552. 分かり合えずとも
「もーもーもー! 聞いてる? 聞いてんの流護っ」
「うっせー聞いてるよ。もーもー言いやがって牛かよ」
彩花たちが王都から学院へ帰ってきたのとほぼ時を同じくして、流護も一人で戻ってきた。
初めての異世界の街、まさかの地下洞窟探検、そして怨魔との遭遇……。興奮冷めずいた少女は、とにかく何か喋りたくて幼なじみの部屋へと乗り込んだのだった。そろそろ日付が変わりそうだが、明日も休みなので問題はない。
流護はソファへ横たわってくつろぎながら話に耳を傾け、彩花は敷きっぱなしになっているシーツの上で枕をボフボフ叩きながら興奮気味に話す。
「けどまさか、王都の下に怨魔が入り込んでるとはなあ……前代未聞じゃないか? いや、とにかくお前が無事でよかったよ」
「へえっ!? な、なにいきなり!」
「あ? 何だよ?」
「や、その……私が無事でよかった、とか……あんたらしくないじゃん」
「いやむしろ、これ以上なく俺らしいと思うが? この世界で、俺よりお前を心配する奴とかいねーだろ」
「……流護、変なものでも食べた?」
「だから何でだよ。つか、お前も見たんだろ? あの怨魔ってバケモンを、すぐ近くでさ。どう思った?」
そこまで勢いに突っ走っていた彩花のトーンが、否応なく急落する。
「…………やばかった。あんな生き物が、実際にいるなんて……」
空気、雰囲気、存在感。何もかもが歪というか……上手く表現できないが、何かが決定的に『違っていた』。
ただあの存在を前にして、直感的に思った。
殺される、と。
正直もう、あの醜悪な姿を思い出したくない。今すぐ忘れたい。少なくとも、今夜は一人でトイレに行けない……というか、確実に夢に見る気がする。
「~~っ」
思わず、枕を抱きしめる腕に力が篭もる。
そんな一方で流護は、寝転がって天井を見つめたまま穏やかな口ぶりで語った。
「直感でやべえって思ったろ? 熟練した詠術士だって、勝てるとは限らねえ相手なんだ。戦う力のねぇ人が怨魔に襲われるってのは、もう事故みてーなもんでさ。だから……お前が事故りそうになったけど助かったってなら、そりゃよかった、ってなるだろ」
「あ…………」
彩花は二の句も継げず黙り込んだ。
流護は幼少時に、母を交通事故で亡くしている。
今回の一件をそれと等しく捉えているから、彩花が無事だったことを素直に喜んでくれているのだ。
「ま、とにかくクレアには借りができちまったな……今度メシでも奢ってやるか。とかって言うと、『騎士として当然のことをしたまでです。貴方に感謝される謂われはありません(キリッ)』とか言われちゃうんだけど」
「そう、クレアリアさん! 流護も知り合いなの?」
「まあ知り合いってか、ポジション的には同僚みたいなもんだし……」
「私、クレアリアさんのこと知らなかった。ベルグレッテの妹さんなんだってね」
まさかの自己紹介には驚かされたものである。
「そういや、お前には特に言ってなかったな」
「あんな……私よりずっと小さいのに、すごく強いんだね。あっという間に怪物をやっつけちゃって……すごかった」
まさにファンタジーバトルといった展開に目を奪われた。
突如吹き上がった水柱、弾き飛ばされる怨魔、その隙を逃さず詰め寄って剣を突き刺す手際。……その決着の瞬間については、直視できず目を背けてしまったのだが。
「ああ見えて、王族のロイヤルガードになるために鍛えてる騎士見習いだしな。その辺の下級怨魔とかチンピラじゃ相手にならんよ。ちなみに、姉のベル子はクレアより数段強いぞ」
「へぇ~……ベルグレッテが? そんな風には見えないけど、やっぱりすごいんだ……」
「この学院の事実上トップだからな」
あの少女の印象はやはり、清楚な深窓の令嬢といった趣が強い。とはいえ彼女も、学生棟の屋上から落ちてきた彩花を無傷で受け止めるといった術を披露している。凄腕の詠術士であることは確かなのだろう。
……となるとやはり、少し気になることがある。
「……あんた、この国でもすごく強いみたいな話だけど……あの二人よりも……なの?」
当人はといえば、何でもないことのように。
「まあ、そうだな……あの二人とはよく実戦稽古とかもするんだけどさ。百回やれば百回、二人同時相手でも勝てるよ。片手でも。一応、それぐらいの実力差はある」
「…………ウソでしょ?」
「何なら今度実演する。ってか俺も最近知ったんだけど……世間だと俺、『レインディールで五本の指に入る』とか言われてんだってさ。まあぶっちゃけ、俺は自分が一番強いと思ってるけど」
自信家ぶりは相変わらず。
……しかし、にわかには信じがたい話だ。
彩花の素人目にすら、クレアリアの動きは手慣れた戦士のそれに見えた。いかに空手を習っている流護といえど、現代日本人が太刀打ちできるようなものではないように思える。
まあ本人がこう言うのだから、今度実際にやってみせてもらえばいいだろう。
「ま、とりあえずクレアには気を付けろよー。あいつ重度のシスコンでさ。ベル子に近付く奴は排除しようとするし、当然ディスる奴にも容赦ねーから。あと、すげー男嫌いで有名だな」
「そうなんだ。……あれ? でも、そうなると……ベル子ちゃんを好きな男子の流護くんは、大丈夫なんですかー? めちゃくちゃ条件満たしちゃってますけど。んー?」
お姉ちゃんに教えてみ? といった感じで尋ねると、当人は露骨に苦い顔を作った。
「いや……うん……」
