560. 同族
鮮やかな夕暮れに染まる、ミディール学院正門前。
その街道脇に停められた馬車のそばで、五名の男性兵士たちが待機していた。
安息日やその前後の日であれば、街へ繰り出そうとする生徒らの呼んだ馬車が連なって待機することもあるようだが、今日は平常日だからか静かなものだった。周囲に他の者の姿もない。
「あー、君がアヤカ・レンジョーさんかな」
「は、はい」
歩み寄ってきた大柄な一人の兵士の確認に、彩花は姿勢を正しながらぎこちなく頷いた。
「おぉ、そうか。いや、わざわざ呼び出してすまんね。少々お聞きしたいことがあってだねぇ」
にこやかな笑みを浮かべる兵士だが、正直なところかなりの強面だった。後方へ大雑把に撫でつけた金髪と、角ばった造形の大きな顔、不釣り合いに小さな黒赤の瞳。歪な形の鷲鼻、分厚い唇に浮かぶ薄笑み。その様相は、どこか恐ろしげな猛犬を思わせる。
さらには後方で控える兵士の中に、全く同じ顔をした人物が一人。兄弟か、でなくとも血縁だろう。それほど似ている。違うのは細身がちな体格ぐらいだった。
「あー、先々週? の安息日のことなんだが……君は、王都の地下水路に落ちたそうだねぇ」
「あ、はい……」
「その件で、ちょっと訊きたいことがあるんでねぇ。ここで立ち話も何だから、少しばかり足労願いたい。なぁに、時間は取らせない」
「……、は、はあ……」
流護の身に関することでないようでホッとする一方、今度は自分が何かやらかしてしまったのだろうかと不安が湧き上がってきた。
現代日本とはまるで異なる価値観や常識を持つ異世界。思いがけぬ行動が罪に問われる可能性もある。流護やロック博士からもそう聞かされている。
「えっと、でも……あの時、特に何も言われなかったんですけど……」
「あぁ、別に咎めようってんじゃない。ホラ、地下に怨魔が入り込んでただろ? また同じようなことが起きんように対策を打ちたいんだが……実際に遭遇した当事者に、参考がてらその時の状況やらを聞いておきたくてねぇ」
「あっ、そういうことですか……」
何らかの嫌疑をかけられた訳ではないと分かり、心から安堵する。しかし同時に、
「でも……特に、気付いたようなこともないですけど……」
そもそも右も左も分からない異世界、知識など皆無に等しいのだ。何が正常で何がおかしいのか、その判断すらおぼつかない。力になれるような話はできそうもない。
そう考える彩花だったが、
「それは話を聞いた我々が判断する。君自身が気付いておらずとも、こちらで情報を精査すれば見えてくることがあるかもしれんのでねぇ」
確かにそうかも、と彩花は納得して頷いた。兵士なのだから、そうした見識も持ち合わせているに違いない。
「えと……分かりました。それじゃあ、どうすればいいでしょうか……?」
「詳しい話は近場の駐留所に着いてからにしたい。片道一時間程度だ、さして時間は取らせないよ」
となると、往復で二時間。話にどれほどかかるか分からないが、小一時間ぐらいと考えても計三時間。帰りは完全に夜になる。決して短くはない。
「えっと、分かりました。その前に一応 、出かけることを誰かに伝えておきたいんですけど……」
「……ああ。それぐらいなら構わんが、我々も仕事が押してるんでねぇ……手短にお願いできるかな」
「は、はい」
基本的に兵士は、ネコの手も借りたいほど多忙だと流護から聞いたことがある。あまり待たせては申し訳ない。
(あー、どうしよ……誰に言ってけばいいかな……?)
