563. 極彩色
伊達に長く裏の世界で生きていない。
ガードンゼッファ兄弟は、違えることなく看破していた。
おもむろに現れた真紅の青年、その実力のほどを。
「――――」
瞬きの間に消し炭と化した部下たちの遺灰が散り飛んでいく中、ガファイ・ガードンゼッファは一呼吸でディノの左横に肉薄。死角に潜る形で低く屈み込む。
その体勢から、先のダイゴスの雷術に対してそうしたように、素早く右手の指先を突き出す。
狙いは心臓。爪の先端に凝縮し、纏わせた炎の攻撃術。
強固な鉄塊すら穿つ一撃――が、それを見向きもしないディノの左腕によって吹き散らされた。
まるで、うっとおしい羽虫でも払うかのようなその仕草で。
ガファイの右肘から先が、霞のように霧散した。
「――――、――ケッ」
腕を失った痛みが襲ってくるより先に、ガファイは次の攻撃動作へと移る。
(見えてやがるか。速ぇじゃねぇかよ――)
黒炭と化して散っていく己が腕の残滓すらも隠れ蓑に、ディノの背後へと回り込む。
無駄を……あるいは必要なものすらも削ぎ落とし、極限まで軽量化した肉体による高速の戦闘術。それこそが兄と異なる弟の本領。
ゆえにある意味、片腕を失った今のガファイは過去にない軽やかさを獲得し、限界を超えた最高速に到達しているともいえた。
狙いは首筋。左腕一閃。終わりだ。
霞む視界。
「…………、……」
動かない。動けない。
顔一面を何かが覆っている。
それは指だった。
いつの間にか振り向いたディノが、ガファイの顔面を右手で鷲掴みにしていた。
(な、に…………!?)
その細腕からは信じられないような剛力。指と指の合間から覗く、腹立たしいほど端正な青年の面構え。爛々と輝く、紅玉のごとき双眸。自信に溢れた、ふてぶてしいまでに堂々たる佇まい。
そして、そんな傲岸不遜の青年は言い捨てる。ただ短く、興味もなさげに。
「遅ェよ」
速度を磨いてきた殺し屋、ガファイ・ガードンゼッファが最期に聞いたその言葉は、何より受け入れがたいもので。
しかし幸いというべきか、凄まじい『速度』で意識が爆散した。絶望の淵に落ちる暇すらなく。
(ガファイよおぉ~~)
最愛の弟が黒い塵となって吹き散らされていく光景を直視しつつも、ロワド・ガードンゼッファは力強く一歩踏み込んでいた。
兄弟で同じ道を歩みながら、その術理は対極。力で強引にねじ伏せるロワドの流儀は、今この局面においても変わらない。
悲しみに襲われながら、確殺の一撃を放つ準備は整っていた。
この一手で、全てを吹き飛ばす。ディノも。傍らのダイゴスも。その後方の標的と目撃者たちも。
ああ、最悪だ。
悪夢のような任務となってしまった。
――だが、自分とて一流。
己以外の全てを消し去り、まずは速やかにこの悪夢を終わらせる。
「しぇええええェやぁァ!」
ロワドが振り薙いだ右腕の動作に呼応し、炎の波が荒ぶった。
暮天にも劣らぬ炎流が、地表で爆裂する。先ほどダイゴスに対して放ったそれの比ではない。存分な詠唱の果てに収束する、全力全霊の一撃。
「うわ――」
「ひゃっ――」
奥で縮こまる女生徒たちの悲鳴が中途でかき消える。
前方の視界全てを、赤黒の爆発が盛大に飲み込んだ。
「……、チぃッ……」
己が攻撃術の余波も消えぬ最中、ロワドは堪え切れず舌を打つ。
密やかに対象を消し去る暗殺とはまるで対極。派手な煌めきと爆音を伴った渾身の一撃は、敵を焼くのみならず校門周辺を吹き飛ばしただろう。
これだけの破壊を巻き起こせば、確実に学院中の人間が気付いて集まってくる。
(くそぉ……くそったれがぁ~……!)
黒煙が立ち上る様を見上げながら、ロワドは暗澹たる思いにとらわれた。
ひとまず片付いた安堵感などありはしない。
何てザマだ。
瞬きするほどの刹那に弟を喪った。何者だったのだこの相手は。ここからどうする。この騒ぎにどう収拾をつける。どう辻褄を合わせる。もう内密には済ませられない。本物のレインディール兵も出張ってくるだろう。どうやって切り抜ける――
想定外の事態が、ロワドの脳内に次々と不穏当な未来を並び立てる。
が。
結論から述べるならば、それらは杞憂だった。
「――――――は、ぁ?」
そんなことを細かく気にする必要はなかった。
なぜなら。
晴れていく煙の向こうに、浮かび上がったからだ。
かすり傷ひとつ負っていない、攻撃を受ける直前と何ら変わらぬディノ・ゲイルローエンの姿が。高慢な薄ら笑いをたたえたままの、その表情が。
「コレがオメーの全力か?」
そして感想は一言。
攻撃対象どころか目の前の景観ごと全てを粉砕するつもりで放ったロワドの爆撃は、最も手前に立ちはだかっていたディノを突破できずに終わっていた。
成果は、周辺の地面が少し黒ずんだ程度。立派な校門も、壁も。すぐ脇で雷棍を支えに立つダイゴスも。そして背後に控える殺害対象を含めた少女たちも。
全てが、塵すら被らぬ無傷のまま。土煙、土埃の全てが、彼らを避けるように風へと乗って散逸していく。
「…………お、ぉお、おぉお前えぇ~~……」
何だ。
何なんだ、こいつは。明らかに桁が違う。たかが学院生に、こんな力があるはずは――
(! 待、てよ……まさか……)
それはリチェルから聞かされていた事前情報のひとつ。
このミディール学院には、四人の『ペンタ』が生徒として在席しているという。とはいえ形式だけのもので、実際に学び舎へと通っている訳ではない。そんな話だったはずだ。
(いや待て、『ペンタ』……? そっそうだ、思い出した! ディノ・ゲイルローエンってぇのは、確か……!)
天轟闘宴の参加者。団長補佐デビアスがいたく買っていた相手。そして何より、あのナインテイルが狙いを定めた標的。
(馬鹿な……あのバケモンに目ぇ付けられて、どうしてまだ生きて――)
反射的に浮かぶ疑問だったが、百戦錬磨のロワドは悟った。悟ってしまった。
答えは示されている。明確に、まざまざと目の前に。
絶対的な強者。
あの怪物と同じ。だから、生き延びた。
「じゃ、次はオレの番ってコトでいいか?」
しかし、どうでもよかった。
ディノの右腕に灯る、おぞましいほど色濃い真紅。目に毒と思えるほどの極彩色の揺らめき。
自分と同じ炎属性。しかし――あまりに別格であるその力を目の当たりにして。
今から起きることは単純明快。
殺す気でぶちかましたのだから、同じように返される。
ただ、それだけの話だった。