566. 紐解く謎
風花の月、二十三日。
何事もなかったダーミーとの共同任務を終えて学院に戻った流護とベルグレッテを待ち受けていたのは、予想外だにしないふたつの出来事だった。
ひとつは、彩花が狙われたこと。
そしてもうひとつは、ディノが学院に現れたこと。
しかも、かの『ペンタ』がやってきたことで彩花やミアたちは間一髪難を逃れたというのだから、世の中とは何が起きるか分からない。冷や汗ものだ。
して時間は夕方 、場所は流護の部屋。
ひとまず今回の件についての情報をまとめるため、流護、ベルグレッテ、彩花、ミア、ダイゴスの五人が集まり向かい合っていた。
「で、お前はマジ何ともないんだよな……?」
「ん……だいじょぶだってば」
ソファに腰を落ち着けた流護が改めて確認すると、隣の彩花は苦笑しながら受け答えた。強がっている風でもない。
(……現実離れしすぎてて、実感がねえんだろな)
何だかんだで異世界慣れした少年としては、経験からそのように分析する。
自分を狙った刺客がやってくるなど、現代日本にいればまず考えられないことだ。
唐突に始まったダイゴスと殺し屋の神詠術による攻防も、彩花の素人目に追えるものではなかったはず。
加えて、ディノが敵を文字通り『消し去って』しまったことも、偶然ながらプラスに作用した。凄惨な死体を目の当たりにせず済んだため、未だ現実感が希薄なのだ。
「いや、むしろ何がどうなってんのかよく分かってないんですけど……」
戸惑いがちなその言葉こそが、まさしく今の彩花の率直な感想なのだろう。
彼女の無事はもちろん、精神的なダメージも気がかりだった流護としては、ひとまず安堵するばかりだった。
「ま、それならそれでいい。……ダイゴス、サンキュな」
部屋の片隅で胡座をかく巨漢に礼を述べる。
もし彼までもが不在だったなら、この幼なじみはどうなっていたか。想像すらしたくないところだ。
しかしそのダイゴスはといえば、
「……いや、ワシの力は及ばんかった。仮に『奴』が現れなんだら、最悪の事態は免れぬところじゃったろう」
いつもの不敵な笑みではない、珍しくも渋い表情。
そんな呟きを受けて、流護もしみじみと口にする。
「……ディノの野郎、か。へっ、生きてやがったな、やっぱ」
そらそうだ、と少年は改めてほくそ笑む。
そう簡単に死ぬ訳がないのだ。あの化物じみた男が。
(何がナインテイル? とかいうのに殺られただよ。アホか)
キンゾルのあの得意げな顔を思い返すだに馬鹿らしい。
仮にキンゾルとの遭遇よりディノの帰還のほうが早かったなら、随分と間抜けな話になっていたところだ。
もっとも、あの場でのあの発言は、虚を作り出して意表を突くことが狙いだったのだろう。事実、流護は不本意ながらも妄言に引っ掛かってまんまと隙を晒した。何よりキンゾル自身、伝聞していたような口ぶりだった。ディノが死んだとの話だけ耳にし、実際に信じていた可能性もある。
と、そこで彩花が気遣わしげに隣の少女を見やる。
「……ミアちゃん、大丈夫?」
「うん、平気だよ!」
ふすん、とハムスター娘は気丈に頷いていた。
今回の件を受けて一通り、彩花にも説明は済ませている。ディノ・ゲイルローエンという『ペンタ』について。そして、それにまつわる過去の因縁について。
ミアにしてみれば、あの男はかつて自分を誘拐・監禁した張本人。事件が切っ掛けとなり、しばらく一人で眠れない夜も続いたほどだ。恐怖の象徴に違いない。終わったこととはいえ、そう簡単に割り切れない部分があるに決まっている。
「つかあいつ、学院長に会いに来たんだっけ? で、いなかったからそのままトンボ帰りしてったと」
「うむ」
馬車でいきなりやってくるも、目的の学院長は不在。そのためすぐに帰りの馬車を呼んで、やってくるまでの小一時間ほどを学院内でのんびり過ごしていたらしい。
ちなみにその間、居合わせた生徒たちは生きた心地がしなかったようだ。まあ無理もない。
「ったく。相変わらず好き勝手やってんなぁ、あの野郎」
「リューゴ、なんだか声が弾んでるわね」
唐突に横合いから差し込まれたのは、ベルグレッテのそんな言葉だった。
顔を向ければ、向かいの彼女がややジト目でこちらを見つめてきている。
「え? 俺の声が? 何?」
流護としては特にそんなつもりもなかったため素で尋ねるも、少女騎士は「べつに」と少し不満げにむくれてしまう。彩花に負けず劣らず、彼女もたまに難しい。
