るミア……ではもちろん(!)なく、その向こう側に座るクレアリアだった。
「そうですね。リズインティ学院といえばまず、その門戸が広いことで知られています。一定量の魂心力を有していなければ入学資格が得られない我が校と違い、簡易的な試験にさえ受かれば誰でも生徒となることが可能なんです」
「へー。なら、人数も多そうだな」
であれば、表現は悪いが玉石混交……優等生から劣等生まで、膨大な数の生徒が在籍していることだろう。
単純にそう考える流護だったが、彩花が「あれ?」と目をしばたたかせた。
「でも交流予定のあっちの三年生って、九十人ぐらいって話じゃなかった? こっちと同じぐらいだよね」
その疑問にはベルグレッテが応じる。
「ええ。あちらの三年生は、総勢八十七名と聞いているわ」
「およ、そういやそんな感じだっけか。いっぱい入学してる割にこっちと同じぐらいの人数って、少なくないか?」
尋ねれば、クレアリアがゆるゆると首を横へ振った。
「門戸こそ広くとも、ついていけるかどうかはまた別の話。毎年、かなりの数の脱落者が出ると聞きます。まあ、それはそうでしょう。素養を持たぬ者に対しても、詠術士としての修練を課す訳ですから」
「はあ、なるほど」
入学条件こそ違えど、将来の詠術士を育成する機関である点は共通している。力なき者はふるい落とされるということか。
「……リズインティ学院は、中途退学者の数が多いことでも有名」
通路を挟んだ座席、手にした本から少しだけ顔を上げたレノーレがぽつりと呟く。
その対面でふんぞり返るエドヴィンが悪そうに笑った。
「ヘッ。実際、ディアレーなんかにゃ多いからな。バルクフォルトの学院で落ちこぼれたとかっつー詠術士崩れがよ。何人か相手したがよ、どいつもこいつも納得の根性ナシばっかだったぜ」
それを聞いたクレアリアが、ジト目と呼ぶのも憚られる冷たい視線を『狂犬』へと向ける。
「曲がりなりにもミディール学院生ならば、掃き溜めの屑どもと同じ水準で争うような真似は慎んでほしいのですが」
露骨な溜息交じりなその言葉に、目に見えてうろたえたのは言われたエドヴィンではなく彩花だった。クレアリアと流護の顔を密かに見比べるようにしている。
(おっと)
ベルグレッテみたいな推理力など持たない格闘一筋の少年であっても、その動揺の理由を察するのは容易だった。
(クレアさんは元々こういう毒舌キャラやぞー、彩花)
厳しいと評判ながらも、なぜか自分には優しいクレアリア。そんな妹騎士の口から実際に辛辣な言葉が飛び出したので驚いたのだ。
そうした彩花の心情などつゆ知らず、ご立腹なクレアリアは言い募る。
「話には聞きますが……中流から上流の家庭に多いそうですね。恵まれた家庭に生まれ何不自由なく育つも、ミディール学院の合格基準は満たせず。しかしどうにかして箔をつけたい親の足掻きによって、リズインティへと送り込まれる。けれど苦労知らずの箱入りに異国での修行の日々を乗り越える根性などあるはずもなく、挫折を味わい堕落して掃き溜めの屑と成り果てる。膨大な資金力にものを言わせてわざわざ異国の学院へ通わせたのに、全てが無駄。愚かな話です」
温もり無添加。いっそ清々しい。
「つか掃き溜めの屑、ってまた容赦ないっすね」
流護がその表現を拾って苦笑すると、姉が柳眉を上げて腕を組んだ。
「クレア。言葉選びには気をつけなさい、もうっ」
「事実じゃないですか。人には向き不向きがありますから、ついていけないこと自体を責める気はありません。ですが、落ちぶれて他者に迷惑を及ぼすとなれば話は別。害しか齎さない存在にかける情けなどありません」
言い捨ててむくれる妹と、困ったように息をつく姉。
基本的には姉のイエスマンなクレアリアだが、こうした強情な一面も持ち合わせている。まるで性格の違う姉妹ながら、妙に頑固だったりする点はよく似ていると流護は思う。
そんな中、隣席の彩花は緊張した面持ちで口元を引き結んでいた。きっと、密かに誓っているのだ。「絶対にクレアリアさんを怒らせないようにしよう」と。
「つか、あれだよな。そんなに退学者とか出るんだったら、こっちみたいにそもそも合格の条件厳しくした方がいいと思うんだけど」
誰でも入れるからこそ、脱落する者が続出している。であればやはり、最初から入れる者を限定してしまえばいいはずだ。
「そこは……両学院の運営方針の違いなのよね」
