574. 光の洗礼
「ふぁ~……めんどいんだよな、朝っぱらから」
校舎へ向かって移動する道すがら、流護があくびと同時に心からの本音であろう言葉を口にする。
「もう、大口開けちゃって……しっかりしなさいってば」
すぐ隣を歩く彩花は、だらしない幼なじみをいつものように窘めた。
翠緑の月、七日。
新学期を迎えて早々、この学院の最高責任者から新三年生に対して話があるとのことで、生徒らに加えて流護も立ち会うよう要請があったのだとか。
ちなみに彩花は生徒でも兵士でもないので関係ないが、食堂へ仕事に向かうついで一緒に出てきたのだった。
集合場所は修練場。ようは体育館である。
遠目に、ちらほらと同じ目的地へ向かうであろう生徒の姿も散見された。
「つーか、わざわざ皆集めて何の話なんだかな」
この学院の長――ナスタディオ学院長と呼ばれるその人物は実に多忙だそうで、学院にいることも珍しければこのように生徒を集めることも稀らしい。
「どんな人なの? 学院長さんって」
未だ面識のない彩花は、当然な疑問を呈してみる。
「ん~……そうだな……」
がりがりと億劫げに頭を掻いた少年は、
「って!? げっ……」
そのままの姿勢で硬直、ついでに立ち止まった。
「? 何、どうしたの?」
彩花は、前方に固定された彼の視線を追う。
「お? おぉうアラアラアラ、リューゴくんじゃないの~」
ひょこんと先の廊下の角から現れたのは、白衣姿の金髪美女だった。
年齢は二十代半ばほどだろうか。ブロンドに輝くウェーブの長い髪の毛が目に眩しい、真紅の口紅をさした大人の色香溢れる女性。艶やかでありながら、メガネをかけたその面立ちからは知的な雰囲気が感じられた。
そんな彼女はヒールの底をかつかつと鳴らしながら、ご機嫌な様子でこちらへとやってくる。歩き方もセクシーというか、どこか優雅でモデル的だ。
(……流護の知り合い? 保険の先生とか? 色気たっぷりお姉さんって感じだけど、こういう派手な人は流護のタイプじゃなさそう……)
彩花が胸中でそんな寸評をしたためていると、
「おい彩花、これから俺が言うことをよく聞け。緊急事態だ」
流護は近づいてくる女性に目をやりながら、そんなことを密かに囁く。
「へ? 何? そんなガチトーンで」
「いいか、『絶対にあの人と目を合わせるな』――」
「やあやあ、おはよう若人諸君!」
被せるように、ずいっとその女性が眼前にやってきた。
いや、目を合わせるなと言われても。全く見ないのも失礼では?
そう考えながらペコリと小さくお辞儀する彩花に対し、謎の美女は満面の笑顔を向けてくる。
「おっ、『眠り姫』アヤカちゃんか! 寝顔は何度か見させてもらったけど、ホントに起きてるのねー。どもども、アタシはここの学院長を務める、ナスタディオ・シグリス十七歳よん」
「あ! 学院長さん!? 十七歳!?」
驚いて、思わず本人と流護を見比べる。
「いや十七の訳ねえだろ……どう見たって……」
呻く流護と、
「え? もっと若く見える? 参ったわー。若すぎて、参ったわー」
おどける金髪美女。
なるほど、噂の学院長はこういうキャラらしい。
「えっと、蓮城彩花です。生徒ではないですけど……雑用のお仕事で、この学院に住まわせてもらってます……」
「おおー。礼儀正しくていい子じゃないの~。うんうん」
何やら満足げなナスタディオ学院長。
……こうして面と向かって挨拶を交わしていれば、無理もない話で。
必然、彼女と視線が合わさった。
メガネの奥から覗く、キリリとした鳶色の切れ長な瞳。やはり美人だ。しかしまさか、学院長がこんなに若い人だとは思わなかった。十七ではないにしても、高く見積もって二十代後半ぐらいだろうか。
「どう? この学院での生活は。少しは慣れたかしら?」
「あ、はい。おかげさまで……」
「ンフフ、なら良かったわ~。自分の家だと思って、気兼ねなく過ごして頂戴ね。分からないこととかあったら、ベルグレッテに訊けばいいし」
「自分に訊け、とは言わないんすね……」
「はっはっは。いやー多分あの子のほうが、アタシより詳しいでしょ」
と、学院長が優雅に踵を返す。
「それじゃもうすぐ時間だから、リューゴくんは修練場に入っといてね」
「了解っす」
忙しなく、白衣の裾を翻した彼女が遠ざかっていく。その後ろ姿を眺めつつ、彩花は尋ねた。
「…………ねえ、流護。何だったの? 目を合わせるな、っていうのは……」
合わせたからといって、別に何もなかった。そもそも、気さくでいい人そうだった。
「……流護? ねえってば」
幼なじみの顔を覗き込む。
「なあ、彩花」
この上なく真剣な顔だった。
その表情で、彼は口にする。
「彩花。好きだ」
時間が止まった。
