576. 見据える未来
「この企画……『修学旅行』については、以前から考えておられたのですか?」
昼休み、静かな学院長室にて。
ベルグレッテのそんな問いかけを受けて、ソファに腰を下ろした部屋の主ことナスタディオ学院長が右手で反対側の肩を叩きながら頷いた。
「そうよー。もう、去年からずっと。そうこうしてたらアンタらが原初の溟渤の遠征を成功させて、こりゃ行けるって確信したわ。生徒たちの大人数の移動も不可能じゃない、ってね」
街から街への移動ですら命懸けとされる世界。
その常識で考えたなら、少年少女を中心としたおよそ百名による『修学旅行』がどれほど異質な行いであることか。
しかし、自分たちのかつての遠征がその後押しになっていたと。
「街道の安全性も、昔に比べたら高くはなってるしね。これを機に、少しでも移動や旅を容易なものに変えていきたいのよね」
つまり、ハードルを下げたいということだろう。
「世には、一つの街から出ないまま一生を終える人も少なからずいる。各地を渡り歩いてきたアタシからしてみれば、本当に勿体ないことだわ。だから少しでも、旅を身近なものにしたいのよ」
目いっぱい伸びをした学院長が、ぐでっと力を抜いてソファに身を預ける。
「覚えてる? レノーレの一件で、アンタらがバダルノイスに行く前に言ったこと。常識が変わるような、ビックリする催しを考えてる、って。レノーレの驚いた顔が見たいから、あの子のこと絶対に連れて帰ってきなさい、って」
「あ……!」
流護としては逐一覚えているはずもなく「そんなん言いましたっけ?」といった感じだが、ベルグレッテには思い当たる節があったらしい。さすがの記憶力である。
「で、レノーレの顔はどうだったんすか? 驚いてたんすか?」
言われてみれば人ごみで確認できなかった流護が尋ねる。
「……いつも通りだったわ。何なのあの子、何したら驚くのよ……」
「あ。それについては、とても斬新な企画で非常に驚いた、と言っていました」
「ならちょっとは驚いた顔しろ、って言っといてくれる?」
不満げに手元のコーヒーを口へ運んだ学院長が、やや間を置いてこう呟いた。
「十一人。何の人数か分かる?」
「……? いえ……」
さしものベルグレッテとて、それだけでは見当もつくまい。もちろん流護もさっぱりである。もったいぶるでもなく、学院長が答えを明かした。
「昨年この学院を卒業していった子たちの、現時点での死者数よ。四年間に渡るここでの生活を終えて、新進気鋭の詠術士として巣立っていって……そして既にもう二度と、その顔を見ることができない子たちの数」
ベルグレッテ、そして流護も絶句する。
「およそ一年で、その年の卒業生の十分の一弱が命を散らしている。詳しい人数を調べたのはこれが初めてだけど、おそらく他の年もそう変わらないでしょうね。……そしてきっと、今年……これからも。実際のところ、学院の卒業生は何の下地もない者より優秀だって評判で、どの分野でも引く手数多とは言われるんだけど……それゆえに、身の丈に合わない危険な仕事を受けてしまう子も多い」
小さな溜息を挟み、学院長は持論を展開する。
「魂心力の保有量が人より優れていると認められてここの門を潜り、衣食住と安全の保証された環境で四年間に渡って神詠術の修行に打ち込んで……油断や過信が生まれてしまう傾向があることも否定はできない」
一理あるのかもしれない。
学院生はいわば『選ばれし者』だ。高い素養を秘めた、未来に名を残すかもしれない詠術士の雛鳥たち。
恵まれた力を持って生まれたことに加え、安全な壁の内側で研鑽を続けることで思い違いをしてしまう。自分は優れた人間、特別な存在だ……と。
しかし、このグリムクロウズと呼ばれる世界は無情である。
無法者、賊、猛獣、そして怨魔……ありとあらゆる外敵が存在し、そして詠術士も結局はただの人。
いかに優秀な術者とて、持たざる者の凶刃ひとつで斃れてしまう。
かつて奴隷開放を謳い精力的に活動したと伝わる古の聖人ディアレーも、まさに高名な詠術士でありながらそうした末路をたどった一人。
まして昨今、詠術士とそうでない者の力関係を容易にひっくり返しかねないハンドショットといった武器が出回り始めている。
今年もまた、新たな卒業生が巣立っていったばかり。
そのうちの幾人かが、来年の今頃までには命を散らしてしまっているかもしれない……。
「だから、ここいらで一つテコ入れというか、気合を入れてもらおうと思ってねー。アンタたちには同じ道を歩む者と交流して、高め合ってもらえる機会を設けたいと思って。同好の士と交わって、損することってないじゃない。視野も広がるし、自分の程度も分かるし、人脈も広がるし、やる気も出るし」
