55. 死体は語る
コツコツと。石造りの階段から響いてくる足音を耳にしたロック博士は、書類整理をしながら相手の顔も見ずに声を投げかけた。
「流護クンかい? コーヒーにする? それとも紅茶がいいかな?」
研究棟を訪れる人間など限られている。
生徒……特に女子生徒は何らかの提出物がない限り絶対に寄りつかないので、実質、流護やエドヴィンが来るぐらいのものだった。そして今は授業中。となれば、ミアの件で休みを取っている流護しかいない。
と、思っていたのだが――
「人違いですが、紅茶でお願いします」
どうにも油断が過ぎたらしい、とロック博士は自らを戒める。
危うく、「この世界の紅茶は風味が違ってクセが強いけどねえ」などと続けてしまうところだった。
振り向けば、流護ではない人物が部屋の入り口に立っていた。知った顔ではあったのだが。
「ごめん人違いだ。水でいいかい?」
「ハハハ。酷い扱いですね」
「だってキミたち研究員は忙しいんじゃないのー? こんなところでゆっくりお茶なんか飲んでていいのかな?」
「ここへ来るのも、立派な仕事の一つですよ」
博士と同じ白衣を身に纏った、何の変哲もない四十過ぎの男。
王都の神詠術研究部門に所属する研究者の一人だった。彼は、勧められてもいないソファに腰を下ろす。
「それこそ、ロック博士が通信の神詠術の一つでも使ってくれれば、こうして出向く必要もないのですが……」
「随分と昔にも言ったでしょ。ボクはね、解明されてない技術を使う気にはならないんだ」
「フ、神の恩恵を『解明されていない技術』とは。功績を残している貴方でなければ、許されない発言でしょうな」
コト……と、ロック博士は男の前へカップを置く。
「『神詠術研究部門』なんてものがあるのに、今更そんなこと言ってもねえ」
博士の言葉に、研究者はハハと笑う。
「それにボクとしてはね、神の恩恵だからってただ甘んじて享受してるだけのほうが、神に対して失礼だと思うワケだよ。神がどうしてそんな力を授けたのか。どういう理屈で神詠術が作動するのか。むしろ神は、それらを説き明かしてみろと示してる。人の探究心を、前に進もうとする意志を、見ようとしてる。ボクはね、そんな風に思うんだ」
「フフ……見習いたいものですな」
ずず……と、男はカップに口をつけてすする。ゴホッと咳き込んだ。
「って、こ、これ……水……」
「だから水でいい? って訊いたじゃない」
だからって本当に水なんか出すなよ……とばかりに苦々しい表情を浮かべた男は、ゆっくりとカップをテーブルの上に戻した。
「それで、何の用かな?」
もっともらしい屁理屈と水のもてなしで都合の悪い話を流した博士は、自身もソファに腰掛けながら話の先を促した。
「え、ええ……一週間ほど前、ディアレーで『エクスペンド』の少女が遺体で上がったのはご存知で?」
「いや。初耳だねえ」
ディアレーの街。一週間前。
ちょうどミアが行方不明になった時期だ。
「その少女なのですが……過去に何度か発見された、『例の被害者』たちと同一の痕跡が認められました」
「…………」
博士は、マッチでタバコに火を点けながら問う。
「……どこだった?」
「脳です。ごっそりと……きれいに抜き取られていました」
一年ほど前からか。
レインディール王国領では、奇妙な遺体が幾度となく発見されるようになっていた。
博士自身が流護に語った通り、この世界において人の死体が見つかるのは珍しいことでも何でもない。
レインディールは比較的治安のいい地域ではあるが、それでも街道を外れれば、頭を割られた死体、臓物をぶちまけた死体、食い荒らされた死体……などというものは言葉通りの意味で溢れている。
王都や街の街道付近に転がっている遺体ならば、兵士たちで回収することも少なくない。
そんな折、博士は何度か偶然立ち会った検分の中で、奇妙な共通点を持つ遺体があることに気付く。
おそらくは、現代日本から来た博士……岩波輝でなければ気付かなかっただろう、共通点。
ある遺体は、心臓を。ある遺体は、脳を丸ごと。ある遺体は、脊髄をごっそりと。これらの部位だけが抜き取られ、まるでそのことを隠すかのように、きちんと縫合まで施された遺体。
そのような遺体が複数、確認されるようになっていた。
当初はこの世界に『解剖』という概念があったのかと驚いたが、よくよく考えれば地球でも解剖学の歴史は古い。
しかし調べてみたところ、やはりこのグリムクロウズにおいては、さほど浸透している技術ではなかった。
例えば盲腸などは、回復の神詠術で破裂させることなく散らしてしまえるのだという。手術すら必要ないのだ。
逆をいえば、回復の術で治療できないような重い症状には、手術が必要となる。
『ミージリント筋力減衰症』のように治療手段が確立されている病気はともかく、解剖手術をしなければならない事態イコールほぼ手遅れという状態であることも少なくないようだった。
さて、発見・回収された遺体は軽く検分されることになるが、現代日本ほど細かく調べるような風習も技術もこの世界にはない。
本当に偶然、ある遺体の頭部に大きな縫合痕を発見したことがきっかけだった。抜糸がされておらず、生前の縫合痕には見えなかった。その推測が正しければ、殺した後に該当部を切り開き、わざわざ縫って閉じたということになる。