少なくとも、蓮城彩花の中では。
少女が硬直する間にも、少年は時を刻んでいく。
「なあ、彩花。俺と結婚しないか?」
アホみたいに真面目な顔で。
「は? え、え? り、り、りゅう、流護?」
思わず後ずさると、幼なじみはその分だけズイと詰めてくる。
「もう付かず離れずの関係は終わりにしよう。俺は、お前と一緒になりたい。子供を作りたい」
「いっしょ……こどっ!? は!? な、何言ってんのこの人!? ちょっ、だ、誰か! 流護が変!」
助けを求めて辺りを見回すも、おかしい。
つい今しがたまで修練場に向かう生徒たちの姿がちらほらあったのに、今は人っ子一人いない。
「俺、ずっとお前のことが好きだったんだよ」
迫真の表情。からかっているといった風ではない。
「いやいやいや! おかしいでしょ!?」
「覚えてるか? 子供の頃、結婚の約束したろ。ほら、遊びに出かけた帰り道、二人で馬車に乗ってる時にさ……」
「いや、いやいやい……、? ……馬車?」
確かに子供の頃は、よく二人で遊びに行った。……結婚の約束だって、した。
だが――馬車なんて、乗るはずがない。この異世界ではともかく、現代日本にいてそんなものを利用する機会などまずありえない。そういったテーマパーク系にも行っていない。
何か変だ。
そもそも、有海流護は冗談でもこんなことをする人間ではない――
彩花がそう察すると同時、
「……おい、彩花!」
流護に肩を掴まれ、前後に揺さぶられている自分に気付く。
「彩花、しっかりしろって……!」
先ほどまでの、妙に真顔で頭のおかしいことばかり言ってきた彼ではない。
「っ、え、え!? なっ、何……?」
訳も分からずキョロキョロすると、向こうの渡り廊下に他の生徒らの姿が確認できた。つい数瞬前、誰もいなかったとは思えないほど。
「……正気に戻ったか、彩花」
「し、正気って!? それはこっちのセリフですけど!?」
引き気味にえび反りながら言うと、
「……やっぱそうか。やりやがったな、学院長……」
ちっと舌を打った流護が、少し前にナスタディオ学院長が消えていった廊下の先を睨む。
「……事前に説明しときゃよかったな……。いいか彩花、ナスタディオ学院長は幻覚の使い手でさ。人にタチの悪い幻覚見せて喜ぶ、性格の悪い人なんだよ」
「げっ……幻覚……!?」
「目を合わせた相手に発動できるんだ。明らかにお前の様子がおかしくなったから、こりゃやられたと思ってな……」
「……うそ、私が、見てたの……? あれが……幻覚……?」
あまりに鮮明だった。
しかし確かに、流護の発言におかしな部分があった。……まあ発言どころか、行動そのものがアレだったが。
「大丈夫だったか? 何を見せられた?」
「へ!? なに、って……」
肩を掴んで見つめてくる流護の真顔が、さっきの告白の場面と重なる。
「な、何でもないから! 大丈夫!」
振り払うように、よろめきながら後ずさる。
「マジで大丈夫か? 相当リアルだったろ」
「リアルっていうか……、なんていうか……」
映像だけでいえば、あれが幻だなんてとても信じられない。
「まあ、気をしっかり持て。何見せられたか知らんが、それは幻覚だ。現実じゃないから……百パーありえんことだから、絶対にないから、安心しろ」
「………………」
「? どうした?」
「何でもないもんっ」
なんか腹立つ。
「は!? 何で急に不機嫌に!?」
……しかし、とんでもないのはナスタディオ学院長だ。
友好的に接してきながら、なぜいきなりこんなことを……。
「……何? 私、あの人に嫌われてる……?」
「いや、洗礼って感じだから気にすんな。もうさ、ああいう人なんだよ……。俺も初対面でやられてる」
「……あんたも? 何を見せられたの?」
「殺されたよ。めちゃくちゃ生々しくて、普通に死んだと思った」
「えぇ!?」
再び修練場へ向かいながら、会話に花を咲かせる。
(…………)
確かに学院長はとんでもない人だ。
……しかし、今はそれよりも。
(……はぁ)
少しだけ胸に残る何かが、チクリと痛んだ。
幻覚といえど、真剣に告白してきた流護の顔。確かに冷静に思い返してみれば、いきなり子供を作りたいだとか頭がおかしい。
……けれど。
将来、あんな風に流護のプロポーズを受けるのは誰なのだろう。
そこで多分ベルグレッテだ、と思うほど彩花は無垢ではない。お互いまだ十六歳、住む世界も違う。二人が最後まで続くと迷わず考えるほど子供ではない。
ただ……きっといずれ、流護は誰かに対してあの光景を現実のものとする。
……自分以外の、誰かに。
それが、
(……ちょっとだけ、やだなー……なんて)
そんな風に考えてしまう自分が、やっぱりちょっとだけ嫌だった。