「なるほどなあ」
流護にとっても頷ける話だった。
例えば先のバダルノイスにおいて、メルティナが人体急所に精通していることを知って、同好の士と出会えたかのようなシンパシーを覚えた。
あのシステマ使いメルコーシアとの対峙では、まさに格闘家としての『自分の程度』を認識させられた。
そうした経験は、間違いなく流護にとっても糧となっている。
「学院長も、色々考えてるんすね」
「アラ。普段何も考えてないとでも言いたげじゃな~い?」
「んなことないっす、んなことないっす」
慌てて視線を逸らす。幻覚を仕掛けられてはたまらない。
「まあ、さ。何より、悲しいじゃない。巣立っていった子らの十人に一人が、もう二度と会えないだなんて。こちとら、数年後の卒業生にバッタリ出会って、『おっ、立派になったなこの~』って言ってやるのを楽しみにしてるのにさ?」
「…………そう、ですね」
ベルグレッテが小さく同意した。
想像してしまったのだろう。今を楽しく過ごしている仲間たち。そのうちの誰かが、近い将来もし同じ末路をたどってしまったら、と。
(……いや、他人事じゃないよな……)
もしかすれば、ベルグレッテ自身が。
何しろ、リリアーヌ姫を命懸けで守護する役目に就こうというのだ。決して安全ではありえない。
学院生でない流護だってそうだ。遊撃兵という危険な仕事。なろうとした流護に対し、あのクレアリアも当初は賛同しなかったほどの。
(…………)
そんなやり取りもそこそこに、居住まいを正した学院長が遊撃兵を見据えた。
「……と、いうワケでリューゴくん。この修学旅行に、皆の護衛役として同行をお願いするわ。元々、王城関係者にも話を通して計画してたことだから、すでに陛下も知ってるし。遊撃兵として一度は友好国であるバルクフォルトを訪れておくのもいいと思うし、すっかり遠征も慣れっこだろうし。お魚もおいしいわよ。生で食べられちゃうわよ。まぁ断わる理由もないわよね?」
企画当初から、流護の同行は前提だったのだろう。そんな学院長の依頼というよりは確認に対し、
「……いや、それなんすけど……学院長も一応聞いてるかもしんないすけど……ちょっと前に、彩花がオルケスターの奴に狙われたんすよ。次の襲撃がないとも限らない状況で、あいつを置いて一ヶ月半も留守にするのは無理です」
流護ははっきりと言い切った。仕事の依頼であるうえ、その概要や目的にも異論はない。できることなら協力したいし、自分の意思としても行ってみたい思いがあるのはやまやまだが、こればかりは――
「そ。じゃあ、彼女も連れてけばいいじゃない」
「ええ。だから今回、俺は……ん? 何て?」
「いやだから、アヤカちゃんも連れてっていいわよ」
いいのかよ。
深刻な顔で答えたのが馬鹿みたいだった。
「そもそも三年生がこぞって留守にするから、その分だけ食堂の仕事も減って暇になるでしょ? なら、ちょうどいいじゃない」
まあ、学院長らしいといえばそうなのだろう。よく言えば柔軟、悪く言えばいい加減である。無論、流護としてはそれでいいのであれば助かることは確かなのだが。
「そうそう、オルケスターといえばね。何だっけ……ガーラルド・ヴァルツマン? メルティナ・スノウに対してそう名乗った男がいた、って話だったけど。ちょこっと面白い話を聞いたのよ」
「面白い話……ですか?」
ベルグレッテの反芻に意味深な笑みを返し、学院長が続ける。
「バルクフォルトを根城に活動する、ダスティ・ダスクって傭兵団がいるらしいんだけどね。そこの頭領の名前が、ガーラルド・ヴァルツマンだっていうのよね」
「!?」
流護とベルグレッテが同時に反応した。
「接触してみる価値あるでしょ?」
価値あり、どころではない。どう考えたってジャストミートではないか。
「な、何すかそのとんでもねー情報……! 何で黙ってたんすか……!」
「いや、アタシもつい先日聞いた話だし。それに教えたところで、すぐさま西に飛んでくってワケにもいかないでしょ」
「そ、それはそうかもっすけど」
「ってワケで、オルケスターの情報を得るためにも無駄じゃないと思うわよ。今回の『修学旅行』はね」
流護、ベルグレッテともに沈黙する。
……行かない理由がなくなった。むしろ、行かなければいけないほどだ。
「それにホラ。ベルグレッテとしちゃ、ちょっと久しぶりだし……ワクワクしちゃうでしょ」
何度目となるか、学院長の意味深な笑顔。
「……、……ええ。はい。そう、ですね」
胸に手を当てたベルグレッテの、穏やかな返答。
(! その顔やん!)
