558. 虫の王
馬車に揺られ、北東方面へと向かう。
乗車室内には三人。
隣り合って座る流護とベルグレッテ、そして向かい席のダーミー。
「…………」
流護は、ほんの数十分前の出来事を思い起こす。
「…………どうも、お久しぶりです……。早速で恐縮ですが」
王城の会議室にて数ヶ月ぶりに対面したダーミー・チャーゾールベルトは、流護たちと目を合わさずに口を開いた。
無気力な態度。乱れた栗色の髪の合間から覗く、死んだような瞳。食事をとっているのかと思うほど細い顔立ちと、折れてしまいそうな痩躯。以前とまるで変らぬ様子の彼は、当たり前のように衝撃的な内容を告げる。
「北東の山間にて、ズゥウィーラ・シャモアが目撃されたとの報告が寄せられました」
「は!?」
流護が思わず声を漏らし、ベルグレッテは無言ながら目を見開いた。
カテゴリーAに属する怨魔、ズゥウィーラ・シャモア。通称『暴食』。
およそ六、七メートルにも及ぶ上背を誇る鹿型の怪物で、恐るべきはその渾名の由来ともなった食欲。目に映る生物全てを捕食対象とし、手あたり次第に食い散らかす。
かつてレインディール領内で惨劇を引き起こし、先秋の原初の溟渤への遠征においても流護たちの前に立ちはだかった存在。実際にその姿を前にした流護としては、鹿よりも凶悪になった巨大アルパカといった印象を受けた。
放置すれば、多くの人々が犠牲となる可能性がある。
「ご存じの通り、並の兵では奴の養分になるだけです~。ゆえに、討伐実績のあるリューゴ・アリウミ遊撃兵……貴方に依頼をしたいと思いまして」
「はあ……」
確かに、流護は実質一対一であの怨魔を下している。一度は丸呑みにされ胃袋に放り込まれたが。
「あれ、でもそれならオルエッタさんの方がいいんじゃ? あの人、ノーダメで一撃であの怨魔をぶった斬ったって聞きましたけど」
「…………のーだめ……が何だかは分かりませんが、あの方は「銀黎部隊」の副隊長です。色々とご多忙な身分でしょう」
そこでベルグレッテが言いづらそうに口を開いた。
「ええと……ダーミーさん。私にお声がけされたのは、なぜなのでしょう? 私では、あの怨魔と交戦するには力不足かと存じますが……」
秋の遠征で彼女は正面からズゥウィーラ・シャモアに斬りかかるも迎撃され、あえなく昏倒してしまった。流護としては未だに、理知的なベルグレッテらしくない行動だと思っている。
「ご謙遜を~。「黒鬼」を斬ったお力、決して侮れるものではないかと。何より……聞いていますよ~、バダルノイスでのご活躍。国家ぐるみでの罪人に仕立て上げられながらも、見事反撃に成功し逆転勝利を掴み取った……。並の者……いえ、どんなに優れた策士であっても、相手は国……為す術なく飲み込まれて終わっていたはずです」
「それは……、私ひとりによる成果ではございません」
「貴女がいなければ成し得ぬ結果であったことも確かかと」
こちらと目を合わせず即答するダーミーは、その虚ろな瞳を窓の外へと向けて。
「話を戻しますが……今は、かの怨魔が本当に現れたかどうかも分からない段階です。多くの兵を動員して空振りでは無駄も発生しますし、最低限の戦力で確実な結果を出し得るのが貴方がた二人だった……ということで。直接戦闘をアリウミ遊撃兵、作戦立てをベルグレッテ殿という方向で考えています」
とにかく緊急とのことで上に報告する間もなくここまで来てしまったが、確かに準ロイヤルガードにして貴人であるベルグレッテをカテゴリーAの怨魔と勝手に闘わせる訳にはいかない。この役割分担は最初から決まっていたのだろう。
「なるほどなあ。でもそれなら、ダーミーさんでもよかったんじゃないすか?」
「…………私でもいい、とは?」
「いや。ダーミーさんだったら、別に一人でもズゥウィーラ・シャモア倒せそうだなって」
その実力は、先秋の遠征で流護も目の当たりにしている。
渦巻く風を脚に纏わせての、流れるような蹴技。そのスタイリッシュ極まるスピーディーな体術は、まるで漫画やゲームの世界の住人そのものだった。そしてそれら立ち回りを見れば、自然と察することができた。一見して無気力でやる気のないこの男は、『銀黎部隊』の中でも間違いなく上位に食い込む強者だと。
というより事実、遠征時にはズゥウィーラ・シャモアの幼体を仕留めている。
「私一人でも倒せるかもしれませんが、相手は怨魔。絶対はありません~。それに、貴方がたがいれば勝利はより盤石なものとなる……。であれば、ご協力いただかない手はないかと」
「……、」
そうだ。考えてみれば、同じだ。
流護も、外出するにあたってできる限りの手を尽くしてきた。彩花のことについて。
皆、こうして万全を期すのだ。何が起こるか分からない、明日には自分の……もしくは大切な人の命が失われているかもしれない世界だからこそ。
「場所は北東のちょっとした森です。到着まで三時間ほどでしょうかね。近くに村もあります」
「なるほ。急いだ理由はそれっすね」
村といった規模の集落では魔除けも万全とは言いがたい。ズゥウィーラ・シャモアにしてみれば、格好の餌場となる可能性もある。
「承知しました。では、すぐにでも発ちましょう」
事情を把握したベルグレッテが同意し――
――現場へと向かうべく、今に至る。
「…………」
いつもなら、ベルグレッテと談笑していれば長時間の移動もさほど苦にならない。
が、今はダーミーが一緒にいるので妙に会話がしづらい。そのダーミーは全くこちらを見ないし話しかけてもこないが、どうにもやりづらい。
結果、黙りこくってしまって馬車の振動だけが乗車室内に響いている。
(……このまま三時間とかマジ……?)
