575. 突飛なる催し
修練場には、総勢八十六名からなる新三年生が集まって整列していた。
他には若干名の教員と、それに交じってロック博士の姿。このような場に居合わせるのは珍しい。そして生徒でない流護は出入り口付近へ適当に立つ。
「みんな集めて学院長から話なんて、珍しいよね」
「なんの話なんだろう?」
生徒たちがざわざわする中、前方の演題に立ったナスタディオ学院長が通信術の波紋を広げて、おもむろに口を開いた。
『あーい、静かに静かにー』
皆の注目が集まるに比例して、場から声が消える。学院の長は満足げに頷いて、
『はいどーも、ナスタディオです。さて新三年生の生徒諸君、新学期を迎えて数日が経ったけれど……どうかしら? 真新しさは感じてる? 学院生活も折り返したけれど、だからこそ新鮮味も薄れてきてるんじゃないかしら。正直なところ、「三年生になったけど今までと変わんないな」なんて思ってる人も多いと思います』
四年生が卒業し、新しい一年生が入ってきた。学年がひとつ上がった。
しかし、言うなればその程度なのではないか。
クラス替えもないとのことなので、教室内の顔ぶれも同じ。
(確かに、あんま変わり映えしなそうだな)
勉強の内容については分からないが、生徒でない流護から見てもそんな印象は拭えない。
『皆さんご存じの通り、このミディール学院はレインディール唯一の神詠術専門校です。唯一、なんて言えば特別感があって聞こえはいいけれど、それは裏を返せば他に選択肢がないということ。切磋琢磨できる相手がいないということ。閉鎖的で、凝り固まった観念が生まれやすい環境であるともいえます』
にっ、と学院長の口紅を差した唇が意味深な笑みを象る。
『と、いうワケで。ここで一つ、新しい風を吹かせようと思いまして。皆さん知っての通り、アタシことナスタディオ・シグリスは才色兼備で完全無欠という人間の鑑なワケですが、この今の自分を形成するにあたり重要となったのは、大陸各地へ足を運んで得た知見や経験でした』
学院長は若い頃、色々な土地を転々とする身の上だったと聞いたことがある。今は今とて、大人しく学院にいる時間のほうが少ない多忙さだ。
『そこで本題。今回、皆さんにも異郷の地を訪れての学びを体験してもらいたいと思い、催しを企画したのです』
かすかなどよめき。胸を張った学院長が、高らかに語る。
『今月の二十日から――貴方たち新三年生には、西の隣国であるバルクフォルト帝国を訪れ、同国の神詠術専門校であるリズインティ学院の生徒たちと交流を図ってもらいます。期間は二週間ほどを予定。往復に掛かる時間も含め、一月半程度この学院を空けることになります』
いよいよざわめきが大きくなる。最後尾からその様子を見守る流護だが、生徒たちの顔に浮かぶのは困惑だ。遠目に見た限り、ベルグレッテやクレアリア、ミアたちも明らかに驚きを隠せない面持ちでいる。
かくいう流護自身も例外ではない。
(三年生みんなで、隣の国に……? それって……いや、マジか?)
生徒らの私語が無視できない規模に膨れ上がり、学院長がパンパンと手を叩く。
『はいはーい、静かに静かに! でもまぁ無理もないか、それじゃあちょっと質問を受け付けまーす。聞きたいことがある人は手を挙げてどうぞ』
言うや否や、我先にと言わんばかりの勢いで方々から手が伸びる。
『うわ多いな! えー……はい、それじゃあ一番すごい目付きで睨んでくるクレアリアさん!』
「……別に睨んでいませんが。新三年生でバルクフォルトを訪れる……と仰いましたが……よもや全員で、ですか? 九十名近いこの人数で?」
『ええ、そうなりまぁす』
「本気ですか? バルクフォルトまでは順調に行って片道およそ十二日。大半が街道ではありますが、確実に安全とは言い切れない道のりです。冒険者や隊商ですら命の保証がない行程を、学院生がこの大人数で……? 聞いたこともありません」
まさしくクレアリアの指摘通り。
この世界での『移動』は、原則として命懸けとなる。いつ襲い来るとも知れぬ無法者や猛獣、そして怨魔。何が起きるか分からない、法の加護が及ばぬ外の世界。
学院生の大半が十代の未熟な少年少女、それもおよそ九十名に及ぶ大人数。他国へ赴くなど、あまりに無謀と思える。
『そりゃ今回考えた企画なので、聞いたことはないでしょう。それで、よくよく考えてみればよ? 少なくともアナタたちは全員が、親元を離れてこの学院へとやってきている。命の保証がない、安全とは言い切れない街道を通ってね。多人数での移動に関しては、近いところでいえば原初の溟渤への遠征なんかで実績もあるし、むしろ安全面という観点では、人数が多いほど高まる。考えてみて? いくら相手が学院生とはいえ、百人近い集団を襲おうとする賊なんているかしら?』
一理ある。
賊や無法者は、弱い存在を標的にするのだ。
学院生は少年少女の集まりではあるものの、曲がりなりにも詠術士の卵。それが百人弱となれば立派な武力集団である。
元山賊のラルッツも言っていた。「腕の立ちそうな奴が十人もいれば襲わない」と。
『それに何より、言い出しっぺのアタシがちゃんと同行するから。猛獣怨魔、ファーヴナールが襲ってきても安心よん。ドンと来い。あと、頼れる護衛も連れてくつもりだし』