それは、朝会の場でも垣間見せた表情だ。恋する乙女のような。
「…………何だよベル子。どうかしたんか?」
流護としては面白くない。
「ああ、ごめんなさい。そういえば、リューゴに話したことはあったかしら」
ハッとしたベルグレッテが目を細める。どこか、懐かしげに。
「一年生のとき……私たちの学級には、もう一人級友がいたの」
「え?」
「私と同じロイヤルガード候補の家の女の子で、いつも明るくて、自信家で……」
ちょっと予想外の話が始まり、少年は目を丸くした。
「明るくて自信家~? 物は言いようねぇ~。あれは高飛車で傲慢、って言うのよ」
「そ、そんな! たしかに素直ではないですし、語気が強いのでみんなにも誤解されがちですけど……根は優しい子なんです。それで、一家の都合でしばらくバルクフォルトへ移住することになって、あの子も一緒に……。今は、まさに交流予定であるリズインティ学院に通っているの。久しぶりに会えると思ったら、嬉しくなっちゃって……」
「へ、へー。そうだったんか……」
女子のようだし、どうやら勘違いだったらしい。的外れな嫉妬をするところだった。
ひとまず安堵していると、学院長が言い添える。
「そうねぇ。あの子は、一言で言えば……ベルグレッテの好敵手、と呼べる存在かしら」
「へえー……。ベル子の……」
まさかそんな人物がいたとは興味深い。
「彼女はすぐバルクフォルトに行っちゃったからね、この学院では一年時に何回か順位公表を経験しただけだけど……確か、全ての結果で七位だったわね。ベルグレッテが六位。でも、ほとんど僅差だったはずよ」
「はい。いずれも、順位が入れ替わっていてもおかしくない結果でした」
「へー、すごいじゃん」
何となく、ベルグレッテが(『ペンタ』除く)不動のトップだとばかり思っていた。それほど競り合った相手がいたとは初耳だ。
「その人、なんて名前なん?」
流護が尋ねると、ベルグレッテは自分のことのように誇らしげに。
「――マリッセラ・アムト・ミーシェレッツ。しばらく会えてないし、今はお互い遠く離れて暮らしてるけど……志をともにした、大切な友人よ」
「あ。その名前、何回か聞いたことある気がするな……」
ミアかクレアリアか、それともエドヴィンだったか。日常会話で少し出てきた程度なので、詳しくは覚えていないが。
「そそ、ちなみにねー。マリッセラ、向こうの学院でずっと首席だそうよー」
「……!」
学院長が流し目で言うと、ベルグレッテが息をのんだ。その表情は――、笑顔だ。まさしく、「そうこなくちゃ」とでも言いたげな。
(ライバル、か。……ちょっと羨ましいな)
切磋琢磨するうえで、そういった存在がいるといないではやはり違う。
流護にとっては桐畑良造が該当しそうだが、厳密には異なる。どちらかといえばあの男は、乗り越えなければならない目標、壁だった。……それに、もう会うこともない。
とにかく先ほどの学院長の話では、生徒たちがそうしたライバル的存在を見出すことも、今回の修学旅行の主旨にあるようだ。確かに、自己を高めることに繋がるだろう。
「あ。あと、この修学旅行が終わり次第、マリセッラはそのままウチに帰還。ミディール学院に再所属する予定よ」
「! 本当ですか!」
ベルグレッテの表情は明るくなりっぱなしだ。
「それじゃ二人とも、修学旅行には参加で大丈夫そうね。良かったわ~。あんたら二人がダメだったらどうしよう、と思ってたのよ。せっかくお魚もおいしいのに。まっ、オルケスターの情報も得られそうだし。ディノにはまだ会えてないんでしょ?」