学院を出るとなると、やはりダイゴスに知らせておくべきか。しかし今から彼のいる図書室まではさすがに遠い。近くに人がいれば、伝言でもお願いしようか――と、あれこれ考えながら校舎方面を振り返った瞬間だった。
「アヤカちゃん、なにしてるのー?」
「やっぱり『眠り姫』殿じゃないか。どうかしたのかい?」
「あれー。何かあったー?」
ミア、マデリーナ、エメリンの三人が連れ立ってこちらへやってくるところだった。ちょうど校舎から出て学生棟へ向かおうとしていたところだったようで、彩花を見つけたので寄ってきたらしい。三人娘は不思議そうに彩花と兵士たちを見比べる。
「何かあったのん?」
誰かを探す手間が省けた。
再度尋ねてきたマデリーナに、彩花はこれ幸いと報告する。
「あ、えっと……兵士のかたが、こないだの王都の地下に怨魔がいた件で、ちょっと話を聞きたいとかで。これから兵舎に来てほしいそうなので、ちょっと行ってこようかと……」
「ん? 話って……アンタに?」
「みたい、です」
そう答えると、マデリーナはふーんと今ひとつ歯切れの悪い反応を返した。そのまま、視線を兵士たちへと転じる。
「ちょいと兵士さん、その話なら解決したんじゃなかったっけ? 怨魔が入ってきた場所、特定できたってクレアから聞いたけど」
「…………ああ。しかし念のため、だ。今回問題なかった箇所が、次回も大丈夫とは限らない。当事者から情報を集め、事前策を打っておくのは当然のことだ。さて、そろそろいいかなレンジョーさん。ちょうどお友達に知らせる手間も省けたようだし、向かうとしよう」
「当事者、ねえ」
「何かな? 我々も忙しいのでねぇ。言いたいことがあるなら、手短に願おう」
「いやさ。当事者っていったら、あたいらもそうなんだけどねと思って」
「……君らは?」
「はぁん? そりゃまたご挨拶だね。あの場にはこの子の他に、あたいらがいたじゃないの。というよりアンタ、もしかしてこのあたいをご存じない? つれないねぇ、アンタが身に着けてるその鎧も剣も、ウチがお値打ち価格で仲介してる代物だってのにさ~」
「…………ああ、商人……の娘さんか。そいつはすまんねぇ、我々は辺境勤務だったんだが、つい最近こちらに来たばかりでねぇ。あまり都会の事情には詳しくないんだよ。事件の後にね。だから、君のこともよく知らないんだ」
「そうかい。なら覚えておくれよ。パウエルソン商会の一人娘ったら、あたいのことさ。今後ともごひいきに」
「ハハ、商才に溢れたお嬢さんだ。ちなみに、話を聞くのはレンジョーさん一人で十分。大勢ゾロゾロと引き連れても、時間が掛かるばかりなんでねぇ。……では、そういうことだ。向かうとしようか」
「あ、は、はい」
兵士に促され、彩花は一歩前へと踏み出して――
「待たれよ」
次に割って入ってきたのは、低く重い男性の声だった。
「うわひゃ!?」
彩花含め、女子陣が驚かされたネコみたいに跳ね上がる。すぐ近くの外壁の陰から、ヌッとその巨漢が――ダイゴスが現れたからだ。
「ウワーびっくりしたー! いつからそこにいたの、ダイゴス!?」
ミアが目を白黒させながら、自分より遥か巨大な彼を仰ぎ見る。
「ちょっとダイゴス、いたなら何とかお言いよ……!」
「わー、びっくりしたー……!」
マデリーナとエメリンの抗議に対しても、
「驚かせてすまんの」
詫びつつも、いつもと変わらぬ不敵な笑み。
一方の兵士らに驚いた様子はなく、仲間内で目配せをし合った――ように見えた。
「何か御用かな? 大きな学生さん。そこにいたなら聞いてたと思うが、こちらも急いでてねぇ」
やれやれといった風情で首を横に振った兵士が、穏やかな口調で尋ねる。
問われたダイゴスはというと、
「ふむ……さすがは剛の者揃いたるレインディール兵じゃ。気配を殺しとったつもりじゃが、全く動じておらん。まるで慣れとるように、淡々としとるの」
「…………君は……『学生』かな?」
――蓮城彩花には当然ながら、何か不可思議なものを感知する能力など備わっていない。
だが。
(……な、に?)