到着する頃には気疲れでクタクタになっていそうだ――と、思った矢先だった。
「…………バダルノイスで……交戦したそうですねぇ。アリウミ遊撃兵」
「へ? あ、何すか?」
まさか向こうから声をかけられるとは思っていなかったため、つい反応が遅れる。
「オルケスター。そう名乗る組織の者たちと、直に交戦したと聞いています」
「! え、ああ」
謎の闇組織オルケスター。その名はすでに、帰国した流護たちによってレインディール内で共有されている。
極めて高い開発技術によってあのハンドショットやセプティウスといった兵器を製造し、強力な詠術士を幾人も擁する危険な集団。
バダルノイスで連中がやったことは、ほぼ国家の乗っ取りだ。『ペンタ』の臓器を狙い、資金提供の名目で主導者を篭絡した。いかに情勢が落ち込んでいたとはいえ、ひとつの国を吸収しようとしていたのだ。
危険極まりない存在であることは疑いようもない。
「…………貴方がたがバダルノイスから帰還できず葬られていれば……未だレインディールは、その存在すら知らなかったのでしょうねぇ~」
目を合わせないダーミーが、窓の外を見やったまま他人事のように呟く。
(……確かにな)
そう思うと恐ろしい話だ。誰も、周囲にあれほどの闇が広がっていることに気付かないままのだから。
「どうでしょう。……レインディールにとって……脅威に、なりそうですかね~?」
いかにも興味本位げなダーミーの問い。
「非常に危険な存在と考えます」
それに迷わず答えたのはベルグレッテだった。
「彼らを、このまま放置することはできません」
バダルノイスで経験した出来事を考えれば、少女騎士が断言するのも当然だろう。
「…………ふむ。ベルグレッテ殿がそこまで仰るほど、ですか」
どういった心情によるものか、やや意外そうな面持ちでダーミーが唸る。
「はい。ですので……ダーミーさんも、彼らについての情報を得ることがあれば、些細なことでも構いませんのでご一報をくださればと……」
「ふーむ……承知しました~」
返事の軽さからして、あまり期待はできないなと流護は考えた。
レインディールの兵は勇猛果敢で強者も多いが、それゆえに『自分たちこそ最強、他は格下』といった過信を抱きがちな傾向にある。これは『銀黎部隊』の隊員ですらも例外ではない。
この変わり者たるダーミーすらも例に漏れずか、その反応からあまりオルケスターを危険視しているようには思えなかった。
そこから会話らしい会話もなく馬車に揺られることしばらく。
窓の外を眺めていたダーミーが、またしてもおもむろに口を開いた。
「………………カブトムシ……興味、ありますか?」
意味が分からなさすぎて、流護は返事すらしなかった。すぐ隣のベルグレッテも同じだったようで、きょとんとなってダーミーの顔を見つめている。
「カブトムシと、ソウカクチュウ。子供の頃、熱中したり……しませんでしたか?」
ソウカクチュウとは、グリムクロウズでは地球のクワガタムシに相当する虫だ。
カブトムシについては、以前ミアが学院で捕まえたのを見たことがあった。足が八本もあり、槍みたいな角を携えた、やたらとギザギザして攻撃的なフォルムが印象深い虫だった。名前こそ同じでも、地球のそれとはまるで異なっていて驚いたのだ。
「……え、えーと……まあ……? うん、そっすね」
田舎で生まれ育った流護としては、確かに子供の頃に捕まえたりしたりしたこともあった。ダーミーの知るそれとは違うのだろうが。
「うだるような暑い夏……インベレヌスの威光も疎らな緑生い茂る樹上で、虫の王たる両雄が向かい合う。果たしてどちらが勝つのかと、ワクワクしながら見入った覚えがあります…………」
「……はあ。まあ、そっす、ね」
男子たる流護としても、その気持ちは分からなくない。
だが……今、ダーミーがそんな話を始めた理由は全く分からない。ついでに言えば、何事に関しても無気力なこの人物らしくない、意外すぎる発言と思えた。
「…………」
「…………」
そして。その話題がそれ以上広がることもなく、何度目となるか分からない沈黙が訪れた。
(……何なん……そっから、こう……話の本題みたいのがある、訳じゃないんか……。何だってんだ……)
ただそんな感慨のみを噛み締め、流護は気持ちを切り替えるべく窓の外へ視線を送る。
木々はすっかり葉を取り戻し、街道を囲う草原はどこまでも緑の絨毯を広げている。その上を伸び伸びと駆けていく鹿たち。蒼穹の天空を一直線に横切っていく鳥の群れ。