演台に立つナスタディオ学院長の視線が、明らかに最後尾の流護へと飛んできた。
(聞いてねえっすけど……)
目を逸らしつつ、内心で息をついた。まあ、後でオファーが来るのだろう。このために呼ばれたのだ。
「いえ、しかし……しかしですね……」
『何よー。無理に反対理由を探さなくてもいいんじゃない?』
「っ、無理に、という訳では……。しかし、あまりに突飛というか」
『突飛なことしないと、いつまで経っても凡庸の域を出られないわよ。それこそ今現在アルディア王が進めてる、魂心力結晶を用いた商品開発だってそう。そもそも例えば一年前、魂心力が目に見える形で存在するなんて誰も思わなかったでしょ? 常識の壁ってのは、突き破るためにあるのよん』
その壁を突き破って商品開発計画の中心にいるロック博士へと目を向けながら、学院の長は語る。
『あっと、訊かれる前に言っとくわね。もちろんクレアリアの言う通り、不測の危険は十分あり得る。ゆえにこの催しは、「参戦権」を行使したものとするわ。だから、絶対に参加しろとの強制はしない』
参戦権。
希望するならば、兵たちのかかわる戦闘に参加できる権。
秋になると一部地域でカテゴリーEの怨魔が大量発生するのだが、多忙な兵士たちの代わりに、学院生が校外実戦授業との名目でこれの駆除に借り出されることとなる。元はそのために設けられた権利だ。
授業の場合は別だが、これを行使して戦闘に参加した結果どうなろうと、それは自己責任。怨魔を相手取った場合などは回収した物品は自分のものとできるが、危険なうえ、それ以外に利点もほぼない。そのため、個人的に参戦権を使おうという酔狂な者は非常に少ない。
しかし昨年ミアがレドラックたちに連れ去られた折には、エドヴィンとレノーレ、ダイゴスが迷わずこの権利を行使して奪還作戦に駆けつけている。
『ま、これも修行の一環ね。安全の保障がない行路を無事進み切ることができるのか。卒業後に必要となる資質の一つじゃないかしら。どう? 突飛なようで、考えてるでしょ意外とー。そうそうちなみに、今回は最新鋭の馬車の走行試験も兼ねているの。バルクフォルトまで、順調にいけば片道十日前後を見込んでいるわ。思ったより早いでしょ』
「な……バルクフォルトまで、十日で……?」
『飽くまで予定、だけどね。他には? まだ粗探ししたい?』
「……粗探しだなんて、人聞きの悪い。分かりました。私は、もう何も言いません」
クレアリアが根負けしたようにむくれ、他の生徒たちの挙手が重なる。学院長もどんどん指名していく。
「本当に!? オラのようなエナガモンが、ヨソのお国に行けるんでげすか!?」
『おうよ! 行くべ行くべ!』
「あの、一月半……ということですけど……うち、病気の親が心配で……ここのところ、安息日にはいつも帰っていて……」
『んーそうね。そこは参加するか否か、きっちり状況を見極めてからにしましょう。私も相談に乗るわ。さっきも言ったけど、強制参加ではないから』
「バルクフォルトって、海が見えるっていいますけど! 海、見たことないんですけど!」
『見えるわよ! びっくりするわよ~。見渡す限り一面に、まっ平らな水が広がってるんだから。お魚とか生で食べられちゃうんだから。信じられないぐらい美味しいわよ!』
「質問いいですか。どうして三年生が対象なんですか?」
『そうね~、まず一年生は入ったばかりだからナシでしょ。二年生になれば多少こなれてきてはいるけど、まだ学院生活も折り返してないし。四年生となると、卒業が視野に入ってる忙しい時期だし……って考えると、三年生ならちょうど中間地点。詠術士としての修業もすっかり板について、かつ卒業まではしばらく時間もある。やるならこの時期、って感じかしら』
「移動の馬車とか、道中の宿泊とかはどうなりますか? あと、向こうに着いてからの泊まる場所などはどうなりますか?」
『えーっと……参加人数にもよるけど、一台二十五人が乗れる大型の高速馬車四台を手配する予定でいるわ。クルドネル規格の最新型よ。道中立ち寄る街でも、さすがに九十人規模で行動することはなかなか難しいので、そこは四つぐらいに班分けして動いてもらうことになるかしらね。あとバルクフォルトでの宿泊先は、使われてない砦を丸々ひとつ貸してもらえることになってるわ。広さとかは心配ないわよ』
「向こうの学院生と交流するって言いましたけど……あっちの参加者はどんな感じなんでしょうか」
『相手方は、リズインティ学院の三年生全員。人数はこちらと同じぐらい、およそ九十名になるわ』
「あ、あの! バルクフォルトってことは、レヴィン様に会えますか!?」
『あー。リズインティ学院にオトモダチがいてたまに顔を出すって話だし、何より前例のない催しだからねぇ。普通に挨拶がてら顔出しぐらいには来るんじゃないかしら』
学院長のその回答の直後、修練場が女生徒たちの黄色い悲鳴で塗り潰された。
「キャー! 行きます! 絶対行く!」
「死んでも行く!」
「ウソ! ホント!? ウソ!? 夢じゃないの!?」
「こんなのアリ!? 行かなかったら一生後悔するじゃん!」
(耳が! 耳が!)