と、悩ましげに眉を寄せるのはベルグレッテだった。
「運営方針の違い?」
小難しくなりそうな単語を復唱する流護に対し、変わらず不機嫌そうな妹さんが目を向けてくる。
「我が校は、元より才ある者を更に伸ばすための機関。一方でリズインティ学院は、それに加えて人材を発掘・育成するための機関でもあるんです」
「……。そっかぁ……」
「自分から話題を持ちかけておきながら空返事とは。アリウミ殿の豪胆ぶりは見習いたいものがありますね」
「だってクレアさん、話が難しいんだもん」
「何が『だもん』ですかっ。難しいことなど言っていません。リズインティ学院は我が校と違い、魂心力の保有量に恵まれていない方でも在籍できる。そうした方でも、詠術士として活躍できるよう育成する。そのような場だということです。例として挙げるならば……そうですね……」
クレアリアは一瞬だけチラリと姉を窺い、やや歯切れ悪くも口にする。
「……アリウミ殿。シリル殿……を、覚えていますか?」
ベルグレッテが少しだけ目を見開いたのを、流護は見逃さなかった。
「……ああ。そりゃ、もちろん……覚えてるよ」
そして、彼女らのそうした反応の理由も分かっている。
今からちょうど一年ほど前に発生した、リリアーヌ姫の暗殺未遂騒動。
その事件の犯人であり、被害者でもあった少女の名前。ベルグレッテたちと同じ、ロイヤルガード候補となる家系の貴族令嬢。つまり、同胞と呼べるはずだった相手。二人にとっては苦い思い出だろう。
「シリル殿がそうでした。私たちに先んじてミディール学院の門を潜ろうとしたのですが……魂心力の保有量がわずかに届かず、入学することができなかったんです。聞いた話では、規定をほんのわずかに下回った程度だったそうですが……決まりは決まりですから。彼女はそこで、リズインティ学院への留学を選択しました。その結果無事に卒業し、準ロイヤルガード候補として恥じぬ力を身につけて帰ってきた……その点は間違いなかったと思います。リズインティが窓口を広げていたからこそ、一人の詠術士が世に巣立つことができた……その一例でしょう」
「……そうだったんか」
あのシリルがリズインティ学院の卒業生とは初耳だった。
彼女がああした暴挙に訴え出た理由は、そこにもあったのかもしれない。ベルグレッテたちよりも先に、脱落者も多い異国の学院で厳しい修業を積んできた。相応しい力も身につけた。なのになぜ――と。
「……私も当初、留学先の候補にリズインティ学院があった」
少ししんみりした空気を払拭しようとしてか、レノーレが控えめに呟いた。
「……と、メルが言っていた。……あまりに遠いから、却下になったみたいだけど。……でもミディール学院の入学要件を満たせていなかったら、向こうに行っていたかもしれない」
「そうだったんだ!」
おやつを飲み込んだミアが目を丸くする。
「……立地もいいと聞いている」
そんなレノーレの言葉には、ベルグレッテが頷いて続けた。
「そうね。人里離れた野原に建つミディール学院と違って、リズインティ学院は帝都バーグリングヒルの街中に存在するわ。通いやすい環境も、多くの人が入学を志す理由のひとつでしょうね」
「なるほど。ミディール学院なんか、どうしたって全員が寮生活になるもんなあ」
同じ神詠術の専門校でも、やはりそれぞれの異なる特色があるということなのだろう。
「てかさ。ベル子とかクレアは、今の向こうの学院に知り合いとかいないん? あ、こっちから留学してるマリッセラって人は別で」
「そうですね。私たちはリズインティ学院そのものにかかわる機会はありませんでしたが……一人だけ、在籍している生徒に顔見知りがいますよ。私たちと同じく、三年生になっているはずです」
クレアリアの言を受けて、ベルグレッテが柔らかな笑顔で目を細める。
「ええ。元気にしてるかしら、リムちゃん」
「愛想のない子ですからね。接していても、元気なのかそうでないのか分かりづらいですが」
「こーらっ、またそんなこと言って」
「愛想がない? クレアさんがそれを仰いますか、はっはっはっ」
「は?」
「あっ、いや。彩花が……そう言ってました……」
「ちょっ!? 何なすりつけてんの! 言ってないじゃん!」
「アヤカ殿がそのようなことを言うはずがないでしょう」
「リムちゃん、ってどんな人なのー?」