瞬間、怖気を感じた。
眼前の大柄な兵士から。
にこやかな表情は変わらない。しかし、何かが変わった。空気、と表現するのが最も近しいだろうか。
「……おぉっと、待てよ……? 今、ダイゴスと呼ばれたな。おぉそうか。君が、ダイゴス・アケローンかぁ……」
「おっと、申し遅れたの。いかにも、ダイゴス・アケローンじゃ」
その変じた空気を微塵も感じていないのか、それとも気がついていないのか。ダイゴスは変わらぬ薄笑みのまま、悠々と名乗りを上げる。
「そうか……君が、あの天轟闘宴の残り二人のうちの一人か。褒賞はなくとも、準優勝ってやつだね。そうか、この学院に在籍してるのだったね。成程、風格があるねぇ――」
「妙じゃな」
即座の言葉とともに、ダイゴスの笑みが深さを増した。
「…………妙、とは?」
兵士がわずかに眉を動かす。
「多くのレインディール兵のワシに対する認識は、飽くまでここの学院生としての向きが強い。真っ先に天轟闘宴の件が出てくるとは、少々変わっとると思うての」
は、と兵士は大きな肩を竦める。
「あれだけの規模の催しだ、さしておかしいとも思わんがねぇ。それに先程そちらの商人のお嬢さんにも言ったが、我々は遠方からこちらに来たばかりでねぇ。あまり都会の習わしには詳しくないん――」
「うむ。そもそも、それが妙なんじゃ」
刹那の静寂。
破ったのは、話を断ち切ったダイゴス自身だった。
「事件の後に来た、と言うとったの。しかしその件で話を聞くならば、何故実際の対応に当たった者を寄越さぬ。遠方から来たばかりの実情を知らぬ者がやってくるなど、レインディールらしゅうない手際の悪さじゃと思うての」
「…………いや、ほら……忙しいじゃない、レインディール兵ってさぁ……」
「じゃな。しかし、昨今は何かと物騒じゃ……先冬のバダルノイスでは、民を導くべき主導者が道を踏み外したとも聞く。故にここは一つ、無礼を承知で確認させてもらいたい」
「…………確認ってぇ~?」
「エメリン」
ダイゴスは皆の前に進み出て兵士らとの間に入りながら、振り返らずその少女の名を……通信術を得意とする級友の名を呼んだ。
「え? 何ー?」
「クレアに通信を飛ばせ」
「へ? どうしてー?」
常時ふわっとした彼女が緩慢に巨漢を見上げる。
「クレアに確認すれば分かるじゃろう。王都地下の怨魔の件がどうなったのか。アヤカに何事か確認する必要があるのか。――そのために兵を派遣した事実があるのかどうか、もの」
――妙に。
気持ち悪いほど生温かい、一陣の風と。
大空を覆う、血のような緋。夕刻の極彩色に、浸食する夜の闇が滲む形で広がっていく。
「兄貴ぃ」
言葉を発したのは、背後で控えていた一人の兵士だった。先ほどから対応に当たっている大柄な兵と同じ顔をした、細身の人物。……その口元が、裂けんばかりの笑みを刻んでいく。
「もうよぉ……『いいんじゃねぇの』、兄貴ぃ」
その呼び方からして、やはり兄弟なのだろう。
呼びかけられた相手はというと、
「まぁ~、待っとけ弟よ。せっかちなんだから。……ダイゴス君、いつ気付いたの?」
「実は……言いがかりじゃ」
巨漢は不敵な笑みを深くした。
「ワシを天轟闘宴で知っていようが、遠方から来た兵がこうしてやってこようが……まあ、あり得ん話ではなかろ」
「へっへぇ。なら、何でぇ?」
「立ち姿を一目見た時点で分かる。鎧を着慣れとらん佇まいと……何より、匂いじゃ。お主らからは、よく知った匂いがする。ワシと同族。どうあっても消せない、影に棲みつく人間の臭気がの――」
「プッ……フフフ、ハハハハハ! んだよ、じゃあ最初からじゃねぇの。やだねぇ、無意味な茶番挟んでくれちゃってぇ」
「これは失敬。お主の大根役者ぶりが面白かったのでな」
――蓮城彩花には、今この場で起きていることが理解できなかった。
ただ……目の前で笑い合う大男二人。
『喜』を表現しているはずの二人が、その通り和やかに楽しんでいる訳ではないということだけは分かる。
兵士がやってきた。そしてダイゴスが、この兵士たちを疑わしく思った。
そんな構図なのは間違いない。
(でも、どうして……?)
そうなる経緯や理由が分からない。
この五人は兵士になりすました悪人? どうして自分を連れて行こうとしたのか?
頭が混乱するばかりのその状況で、
「シュッ」
彩花の視界一面に、赤い色彩が広がった。
同時、目も眩む白い閃光がそれを上書きする。そして耳をつんざく雷鳴のごとき轟音。
――無論。何の力も持たない現代日本の少女に、その瞬間を認識することはできなかったが。
後方に控えたまま、手先だけを振り彩花へ目がけて火球を放った、殺し屋ガファイ・ガードンゼッファ。
瞬く間に顕現させた雷棍を振るい、この一撃を打ち払ったダイゴス・アケローン。
逸れた火球が、外壁の上部に着弾。かすかな火種を散らす。戦いの開始を告げる号砲のように。