「もちろん……あの男がやってきたおかげで、みんなが事なきを得たのは喜ばしいことだけど……。相も変わらず、身勝手がすぎるわ。ロック博士の検診には応じないくせに、自分の用事があるときだけやってきて。悪目立ちして、皆に無用な不安を与えて……」
委員長気質なベルグレッテとしては、やはりディノの立ち振る舞いに納得できかねるところがあるようだった。何しろ、唯我独尊ぶりはエドヴィンの比ではない。
「ま、とにかく近いうち一回会いに行かんとだな。あの野郎に」
「……そうね」
ディノはオルケスターと接触、そして敵対している。話を聞けば、貴重な情報が得られるかもしれない。
「して、そのディノが言うておった。これは偶然か、と」
ダイゴスの言で、場が静まる。
流護やベルグレッテが学院を空けたその間に――その隙間を縫うように、襲撃者がやってきた。丁寧に公僕を装って。
「てか、まずその何とか兄弟ってのは何者なん」
「ガードンゼッファ兄弟と名乗っとったな。呼び出したアヤカに対し本人かどうか確認したという話じゃから、私情による行いでないことは間違いなかろう。あの振る舞いからも、依頼を請け負って動く類の始末屋じゃろうしの」
襲撃者は同じ顔をした兄弟二人に、配下と思しき三人の計五名。全員がディノにより消し炭と化してしまったため、尋問も不可。
置き土産となった馬車を調べてみたが、馬も乗車室も特別なところはなく、手がかりになりそうなものは得られなかった。その他の遺留品とも呼ぶべき兵士の装備品は本物で、これはおそらく闇市で入手したものと予想される。細かいことに、レインディール兵の証たる暗銀色のバッジまでしっかり所持していた。かなり周到な準備をしていたことが窺える。
「一見、手掛かりを残しとるようにも見えるが……まず、調べられても足のつかん代物のみを使っとるはずじゃ。依頼人にたどり着くことは難しいじゃろう」
ダイゴス曰く、この手の刺客から依頼者に繋がる情報を得ることは極めて困難なのだという。
殺し屋は常に、失敗……即ち敗死の可能性を考慮して仕事に臨んでいる。ゆえに死しても――探られても、顧客の情報が漏れないよう対策している。
流護にしてみれば、傍迷惑なプロ意識だ、と顔をしかめざるを得ない。
ガードンゼッファ兄弟の名を調べていけばその詳細を知ることはできるかもしれないが、肝心の黒幕についての情報は期待できないだろうとのことだった。
うーんと唸りつつ、流護は隣の幼なじみをまじまじと眺める。
「……つーか、何でこいつがそんな奴らに狙われるんだ……?」
皆の注目を浴び、彩花は少し居心地悪そうに首を竦めた。
ダイゴスが仮説を口にする。
「まず考えられるのは、その特異性……じゃが」
「とくいせい?」
「取り巻く環境や状況が、サエリとよう似とるからの」
突然現れた不可思議さ。変わった服装と外見。長らく目を覚まさず、『眠り姫』として知られた日々。
特にこの異世界では、そうした毛色の異なる存在に対して、よくも悪くも人の関心が集まる。
実際、あの遠征任務に同行していた兵士たちの間でも囁かれていた。忽然と現れた彩花に対して。神の遣いか、はたまた悪魔の手先かと。
「神聖視する者がいる一方で、異端だと危険視する人間も少なからず現れる。よくある話じゃ」
「あー。あるある、だよなぁ」
というより流護自身も経験している。遊撃兵として活躍するようになった今でさえ、信心深い一部の貴族などからは快く思われていないぐらいだ。
「ただ、そこが動機であるセンは薄いと思うわ」
意見を挟んだのはベルグレッテだった。
「うむ。じゃろうの」
説を提唱したはずのダイゴスまでもが頷く。
「あれ、そうなん?」
流護としては置いてきぼりを食らったような気分で二人の顔を見比べた。
「その特異性が動機なら、アヤカが『眠り姫』でいるうちに実行していたと思うの。やってきてからつい先日目覚めるまで、四ヶ月もの時間があったんだから。ましてそのうちの半分……およそ二ヶ月もの長期に渡って、リューゴや私が不在の時期があった」
「あ、確かにな……」
眠り続ける無抵抗な標的。そばにいた遊撃兵とロイヤルガードは遠いバダルノイスへ旅立って不在。この機を逃す手などあるはずがない。
「じゃあ……動機は、起きてからの彩花にある、ってことか?」
言ってはみたが、それはそれで尚更考えづらい話だった。
何しろ、彩花が目覚めたのはほんの半月ほど前。それ以降、学院内からは出ない暮らしを続けて――
「なあ、彩花」
少年は身体の向きを変えて幼なじみへと呼びかけた。
「な、なによ。改まって」
少し緊張した面持ちの彼女に問う。
「こないだ王都に行った時、何か変わったこととかなかったか?」