賑々しい中で飛んだミアの質問へは、ベルグレッテが「そうね」と応じる。
「リム・リエラ・ローヴィレタリア。年齢はクレアのひとつ下で、少し引っ込み思案だけど素直な女の子よ。愛想がないんじゃなくて、控えめであまり率先して人に話しかけたりできない性格なのよ。クレアが言ったとおり、三年生になってるはずだから今回の交流で再会できるわね。去年はバルクフォルトへ行けなくて会えなかったから、マリッセラと同じでもう二年ぶりになるのね」
「へー」
名前からして貴族だろう。
どういった間柄なのか詳しく尋ねてみようとした流護より先に、ここまで置物よろしく無言でどっしり座っていたダイゴスが「ふむ」と低く唸った。
「ローヴィレタリア、と言うたの。となると、あの『喜面僧正』の……」
「ええ。娘さんよ」
「ほう。かの御大も高齢になるはずじゃが……その娘子がクレアより年下とは」
「そうね。年の離れた娘さんということもあって、すごく可愛がっていらっしゃるみたい。もちろん、ご本人はそういった素振りを一切お見せにならないんだけどね」
「おう。俺を置き去りにしないでくれ。なんか有名な人なんか、そのローヴィなんたらさんは」
口を挟む流護には、クレアリアの特大溜息が応じた。
「アリウミ殿が不勉強なだけです。曲がりなりにも兵職にありながら、案の定ローヴィレタリア卿すらご存じないんですから。レノーレ、説明してあげてください」
依頼を受けて小さく頷いたメガネの博識少女が、例によって普段とは異なる流暢な語り口で紡ぎ出す。
「トネド・ルグド・ローヴィレタリア。バルクフォルト帝国現主導者ヴォルカティウス帝の右腕として、最高大臣を務める人物。常に笑顔を絶やさぬ柔らかな物腰から、『喜面僧正』の異名で知られる。ジェド・メティーウ神教会の高僧やリズインティ学院の特別顧問なども兼任しており、今現在のバルクフォルトにおいて最も欠かせぬ重鎮の一人であるといえる」
「はー。つまりすげぇ偉い人と。その娘さんが、リムとかいう子なのな」
「その認識で結構です」
流護が要約すると、クレアリアは投げやり気味に同意した。
「実質、ローヴィレタリア卿は今のバルクフォルトを牽引しているお方と考えて差し支えありません」
「あれ? そのヴォル何とか帝とかいう人は? 一番偉いのはその人だよな? 王様的存在っていうかさ、こっちでいうアルディア王みたいな」
「……ええ。最高権力者はヴォルカティウス帝に違いありませんが、今は全てをローヴィレタリア卿が統括しておられるはずです」
「そうなんか。なんか理由があるのか?」
何気なく問うと、クレアリアは周囲を窺うような素振りを見せる。
「……全く、本当に何もご存じないんですから。まず、ローヴィレタリア卿が先帝時代から内政方面を取り仕切っておられた方であるため、経験豊富で全てを任せるに足る相応しい人物であることがひとつ。そして、巷でも知られた話ですが……ヴォルカティウス帝は若き頃、貴族の身ながらも闘技場で活躍された競技者でした。『風塵の帝』との異名にて呼ばれ、文武両道を体現したような偉丈夫で、十年ほど前に戦士としての一線を退き帝位に就かれたのですが……」
「たのですが?」
なぜそこまで説明して躊躇うのか。流護が促すと、
「燃え尽きた。もしくは……戦の神に魅入られてしまった、とも」
「……どういうこった?」
「先述した通り、ヴォルカティウス帝は武勇のみならず知にも長けたお方でした。しかし……帝王の座に就かれて以降、心ここにあらずといったご様子が増えたと聞いています。呼びかけにも応じられなかったり、重要な会議の最中に眠ってしまわれたり……。時にはご自分が未だ闘技者であると思い込まれ、試合に出場しようとなさったなどという話も。機知に富んだお方ですので、最初は誰もが冗句かと思っていたそうなんですが……どうやら、そうではなく……。昔からの皇帝陛下を知る方の中には、人が変わってしまったようだと感じる方もいらっしゃるとのことで」
「はあ……でも、戦士を引退? とかしてその座に就いたってなら、結構な歳だったりするんだろ? そらしょうがないんじゃねえの」
いかに剣と魔法のファンタジー世界といえど、老いからは逃れられない。現実は無常である。