不審に思い調べてみたところ、『中身』が抜き取られていたのだった。
「やはり博士が以前、言っていた……シリアル……何とか、というものでしょうか?」
「猟奇連続殺人者ね。うーん……」
遺体の一部を持ち去る猟奇連続殺人者は珍しくない。
だが……心臓、脳、脊髄。このいずれか一つのみを抜き取っている、という点が博士には引っ掛かっていた。
例えば、心臓のない遺体であれば、脳は必ず無事なのだ。脳のない遺体であれば、心臓は無事。三つの部位のうち二つ、あるいは全てが抜き取られていることは皆無だった。必ず、欠損している部位は一つだけ。
抜き取った後にわざわざ縫合しているということは、犯人はこのことを知られたくなかったのだと考えられる。
正直なところ縫合痕は雑で、一目見れば分かるのだが、まさに木は森の中に隠せ的な理論というか――凄惨な遺体が大量に回収される中で、それらの特徴を持った遺体を見つけたのは全くの偶然だった。この世界の住人ならば気にも留めなかっただろう。
「今回の被害者は『エクスペンド』だったね。何とか所有者が分かれば、かなり大きな進展になると思うけど」
「ええ……我々もそう思いますが、やはり難しいですね」
『エクスペンド』は、言葉通り『消耗品』とまで揶揄される奴隷である。
基本的には『持ち主』がマフィアや無法者といった類の人間である場合に用いられる呼称だった。
『エクスペンド』はまともに人として扱われず、当然のように人権は存在しない。
大概は買われてすぐ逃げられないように脚の腱を切られ、人間のあらゆる『負』の部分を叩きつけられることになる。
その結果として、大怪我、衰弱、病気、妊娠……『持ち主』が煩わしいと判断する要素が発生すれば、容赦なく殺されて棄てられることになる。
徹底して『物』のように扱われる『エクスペンド』は、変わり果てた姿で発見されたとしても、身元の特定が非常に難しかった。
この世界に、厳正な個人情報の管理や優秀な科学捜査などというものはないのだ。何のヒントもない状態で、落とし物の主を捜すことに等しい。
「…………、ふー……」
この世界へ来た当初、グリムクロウズについて学んだときのことを思い出して、岩波輝は胸糞が悪くなった。
タバコの煙と一緒に、その気持ちを吐き出す。
『エクスペンド』は絶対に減らない。
あらゆる部分において未発達なこの世界は、避妊手段にも乏しい。宗教上の理由で、避妊や堕胎を認められていないことも非常に多い。
結果、貧しい平民の家系であっても、子供の数が増えていく。そうして、養いきれなくなった子供たちが売られていく。結果、『エクスペンド』が生まれる。
今回、ミアが売られてしまった理由も結局は同じだ。
『エクスペンド』や奴隷という悪習。
例えば、リリアーヌ姫は奴隷制度の根絶を夢見ている。
未成熟な世界であるがゆえ、なかなか事が上手く運ばないところではあるが、ロック博士――岩波輝としての知識があれば、奴隷制度を必要としない構造へ改革することも決して不可能ではない。
が、博士がそれら改革の要となり、立役者となってしまった場合、反抗する者たちから命を狙われることにもなりかねない。
つい先日、考えられないような理由で命を狙われてしまったガーティルード姉妹のように。四百年前、刺されて命を落としてしまったディアレーのように。
ここは、思いもよらないことでその命を脅かされる世界。
岩波輝には、有海流護と違い自分の身を守る力はないのだ。
事実、博士は神詠術の研究者として功績を残しており、その筋では名の知れた人間として知れ渡っているが、『神詠術の研究』を快く思わない者から狙われたことがある。
博士が王都でなく学院に住み込みで勤めている理由の一つはそれだ。
学院内ならば、不審人物も博士に近づくことはできない。
もっとも狙われたのはもう五年近くも前の話で、今はもう危険もないだろうが、命のやり取りなど及びもつかない現代日本に生きる身だった『岩波輝』としては、自然と外出する機会も減ってしまっていた。
目立つことはできない。迂闊な真似はできない。
奴隷制度の改革などにかかわってしまったら、いくら自分の存在を隠そうとしても噂は広まってしまうだろう。
まさにこの世界へ来てからの流護のように。
しかし自分は、彼のようなヒーローにはなれない。
だからせめて周りの人たちが――リーフィアが、幸せでいてくれたらいい。
とはいえ今回、そんな悪習が身近に……ミアに影響を及ぼしてしまった訳だが……。
とにかく『エクスペンド』は、この世界における負の象徴といっても過言ではないだろう。
今回のミアの件にしても、流護と最後まで競り合っていたのはマフィアのレドラックだったそうだが……もしレドラックに競り落とされていれば、ミアが『エクスペンド』として――
「んん……?」
「どうかしましたか、博士」
ディアレーで見つかった『エクスペンド』の遺体。
時を同じくして、マフィア……レドラックファミリーに買われそうになったミア。
「確かにディアレーは広いけど……偶然かなあ、これは……?」
「博士?」
「用件は今の話だよね?」
「ええ」
「よし。護衛を数人呼んでくれるかな? たまにはちょっと出かけようか。何か――新しい発見が、ある予感がするよ」