577. みちづれ
「へぇっ? 修学旅行? 私も一緒に!?」
そんな彩花の困惑も、まあ当然といえば当然か。
時は夕方、場所は流護の部屋。
その旨を伝えられた少女は、目をぱちくりさせて昔なじみの少年を見返した。
ちなみに、今は制服姿ではない。王都に行った時に買ったらしい、『どんぐり』などと文字が書かれた謎のシャツみたいなものを着て(正直、他にもっといい服はなかったのかと思う)、膝丈の白いフリルスカートを履いている。
「は、はあ。いやでも私、生徒じゃないんだけど……」
「それ言ったら俺も生徒じゃねえぞ」
「でもあんたは、兵士の仕事として同行するんでしょ?」
「まあそうだけど」
「それに私、食堂の仕事があるし……」
「三年がいなくなって負担が減るだろうから大丈夫、って学院長が言ってたぞ。てか、行ってみたくないか? 出掛けたがりじゃん、お前」
「う、うーん。興味はあるけど……正直、ちょっと怖いよね。王都に行ってあんなことになったし……」
やはりあの一連の件は、現代日本で何事もなく生きてきた女子高生を萎縮させるに充分だったようだ。
「今度は大丈夫だ。みんないるし、俺もいるし」
「う、うん……」
「つか、学院に残る方が不安じゃね? 知り合いみんないなくなんだから。一ヶ月半も」
「一ヶ月半は長ぁ……、っていうか、スケールが違うよね……。そんなに留守にしちゃっていいんだ、って。勉強遅れたりとかないのかな?」
「俺らの世界の勉強とはまた違うしな……」
基本的には神詠術の研鑽に重きを置いた学校だ。行った先でも合同で講義を受けるらしいとも聞いている。
「そのバルクフォルトっていうのは、どんなとこなの?」
「いや、俺も話でしか知らんけど――」
バルクフォルト帝国。人口は二十六万人、レインディールに次ぐ規模を誇る西側の大国にしてお隣さん。最高指導者の呼称は皇帝で、現在はヴォルカティウス帝という人物によって治められているという。
所属する『ペンタ』は六名。最強騎士として知られるレヴィンの他は、全員が戦闘外の分野で活躍する賢人らしい。
レインディールとは古くから親交があり、文化や生活様式も似通っている。訪れた経験があるベルグレッテや学院長曰く、異国感は薄いとのこと。
大陸西端に位置するゆえ海に面しており、遠洋漁業や造船業が盛んだという。
国民性は陽気で酒好きが多く、来客を厚く持て成す。
文化的な背景としては、闘技場が古くからの娯楽として栄えているとのこと。
「なーんか話聞いてるとさ、学院長がやたら魚がうまいとかって言ってたんだよ。これ、あの人が海鮮食いたくて企画した説あると思うぞ」
「あはは、いくら何でもそんな……」
「まあでも……確かにこっち来てから、海の幸って食ってないんだよなー」
レインディールには海がない。食用魚などに関しては、川や湖由来のものが全てとなる。
「ん、まぁ話聞いてると行ってみたくなるかも……。……でも、やっぱり怖いよね。参加も、なんか自己責任? みたいな感じなんでしょ?」
参戦権の行使を前提とした参加。仮に万が一があっても学院側は一切を負わない。ゆえに行くかどうかの判断は個々に委ねる。
楽しげな企画でありながら、やはり根底にはこの異世界ならではの厳しさが垣間見える。
「てか……そんなんで、みんな普通に参加するの?」
「ああ。ベル子のクラスなんて余裕で全員参加、もう今から楽しみすぎてお祭り騒ぎらしいぞ。ウェウェイのウェーイよ」
「えぇ……」
活発で陽気で積極的、ついでに血の気も多いレインディール人たち。この程度で臆するなら、そもそもこんな人里離れた自然の中の学院に通ったりすまい。
「つか自己責任とかっていうと身構えるかもだけど、例えば格闘技の試合とかだって事前に書かされるからな。そういう誓約書みたいの。それと同じみたいなもんだよ」