「いえ……それが、ヴォルカティウス帝はまだ御年四十歳を迎えられたばかり。まして帝位に就かれてご様子に変化が見られるようになったのは十年ほど前……三十歳前後の頃ですから、老衰は考えられないのです。ゆえに、闘技者時代の刺激的な日々が忘れられず……もしくは、戦神に心を奪われてしまったのでは、などと囁かれている訳です。そのようにお心が弱い方ではないはずなのですが」
「はあ、なるほど。そうなると分からんな……つか、闘技者ってのは? 何かの選手なん? ……何だよ。そんな悲しい生き物を見る目しないで」
流護の無知ぶりに愛想を尽かしてしまったらしい妹さんに代わり、姉が「そうね」と説明態勢に入った。さすがはベルグレッテ、底なしの優しさに溢れている。
「バルクフォルト帝国を語る上でまず欠かせないのが、闘技場という文化ね。かの国の歴史は、そのまま闘技場の歴史に紐づいてるといっても過言ではないぐらい」
古い文献を紐解けば、必ずその施設の名が登場する。それがバルクフォルトにおける闘技場だという。
ダイゴスが重く頷いた。
「当初は処刑場じゃったと聞く。罪人と空腹状態の猛獣を同時に舞台へ放って閉じ込め、起こる惨劇を観衆たちが楽しむ。そうした見世物じゃな」
彩花が「うええ」と呻き、ミアもぎゅっと目を×の字に閉じた。
「うう、絶対に食べられたくないよ! ……でもでも、リューゴくんみたいに強い人なら、逆に怖い動物にも勝っちゃいそうだよね……!」
流護が親指を立ててニッコリと肯定してやる傍ら、ベルグレッテが頷く。
「ん。実際に、屈強な罪人が逆に獣を打ち負かしてしまうことも往々にしてあったみたい。もちろん、リューゴとは違って神詠術を使って……だけど。それが転じて、人と獣……もしくは人と人とを闘わせる催しへと形を変えていったわけね」
そして現在、バルクフォルトでは定期的に闘技場で競技会が開催されている。
神詠術を禁じた素手のみで、人と人が殴り合う部門。訓練用の剣を用いて、技の美しさを競い合う部門。それこそ古の慣習さながら、獣と人が一騎打ちする部門……など、内容は様々。
ヴォルカティウス帝は、素手部門の元王者ということらしい。
「バルクフォルトでは、拳打法と呼ばれる拳闘技術が広まっとっての。北東の双拳武術に似た、競技の一種じゃな」
ダイゴスがそう解説すると、クレアリアも頷いた。
「ヴォルカティウス帝は、その拳打法の達人だったんです」
「今の闘技場で一番人気なのが、拳闘……それも、拳打法の使い手同士の試合といわれているわね」
ベルグレッテがそう付け足す。
「へー。素手のやつ、あんた出てみたら?」
彩花が茶化し気味に言ってくると、流護はひらひらと手を振って応じた。
「パスだパス。そのルールじゃ俺に勝てる奴なんか絶対いねえから、試合が成り立たん。無敗で最強の伝説の王者になっちまう」
「なんなのその自信……」
そんなやり取りに「うむ」と唸ったのはダイゴスだった。
「実際のところ、術を禁じた純粋な肉体のみの勝負であればアリウミと張り合える者はおらん。膂力も身体技術も、『我々』とは違い過ぎるからの」
「そそ。自惚れてるとかじゃなくて、もう俺の身体スペック的にな。パワーもスピードも謎補正掛かってるし、そこに空手の技術が加わる。グリムクロウズ人同士のステゴロ試合に俺が出ようって時点で、条件が対等じゃないんだよ。小学生同士の試合に大人のプロが出るようなもんだ。……」
吹かしつつも、頭をよぎる。
(あのメルコーシアなら、話は別かもしれねーけど)
単純な技量差のみで、その強化補正すら封殺したシステマ使い。もっとも、あの男は『同郷』だ。
(次は、ああはいかねえ……)
密かな決意とともに拳を握り込む。
傍らではダイゴスが同意したことで反論しづらくなったか、ふーんと口先を尖らせる彩花。その向こう側で、ミアが意外そうに首を捻った。
「あれー? エドヴィンだったらそういうの出たいって言いそうなのに、興味なさそう」
ふんぞり返ったその当人はといえば、今ほどの流護の仕草を真似るように手を振った。
「興味ねーよ」
「え! 悪いものでも食べたの?」
「アホか。俺が目指してんのは真の最強だからよ。素手限定で一等強ぇ、なんてのはどーでもいーな」
「ベルちゃーん……エドヴィンどうしちゃったの……?」
「どーもしてねーよ!」
実際のところ、流護の真似をして身体を鍛えることに傾倒していた頃のエドヴィンであれば、血の気丸出しで参加を希望したのではないだろうか。