冬の間には姿を見せなかった動物たちも帰還し、季節は本格的な春を迎えている。
(……もう……そろっと、一年になるんだな)
この異世界へ迷い込んで。色んな人たちと出会って。生きるか死ぬかの戦いを何度も経験して。
(……)
そんな舞台に、まさかの幼なじみまでやってきてしまった。
(…………大人しくしてんだろうな、あいつ……)
彩花はよくも悪くも、好奇心旺盛で活発だ。流護が考えもしないような行動を取ることも往々にしてある。
正直、眠り続けている間は目覚めないかもしれないという不安こそあったものの、当人が何かトラブルを起こす可能性だけは皆無だった。そこを思うと――
「リューゴ」
とそこで、おもむろに隣のベルグレッテから名前を呼ばれる。
見れば、席の腕かけを使って頬杖をついた彼女が、少しジトリとした視線を向けてきていた。
「あなたが今、なにを考えてるか当ててあげましょうか」
「へ? な、何だよいきなり」
薄氷色の瞳にじっと見据えられ、思わずのけ反る。
「アヤカのことでしょ」
「っ、は!?」
ついにこの頭脳明晰天才少女は人の心まで読むようになったのか。戦慄する少年に対し、彼女はふぅと訳知り顔で息をついて。
「リューゴがアヤカのこと考えてるときって、いつも同じ顔してるのよね……」
「へぇっ!? う、嘘じゃろいくら何でも」
「ちょっと困ったような、そわそわしたような感じで。忙しなく目が泳いでたり、かと思えばうつむいて溜息ばっかり繰り返してたり」
「…………」
何ということだろうか。そんな自覚などなかった少年としては、愕然としたような気恥ずかしいような思いにとらわれた。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。ダイゴスだっているんだし、なによりアヤカはしっかり者だと思うわ」
「いや、別にそんなんじゃねーから。なんか、無駄に元気な犬とかネコを置いてきちゃった感じで、悪さしてねえかなっていう意味での心配だから」
「はいはい」
(アカン)
何を言っても弁解じみてしまうと感じた流護は、それ以上レスバトルには付き合わず沈黙を選ぶことにした。議論でこの少女に勝てるはずもない。
……のだが。
「…………そういえば」
そこで静寂を破ったのは、予期せぬ人物。
「……アリウミ遊撃兵は、『眠り姫』のお嬢さんと昔馴染みの間柄だそうですね~」
つまらなげに窓の外を眺めたままのダーミーが、言葉だけを向けてくる。
「……レフェの現『神域の巫女』と似たような状況での出現……神の使いかそれとも悪魔の手先か、などと囁かれていましたが……そもそも何故、アリウミ遊撃兵のお知り合いがあの原初の溟渤の最奥に?」
「……いや……まあ、本人もよく覚えてないらしいんすよね……」
彩花が出現した経緯について、アルディア王には全てを包み隠さず報告済みだ。日本や地球についても説明し、一応の納得と理解を得ている。
しかしながら、任務に同行していた者たちは未だ何も知らないまま。ひた隠しにする必要はないのかもしれないが、そもそも地球や日本の話など、この世界の人々に説いたところで信じてもらえるはずもない。柔軟極まる思考を持つアルディア王が例外中の例外なのだ。
この任務に関しては、調査隊の一員だった正規兵オズーロイ・ゴーダリックが一時行方不明となった後に王都で発見され、しかも遠征についての記憶を丸ごと喪失していたという不可解な出来事もあった。原初の溟渤という禁足地ならではの奇妙な現象が起きたのだろう、と大雑把に考えられている。文明や科学が発達してない世界ゆえの迷信的な納得だ。
というよりオズーロイの一件については、流護やロック博士でも未だに何が起こったのか理解していない。彩花が長期に渡って眠り続けていた理由も然り。
総じて、やばい場所に行ったから考えられないようなことが起きた――と、この世界の人々が考えて納得するのも道理ではある。
「………………ふむ……」
何事か思案する素振りを見せるダーミーだったが、
「……原初の溟渤ですから、そういうことも起き得るかもしれませんね~」
この変わり者もしかし、大多数が考えるその思考に落ち着いたようだった。
今の彼らに、未来を知る術はない。
存在しないズゥウィーラ・シャモアに遭遇することなどあるはずもなく、この任務は空振りに終わる。
――数日後。
学院へ戻った流護とベルグレッテを待ち受けていたのは――この時点の二人が予想できるはずもない、無慈悲なまでの弱肉強食が齎した結果だった。