その表情が、何だか風化してサラサラと消えていきそうな儚い感じに。
「色々、あるっすよね……」
「あ、そ、そう」
あまり聞かないほうがよさそうだった。と、そこで思い出す。
「あ。クレアリアさんっていえばさ。別れ際に、変なこと言われたんだよね。なんか、個人的に私のこと応援してる? とかなんとか……」
「? お前が? 応援? 何だそりゃ?」
流護にも思い当たる節はないらしい。
「うーん……ベルグレッテに聞いてみたほうがいいのかな……?」
「よく分からんけど、応援してるってならいいんじゃね? レアだぞ。世の中、クレアさんの当たりがキツくて肩身狭い思いしてる奴の方が多いんだから。エドヴィンなんか、面と向かってゴミ呼ばわりされてんだぞ」
「わー……」
外見からしていかにも気の強そうな彼女ではあったが、どうやらその通りの性格らしい。間違っても怒らせないほうがよさそうだ。流護が言うように、なぜかこちらに好意的……かもしれないので、素直に甘んじておけばいいのかもしれない。
「そういえば流護、仕事だって言ってたけど……どういう仕事だったの?」
「……何でそんなこと訊くんだ?」
「いや、単純に気になって。今日のあの幽霊退治作戦には参加してなかったっていうし。クレアリアさんみたいに戦ったりしてるのかなと思うと、ちょっと心配だし」
「心配なんていらねーよ、俺は強いつったろ。つか、俺の仕事のことなんてお前に言っても分からんだろ。知る必要もねーし」
「あー。あー、あー、あー。そっかそっか。そーゆーことかー」
「は? 何だよ、その察しましたみたいなツラは……」
「あれじゃん。完全に、仕事って嘘ついて裏で女作ってるやつじゃん。ほっかほっか。ベルグレッテとミアちゃんに言いつけてやろーっと」
「いやアホか、んな訳ねーだろ……」
「だって、やましいことがあるから言いたくないんじゃないのー?」
ジト目な彩花の言葉を受けてソファから身を起こした流護は、億劫げにボリボリと頭を掻きつつ。
「……ったく。まあ、仕事ってのは嘘だ。個人的な人捜しだよ」
「うわっ、白状した。女子? 女子なんだ!?」
「残念だったな、男だよ」
一息ついた流護は、何とも複雑そうな顔で彩花をチラリと窺う。
「ベル子とミア……、いや、ほかの誰にもナイショにできるなら話してやる」
「! うんうんうん」
「目ぇキラキラさせてんじゃねぇ……。何か弱み握った気になってるだろ、お前」
観念したように、面倒くさそうに少年は語り始めた。
「……前に、敵として闘り合った奴がいるんだけどさ。俺もこの世界に来て色んな相手と闘ったけど、その中でもトップクラスに強い奴だった。……ってか、正直俺は勝った気はしてない。そん時のトラブルも結果的に丸く収まっただけで、俺はあの野郎に勝てたとは思ってない」
「え? だってあんた、めちゃくちゃ強いんじゃないの?」
「ああ。だから同じように、そいつもめちゃくちゃ強かったんだよ」
自信家のこの幼なじみの少年が、あまりにもあっさりと言ってのけた。つい先ほど、自分が一番強いなどと言い放っていたにもかかわらず。
「ベル子とかミア……基本的にこの学院の皆にとっては因縁っつーか色々ある奴でな。誰も話題に触れようとしないぐらいには嫌われてる……ってか恐れられてるんかな。んで最近……そいつが死んだ、とかって噂を聞いてさ。王都のスラムなんかを根城にしてたっていうから、ちょっと確認に行ってたんだよ。大した話は聞けなかったけどな。結局、本当に死んだかどうかは分からんかった」
「そう……だったんだ」
何というか、彩花が期待したようなゴシップ要素は一ミリもなかった。
「でも、その人……敵、だったんでしょ?」
「ああ。ムカつく性格してるし、自分以外を格下に見てるような俺様野郎だし、絶対に仲良くなんてなれないタイプだな。……でも」
「……でも?」
「実際に闘ってみて分かった。あいつが……あそこまで強くなるために、どんだけの時間を掛けて努力してきたのか。どんだけの修羅場を潜ってきたのか。何かあるんだろうな、強くなりたかった理由がさ」
右手で握り拳を作りながら、少年は実感の篭もった口調で語る。
「強くなる、ってのは簡単なことじゃない。それ以外の全部を犠牲にして努力に費やして、ようやくなれる領域……いや、あそこまでなれるもんなのか……とにかくそういうレベルに、あいつはいた。俺も強くなるためにずっと鍛えてるから、何となくそういうの分かるんだよ」
言われてみれば流護自身、周囲の同級生とは違っていた。流行りものには疎いし、皆と一緒になって騒いで遊ぶこともあまりなかった。そういった時間を空手に費やしていたのだ。少なからず、青春を犠牲にしている。
そんな格闘技少年は複雑そうな、それでいて嬉しそうとも思える息をついて。
「……そういった意味じゃ、まあ……なんつーか……敵ながらあっぱれ、みたいなやつ? いや、仲良しこよしなんて絶対なれんけど……まあ……俺はぶっちゃけ、嫌いじゃないんだよな。あの野郎がさ」
「…………そう、なんだ」
相槌を打つも、彩花には分からない感覚だ。
ただ、それでも。
「……事情を知らない私なんかが、気安く言えることじゃないのかもだけど……うん。その人、無事だといいね」
少しだけ彩花を見やった流護は、またすぐに視線を逸らして。
「…………ああ。……そーだな」
面倒くさそうに、けれどはっきりと頷いた。口元にかすかな笑みを浮かべて。