思わず両耳を塞ぐ流護だった。何やら、女生徒たちは大半が参戦決定したらしい。
「チッ! うるせぇな女子どもめ……レヴィンがどんだけのモンだってんだよなぁ!?」
「いいじゃねえか! レインディールとバルクフォルトの学院生同士、どっちが上か決めてやろうじゃんかよ!」
ついでに男子も競争欲を刺激されている。
元々が陽気で積極性に溢れたレインディール人。このように変わったイベントがあれば尻込みはしないのかもしれない。
参戦権を行使……つまり参加が任意である以上、参加しないという生徒が多くなるようならこの企画そのものが頓挫してしまいそうだったが、それは無用な心配のようだ。
その後も質疑応答や確認がしばし続き、粗方意見が出尽くした頃だった。
『ふぃー、そろそろ訊きたいこともないでしょ? まだ何かあったら、後で個別に受けるから……あー疲れた……』
「あ、あの」
控えめに、遠慮がちに上がる手がひとつ。
『ひー。何よー、何が聞きたいの、ベルグレッテ』
そう。その主は前方の列に並んでいる、おなじみ少女騎士。
「いえ。その、交流対象がリズインティ学院の三年生……と、いうことは……」
彼女のその呟きだけで、学院長は言いたいことを察したらしい。ニッと意味深な笑みを浮かべて。
『ええ。会えるわよ。久しぶりにね』
その言葉を聞いたベルグレッテの表情に、満面の花が咲く。そうとしか表現できない、心からの笑顔。
一方、その傍らでやや表情を渋くするのはクレアリア、そしてミアだった。
「……そうでした。『あの人』がいるんでしたね、バルクフォルトには……」
溜息交じりに呻くクレアリアと、
「うー! ベルちゃん! あたしだけを見てー!」
不満そうにぴょこんと腕へ飛びつくミア。
しかしベルグレッテはといえば、ミアの頭を撫でつつもその視線は落ち着かない様子。
期待。戸惑い。そして歓喜。そういった感情が内包された表情。
……まるで、恋する乙女のような。
(オイオイオイ、何だよベル子その顔は!?)
そもそもの目的地、バルクフォルト帝国とは。流護も幾度か聞いたことがある、西の隣国の名称だ。
海に面した大陸西端の地で、レインディールに次ぐ大国にして友好国と聞く。
(あっ!?)
そこで思い当たる。先ほど、女生徒たちの話題にも出ていたではないか。
その隣国にて名を轟かせる西の『ペンタ』、騎士隊長レヴィン・レイフィールド。品行方正、眉目秀麗、若干十三の身で天轟闘宴を制した実績を持つ最強の騎士。
レインディールのラティアス、レフェのドゥエン、そしてバルクフォルトのレヴィン。横並び三大国にてそれぞれ最強と名高い彼らを、民衆は『迅雷の三騎士』と呼ぶ。
学院はおろか女性兵士にも多数のファンが存在し、そして確か、貴族騎士繋がりでベルグレッテとも親交があったはず。
(も、もしかして! そのレヴィンとかってのに会えるかもしれないからそんな顔してんの!?)
であれば、クレアリアとミアの苦い反応にも納得がいく。
(ク、クキー! お、俺というものがありながら!?)
ハンカチを噛みたい流護だった。
(いや待て? でも、俺とベル子って……)
そもそも、付き合ってはいない。
まさしく、つかず離れずといった関係。一度だけキスはしたものの、それから全く何もなく……。
そもそも、本人からはっきりと言われている。「お付き合いはできない」と。
(で、でもその理由は、ベル子がロイヤルガードとして修業中の身だからであってぇ……他に好きな奴がいるとかじゃないはずでぇ……落ち着け、落ち着け俺……)
少年が自己暗示をかける間にも、演台上の学院長が場をまとめにかかる。
『……と、いうワケで以上! 詳細については、また各々の担任から説明してもらいます。何分初の試みですので、その他不明点や参加の可否など諸々、アタシの方でも相談は受け付けています。しばらくは学院にいるので、いつでもどうぞ~。はい、終わり!』
そう言い結んで壇から降りようとした学院長が、「あ」と足を止める。
『そうそう、大事なことを言い忘れてました。この話は、そこにおいでのロック博士にかなり監修してもらいまして』
生徒らの視線が、教員に交じって立つその『変わり者』に集まる。当人は、苦笑しつつ軽く頭を下げた。
(……ああ、それで博士が来てたのか)
なぜこの場に参加しているのか疑問だったが、そういった裏事情があったらしい。
『それで、この催しについても博士から命名いただきました。名付けて――――修学旅行、と』