……まさに一瞬の変化である。
その名を耳にしたベルグレッテが、ご機嫌そうな様子から一転、眉を吊り上げたむくれ顔へと変わった。あからさまではないものの、かすかな……しかし確かな変化。
そんな隣の気配を気にしつつ、流護は頭を掻く。
「ま、まあ。そっすね。せっかく会いに行ってやったのに、どこ行ったんだか」
前触れなく現れて刺客を一蹴、結果的にダイゴスや彩花たちを救ったというディノだが、その後の足取りは掴めていない。
ちなみにあの男は一度学院長のところへ顔を出したようで、どうやらオルケスターの情報を欲しているらしかった。それが目的で学院にもやってきたのだろう。
自らが鎧袖一触にした相手がそのオルケスターの人員だったとはさすがに気付いていなかったようだ。
流護たちとしてもやはり、かの組織の情報は欲しいところ。
そのためレノーレに似顔絵を頼んだその足でディノに接触を図ろうとしたのだが、例の裏通りの宿を訪ねても留守だった。強面の主人によれば再び旅立った訳ではなく、その辺りをぶらついているらしい。
あの根無し草に接触するのであれば、一度学院長にアポを取ってもらうのが確実かもしれない。
「そうそう、それでねー。ディノの奴が会いに来た時にね、せっかくだから修学旅行に誘ってみたのよ」
「!?」
学院長の発言に、少年少女は全く同時の驚きを示す。
ディノを修学旅行に誘ってみた。
何だかすごい字面である。
「で、野郎の反応はどうだったんすか……?」
「鼻で笑われて終わったわ」
その様が目に浮かぶようだ。
「ま……まあ、そこで乗り気で参加されたら、それはそれでたまげるし……なあ、ベル子」
「なあに? 私の顔色を窺ったみたいに」
実際に窺ったのだが、ディノの話題が出るとこれである。
が、
「……でも、そうね。仮に規律を守れるなら、参加はありだと思うわ。あの男も学院生として在籍しているわけだし。ただ……」
ふう、と憂鬱そうな溜息をついて。
「あの男が一緒になったら、みんなが萎縮してしまうでしょうね。ミアなんか平静ではいられないでしょうし……。もっともそれ以前に、あの男が素直にみんなと協調して団体行動するとは思えないけど……」
「ンフフ。さすがはベルグレッテね。ディノ本人が、まさに同じようなことを言ってたわよ。『オレがオメーらと一緒にお行儀良く行動すると思うか?』『第一、他の連中が縮こまって話んなんねェだろ』って」
「むっ…………」
ディノと意見が合致して気に食わないらしい。少女騎士のむくれ度が増す。
「まっ、レインディールに帰ってきたら、アイツには一度本格的に連絡を取ってあげるわよ」
「あ。学院長、参加といえば……」
そこでベルグレッテがハッとして顔を上げる。
「同じく『ペンタ』であるリーフィアは、やはり……」
「そうねー。せっかくだから、連れてってあげたい気持ちはあるけど……」
二人が口ごもる理由は流護にも容易に察せられた。
一般生徒の『ペンタ』に対する認識は今さら説明するまでもない。
今しがたのディノの話と同じ。気弱で優しいリーフィアが相手でも、大半の生徒は彼女を忌避する。
「……残念です。分かってはいるのですが」
「しょうがねえか……。その分、土産いっぱい買って帰ってやろうぜ」
流護が下向く少女騎士を励ますと、学院長はさてさてと話をまとめにかかった。
「とにかくそういうワケだから――まずは修学旅行の成功に向けて、よろしくお願いするわよ。二人とも」