やはりバダルノイスでの事件を経て考え方に変化があったのか、このところの彼は大人びたように思える。
「しっかし、バルクフォルトか」
レインディールの隣国ということもあって、流護でもこれまでに幾度か耳にしたことのあった国名だ。
「ベル子とクレアは、何回か行ったりしてるんだよな」
「ええ。毎年、家族で招かれたりなどしてますから。昨年は都合がつかず取り止めとなりましたが」
クレアリアがそう告げ、ベルグレッテも頷く。
二人とも、数少ない来訪経験者だ。
「そういう時って、どうやってこの暇な時間潰してんだ?」
「姉様と語らっていれば、一週間や二週間など苦にもなりませんので」
「あ、ごめん。訊く相手間違ったわ」
「は? 何ですか、失礼な人ですね」
その後もあれこれと会話に興じるが、そういつまでも続くものではない。
周囲に首を巡らすと、当初は瞳をキラキラさせていた生徒たちも心なしか死んだ魚の目になっていた。
「何だろ……最初はこう……旅だ、冒険だーって思ってたんだけど……想像してたより退屈っていうかさぁ……」
「だよなー。一日中座席に座りっぱなしで、身体が痛いよ……」
そんなぼやきも耳に入ってくる。
「ケッ」
それらが聞こえたか、鼻を鳴らしたのはエドヴィンだった。
「知らねー場所に行くんだ。何も起こらねーのが一番に決まってらぁ」
以前のエドヴィンであれば彼らの意見に同調していそうだが、やはり考え方に落ち着きが見られる。
「だよな。初日から指名手配されたりとか兵士に捕まったりとか、やってらんねえもんな」
「だからやめろってんだよアリウミ」
「じゃが、一理ある」
微動だにしないダイゴスが交ざってくる。
「波乱万丈の冒険譚なぞ、劇や本で楽しむからこそ受け入れられるもんじゃ。自分で経験しとったら、命がいくつあっても足りん」
その言には、ベルグレッテが「たしかにね」と苦笑した。
「『竜滅書記』でガイセリウスが歩んだ軌跡を真似できるかと言われたら、絶対に無理だものね……」
そこにクレアリアも追従する。
「我々は暇を持て余していますが、学院長は満足しておられるのでは? 裏を返せば、それだけ安全に旅路を進めているということですから」
ナスタディオ学院長は最後尾の車両に乗っているため今現在どうしているかも分からないが、少なくとも初の修学旅行の滑り出しとして『順調』であることは間違いないだろう。
今後も恒例行事となっていくなら、こうした無為の時間の過ごし方についても一考する必要があるかもしれない。
「うーん、少し曇ってきたね……」
窓の外を眺めたミアがぽつりと呟く。シュンとした彼女の目線を追えば、高速で流れていく景色の中、いつしか天空を覆い尽くしている雲の幕。
「これで雨が降ってきたりすると、余計時間掛かることになるよな……」
流護も溜息交じりに口にする。
魔法じみた便利な力が存在しながらも、とかく移動に時間を要する世界。この辺りの不便さが解消することはないのだろうか――と、何気なく考えた直後だった。
「……エドヴィン。今、屁ぇこかなかったか?」
座席側を振り返り、流護はやにわにそう尋ねる。
「あぁ? こいてねーよ、イキナリ何言い出しやがる」
ふんぞり返る悪童が眉を寄せた直後、また聞こえた。
ヴヴ、ヴヴヴと。
気のせいかと思われた一度目とは違い、皆が顔を見合わせるほどに。
「外から聞こえたよ!」
危険を察知した小動物さながらの反応で、ミアがガラスに張りつく。流護も同じく視線を外へ移し、
「……ありゃあ、鳥か?」
その異変に気付いた。
いつ現れたのだろうか。
厚い雲に覆われた空模様、その高みを悠然と浮遊している飛行生物の群れ。
数は二十ほどか、一行の馬車に並走する形で上空を飛翔している。体長は察するに三十センタル前後、両翼を広げたその横幅は七十センタル程度といったところだろう。
そして、流護の口から「鳥か?」と疑問形が漏れたのには理由があった。
異常に細長く反り返った嘴、ぼてっとして球体じみた丸い胴体、体毛の見当たらない黒くぬめりを帯びた肌。翼の造形もどこか歪で、骨に膜を貼りつけて作った雑なハリボテのような印象を受ける。鳥よりは蝙蝠に近しい造形をしているが、一見どちらともつかない。妙に忙しなくバタついた飛び方は不格好で羽虫を彷彿とさせ、生理的な嫌悪感が先立つ。
「あれは――『空賊』です……!」
ミアの肩越しに曇天を睨んだクレアリアが、忌々しげに吐き捨てた。