「格闘技の試合なんて出たことないもん……」
「いやまあ……それに学院は責任負わんとはいうけど、んでも学院長が同行するからな。だからみんな安心してるってのもあるだろうし」
「……そうなの?」
「あの人、腐っても『ペンタ』だし……さすがに悪趣味な幻覚見せるだけが能じゃないっつーか、戦闘能力はこの国ん中でもトップクラスだからな」
「そうなんだ……。見かけによらないね」
「それにやっぱ、こんだけの大人数でヨソの国に行く、なんてこの世界じゃ普通考えられんことだからなあ。マジ前代未聞のイベントよ。娯楽とかも少ないし、みんなテンション上がるのも無理ないと思うぞ」
学院長の非凡な感性と根回しがあって実現した、前例のない催し。
大勢の仲間たちと旅、それも国外へ。そんな未知の体験が待っているとなれば、誰しもが期待を抱かずにはいられまい。
「あとあれだ。海が見れる、ってのもデカそうだな。ほとんどみんな、見たことないらしいから」
「あー、海かー。去年の秋に行ったなぁ。七菜たちと多須行ったついでに、せっかくだからそのまま群大まで遠征してみようって話になって。そうそう、その時写真も撮ったし」
懐かしげに言った彩花が、フリルスカートの大きなポケットからスマホを取り出す。使えなくても持ち歩いているらしい。
「ほら。郡大の海」
ずい、と画面を見せてくる。
海原を背に、砂浜でポーズを決める彩花やその友人たち。流護も見覚えある、今や懐かしくも感じる顔ぶれ。どれだけ撮ったのか、当時の楽しさを閉じ込めたそれらが、彩花の指先操作に従って次々と画面に映し出される。
「ふーん……」
「なによ?」
「彩花さあ。お前これ、何でいっつも同じ角度で写ってんだ?」
「っ、は? そんなことないし。たまたまだし」
「いや、同じだが。あとなんか、口元が毎回同じで不自然に引き締められてるっていうか……あっ」
「な、なによ」
「この角度と表情に自信がおありってことですか。これお前、自分が一番可愛く写る瞬間と思ってんのな。……ふっ。無駄な努力、ご苦労様っす」
「うっさいうっさい! 鼻で笑うな! 違うって言ってんじゃん!」
生暖かい目で真実を伝えてやると、彩花は顔を赤く染めて反論した。
そんな彼女が恥ずかしさをごまかすように連続で画像を切り替えていくと、
「……あ」
その写真が表示される。
友人と海に行った一連のものではない。背景は紅葉の美しい山々。写っている人物は、彩花と――その両親。
「…………」
一瞬の間。少しずつ、彩花の瞳に涙が溜まっていく。
「よーしよしよし、どうどうどう……!」
「んもー、小さな子あやすみたいにしないでよ……! 泣いてないもん……!」
ポケットからハンカチを取り出した彩花が、自分の目元をこしこしと拭う。
「……はーあ。これ、去年の秋の連休に鶴田行った時のやつだ。親戚も一緒でさ。これは従姉妹が撮ってくれたんだけど」
「いいじゃんいいじゃん、楽しそうじゃん」
まさに幸せな家族の見本のような一枚だ。
「このあと、三人でロープウェイに乗ったんだけど……ちょっとしたことで、お父さんとお母さんがケンカしてさ。空気最悪だったなぁ……」
「よっしゃ、修学旅行でええ思い出いっぱい作るぞおら! ミアのことも好きなだけ撫で回していいから! 特別に許す! お前のテクニシャンヌな腕前で例のパークのカピバラみたいにしていいから! な! な!」
「……ふふっ。元気づけてくれてるんだ、それ。てか、やっぱ私も行くの?」
「いや置いてけないだろ。一ヶ月半だぞ。また変な奴来たらどうすんだ。無理にでも連れてって意地でも守るから安心しろ」
「……ふふっ。わけわかんないんですけど~?」
そうして、幼なじみを笑顔にすることに全力を費やした夕刻が終わっていった。




